25話:賢者の首はかく語りき(後)

貴方オウルが、シスト公の息子……」

「より正しく言えば、不義の子だ。奴は現公妃と結婚する前、家臣の妻に手を――」

「その先は言わなくていい!」


 端正な顔が歪むほど苦しげなのに、なお正確を期そうとするオウルを押し留める。

 自分の心を傷つけても、物事は正しく伝わらなければならないという妄執――それはただ彼の性分だ、というだけではとても片付けられない。

 この人は、何かが壊れてしまっている。

 立場を捨て、名前を捨て、人との関わりを捨ててまで、オウルがなぜ狼を狩り続けているのか、その理由の一端は垣間見えた。

 でも、これ以上の事実を、オウルから語らせてしまうのは……。


「あとは僕が引き取ろう。彼にこの話を二度させるのは本意じゃない……良いよね、オウル君?」


 私の逡巡を見抜いた? ――いえ、これはアウスの良心でしょうね。

 覆面をもと通りに戻した狩人は、小さく頷くと私たちから目を逸らし、遙か先のシストの街へ視線を移した。

 

「さて。“銀狼”に襲われる直前、僕が話してたことを覚えてるかな」

「え……っと」


 話題が随分遠くに飛んだわね……。

 駄目だわ、いろんなことが起こりすぎてすっかり頭から抜け落ちてしまってる。


「確か、あの道の成り立ちには、前聖王妃様が深く関わっている……というようなことだったかと存じます」

「さすがフィリアちゃん。その通りだよ」

「よく覚えてたわね……そういえばそうだったわ」


 あのときは退屈な道の暇つぶし、歴史のこぼれ話ぐらいに思っていたのに、まさかこんな事態にまで発展するなんてね……。

 夜の冷たい風のせいか、それに掻き鳴らされる森の音のせいか、私もだんだん気持ちが沈んでいってる気がする。


「改めて言うけど、例の道が出来たのは三十年前。シスト公の即位も同じ時期だから、先代の跡を継いですぐ事業に着手したってことになる」

「他にやることが色々ありそうなのにね」

「まさに。領主なら必ずやるべきことを綺麗さっぱり投げ捨て、彼は工事を命じると自ら監督に出た。初代をならうように現場入りさ」


 私がこれまでシスト公に抱いていたイメージは『強壮で寡黙な名君』だったのに、話を聞くとどんどん意外な一面が見えてくる。

 それがいい意味でなら歓迎するけど……ねぇ。


「そんな暴挙、誰も止めなかったわけ?」

「止めただろう、当然。とんでもない経費をかけ、わざわざ恐ろしい狼が出る森を抜ける新道をつくるって言うんだから、止めないほうが変だ」

「……でしょうね」

「なんなら当時の聖王にも呼び出されて、かなり怒られたって話だよ」

「お祖父様に……?」


 あんなに温柔だった祖父が人を怒るなんて――でも、裏を返せば、あの方が怒るレベルの無茶だった、ってことか。

 それでも、事業は結局続けられた。

 シスト国内だけのこととはいえ、あの狂気のような道は確かに出来上がっているのだから。


「なにがしたかったのかしら、シスト公……?」


 道を作るだけの明確な理由があり、苦役に見合うリターンが得られたのなら、コストの面だけを見て責められはしない。

 でも、あの道を起こした動機には、なんだか――ひどく暗いものを感じる。


「……知ってるかも知れないが、シスト公は前聖女王の婿候補だったんだよ。イナーシャのお祖父さんの恋敵ってわけだ」


 それは全く知らなかったけど、身内からすればこんなコメントしづらい話もないわ、特にこの状況では。

 ていうか、その事実と道が作られたこととの繋がりが今ひとつピンとこない。


「シスト公は、聖王女を心から愛していた。だが、家臣としての分を弁え、自ら潔く身を引いて臣従する道を選んだ――とされている」

「なんか、忠臣の誉を歌った詩みたいに聞こえるわね」

「だろう? で、そんな彼が作り始めたのが、フラシアまで一直線に伸びる道とくれば、市井ではこう解釈されるわけだ」


 意味ありげな視線を私とフィリアに送ってから、軽く咳払いをしたアウスが芝居がかった声音で言う。

 

「シスト公は身を引きはしたが、『貴女に何かあればいつでも駆けつける』という想いをあの道で暗に示したんだ!……ってね」


 なるほど、一応の筋は――というか、ロマンスをベースにして考えた場合なら、納得できない話じゃない。

 でも。


「これが、まだ五体揃ってた時点の僕が知っていた『噂話』、君たちに話そうとしていた内容なんだけどね」

「今となっては、色々と矛盾が見えてしまいますわね……」


 フィリアが呟いた通り、もはや話を額面通りに受け取れる状態にはない。


「オウル、一応聞くわ。今アウスが話したことは事実なの?」

「……事実なものか。その時にはもう、この俺が生まれていたんだからな」


 気が進まないし、問うだけの価値はないかもしれないけれど……念のための確認に対して、吐き捨てるような言葉が返ってくる。


「陰で婚外子を作っておいて、愛に殉じた忠臣だと? 悪い冗談にも程がある」


 事実だけを見ることを信条にしている彼からすれば、自分自身の存在をもって否定される言説が巷に流布していること自体、耐え難い苦痛なんだろうと思う。


「俺はその噂自体、あの男が流させたんじゃないかと疑っているぐらいだ」

「……そう」


 『奴』、『あの男』……。

 さっきからオウルは、仮にも実の父であるシスト公のことをそう表現するばかりで、一度も名指ししようとしない。

 王族としてはありえないぐらいに家族仲がよかったフラシアで育った私には、彼の言葉の裏に潜んでいる憎悪がどれほど深いか想像も出来なかった。

 そういえば……シスト公には嫡子がいたことを、不意に思い出す。

 『自慢の跡継ぎです』と笑いながら私に紹介してきた、彼の晴れやかな顔も。


「……吐き気がしそうだわ」


 旅に出たことで、私はこれまで何に依拠し、全くそうと意識せずに生きてきたのか、だんだんと分かってきた。

 思い知らされたとも言うし、正しく理解できたと言っても良い。

 いずれにせよ、私は本当に世間知らずだったのだ。

 人を変質させてしまう『神の呪い』は、それでも打ち破れる可能性がある。

 人の出自を定める『血』は、目に見える害及ぼさないかわり、入れ替えることも捨て去ることも絶対に出来ない。

 どちらがより憎むべき拘束なのか……私にはとても判断できそうにない。


「そろそろ、結論を導こう」


 瞑目したアウスが場の沈黙を打ち破り、この話の終着点を呼び寄せる。


「情報を総合すれば、シスト公がフラシアとの直通路を作った理由を『聖王女への深い愛情』などという与太話に求められないのは明らかだ」

「…………」


 本当はこれ以上聞きたくない。

 この話はきっと、シスト公への最後の信頼感を打ち砕くに違いないから。


「フラシアとシスト両国の交友なら、もともとあった道で充分。物流の高速化は目的たり得るけど……“銀狼”と交わした密約の内容を考えたら、得られる利より害の方が遥かに大きい」

「でも……他になんの理由がありますでしょうか……?」

「一番単純な目的だよ。“軍事”だ」


 ……そうなってしまうわね。

 愛の証だの、忠誠心だの、外聞の良いことを全て取り除けば、自然とそうなる。

 あの道が出来たことによる最大の利点は、『フラシアへ素早く到達出来る』『平坦だから軍隊を動かしやすい』こと。

 たとえば、当時のフラシアが他国と戦争状態にあり、シストから援軍を送るために道を作ったというなら筋も通るけど、そんな事実は一切ない。

 と、すれば……。


「あの道は、フラシアへ攻めのぼるための進路だった。そう考えるしかないね」


 ……結局、行き着くところはいつも最悪なのね。

 おそらく当時、お祖父様もそうと気付いていたのでしょう、王として。

 忠義と愛情に包まれた毒薬……だからシスト公を呼び出し、強く叱責したと考えれば辻褄も合う。

 反逆者として首を刎ねなかったのは、やっぱりお祖父様の温情だったのかもしれないけど……。

 

「渋い顔をしているね、イナーシャ」

「そりゃそうよ……シスト公のことはずっと信頼していた。私だけじゃない、父や母だってね。それなのに――」

「気持ちはわかる。ただ、この推論には一つ大きな問題が残っているから、そのまま鵜呑みにされちゃうと困るかな」

「問題って……何よ?」

「現実として、シストは道ができた後もフラシアへ攻め上がっていない。その理由がどうしても説明できないんだ」

「それはほら、ええと……」


 ……どうしてかしら?

 シストは建国以降、ずっと国力をいや増すばかりで、今となっては主であるフラシアより強大なのは誤魔化しようがない事実だ。

 何か、そうしようと思っていたのに出来なくなった事情がある?

 だとしたら……それは一体?


「ここが推論の限界だね。答えがわかる人がいるとすれば、オウル君かなぁ」

「俺は、それを語るつもりはない」

「ああ、答えを知ってはいるんだね? その返答で充分だよ」

「…………」


 徹底的に事実だけを話すオウルにああいう形で水を向け、彼が答えを知っているかどうかを探り出した……か。

 話し疲れちゃったよ、と戯けるアウスは相変わらず軽薄ではあるけれど、間違いなく一人の賢者なのだと思い知ったわ。


「さてと。ついでだからこれも話してしまおうか」


 フィリアに口周りを潤してもらい、一呼吸おいたアウスがもうちょっと我慢してねと笑う。


「イナーシャ。銀狼やつが神である以上、呪いだって当然にありそうだろ?」

「……ええ、そうでしょうね」

「問題は、その呪いの性質だ。こればっかりは何の裏付けもない僕の憶測だから、オウル君に答え合わせをしてもらおうと思うんだが」


 瞬間、ぎらりと不死者の目が光った。


「オウル君。銀狼に食われた人間は、んじゃないか?」

「…………え?」


 何を言い出すのよ、貴方?

 フィリアも息を呑んで、ヒュッと甲高い音が鳴る。

 冗談はやめてと言いたかったのに、そんな暇も与えてくれない狩人が、アウスを睨み返して頷いてしまった。


「……その通りだ」


 ちょ……ちょっと待ってよ。

 じゃあ、私たちを襲ったあの三匹の狼は。

 奴らが火を、魔法を恐れる素振りも見せなかったのは……!


「俺は“銀狼”の生贄にされ、狼に堕とされた民を狩り続けているんだ。自分が人だったことすら忘れてしまった彼らの、魂の安らぎのためにな……」

「そんな……そんなこと……ううッ!」


 今度こそ、明確な吐き気が湧き上がってきた。

 窓辺に駆け寄って下を向いた途端、ついに堪えきれなくなって。


「イナ様……イナ様、しっかり……」


 フィリアにいくら背を擦られても、胃の中が空になっても、込み上げてくるものがどうしても止まらない。

 私は、望まぬ死をもたらされることも、人の生を全うできなくなることも、この上ない悲劇だと思っていた。

 なのに……獣に貶められ、人の形すら保てなくなる『呪い』があるなんて……!


「……こんな歪みは沢山あるさ。嫌になるぐらい、世界中にね――そして、その割を食うのはいつだって、名前すら記録されない人たちなんだ」


 アウスが最後に、諦観を込めて呟いた言葉。

 そのあまりに残酷な響きは、へたり込んだ私の耳の中で延々と反響し続けた。

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