24話:賢者の首はかく語りき(前)

「まあ、とにかく――」


 完全に外が真っ暗になり、さらに煌々と輝く月が高く昇ったあたりでようやく止んだフィリアの撃の後を継いで、私はどうにも重い口を開いた。


「アウスは狩人かれに助けてもらう代わり、あの化け物を倒すと約束したわけね?」

「そういうこと。ま、救助それだけが理由じゃないけれどさ」

「………………」


 いつも通りに意味ありげな視線を投げるアウスと、無言の狩人。

 申し訳ないけど、どっちもどっちで言葉が足りない二人を許容できるほど、私には余裕が無いの。


「……もう猫を被っていても仕方ないようだし、普段通りに話させてもらうわね」


 腕組みをしたまま、部屋を貫通する木の幹に寄り掛かっている狩人に正対する。


「まずハッキリさせておきましょう。アウスが勝手にした約束こととはいえ、私も知らんぷりをする気はない。約束はちゃんと守るわ」

「そう言ってくれると思ったよ、イナーシャ!」

「調子に乗らない。この件については後でキッチリ落とし前をつけてもらうわよ、軽薄男」

「うぬう」


 私の言葉よりフィリアに睨まれているのが効いて、アウスが早々に軽口を引っ込める。

 全く、どこまで呑気なのかしら、この人は……。

 とにかく、今は責任問題を追求するよりも先にすべきことがある。


「ただ……狩人あなたに手を貸すにしても、一つ聞かせてもらいたいの」

「なんだ」

「どうして私たちの手が要るの? 貴方があっさり斃した狼にすら歯が立たない連中よ?」


 現実的に考えて、私たち三人は足手まといにしかならない。

 この森に詳しいわけがなく、狩り自体に精通していないのも、一見すればわかるでしょうに。

 唯一、フォビアなら戦いうるかもしれないと思うけど、アウスみたいに利に聡い――悪く言えば小賢しい――人間が、命のかかった掛け合いに不確定な要素を利用するとは思えなかった。


「……おい、軽薄男」


 私の疑問に多少の沈黙を返したあと、オウルがアウスに目をやる。


「ちょ! 君までその呼び方をすることはないじゃない!」

「説明はお前がしろ。あるいは“説得”になるのかもしれないが」


 抗議しても受け流されるキャラがすっかり定着してしまった事実にげんなりした顔をしたあと、手があればきっと頭の一つも掻きたかっただろうアウスがぼやく。


「やれやれ、冷徹クールな男はこれだから」

愚かフールな男より何十倍もマシよ」

「……誰か一人ぐらい味方してくれても良いんじゃないかなぁ……」


 フィリアにまでそっぽを向かれてるのに、何を期待してるのよ、全く。


「まあ、冗句もこの辺にしておくよ。僕としてもちょっと洒落になってないからね、この状況は」


 ここまで来ないと真面目に話せないのも凄いと思うけど、逆に言えば、彼が真顔になるほどの事実があるということ。

 アウスの首が何を語るのか、私もフィリアも確実に身構えて聞いていたと思う。


「結論から言おう。あの巨大な狼――オウル君が『銀狼』と呼んでいるあれは、イナーシャにしか殺せない」

「私にしか? ……まさか!?」

「ああ。僕の身体を食っちまったあの化け物は、間違いなく“神”の一柱だよ」


 絶句以外に反応のしようがない。

 また……またしても、“神”の名が出てくるの?

 この件についてだけは、アウスが言うことに間違いがない――そんな嫌な信頼が出来てしまっているから、もう疑いはしない。

 にしたって、どうして私は、こんなにも神に纏わる事件ことに出遭ってしまうの……?


「ここに戻るまでの道々、この無口な男から頑張って聞き出した情報を整理すると」


 こちらの葛藤をあえて無視して、アウスは目でオウルの方を指す。


銀狼やつはこの土地に人の手が入ることを拒み続けてきた存在ものらしい。恥ずかしながら、僕も全くの初耳の情報だ」

「じゃあ、この森をフラシアが放置していたのは、ただ森が深すぎるからじゃなく……?」

「おそらくね。実際、初代シスト公の回顧録には『熊より遥かに大きい狼の妨害に遭い、森を通ることを断念した』という記述があるそうだ」

があいつだ、と?」

「あんな化け物が複数いるなんて、信じたくもないよ」


 ……それには躊躇いなく同意するわ、私も。


貴方は見ていないの、その狼を?」

「僕がシストに偵察にいったのは、集落がある程度出来たあと、つまり森を迂回する道が通ってからだからね。ただ……ぐッ」


 急に苦しげに咳き込んだアウスは、何度か大きく呼吸をするような仕草をしたあと、それでも話の先を続ける。


「……『その狼は人語を話した』とも記録されているらしいし、僕自身、さっき奴が話すのをこの耳で聞いた――ここまでくれば、同一の存在だとみなして良いんじゃないかな」


 首だけの彼が軽く目を閉じ、忌々しげに眉をしかめる姿は当然の不安を呼んで、フィリアと顔を見合わせる。

 そんな私たちが落ち着くのを待ってから、不死者は議論を一つ先へと進めた。


「さて、続けよう。この事実を受け入れた場合、疑問が二つ生まれる」


 多分、無意識に指を立てようとしたのだと思う。

 一瞬妙な間が空いて、苦笑いの顔になったアウスは、代わりに片目をつぶってみせた。


「一つ目。ならば何故、今は森に道が通っているのか――言い換えれば、当代のシスト公はどうやって道を通すことが出来たのか?」

「……確かにそうだわ」


 あの銀狼が居なくなったから出来た……というのなら分かるけれど、現実に私たちは襲われ、アウスは身体を食べられるほどの憂き目にあった。

 ああだこうだ言いはしたけど、実際、彼が身を挺して止めてくれなかったら、私とフィリアがはたしてどうなっていたか……。

 想像もしたくない、でも有り得た未来に身震いしているうち、アウスの口から出たのは予想外の一言。

 

「実は、この答えは、オウル君がすでに知っているんだ」

「……なんですって?」

「シスト公はあの化け物と密約を交わしたんだよ。さっき言った通り、あの化け物は人語を話せるからね」


 密約……密約?

 あんな恐ろしい狼と、それこそ“取り引き”をしたというの?

 シスト公ともあろう人が……?

 つい半年前に出会った、精悍な彼の姿が脳裏に過って、その事実をそのままには飲み込めない。


「初代が蹴った条件を、当代が飲んだと言ってもいいかな」

「その条件って……?」


 それでも、畳み掛けるように話すアウスに仕方なく相槌をうつと、ようやくそこで情報の奔流が止まった。


「オウル君。確認するけど、僕から話してしまって良いんだね?」

「…………」


 真剣な目をして、アウスが狩人に問う。

 その瞳は、彼が自分の呪わしい不死の運命を語ったときと同じ、哀しさがにじみ出るような色をしている。

 冷徹に徹してきたオウルが、初めて見せた逡巡の果てに頷いたのを確認したアウスが発した言葉は、もう到底――いいえ、絶対に飲み込めない内容だった。


「シスト公が狼と交わした約束はこうだ。『森に立ち入った人間は随意に喰らって構わない――なんなら、定期的に犠牲者を送ってやる』」

「ばッ……バカなことを言わないでよ!」

「事実だから仕方ない。あの道は異常なほど綺麗だっただろ? 整備の名目で人足が送られたあと、シストの街に戻ってきた者は一人も無いんだそうだ」


 私の方が落ち着きをなくしてたら本末転倒だけど、いくらアウスが言葉を重ねても、これだけは認められない。


「シスト公は名君として名高い、フルシア屈指の貴族よ!? そんな血も涙もないことを――!」

「……しているんだ。間違いなく……!」

「え……」


 苦悩に満ちた声に毒気を抜かれて、一瞬心が虚脱してしまう。

 その声は、手で顔を覆い、しゃがみ込んだオウルから発せられた。

 あれほど無感情で、あれほど冷徹で。

 なんの心も見せなかった彼の顔が、苦痛に歪んでいる。


「……“二つ目の疑問”はもう、僕から言うまでもないだろ、イナーシャ」


 アウスも、そう言ったあとはただ目を伏せ、沈黙を貫いている。

 聞かなければならないの、私が。

 こんな残酷なことを?


「オウル……貴方はなぜそんなことを――そんなに詳しく知っているの」


 この答えに対する推論は、彼のさっきの一言で完全に組み上がっている。


 彼はなぜ、私の正体をしっていたのか。

 彼は何処で、私と会ったことがあるのか。

 彼はどうして、シストの為政者しか知らない文書や情報に通じているのか。

 そして――彼はなぜ、これほど苦悩しなければならないのか。


「………………それは」


 長い長い長い沈黙のあと、それまで顔を覆っていた手を覆面にかけた彼は、それを一息に剥ぎ取って顔を上げる。


「それは俺が……あのおぞましい男の庶子だからだ」


 ……精悍で凛々しい、意志の強さを明確に現す容貌かお

 そこには、狼との戦いでついた数多の傷でも隠せないほど、確かにシスト公の面影があった。

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