17話:忍び寄る影
「――実際、あとどのぐらいかかるのかしら」
折り目正しく待っていてくれたフィリアの腕を取って歩き出した私は、歩を早めているのに呑気な様子で鼻歌を歌っているアウスにこう尋ねた。
「シストの街まで? 森さえ抜ければ、あとは耕作地の広がる平地だし……そうだなぁ」
軽く顎を撫でながら、指を折って考えるアウス。
時折フィリアに目をやるのは、多分、一番足の遅い彼女のペースに合わせる計算をしているんでしょう。
こういうところ、妙に紳士的よね、彼。
私たちとは違う民族だけど、数多の「私に合わせて歩け」と平気な顔で言う貴族より、よっぽど人間として好ましい。
「うん、明日中にはシストの近くに到着出来ると思うよ。ただ、やっぱり今夜は野宿で我慢してもらうしかないけど……?」
ああ、どうやら、アウスは私の質問が「野営を避けたい」という意味を含んでいると思ったみたいね。
「遠慮しなくていいわ。いずれ絶対必要になることだもの」
こっちだって、旅の間ずっと天井がある場所で寝られるなんて流石に思っていない。
「そのことは、フィリアとも出発前にも随分話したわ。ね?」
「はい。私も、覚悟しております……!」
まるで命のやり取りをするときみたいな悲壮さで頷いたフィリアに、思わず噴き出しかけた私とは対象的に、アウスの方はあくまで真面目に頷いた。
「危機感は大切だよ。なんせ夜の森は想像以上に危険だからね」
……確かに、私が呑気過ぎたかも。
今は穏やかな森でも、真っ暗になったことを想像したらかなり恐い。
一応、松明の用意はしてあるけど、夜を徹して歩けるような道でもないでしょう、特に馬を連れてでは。
「幸い、この先に少しだけ拓けたところがある。そこに泊まることにするけど、良いかな」
「ええ。貴方に任せるわ」
三人で頷き合い、更に急ぎ足で前に進む間に、私はこれから行く国の情報を頭の中に反芻していた。
――シスト公国。
『公国』の名の通り、王でなく貴族が治める土地、フラシアの従属国だ。
いま歩いている森も含め、このあたりはもともとフラシアの直轄領だったらしい。
そんな大森林を切り開くため、忠臣の呼び声高い大貴族、のちの初代シスト公が派遣されたのは、もう百年以上前のこと。
「こんなところに入植して街を作れなんて、ひいお祖父様も無茶な命を下したものね……」
改めて周囲を見回して、思わずため息が出る。
森の先に豊かな平地があるのは分かってたんでしょうけど、普通の人じゃ森に阻まれて辿り着けないからこそ、ずっと放置されていたんでしょうに。
「よく反乱を起こさなかったと思うわ、初代のシスト公も」
「いやあ、あの人は狂信的な聖王支持派だったからねぇ。だからこそ任されたんじゃない?」
「……まるで見てきたみたいに言うわね」
「ああ、うん、確かに“見てきた”よ。その頃にちょーっとだけ、フラシアのお世話になったんだ」
……なるほど、ただ長生きしてるだけじゃない、ってわけ。
一族であちこち
……あら?
「貴方、実は色んな国の秘密を握ってたりしないでしょうね?」
「…………ふふ」
何よ、その意味深すぎる笑い方!
これ以上、むやみにこの藪を突付くととんでもない大蛇が飛び出して来そうだから、二度と触れないようにしましょう……。
そんな私の警戒心を知ってか知らずかに、アウスはシスト公の思い出を面白おかしく語ったあと、さらりとこう言って話を締めた。
「ま、元気な人だったよ、ホントに。毎日泥まみれで働いてたなぁ」
「え……あの逸話、本当にあったのことなの!?」
王宮でイヤイヤながら読まされたシストの建国史には、『若き初代シスト公は自ら率先して馬を降り、鎧はおろか服までも脱ぎ捨てて、人足と共に作業に当たった』――と、そう記述されていたのを確かに覚えている。
歴史の先生から「これこそ高潔さと忠義の表れである」って熱弁されて、「さすがに嘘くさいわね」って疑ってたのに……!
「証拠はないけどね。いまでもシストで初代の人気が衰えないことを考えれば、分かるでしょ?」
「……それは確かに」
大シスト公は七十歳という高齢で没したけど、時のフラシア聖王が彼の拓いた土地全てを領有することを認め、初代公王に追封したのも、それだけの功績があったからこそだろうし。
「じゃ、この道も初代がフラシアのために苦労して通した――」
「そう思うよね。ところが違うんだ」
「へ?」
「この道が出来たのは、わずか三十年前さ」
三十年前ってことは……今のシスト公が即位した直後ぐらい?
「じゃあ、それまで往来はどうしてたのよ?」
「森をぐるっと迂回する道が別にあるんだ。曲がりくねってるし、倍以上の時間がかかるけど」
「じゃあ、それが使えなくなった?」
「いいや、今でも使われてるよ。あっちのほうが道沿いに街も多いし、みんな通り慣れてるから」
アウスは「それでこの道はあんまり使われてない」と結んだあと、「その分、人目には付き辛いよ」と付け加える。
そう、この道は今や文字通りの『裏街道』になってしまってるのね。
「あなたが好んでこの道を使ってる理由、分かった気がするわ」
「ええと、シストまで早くいけるから、だからね? それだけだからね??」
まあ、そういうことにしておきましょうか。
やたらと焦って弁明するアウスの傍ら、ここまで黙って話を聞いていたフィリアが、どうしても腑に落ちないという顔で声を上げる。
「……では、何故この道が出来たのでしょう?」
ええ、やっぱり変よね、この話。
一直線に進める道があれば便利だとは思うわ、私も。
でも、ちょっと考えても濃い森の中を貫く道の沿いが大きく発展するわけはないし、実際、こうして半ば以上忘れられた道になってしまっている。
「結局、作った意味がほとんど無かったってことじゃない」
すごく小さい頃に一度だけシストに向かったことがあるけど、あのときは途中で何処かそれなりに大きい街で泊まった記憶があるし、きっとアウスの言う『正式な街道』の方を行ったんでしょう。
王室が旧道の方を使うぐらいだから、そりゃ民が使うはずがない。
「それに、通る人がほとんど無い道が、これほど綺麗に整っているのも……」
「シスト公が望んで維持させている、ってことよね」
フィリアじゃなくても、この道の来歴には腑に落ちないところが多すぎる。
このメリットの薄い道を敷くのに、一体どれだけの人とお金が使われたのか。
何の利もないのに、シスト公はなぜこの道を守っているのか。
歴史の本にも全く書いていない謎を前にして、私たち二人が首をひねっていると、またしてもアウスが一つの謎をかけてくる。
「この道が出来た理由に、イナーシャの祖父母、特に祖母が深く関わっている――といったら?」
「お祖母様が? どういうことよ?」
思わせぶりな口調に釣り込まれ、すぐに聞き返したけど、アウスからその答えが返ることはなかった。
「何、どうしたの?」
彼はなにかを“視てしまった”かのようにはっとした顔をして、その場に立ち止まったまま、石のように固まって動かない。
「ちょっとアウス、どうし――」
その急さに足を止めきれず、二、三歩先に進んでしまった私たちが振り返った、そのとき。
「二人とも、走れ!!」
馬の綱を強く引いて走り出したアウスに思い切り背を押され、何もわからないまま必死に後を追う。
理由を問おうとした私の視界に、再び何か白いものがよぎった。
「……!?」
左手の森の奥に、複数の気配。
それらは細かい葉擦れの音を立て、明らかに私たちを追跡していた。
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