15話:次なる地へ
アウスとの取引、あるいは共闘の申し出を受け入れて、そのあと。
私たちは驚くほど豪華で美味しい夕食をアウスとキィルの兄弟、ローブの少女と共にいただき、そして一夜を過ごす小屋へと通された。
まさか牢屋に戻されないか、そこだけちょっと不安だったんだけど、さすがにそれをしたら村ごとぺっちゃんこにされると思ったのかも。
とにかく、その小屋でフォビアに身体を拭いてもらって、寝間着に着替えて、久しぶりの柔らかな寝具に入った――までは覚えているものの。
自覚できないほど疲れ切っていたらしい私は、そのまま泥のように眠り続け、結局かなり日が高くなるまで、まったく目を覚まさなかった。
「――イナ様。起きてくださいませ、イナ様」
「ん……う」
ぽんぽんと撫ぜられて、夢うつつのままに身体を丸める。
ああ、この、恐る恐るといった感じ、優しい揺り起こし方。
もう十年以上、毎朝この感触で目を覚ましてきたようなものだから、一瞬ここが王宮の自室だと勘違いをしてしまって。
「ごめん……水差し、取って……」
「承知しました」
乾く喉を潤したさにそう言ったところで、はっと目が覚める。
「少々お待ち下さい、今、井戸の場所を聞いてきま――」
「い、今の無し! 良いの、あとで自分で行くから!」
「は、はあ」
慌てて跳ね起きて、もう旅支度まで済ませている友人を呼び止める。
危ない、危ない。
自分で「もう私は王女じゃない」と宣言しておいて、この子を侍女として扱っていたら、まるで筋が通らないじゃない。
ぱちんと顔を一つ叩いて眠気を追い出してから、きょとんとしている小柄な少女へと向き直る。
「おはよう、フィリア――フォビアは“眠った”の?」
「はい、イナ様。夢の中で、あの子から事のあらましも聞いております」
「……そう。夢で……」
――残念、もう入れ替わっちゃった、か。
今回もまた、この二人に助けられちゃったわね、私。
同じ顔、同じ身体を共有していても、やっぱりフィリアとフォビアは別の人間に思えるけど、決して同時に私の前には現れない。
これが何故かは、私には――どころか、知らないことなんて何もなさそうな偉い学者の先生でも、全く理解できないことらしい。
フィリアが口にした通り、二人は無意識の世界で情報を共有しているらしいんだけど、それはいったいどんな感覚なのかしらね……?
「ねえ、
「承知しました、イナ様」
軽く膝を折ってお辞儀をすると、自分のことのように嬉しげな微笑みを浮かべたフィリアだったけど、すぐに真面目な顔つきに戻る。
「さて、お目覚めになって直ぐで申し訳ございませんが、あの男がそろそろ出立したいとのことでして……」
「あの男? ああ、アウスのこと」
「…………はい。その男でございます」
あらあら、かなり長い間があったわね、肯定するまで。
フィリアが露骨に嫌そうな顔をしているのは、単純に「襲ってきた相手だから警戒している」ということではないでしょう。
付き合いが長いから分かるわよ、私には。
「そうね、私と二人きりの旅が良かったわよね、フィリアは」
「な……何を、イナーシャ様!? わたっ、私は別に、そんな不埒なこと――」
「あら、じゃあ仲間が増えるのはなんの問題もないじゃない?」
「ぐぅ……」
「ふふふ。可愛いわね、相変わらず!」
フォビアと違って、フィリアは愛情表現がものすごく控えめで遠回しなのに、二人揃ってとっても嫉妬深い。
そこがなんとも面白い――なんていったら涙目になって叩かれそうだから、さすがに誂うのもこのぐらいにしておきましょう。
叩いてはこないけど、既に目が潤み始めているフィリアにごめんごめんと謝ってから、先に行って頂戴とドアを目で示す。
「いえ、お召し替えのお手伝いを――」
「宮中用のドレスじゃあるまいし、一人で着られるってば!」
巡礼用の服なんて頭からかぶってベルトで締めるだけ、その上にケープをつければ終わりなのに、何度そう言ってもフィリアは不安そうな顔をする。
確かに小さい頃は自分で着ると言い張って、室内着を何着かビリビリにしたことあるけど。
……もしかして、私の中身ってその頃のままだと思われてる……?
「大丈夫だから! いろいろ支度をしておいて!」
「…………承知しました。それでは……」
またしても、かなりの間が開いてから引き下がった彼女が扉を閉めるのを見送って、低い寝台から身を起こす。
昨夜、フォビアが寝る前に用意した――という名目で、ぽんと放りだしてある――着替えを身につけていると、ふと軽い頭痛を覚えた。
「夢……」
さっき、フィリアがフォビアと夢で話したといったとき、心の奥の方に軽い引っ掛かりがあったのを思い出す。
私も、何か奇妙な夢を見た……ような。
目の奥にわだかまる痛みが、それが事実だと教えてくれているように思えて仕方ないのに、具体的な内容となるとまるで思い出せない。
「……寝すぎね、きっと」
現実的な意見で思考に区切りをつけて、寝間着を脱ぎ落とす。
少し肌寒いぐらいの空気に身体を晒して大きく深呼吸すると、頭痛はすぐに消えてしまった。
気持ちを切り替えなさい、イナーシャ。
今日から改めて始まる旅、その行く先にだけ意識を集中するようにして、綿の肌着に袖を通そうとした、そのとき。
遠くの方からパタパタと、身軽な足音が近寄ってきたなと思う間もなく――
「姉ちゃん! 遅いから呼びに来たよ!」
「ふぎゃああああ!?」
何のためらいもなくドアを蹴り入ってきたキィルに向けて、私は藁の枕を全力で投擲してしまっていた。
「……いやあ、弟が本当に申し訳ない」
「い、いいわ、別に……小さい子のしたことだし……!」
なお実際には四百歳超え、という事実から努めて目を逸らしつつ、引きつる笑みを浮かべながら、私は見送りにきてくれた一族の前でアウスに頭を下げられていた。
「……バカモノ。チャント謝レ、きぃる」
「ご、ごめんなさい、姉ちゃん……オレ、そんなつもりじゃ……」
その横で、思いっきりフードの少女に怒られて、見たことがないほどシュンとしてしまっているキィルを見ていると、怒るに怒れない感じはするものの。
「………………」
「フィリア、お、落ち着いて、ね?」
「ええ、大丈夫です。それはもう、ええ……!」
微笑みの裏に陽炎が立ちそうなほどの怒りを湛えているフィリアの手前、ダメでしょ、ぐらいは言っておかないと収まりが付かなそうだ。
「……この子、フォビアちゃんとはまた違う方向で怖いのね?」
「本気で怒らせたらヤバいわよ。前に本気のお説教を受けたけど、それから二日は何も喉を通らなかったわ」
「……極力気をつけます」
「お二人、何か?」
「「なんでもないです」」
私含め、ジル・イル一族をビビらせまくっているフィリアの怒気に反応しないのはあのフードの女の子だけ、か。
「ねえ。あの女の子って、けっきょく何者なの?」
相変わらず頭からスッポリと全身を覆っているから、身体的特徴はほとんどわからない――昨日見せてくれたときは、呪いの痣に目が行っちゃったし。
ただ、何度聞いても彼女の発音は独特で、流暢にフラシアの言葉を話すアウスたちとは何かが違う。
「ん、ああ。彼女はね、キィルの婚約者なんだよ」
「え!? キィルの……って、でも」
「正式な結婚はもう少し大きくなってからのはず、だったんだ」
四百年前にはね、と悲しそうに付け加えるアウスの横顔に、改めてジル・イル一族の境遇の過酷さを思い知る。
不老不死を望む人は後をたたないけど、彼女もキィルも望まないまま不死者になり、十歳にも満たない子どもの心のままにずっと過ごし続けているなんて……。
「フィブラ――あの子の名前だよ――は、僕らが生まれた里よりもっと南にある小国の……たしか第八王女だったかな」
「じゃあ、フィブラも『呪われた王女』なの?」
「うん。君と同じ……彼女もまた、戻る場所を失ったお姫様さ」
アウスが、旅装の端を指で弄りながら、ぽつぽつと話す。
「里の生活に慣れてもらうためにあの年で輿入れしてくれたのに、僕らの、ジルの都合によって、彼女まで呪いに巻き込んでしまったのは……ね」
「………………」
ああ……それなら。
昨日、あの部屋の中で、彼女はどんな思いを抱えて私に対峙していたのか。
私のような部外者が、それを慮るような立場に無いことは分かっているけれど。
「絶対、至聖の祠までたどり着かなきゃね。頼むわよ、道案内」
「勿論。誓いは忘れちゃいないさ」
この隠れ里に一匹だけいる丈夫そうな荷馬――この日のために用意したと聞いた――の上に物資が積まれていくのを見ながら、遠い先行きに思いを馳せる。
「長、そろそろ……」
「ああ。ありがとう――皆。行ってくる」
アウスの言葉を聞く前から、一族の誰もが涙を流していた。
私達の感覚で言えば、長い旅に出るものを見送るのは、それで永久の別れになるかもしれないから、だ。
だけどアウスは、彼らと「別れられる日を迎えるため」に旅立つ。
それが為されなければ、私がしくじれば。
また、彼らは最初からやり直すことに……なる。
いつ来るかもわからない、次の運命を待ち続けることに……。
「いこう、イナ。フィリアちゃんも」
「……ええ」
荷馬の綱を引いたアウスに促され、私はそのまま歩き出しかけたけど。
振り返り、いつの間にか膝をついて私達を拝んでいた人々の顔を、一人ひとり心に刻むように見つめていく。
「……行ってきます。私が、必ず――」
それでも、その先は言えなかった。
そんな風に簡単に言って良いことにも思えなかった。
「なぁに、大丈夫」
旅立ちの空気を軽くしようと、アウスがどこまでも戯けた様子で笑う。
「僕ら、本当に気が長いからね。あと百年ぐらい、平気で待てるんじゃない?」
「バカ言わないで。それじゃ私とフィリアはお婆ちゃん――どころか、棺桶に入っちゃうわ」
そうよ。
私だって普通の人間として生き、普通の人間として死にたい。
だから、私たちは往く。
遥か遠くに聳える山、更にその先の先にあるという、至聖の祠まで。
「姫様、私は最後までお供します。それがどこであろうと、最後まで……」
「ありがと」
軽く震えていた手をフィリアに握られて、それでやっと落ち着けた、と思う。
「さあ――それじゃ、行こうか」
「行きましょう、次の地へ。まずはどっち?」
私の応えに、アウスが大きく頷く。
「ああ、まずはシスト公国で支度をして、そしたらシスト南の連峰越えだ――その先もかなりの盛り沢山だよ、覚悟はいいかい?」
「ええ、良いわ」
何があろうと、進むと決めたから。
あとになって私は、自分がこのときに真の意味で“神々の巡礼者”になったことを知るのだけれど――
それはまだ、ずっとずっと先のこと。
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