14話:二人の誓い

「な、何でそんなことを……!」

だよ。僕らの『呪い』もやはり、かけた神を殺すことでしか解けないんだ。知ってるだろ?」

「…………。そうよ、そもそもそれが変なんだわ」


 いまさら過ぎるぐらい、根本的な疑問。

 私はこれまで一度も自分に起こったこと――あの忌まわしい夜にかけられた呪いの顛末――を話してなどいないのに、アウスはそれを知っている。

 私が呪われたことは決して外へ漏れないよう、母様があらゆる口を封じて回ったというのに、こんな辺境に隠れ住まっている彼が至極当然のように、だ。


「ずっと気になっていたんだけど、貴方は――」


 その先を問う前に、私の中で何かがつながった。

 改めて問うまでもなく、答えはただ一つしか無いじゃない。

 ――未来視さきみ

 アウスが、あるいはこの里の誰かがその力を使い、私に起こることをずっと“視て”いたのだとしたら。

 私の運命を先んじて知り、待ち伏せをしていたのだとしたら。

 確かにそれで、今までのことに理屈は通る……だけどそれは結局、また新たな疑問の入口でしかなかった。


「……いえ、質問を変えるわ。どうして、私に神殺しそんなことを頼むの?」

「そうだな。自由を得たいなら、自分たちでりゃあ良いだけじゃねぇか」


 相変わらず眉間に縦じわを寄せたままでいるフォビアの口調も厳しい。

 じりじりするような空気が場に満ちたまま、しばらくの沈黙が続く中――多分、この問いこそが核心なのだ、と。

 なんの根拠もないけど、私の中で何かがそう囁き続けている。


「王女様」


 夕陽が差し込む部屋の中、赤く照らされたアウスが口を開く。


「僕らが君を誘拐までして、こんなお願いをする理由わけは……」


 一瞬、どうしてか、その言葉の先を聞くことを拒否したくなって、指が無意識のうちにフォビアを探す。

 彼女の温かさがそれを力強く握り返してくれた瞬間、アウスの口からもまた、決定的な一言が放たれていた。


イナーシャが――おそらくは世界で唯一、神を殺す力をもつ存在ものだからだ」


 静寂。

 あらゆる疑問符が喉の奥に引っかかって、外に出られずにいる感覚。

 その塊が呼吸まで塞いでしまったように、息苦しさを覚えていたのは決して私だけではなかったみたいで。


「……なんだと?」


 たっぷり数分の間をあけてから、フォビアが咳き込むような調子で絞り出したのも、たったそれだけの言葉だった。


「ああ、やっぱり驚いたか」

「当たり前だろ!」


 だけど、一度フタが取れてしまえば、あとは“?”の濁流が溢れ出るだけのこと。


「どういうことだ、それは!? 何がどうすればオレのお姫サマがそんな奴ってことになる? だいたい、お前はそれをどうやって知った!」


 堰を切って流れ出す疑問に対しても、アウスはやっぱり動じない。


「僕らもこの四百年間、ただ悲嘆に暮れて生きてきたわけじゃない。絶望したまま過ごすには、長すぎる時間だからね」

「……ちッ」


 噛みつかんばかりの勢いをするりとなされて、忌々しそうにフォビアが舌打ちする。


「キミに言われるまでもなく、僕らは神を殺そうとした。そして失敗した」

「失敗……」

「まあ、見るも無惨な大失敗だったね。だからそれ以来、神を殺す方法を探してきた。それを伝える民話や口伝、怪しげな噂話に至るまで――行けるところなら何処にでも足を運び、調べ続けたさ」

「…………それで?」

「うん。その結論、僕らを無為な時間から解放してくれる希望こそ……イナーシャ王女、君という存在なんだよ」

「だからどうして――」

「おっと、この先が気になる? 気になるよね!」

「な……!?」


 いきなりすぎて思わずつんのめりそうになるほど、アウスはころりと口調を明るいものに変える。


「でもなぁ、とても長い話なんだよ、これは。まるまる数日……いや、もっとかかるかもしれない」


 道化師だってこうもオーバーではないぐらいの身振り手振りで、さも残念そうな顔を作って――そして最後に、にやりと笑う。


「そこでどうだろう、改めて提案なんだけどね! 一緒に旅をすれば、存分に会話の時間も取れると思うんだ。どうかな?」


 ……やられた。

 アウスはいままで巧妙に、丁寧に、この結論まで私達を誘導してたわけ?


「こ……この野郎……!!」

「よしなさい。私たちの負けよ」


 いくらフォビアが真っ赤になって怒っても、もう会話の主導権を握るのは無理。


「はぁ……王室付きの参謀にでもなったら良いわ、貴方」

「光栄だけど、堅苦しいのはどうもね」


 ここまでの露骨な皮肉に対して、眉一つ上げずにウインクを返せるあたり、本気でその素質があると思うのよ、私。

 ……ま、それはとにかく、どう判断するべきか。

 言葉の駆け引きは王族と貴族の常、その裏に何かがあるのは当たり前のこと。

 それでも、彼は確かに、自分の手札の一枚目を開けて見せた。

 残る札がブラフかどうかは、私が勝負を受けるまではわからない――……


「……どうするんだよ、お姫サマ?」


 完全に手球に取られ、不機嫌そうなフォビアの手を握ってなだめつつ、改めてアウスという青年の目を覗き込む。

 青くて澄んだ瞳はまるで揺るがない。

 臆せず、引かず、媚びずに、返答をただひたすらに待っている。

 ……私はこのときになってやっと、アウスは飄々とした態度の裏に壮絶な覚悟、そしてゾッとするほどの執念を隠し持っていることに気づき始めていた。


「…………。いいわ。手を貸して、アウス」

「おい?」

「本当のことを言えばね、考えるまでもないのよ」


 つい苦笑いが浮かんでしまうけど、言わんとすること自体は嘘じゃない。


「私たちが目指している場所の土地勘があり、立ち向かおうとしているものの知識を持っている。まして『呪われている』という秘密も共有出来る……そんな人が居るのなら、こっちから万金を積んででも仲間にすべきだわ」


 私の説明を受け、さらに明るい笑顔を見せるアウスにかるく舌を出して見せるのは、最低限の意趣返し。


「けどよ……」

「フォビア。気持ちは分かるけど、私は必ずあの仮面の男を斃さなくてはならない。その目的を達するのに、手段を選ぶつもりはないわ」


 そうだ。

 最初から、この旅が穏やかで楽しいものになるなんて思っていない。

 地を這いずり、泥濘に塗れてでも行くべき場所がある以上、助けは一つでも多いほうが良いのだから。


「………………良いだろう、同意するよ」


 理解はしたけど納得はしない、という顔のまま、フォビアは不承不承で頷きはしたものの、まだ念を押すように私の横顔を見つめている。


「でも、コイツがただの詐欺師だったら――」

「そのときは、わ」

「……ああ。そうか、なるほどな」


 それでやっと納得したらしい彼女は、狼のような笑みを浮かべながら視線を対峙する男へと移して何度も頷く。


「それなら、オレの溜飲も下がるってもんだ」

「あー……ええと。どうも、眼の前で空恐ろしい話をしてくれてるようだけど」


 白い歯をむき出す私の親友を前に、蛇に睨まれた蛙のごとく冷や汗を垂らしながら、アウスはそれでもやっぱり後ずさりはしなかった。


「結局、取引は成立ってことでいいんだよね? ね?」

「ええ、そうよ」


 言葉を証すために、フォビアの手に絡んでいた指を放して差し出す。

 と、彼はやっと安心したように握手に応じ――そして。


「ただし」

「わっ!?」


 アウスの手を掴んだ瞬間、力の限りにひっぱって顔を寄せる。


「一つだけ、この場で約束して頂戴」

「な、何だろう?」


 睨みつけるぐらいの気持ちで、絶対に目をそらさずに言う。


「決して、貴方の一族を裏切るような真似はしないでね」

「……普通、こういうときは“私を”裏切るな、って言うものじゃない?」


 意外そうな、不思議そうな表情が、眼の前に浮かんでいる。

 彼の言う通り、『普通なら』そうなのかもしれないけど、そんなのどうでもいい。


「私のことは良いの。たとえ裏切られたって『そういうもの』と割り切るだけの覚悟をしたから」


 私たちが行こうとしている道も目的も、まるで普通のことじゃないのに、当たり前を気にする意味もない。


「でも、キィルやあの女の子、里の皆はアウスが呪いから解放してくれると、心からそう信じてくれている……ねえ、そう、なんでしょ?」

「……そうだね」


 何故だかわからないけど、急に溢れそうになった涙を必死に抑え込みながら、一つ一つ噛み締めるようにして言葉を選ぶ。


「そういう信頼を裏切るのは、償うすべのない大罪だと思わない?」


 ……ほとんどの部分は、自分自身に言い聞かせていたんだと思う。

 誰かから信頼され、それに応えることは、生きているものの特権だ。

 “死んだ”私はもう、第一王女として王権を継ぐことも、民を安んじるために心を砕くことも、人の前に立つことすら出来なくなったのだから。

 それでも、せめて。

 心の中には、王女としての誇りを抱いていたい。

 それすら失くしてしまったら――もう一歩も前に進めないと思うから。

 

「覚えておいて。私は、手をとった相手を決して裏切らない。交わした約束を『果たせない』ことがあったとしても、『果たさない』ことは絶対にないわ」

「…………」

「さあ、確かに誓ったわよ――貴方はどうなの、アウス!」


 睨み合ったまましばらく、もうすっかり落ちかけている夕陽の残光の中で、アウスは穏やかに笑った。


「……ははは」

「なによ。青臭い理想論だとでも言いたい?」

「いや、いや――そうじゃない。そうじゃないんだ」


 するっと手を解いて、アウスがもとの座に身体を正す。

 はるかな時を生き続けなければならなくなった一族の長が立てた笑い声は、今までよりずっと自然に思えて。


「神様なんて、大っ嫌いなんだけどね。僕らの運命の人が、これほど気高い王女であったことだけは……感謝しないといけないかな」


 私と同じく、あまりにも呪わしい運命に抗う彼は、手を床について深く頭を下げると、一段と声を高めた。


「誓うよ。アウス・ジル・イルもまた、誰の信頼をも裏切りはしない、と!」

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