12話:先を見る者たち(後)

「呪われて……死ねない?」


 この館に入ってから、もう何度目か分からない衝撃――今回の一発は特に重たくて、思わずお茶のカップを取りおとしかけるほどの威力だった。


「ショックを与えてしまったなら謝るよ。でも、それが僕らの真実なんだ」


 あくまでも静かに、ただ淡々と話し続けるアウスの表情は諦めとも絶望ともつかないほど落ち着いていて、それが余計に私を混乱させてしまう。


「だって、それじゃ貴方たちは四百年以上生きてるってことに……」

「そうさ。僕らは外見上の加齢をすることなく、ずっと生き続けてきたんだ」

「お前、一体何歳なんだよ?」

「え? ああ、今年で四百二十――あれ、端数いくつだっけ……ごめんよ、いちいち計算しないとはっきり分からないな、今となっては」

「…………」

「………………」


 すぐ隣で腕組みしたままのフォビアを覗き見てみたけど、彼女もやっぱり難しい顔をしたままで、すぐには何も言えそうにない。

 昔の――どころか、十日前に呪いを受ける前の私なら、こんな話をされたら一瞬で笑い飛ばしたわ。

 ただ胡乱なだけの話、何か思惑のある食わせ者だとして、即座に切り上げてしまったでしょう。

 でも――非常に困ったことに――今の私には、そのように即断出来るほど呑気な境遇じゃない。


「だけど……いえ、それは……だって……」


 混乱していた。

 彼の言葉が本当なら、私たちは同じ立場、同病相憐れむもの同士のはずなのに、立ち向かう運命が全く逆の方を向いている。


 私は、このままでは呪いによって死ぬ、と言われた。

 アウスは、呪われたがために死ねない、と言った。


 呪い……呪いって、なんなの?

 躊躇いと戸惑い、それから疑いを等しい割合で混ぜたような感情に押し潰された私が押し黙っていると、アウスは不意に上着の合わせに手をかけ、続けて胸元を大きくはだけた。


「変な意図はないからね? いきなり殴らないでよ」

「ちょ、ちょっと!」


 変な意図はないと言われても、殿方の肌なんて父様ですら見たことがないから、直視できないわよ。

 反射的に眼を背けた私と違い、しっかりと“それ”を眼にしたフォビアはすぐに番犬がうなるような声を漏らした。


「お前、それって……!」

「……お姫様にも、似た痕があるんじゃないかな」


 二人の会話につられ、そっと眼を開いてみる。

 示されたアウスの左胸に刻まれていたのは、痛々しく赤黒い痣――鎖骨から心臓へ伸ばされた手のような形の“呪い”。


「う……あ」


 それを見た瞬間、に私の喉と胸、そして下腹を突いた刃の冷たさがフラッシュバックして、知らずにうめき声が漏れる。


「ごめんね。そうなるだろうとは分かってたけど、信じてもらうには……ね」


 すぐに着衣を元のように正したアウスの足下で、まだうたた寝したままのキィルが『うるさいなぁ』と言いたげに大きく身を捩る。

 ……想像なんて、したくもないけれど。

 あんな可愛らしい子――といっても、ずっと年上なはずだけど――にも、あんな痛々しい呪いの痕があるということなの……?


「アンタらは、なぜ呪いを受けることになったんだ?」

「ううん……一言では答えられない質問かな、それは」


 絶句してしまった私の代わりに、気丈なフォビアが投げかけた質問に対して、アウスは首を傾げて考え込む仕草を返す。


「僕らは祭祀を司る一族だったというのは、さっき話したよね」

「ああ」

「より正確に言えばね、『ジル・イル』は部族へ分けられた支族なんだ」

「……新たな神を? なんでまたそんなことしたんだよ?」


 フォビアの疑問はもっともだ。

 一般論として、ある一族が信仰する『神』は基本的に先祖代々変わらない。

 たとえばフラシア王家は代々ずっと五大神のうち『火』の神を信仰対象としてきたために、みんなが火の魔法に長けているし、その中でも母様は特別な力、聖火を通じて神様と対話する力を持っていて――それを『神託』と呼ぶ。

 ……まあ、私は落ちこぼれ気味だったから、火の魔法だけでも習得にものすごく時間がかかったんだけどね。

 とにかく。

 長い時間をかけて信仰し続けている人間は、神の恩寵を受けやすい、ということだけは間違いない。

 人間的な発想では、「ずっと付き合いのある人と、突然現れて馴れ馴れしてくる人と、どっちに力を貸したいと思う?」と考えれば理解しやすいと思う。

 だからこそ、社会的に大きな変革がおこったときは祀られる神が変わったりもするけれど、途中で信仰対象をするのは殆どタブーにも近い。


「『ジル』のお偉いさんが、そんなことをした理由は……実際見てもらったほうが早いね」


 アウスが袂から取り出したのは、小ぶりな賽子ダイス

 立方体に一から六の目が書いてある、本当にどこにでもあるアレだ。


「いいかい」


 その言葉に頷いたのは、いまだに目しか見えない黒尽くめ。

 アウスが軽く投げ上げたダイスがラグの上に落ちる前に、相変わらず性別もわからないその小柄な陰が小さく呟く。


「……1」


 一秒おいて、床の上で静止したダイスが示したのは……。


「偶然だろ」


 瞬間的にフォビアは否定の言葉を吐いたけど、その反応も当然に分かっていたようで、アウスはすぐに賽子を拾い上げると、さらに続けて何度も転がし始めた。


「6、1、5、2、5、3、3、3、2、4、6……」


 その度、淀みなく呟かれる言葉は、まだ確定してもいない出目を確実に言い当てていく。


「おっと」


 十一回目を転がしたあと、アウスは拾い上げようとした手元を狂わせ、フォビアの前に賽子が転がる。

 それを素早く取り上げた彼女は、そのまま手の中に賽子を握り込んだ。


「6ダ」


 何の意味もない、と言わんばかりに告げられた数字と、フォビアの掌の上の数字は、やっぱりぴたりと一致していて。


「……“未来視さきみ”……」


 成り行きを見守る間ずっと詰めっぱなしになっていた息を吐き出すと同時に、書物で見たことしか無かった単語が口をつく。


「そうだ。僕ら『ジル・イル』が迎え神が司っていたのは『時間』……まさにその“未来視”の力なんだ」

「おい、待てよ。未来を見通す力ってのは、人に使えない能力のはずだぜ」

「……私もそう習ったわ」


 ――有史以来、誰もが魔法として使うことを目指し、しかし誰もが果たせなかった力、それこそが“未来視”だ。

 時を司る神というものは複数存在していて、五大神の一柱もそうだから、信仰するものも決してすくなくはない。

 それらの神の恩寵には、過去を見ること、少しだけ時を巻き戻すなどの『魔法』は確かにある。

 しかし、先を見ることだけは絶対に不可能だとされていて、それを可能にする魔法も公的には一切発見されていない。

 ゆえに、人間は神から未来を「教えていただく」、つまり『神託』という曖昧な形でしか、先を知ることは出来ない――それが世界的な常識のはず。


「そうか、それならその『神』を追加で崇めようとしたのも理解出来るな。まさか、未来視の魔法が実在するなんて誰も思わな――」

「……これが『魔法』だったら、本当に良かったんだけどねぇ……」


 フォビアの声を遮るようにして、アウスから苦笑いと自嘲の声が溢れ出す。


「……! アウス、まさか!」


 気付きたくもなかった事実に思い当たった私が思わず叫んだ瞬間、その声でビクッとなったキィルが跳ね起きた。

 不安げに当たりを見回す彼を抱きしめながら、飄々と穏やかさで塗り固められていたアウスの仮面がついに剥がれ落ち、その深すぎる苦しみが顔中に広がる。


「多分、キミの想像通りだよ。この力は『魔法』なんかじゃない」


 アウスがもう一度、しずかに頷きかけると、未来視さきみはスッと立ち上がると、全身を覆うローブを脱ぎ落とした。


「う……ッ!?」

「なんてこと……」


 私たち二人がそろって、そして思わず後ずさった理由は二つ。

 ローブの下から現れたのが、まだ幼い――おそらくは、キィルと同じぐらいの年齢の女の子だったこと。

 そして、彼女の肌の至る所に、アウスよりも遥かに深く、手の形の痣が無数に刻まれていたこと――……


「……これが、僕らが“呪われた”理由と顛末だよ」


 深い深い沈黙が、館の中を満たす。


「呪いは、人間には扱えない。そして、神に呪われたものは、


 その中を、ただこの異常な一族の長が紡ぐ言葉だけが流れていく。


「僕らは……強制的に人であることを辞めさせられて、そして……そのかわりに、人でない力を得たんだ」


 気づけばもう陰りつつある陽光が館の中に差し込み、赤灼けた光の中に照らし出されたアウスは、明らかに無理をしているのが分かるほど、明るく戯けた態度で両手を上げた。


「いやはや、祭祀の一族だなんて言えばカッコいいけどね。要するに僕らは神への供物、『呪い』の引き受け手に過ぎなかったってワケさ」

「……………………」


 呪いとは何か。

 魔法と何が違うのか。

 呪いを受けたものが何故一つ所に留まることを許されないのか、どうして私は王家を追われ、旅に出たのか。

 ただの世間知らずな第一王女、余りにも無力で小さな私が、この先どれほど大きな力に立ち向かおうとしていたのか。


 それを魂の奥底まで思い知らされたのは、間違いなくこの夕方のことだった。

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