11話:先を見る者たち(前)
ヒリヒリし続ける舌を湯冷ましでどうにか癒し終えた私は、いまだに薄笑みを浮かべているフォビアの腿を一つ抓って溜飲を下げ、やっと本題に入ろうとしていた。
「――それで、いい加減答えを聞かせてもらえるんでしょうね」
食べ終えた食器を水桶の中へ放り込み、それを使用人らしき男の人に渡したアウスが戻ってきたのを見計らって声をかけると、彼は何故か『え?』という顔をした。
「デザートがない代わりに、お茶ぐらい出そうと思ってたんだけど」
「遠慮するわ、お腹いっぱいだもの」
「残念だね、今年は珍しく良い葉が採れたのに」
私を茶飲み友達かなにかだとでも思ってるのか、これからそうなりたいのかは知らないけど。
出会ってからずっと呑気なアウスとは対称的に、あまり気が長い方ではない私は、その飄々とした態度にイラッとし始めていた。
「何度も言ったと思うけど、私たちは先を急いでるの。
「ああ、僕らがかつて居た地……というか、おそらく『至聖の祠』を目指してるんだろう? キィル、あれを頼めるかい」
「うん」
アウスが合図すると、キィルがすかさず立ち上がって戸棚まで駆けていく。
中から引っ張り出してきたのは、あの子が抱えて持たなくてはならないほど大きな地図。
余程大切にされていたものみたいで、破れた部分には裏張りがされ、何度も補修された痕が何箇所もある。
ラグの上に広げられたそれを覗き込んだ私たちは、地図の詳細さ、そして古めかしさにまず驚くことになった。
「『至聖の祠』は……そう、この印が打ってあるところだ。山を二つ越えるって表現は間違っちゃいないけど、実際は三つ目の山を頂上近くまで登らなきゃならない」
「……その山って、険しい?」
「うん。僕らは麓で温暖に暮らしてたが、山頂までいくと『果たしてここも同じ土地か』って疑いたくなるぐらい、夏場でもすごく冷えるよ」
高い場所に行けば行くほど寒くなる、という話は聞いたことがあったし、山の頂にだけ雪が残るのがその証拠だと学業の先生から教わった記憶がある。
登山の経験なんてない私からすると、そんなに高い山に登らなくてはならないのね、という憂鬱が真っ先に出てくるけど……アウスの言葉には他にも、見逃せない事実が含まれていた。
「アウスはその祠に行ったこともあるってこと?」
「そりゃあるさ。『至聖の祠』を作ったのは僕らだもの」
余りにもアッサリした回答をされ、ぽかんとしたまま三秒ぐらい固まっていた私は、気力でその氷漬けを解除するなり、噴出した疑問を一気に叩きつけてしまっていた。
「ちょ、ちょっと待って。『貴方が』作った? 貴方の祖先が、じゃなくて? ここって古くから
「一つ一つ答えよう。やっぱりお茶があったほうが良いね」
「…………」
落ち着き払ってそう言ったアウスを手で制して、全身ローブの「三人目」が無言のままに立ち上がる。
この場に同席してるってことは、この人も結構な地位の人か、護衛みたいなものなんだろうけど……態度からして横柄だし、いまいちよくわからない。
まだまだ油断出来ない相手、という印象は拭いきれないんだけど、この時点での私は彼(?)の動向に気を配る余裕もなかった。
「それじゃ、まずは僕らの話からだ。少し長くなるけど、順を追わないと混乱すると思うから……そこは勘弁してね」
「良いわ。そのかわり、全部説明して頂戴」
「仰せのままに」
今度は誂うような調子を一切含まず、ただ穏やかに笑ったアウスは、じゃれつくキィルを胡座の中に招き入れると、静かに話し始めた。
「まず、僕らは『ジル・イル』という一族でね。今は一応、僕が族長ってことになってる」
「ある程度は想像してたけど、偉い人だったのね」
「フフフ、凄いでしょ――と言いたいとこだけど、実際は合議制みたいなもんさ。これだけしか人数が居ない中で上だ下だに拘っても、ね」
その「上だ下だ」に血道を上げて争う貴族を嫌と言うほど見てきた私としては、この飄々とした態度を多少見習わせたいなって、ちょっと思わないでもない。
てっきり嫌味でも言われるかと思ったのか、私が黙っているのを見て意外そうな顔をしたアウスは、咳払いをしてそのまま先を続けた。
「ま、とにかく。さっき言った通り、君らが目指す『至聖の祠』を築いて管理してた支族だと思ってもらえば、大体は間違ってないよ」
「支族? じゃあ、本家にあたる部族があるの?」
「うん。『ジル』が本元の部族の名で、そのあとにくっつく単語は支族の役割を表していて……いや、こんなのは覚えなくても良いさ、あとで試験をするわけじゃない」
膝の中でもぞもぞ動く、年の離れた弟を手であしらいつつ、肩を竦めたアウスは言葉を止めずに先へと進んでいく。
「僕らは『ジル』のうち、祭祀を担当する一族だったんだ。で、神様と対話する場所こそ『至聖の祠』ってわけ」
「え、じゃあ……そこは巡礼地でもなんでもないってこと?」
「そ。あくまでウチの神様の祠だったんだよ。五大神とは関係ない」
――そもそも『巡礼』というのは、世界の根幹をなす五柱の神の礼拝所を回り、信仰心を捧げていく旅のことだ。
信仰の篤さは人それぞれだけど、五大神はどんなに小さい子でも知ってるぐらいにはメジャーで、私たちが使わせてもらっている『魔法』も、その殆どが五柱を力の源にしている。
母様が『至聖の祠』を目指せと仰り、父様が巡礼者のケープを与えて下さったものだから、てっきり五大神にお縋りして呪いの主、あの鴉のような仮面の男の行方を示してもらえるものだと思っていたのに……まさか、土着の神の拝殿だったなんて。
「色々とショックを受けたけど……アウスがそんな嘘をつく理由が無いものね」
「嘘じゃないよー。ま、少なくとも僕らが管理してた当時はそうだったってこと」
「……? あの、ちょっと気になっているのだけど」
ここにきて、やっとはっきり言語化できた違和感。
「貴方の話、さっきからずっと過去を語る形なのは何故なの?」
「ああ、うん。それは『ジル』という部族はすでに滅んでしまったからだよ。僕らも『至聖の祠』から離れてもう随分になる」
「……それは――その、ごめんなさい」
「いやいや、別にキミのせいってわけじゃないからねぇ」
よくよく考えれば、アウスたちが国境の森の中にひっそりと暮らしている時点でおかしくはあったのだけれど、この人のふんわりした雰囲気でつい、ここが何処かを忘れかけていた。
部族どころか、一つの国すら興ったり滅んだりを繰り返すのが世の常。
だから、彼の言う通り、私に何か責任があるわけじゃないわ――と、そう割り切れるほどの経験は、まだ積めていないのよ。
どうにも気まずくなってしまって、フードの人が温くて甘い匂いのするお茶を手に戻ってきたのを幸い、ちょっとだけ言葉を切る。
続く質問をどう切り出そうか、カップの中で揺れる水面を見つめているうち、傍らから不意に声が上がった。
「なあ、お姫サマ。オレからコイツに質問していいか?」
「フォビア? え、ええ。いいけど……」
フィリアにせよフォビアにせよ、この子が私の隣りにいて、自分から何かを言い出すことは珍しい。
基本的に何か有れば私に耳打ちするなり、あとからフォローを入れるなりと、侍女の立場を崩さないのが信条みたいなものだったのに、急にどうしたのかしら?
「んじゃ、遠慮なく……是非ともアンタに聞きたいことがある」
「うん。なんだろう?」
いつの間にか寝てしまったキィルの胸を優しく撫でながら、少し声量を落としたアウスが頷くのを見て、フォビアもまた静かに問いを続ける。
「
言いつつ、彼女が身を乗り出して指さした先には、私には読めない三行の文字。
「ここに『アウス』と署名してあるが……こりゃアンタなのかい」
「そうだね。この地図を作らせたのは僕だからさ」
「祠の話からしても、そうなんだろうな。じゃ、横に書いてあるのは地図が完成した日ってことでいいのか?」
「……うん。その通りだよ」
一瞬、ほんの一瞬だけ、
それ以上のことを把握したらしいフォビアは、円座の上まで身を戻すと腕を組み、眼を鋭く尖らせてアウスを睨みつけた。
「じゃあ、なんでそれが
「……え?」
四百年――前?
そんなの、「群雄が覇を争って戦争が絶えない時代だった」と授業で教わるぐらいに昔のこと、まさに「歴史」の中の話じゃない。
だいたい、このフラシアの国だってまだ存在していないわよ!
さっき嘘は言っていないと宣言したばかりなのに、私としてもそれを疑う材料がなのに……この決定的な
「………………」
一度だけフードの人へ視線を投げ、頷き返されたのを確認したアウスは、ふーっと大きく息をつくと、フォビアではなく私の眼を正面から見据えた。
「フォビア君の問いに答えることは、同時に、さっきキミがした質問の答えにもなる」
「……どういうこと?」
「至聖の祠を作ったのは祖先ではない……というより、僕らの一族には
目を伏せ、腕の中で穏やかに眠るキィルを憐れむように軽く揺すったアウスが顔を上げた時、そこには余りにも悲しげな、全てを喪ったものにしか分からない苦しみが浮かび上がっていて。
「改めてもう一度、はっきり名乗っておこう」
それでも彼は約束を守り、振り絞るようにして私に残酷な真実を吐き出した。
「僕らは『ジル・イル』――神に呪われ、死ねなくなった哀れな一族さ」
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