9話:流浪の民
「仲間全員をこの広場に集めて座らせなさい。妙なことをしたら――」
「わ、わかってるって。そのナイフは本当に鋭いんだから、チクチクしないでよ!」
……私に短剣を奪われ、突きつけられてもまだこんな軽口が叩けるんだから、大したものだと褒めてもいいかも知れない。
お望み通り、お尻ぐらいならチクッとしてやってもいいけど、多勢に無勢な状況であるのは事実。
無茶なことをしてまた捕まったら、さすがに二度目は助からないことぐらい、私にだって分かる。
「いいからほら、早く!」
軽口の返答代わりに軽く腕をひねり上げてやると、アウスは苦笑いしながらも、集落全体に響くように声をはりあげた。
「あー、みんな、武器を捨てて集まってくれ! 出来れば、僕の背中に穴が空く前にね!」
その場に居た男たちが顔を見合わせたあと、明らかに不服そうにしながらもそれに従ったところを見ると、やっぱりアウスは地位が高い存在らしい。
初見でただの軽薄な男と侮ったのは、本気で反省しないといけないわね。
見た目と内実があまりにも乖離している王族や貴族だってたくさん居たんだし、私もまだまだ人を見る目が甘いことを痛感したわ。
「と、とりあえず座ったら? ほらほら、ちょうど僕が編んだ椅子がそこに――」
「嫌よ。どうせ罠でしょ」
「わあい、即答だぁ。違うよ、これは純粋な好意だって!」
どこの世界に誘拐犯の申し出を素直に受ける人がいるのよ、全く。
余計なことを言わないで、と一喝しようとした私より早く、傍らで辺りを威圧していた小柄な影が会話に割り込んできた。
「じゃあ、オレが確かめてやるよ」
見た目は清楚な
止める間もなく木の蔦で編んである丸椅子に腰を下ろした彼女は、その上で二度ほど軽く跳ねてみたあと、問題ないことを示すように肩を竦めた。
「“純粋な好意”で間違いないみたいだぜ。ちェッ、本当に罠なら良かったのに」
「だから言ったじゃないか! ……いや、なんで罠のほうが良いのさ?」
「そしたら遠慮なくその首を飛ばせるじゃねぇか。なぁ、色男?」
「は、ははは……いやあ、まだこの顔は肩の上に乗っけときたいかなぁ……」
――組んで芸人にでもなる気かしら、この二人?
ふざけてるのか真面目なのか判然としないやり取りに軽い頭痛を覚えはじめた、ちょうどそのころ。
フォビアによる破壊を免れた家々からも、お仲間らしい人たちが続々と顔を出し始め――その中に見知った顔があった。
「? あ、姉ちゃんじゃん。おーい!」
「……キィル。貴方ねぇ……」
間違いなく私たちを罠にハメた張本人だというのに、久しぶりに会った親戚みたいな軽さで手を振られると、なんとも対応に困るのよ!
まあ、無邪気なキィルは置いておくとしても、その背後から怪しい人影が現れた瞬間、胸を締め付けるような緊張が走った。
「……フォビア。あの全身ローブには気を付けなさい」
「ああ。フィリアからも“聞いて”る」
にっ、と笑って斧に手を添えた彼女はなんとも頼もしいような、ただただ危なっかしいような……。
――フォビア。
この、フィリアとは完全に真逆な性格の『魂』がいつ、どうして彼女の中に宿ったのかについては、誰もが本当のことは分からない。
少なくとも、私が物心ついたときにはすでに二人は共に在ったから、彼女とももう十年以上の付き合いになる――もっとも、フォビアが
泣き虫で怖がりなフィリアが、私の護衛も兼ねる“専属侍女”に成れた理由は、フォビアが『一緒に』居たからに他ならない。
衛兵どころか、近衛兵長すらねじ伏せる力をもち、私への異常なまでの忠誠心をもったこの個は、フィリアと共に私の大切な従者にして友人だ。
そうだ……そう、だというのに。
(……あの夜から、私は自分のことばかり考えていたけれど。考えれば、大切な友達をもう一人、巻き添えにしてしまったんじゃない……)
最近は本当に平和な時間で、もう一年以上、
そして、まるでその反動のように、この半月はあまりに激動すぎた。
でも、それはこの子のことを忘れていた言い訳にもならないのに。
「はあ……」
身の安全が――ある程度とはいえ――確保されて、今まで張りに張っていた緊張の糸と反抗心がふっと緩んだせいなのかも知れないけど。
なんだかふと、私は王族から追放されて然るべきだったんじゃないか、なんてことを思ってしまった。
こんな気分屋でガサツな女が、私こそ聖国第一王女ですとふんぞり返って、他国の王子様に婿入りしてもらうことになっていたなんて。
ああ、やっぱり、私はこんな目に遭うべくして――……
「……あのさ、全員揃ったんだけど……もう、手を離してもらってもいい?」
「…………え?」
そんなアウスの声で、ふっと我に返る。
ほんの一瞬のつもりが、かなりの間考え込んでしまっていたらしく、気づけば集まってきた人々の視線が私に突き刺さっていた。
「あ、ああ。そうね、ごめんなさい」
「ほれ、お前もそっちに座れよ」
私が手を放すや否や、すっと身体を入れたフォビアがアウスを追い立てる。
(集中なさい、イナーシャ……あの男にもう一度会うまでは……!)
傷を負わされた時からずっと続く、喉のチリチリした不快感を手で押さえて、本来の目的をもう一度思い出す。
フィリアとフォビアは、すべての意思と記憶を共有している。
フィリアが望んで私に着いてきてくれたということは、フォビアもまた望んで苦境に立ち入ってきてくれたということだ。
なら、私が惑ってどうするのよ?
フォビアが引き寄せてくれた丸椅子に向かう間に、軽く自分の顔を叩くと、忍び笑いのフォビアが小声で囁いてきた。
「多感なお年頃だな、お姫サマ」
「……後でお仕置きよ」
「楽しみだ」
深呼吸を一つ、踵を返して腰掛け、背を伸ばす。
今、目の前にいるのはアウスとキィルを含めて、二十三人。
どうやら皆そろって同じ郷の出身らしく、誰もが褐色に灼けた肌、灰色がかった黒髪をしているこの集団を、私はずっと『野盗』だと思っていたけど、どうやらそれは根本的に間違っていたようだった。
そもそも、彼らの半数が女子供――どころか、どうみても生まれたばかりの赤ちゃんまで居る。
加えて、集落の中には小さいながらも畑や鳥小屋が備えられているところを見ると……ここは野盗の潜伏場所というより、『隠れ里』と表現したほうが明らかに正しい場所だった。
「――アウス、貴方に問います。貴方がたは一体、何者なのですか?」
私の声に、そこに居る誰もが不安げに顔を見合わせる。
……まあ、あれだけ破壊の限りを尽くしたフォビアが、私の真横で斧を手にしたまま睨みを効かせているんだから、そういうリアクションになるのが当然かもしれない。
彼女、昔に私と交わした『約束』を守って、非戦闘員は一切傷つけなかったようだけど……だからといって、彼らからしたら、いつまた暴れ出さないかも分からないものね。
「正直に答えるなら、私たちは何もしません。その権利自体、私には無いですから」
そう考えた私は、尋問を早めるために一言付け加えたのだけど――対して、アウスは不意にあの静かな眼で問い返してきた。
「一国の王女ともあろうものが、かい?」
「………………」
何故それを、と更に問う必要はないでしょうね。
フォビアがさんざん『お姫サマ』と呼びかけてしまっているし、端っことはいえここはまだフラシア領、私の顔を識っているものがいても別におかしくはない。
「貴方達に罪があるとしても、別のものが裁くべきでしょう」
あえて肯定も否定もしないのは、まさに王族的な言い方にはなるけれど。
そう言うと思った、と言わんばかりにへらへらと笑ったアウスは、胡座を組んで私と同じ様に姿勢を正す。
「じゃあ、正直に答えようか。僕らはずっと南から、自らの土地を追われてきた民だ。この場所に隠れ、住み着いてもう……二十年以上になるかな」
「王族誘拐の罪に加えて領土侵犯の自白ときたか。やるねぇ」
「フォビア」
混ぜっ返さないで――そう眼で制すると、喉を鳴らして笑う様は、本当に気分屋の猫みたいで。
「それでは、何故私を誘拐したのですか?」
「さあ、それだ。その点についちゃ、実は僕にもよく判ってなくてさ」
あいも変わらず不真面目そうな態度でのたまうアウスに、ついイラッとしかけて、慌てて居住まいを正す。
「……故あって、私は先を急いでいるのです。下らぬ問答をする気はありません」
正直、私はもう、この集団をどうこうする気など無い。
もし凶悪な武装集団であるなら、周辺警備の兵隊詰所に密告でもしておこうかと思ったけれど……畑や井戸まで自力で作った集落の様子からして、彼らはあくまで平穏に隠れ住む流浪の民でしかない。
ただ一点、そんな隠者の彼らが、なぜ私たちに近づき、そして誘拐までしたのか。
それが奇妙に心に引っかかっていて、どうしても私をこのまま先に進ませようとしないのだ。
「繰り返しますが、正直に答えてさえ貰えれば良いのです。私は早く先に進まないと――」
「『呪いを解く方法を探す』ために、かな?」
「な……」
軽々しく、しかしはっきりと私の秘め事を言い当てたアウスの顔は、完全に初めて、苦々しいものになっていた。
「何故、貴方がそれを……!?」
完全に動揺してしまって、ほぼ肯定に等しい問い返しを呻く。
「旅の足を留めてしまって、本当に申し訳ないとは思う。だけど、ぜひ我々の話を聞いて欲しいんだ、イナーシャ姫」
それきり絶句した私に対し、アウスは深い深い溜め息をついてから、静かにこう続けた。
「君と同じく――僕らもまた、“呪われた”民だからさ」
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