7話:はじめてのろうごく

 当然だけど、私の住んでいた城にも『牢屋』はあった。

 もっとも、私は近づいたことも無かったし、輪をかけて当然のこととして、中に入れられた経験は一度もない。

 ……ていうか、牢に放り込まれてから無事に釈放された経験がある王女が居たら、是非話を聞いてみたいわね。

 広い世の中、一人や二人はそういう方がいるかも知れないけど、少なくとも私は清廉潔白に生きてきたから、そんな憂き目には遭わずに済んでいた。

 『いた』。

 そう、すでに過去形。

 なぜなら私は、現在進行形で囚われの身だから。

 とはいえ、前向きに考えたらこれはとても貴重な体験だと――……


「言えるわけがないでしょう!」

 

 ごん、と木で作られた檻に頭をぶつけてみたところで、まさか壊れるはずもなく、オデコの痛み以外に得られるものは何も無い。

 分かってはいるんだけど、あまりに手持ち無沙汰でついそんな奇行に走ってしまう。


 ここは、私を攫った奸賊の集落。

 ――の、端っこにある自然洞窟を利用した、粗末な牢屋。


 あの、ローブを着込んだ小柄な――男?から麻痺パラライズの魔法をかけられた挙げ句、妙に軽薄な褐色の青年に眠り薬を嗅がされた私は、気づけばその中に閉じ込められていた。

 

「不覚……本当に不覚だわ……」


 もう何度繰り返したか分からないぐらい、悔恨の言葉が漏れて出る。

 これほど怒りの力があれば、檻に使われている木の一本ぐらいは圧し折れないかと思うんだけど……樫だかなんだか、ものすごく硬い木でビクともしないのがまた、なんとも腹の立つ!


「ちょっと、そこの見張り! いい加減ここから出しなさいよ!」


 日がな一日、石像のように黙りこくったまま私を見張っている、無骨な大男――例に漏れずこの人も褐色肌なのを見る限り、キィルって子や、あのアウスって男と同郷なのでしょうけど。

 いくら怒鳴ってみても、怒ってみても、情に訴えてみても、ピクリとも反応しないから手に負えない。


「ああ、さすがに疲れてきた……」


 柵につかまったまま、ずるずる滑って尻もちと、ついでに溜め息をつく。

 不幸中の幸い、あの悪漢どもはすぐさま私を人買いに売り飛ばす気は――その前に弄ぶつもりも――無いらしく、一昼夜に渡ってただただ監禁されているだけだ。

 三度三度の食事もちゃんと出るけど、何が入っているかも知れないし、今のところは一切手を付けていない。

 とはいえ、意地を張れるのもせいぜいあと一日……飢えは我慢できても、喉の乾きが限界に近い。

 身体が動くうちに、どうにか脱出の手立てをつけなければ!

 これもまたもう何度目か知れない、善後策の検討をし始めた私の前に、ふと人影が過ぎった。


「なんだ、また食べてないの?」

「……出たわね、軽薄人さらい!」


 何も減っていない食事を下げに来たのは、例のアウスとかいう青年。

 私より少し年上、だと思う――ぐらいの判断しか出来ない程度には若いのだけど、どうやらこの集落では支配階級らしく、たまに外から「若君」とか「アウス様」とか、敬称付きで呼ばれているのが聞こえてくる。

 そんなヤツがなんでわざわざ下働きを……と思うぐらい、毎回食事の後に私の様子を見に来るのは、決まってこの男だった。


「ねぇ、いい加減少しは食べなって。体壊しちゃうぞ」

「野盗に体調の心配をしてもらう義理はないわ」

「野盗って! いやま、そう思われても仕方ないけどさ」

「実際そうでしょう、卑劣漢!」

「ありゃ……参ったなぁ、すっかり嫌われちゃったよ」


 私が何と罵ろうと、睨みつけようと、へらへら笑っているばかりの優男。

 牢番の無骨な大男は「聞く耳を持たない」感じだけど、アウスは「聞いても全部受け流す」感じ。

 このなんとも言えない言葉の軽さもさることながら、青い目を細めて見せる人懐っこい笑顔からして、どうにも悪人の上役だとは思われないのだけど……。

 でも、私をここまで問答無用で拉致してきたのは、疑いようもなくこのチャラ男の仕業。

 何と言われようが、もう二度と油断はしないわよ!


「まあ、食事はまた用意するから良いとして。ちょっと、君に聞きたいことがあってさ」

「答える気など――って、ちょっと、何?」


 食事の膳を脇に避け、鉄の錠に鍵を差し込んだアウスは何を考えてるのか、扉をあけてこっち側――つまり牢屋の中へと入ってくる。


「く……! 何をされようと私は決して屈しないから!」

「いやいやいや! 一体どういう眼で僕を見てんのさ。ホントにちょっと話がしたいだけだって」


 ……チャンスが訪れたかとも思ったけど、想像以上にスキがないわね、この男。

 時は上手く不意をつけたけど、私の性格がバレてしまった今となっては、不意打ちはよっぽど警戒されているはず。

 その証拠に、扉はまたすぐに閉められてしまったし、更にはその前でどっかり座り込まれては、強行突破するのも難しい。

 まあ……背後に控えてる門番にはそもそも勝てる気がしないし、それに――……


「おっと、もうビンタはやめてくれよ?」


 あちこちに目を配り、逃げ道を模索する私を、頭の後ろで手を組んだアウスがからかう。


「そう。ならこの“魔封じの輪”を外しなさい。平手打ちの代わりに火でこんがり焼いてあげるから」

「あっはっは、そいつは余計に御免被る」


 言われっぱなしでいるのが何よりも嫌いだから、つい売り言葉に買い言葉で言い返したけど……実際、気付いたときにはもう額に巻かれていた“輪”は、本当に鬱陶しくて仕方なかった。


 魔封じの輪――その名前のまんま、着けたものが魔法を使うことを封じるサークレット。


 これのせいで、私は木で出来ている檻を燃やすことすら出来ないし、門番を眠らせることも出来ず、ずるずると囚われの身を継続しているというわけ。

 それと。

 何に腹が立つって、触ってみた感じ、ちょっと可愛い形をしてるのよ、このサークレット。

 誰よ! こんな凶悪な拘束具にデザイン性を求めた変態は!


「あ、小腹が減ったからキミのパンもらって良い?」

「好きにしたら」

「じゃ、遠慮なく」


 あの小生意気な少年、キィルとアウスは確かに兄弟らしく、そろって脈絡もなければ、明確な敵意もまるで感じない。

 だからこそ、あの子の案内に乗っかって、こんな状況に陥ってるわけだけど……。

 でも、これは一体どういう計略なのか、目の前で干し葡萄の入ったパンを千切ってもぐもぐ頬張ったアウスは、手の中の残りを私に差し出した。


「半分食べる?」

「要らないってば!」


 ……私、誘拐犯と二人きり、牢屋の中こんなところで何してるのかしら?


 思わず我に返ってみても、やっぱり眼の前の男はただの脳天気にしか見えないからタチが悪い。

 悪漢と比較するのも変なのは承知の上で言うけれど、王宮内の地位を得るために媚を売ってくる佞臣ねいしんのほうが、よっぽど厭な眼をしていた気がする。

 いっそのこと、欲望むき出しで襲いかかってくるとか、もっと邪悪な顔でもしててくれれば、気兼ねなく恨んだり怒ったり出来るのに……。

 そんなことを考えながらも、こんな初手から旅に躓いている現状に思わず溜め息をついた、その瞬間。


「――――!」


 今の今まで、目の前で美味しそうに――だいぶお行儀は悪いけど――パンをかじっていたアウスの目が、突然ぎらりと光った。


「きゃ……!」

 

 身構えるだけの余裕もなく、寝床代わりに敷かれた干し草の上に押し倒される。

 ちょ……ちょっと!

 確かにさっき『襲いかかってくれば』とは思ったけど、本当にされたいとは思ってな――……


「ぐあッ!」

「!?」


 さらにほんの一瞬を置いて、地震みたいな大きな横揺れが走ったかと思うと、私の上に覆いかぶさったアウスが苦痛の声を上げる。


「う……む……」


 必死に何かを噛み殺そうとしている彼の表情は、逆光になって定かに見えなかったけど、私の顔のすぐそばを、ぽたりと何かが落ちた。


「え……ちょっと貴方、血が……!」


 牢屋内に灯された、小さくて冷たい魔法の火でもはっきり見えるぐらい、頭から滴り落ちる血。

 ふと見れば、すぐそこに拳ほどの大きさの石くれがじっとり濡れて光っている。

 落ちてくる石から、私を庇ってくれた?

 でも――なんで、揺れる前から分かったのよ……?


「おー、痛ぇ。キミは大丈夫? 怪我してない?」

「え、ええ……私は……」

「そりゃ良かっ――あらま、こっちは思ってたより血が出てら」


 な……何なのよ、この男?

 こいつらにとっての私が捕虜だか女囚だかは知らないけど、我が身を呈してまで助ける理由なんて……普通に考えたらあるわけがない。

 仮に助けるにしたって、私を力任せに突き飛ばせば良いだけのこと。

 拐われた身からすれば礼を言うのは違う気もするし、といって救けてもらった事実からただ顔を背けるのも道理が合わない。

 なんだか混乱してしまって、自分でもどうしてそんなことをしたのか――私は気付くと、ポケットにしまったまま、取り上げられずに持っていた白いハンカチを彼に差し出していた。


「……使って」

「おいおい、絹布じゃないか。こんな良いもの、血で汚しちゃ」

「いいから!」


 こんな時でもへらへら笑ってるばかりなアウスの頭に、ハンカチを押し当てる。

 割れた額から流れる血はどす黒くて、ただでさえ血に慣れていない私は目眩を起こしかけたけど、牢屋の外、集落ではそんなことを言ってもいられない事態が進行していたらしかった。


「きゃッ!?」

「……うお、またか!」


 もう一度、地震にしては明らかに短すぎる横揺れがしたかと思うと、大勢の悲鳴がここまで届く。


「わ……若!」


 それを追いかけるように、外から走り込んできた壮年の男が、息を切らして檻の前に膝をつく。


「落ち着け。何事だ?」


 へらへらとした笑みを一瞬で消し、精悍な表情になったこの人を見たのは、このときが初めてだったと思う。

 おそらくは配下なのでしょう、男からの報告を促したアウスは、私のハンカチを服の合わせに収めると、さらに厳しい表情で付け加えた。


「襲撃か? 敵は誰で、何人いる」

「そ……それが……」


 言うか言うまいか、迷っているのが誰にでも分かるほどに寄った眉根。

 しかし、アウスの厳しい視線に意を決したのか、男はがばっと顔を上げると、胸の中の戸惑いを形にしたような震え声でこう言った。


「お……です!」

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