6話:トラブル・イン・トラベル(後)
「オイラはキィルっていうんだ」
道案内を買って出てくれた男の子――明らかに我が国の出身でない、エキゾチックな雰囲気の男の子は、裸足のまま平気で街道を跳ね回りながら、脈絡もなく自己紹介を始めた。
「キィル……珍しい名ね。私はイナ、この子はフィリアよ」
やっぱりこのあたりでは聞かない名ね、と想った途端、ふと婚約者のニコロ王子の顔が浮かぶ。
初めて顔を合わせたときから、どこか子犬のような可愛らしい印象があった方。
勝ち気な自分と気が合うものか、ずいぶん不安だったけれど――数度会っただけの婚約者が病気に倒れたと聞いて駆けつけてくれる程度には、彼は私に心を寄せてくれていたのね。
思えば、あの方にもずいぶんと悪いことをしてしまったわ。
多分、というか必然的に、父様は妹たちの誰かと縁談を組み直すのでしょうけれど、不義理は不義理だ。
とはいえ、もう死んだ人間である私からは、謝る事すらできないし……。
『……なんか、考えてるうちに腹立ってきたわね』
考えるまでもない、悪いのはあのスカした仮面の男、烏みたいに真っ黒尽くめなアイツじゃない!
呪いを消す云々以前に、もう一度会えたらそのときはもう、絶対に全力の平手打ちを――……
「……ふーん」
仇と再開できたときの名乗り口上とか、復讐手段とか、そんな益体もないことを頭の中でシミュレーションしているうち、急ににゅっと目の前に出てきたキィルの顔に驚いて、思わず二歩後ずさった。
「ちょ……何よ?」
「なあ、オイラにゃ分かるんだぜ! あんた、どっか名家のお嬢様だろ?」
「……」
どう答えたものか、一瞬迷う。
それは多分、見る人が見ればすぐ分かってしまうような事だから、変に反発するのも可怪しいでしょう。
とはいえ、一から十まで正直に答える必要なんて、もっとない。
「そうでもないわ。帰る家の無くなった、ただの巡礼よ」
だから、事実をベースにどうとでも取れるような言葉でさらっと返したのだけど、このぐらいの子供は大概――私自身がそうであったように――そんな大人の対応で納得してはくれない。
「えー、嘘だぁ。どっか豪商の娘とかだろ?」
「違うわ」
「なら貴族だ! ずばり、男爵家の令嬢! どう?」
「違うったら」
「えー? じゃまさか……王族? お姫様!?」
「……あのね、キィル君」
加速度的に逞しくなっていく妄想が不都合な方向へ向かった所で、彼の前に回り込んで進路を塞いで仁王立ちになる。
「よく考えてみなさい。私がもし本当に貴族や王の娘だったとしたら、お供が女の子たった一人なんてこと、あり得ると思う?」
「……それもそだね」
このへんはまだまだ子供というか、あっさり納得してくれる素直さは可愛い。
物見高いは庶民の常、というやつかしら。
「んじゃ、そっちの姉ちゃんは? 何処の出身? 何歳?」
「へ!? え、ええと……」
興味の方向、質問攻めの矛先がフィリアに向かったのを横目に、ほっと胸を撫で下ろす。
彼女には気の毒だけど、嘘を吐くことに慣れていない私があのまま質問攻めにされたら、絶対にボロをだしてしまうから。
あとは頑張ってね、フィリア!
「い、イナ様……」
そんな眼をしないでよ、あとでなにか埋め合わせするから!
「――ところで、キィル君。聞きたい事があるんだけど」
「ん、何?」
話を蒸し返されないよう、フィリアへの執拗な追求が一段落したところを見計らって声をかけると、足早に先をゆく少年が振り返る。
「この道、結局どこへ通じてるの? なんだかちょっと、寂しくなってきてない?」
「ああ、そいやまだ言ってなかったっけ?」
「そうよ、『お兄さんが居る』ってことしか聞いてないわ」
言った通り、進む道はだんだんと雑木林に入っていて、まだ日も高いお昼だというのに薄暗い。
幸い、熊や猪が見える範囲に居るわけじゃないけど、暮れ方までに抜けられないような林だったら困ってしまう。
「ごめんごめん。でももう大丈夫。その兄貴がすぐ来るからね!」
「来る? って、何処から――」
この少年は相変わらず、私の懸念などまるで気にしてなさそうな、呑気で屈託のない笑顔を浮かべたままだものだから、思わずオウム返しにそう呟いて――やっと、本当に今更、その意味に気がついた。
「……逃げるわよ!」
「え、え?」
いきなり踵を返した私の様子に戸惑うフィリアの腕を掴んで、そのまま全力で走り出す。
――さっき分岐路で立ち止まった時、痛む部分にあて布をしておいて本当に良かったわ!
「ど、どうしたんです?」
「ハメられたのよ、私たち!」
多分、あの子は追い剥ぎか野盗の手先だろう。
その証拠に、私たちがいきなり逃げ出したのを見ても、慌てる様子も追いかけようとする素振りもみせていない。
きっと、『敵』はもう私たちを取り巻いているのだろう。
小さい子だからって油断したのは認めるけど、だとしても腹立たしい!
何がって、あんな
私が姫の立場でいたら、即座に衛兵を差し向けて一網打尽にしてやるものを――……
「い、イナ様!」
背後へ眼をやっていた私が、はしたなくも舌打ちを漏らしてしまった瞬間、フィリアが袖口を強く引く。
「悪かったけど、今は行儀なんて気にしてられ――」
「違います! 前、前!」
前――と言われて前方に眼を戻すと、さっき通ったときには確実になかった人影が二つ。
一人はキィルと同じタイプの民族衣装を着た、おそらくは二十歳ぐらいの青年。
そして、もう一人はといえば。
全身で「自分は怪しいものです」と主張するように、頭から爪先まですっぽりとローブで包み込んだ、男女の別も分からない小柄な人影。
やっぱり、と歯噛みするまでもなく、青年の方、艷やかな褐色の肌をした男が、左右非対称に刈り込んだ髪を手で掻き上げた。
その下に見えるのは、
「悪いね、此処から先は通行止めなんだ」
気障な仕草に気障な台詞――それでも不思議と嫌味に感じないのは、男の顔が端正ながら人懐っこいというか、どこか愛嬌があるからかしら。
それでも、追い剥ぎか野伏の類であることはもう間違いない。
心の底から残念だけど、フラシア領にもこういう手合いが潜んでたのね……!
「僕の名はアウス、キィ坊の兄貴さ。大人しくするなら危害は――」
こいつは私たちなら――か弱い女の二人連れだし、大上段に出れば怯えて足を止めると、そう思ったのでしょう。
だけど、お生憎さま!
「お……おいおい!?」
フィリアの腕を掴んだまま、更に駆ける足の回転を上げる。
こう出られるとは全く予想していなかったのか、逆に慌てる男に向けて、私は躊躇いなく右手を振り上げた。
「退きなさい!」
「ぐへっ!?」
すれ違いざま、思いっきり手刀を一発。
お姫様の道楽で格闘術を教わってたわけじゃないのよ、私!
「あと一人!」
情けなくも吹っ飛んだ青年、『アウス』と名乗ったかしら、奴が起き上がってくる前に、この場を切り抜けてしまわなければならない。
見るからに不気味な片割れのほうは動く気配がないけれど、着いてこられたら厄介なことになるのは間違いない。
あのキィルという子と大して変わらない身長の相手だからと、フィリアを先へ突き飛ばし、ローブの塊に思い切り蹴りを放つ。
女だてらに、とか、お姫様なのにみっともない、とか――乳母からはさんざんお説教されたけど、私はこの足技にこそ一番の自信があった。
「貴方もそこで寝てな、さッ……!?」
でも、その足に伝わってきたのは、軽すぎる手応え。
振り抜いた左足には、ただローブが引っかかっていただけで、『中身』は跡形もない。
「な……何よこれ!」
青年の方を片付けた勢いで走り抜け、フィリアと共に逃げ去ってしまえば良かった、というのは結果論。
反射的に足を止めてしまった私の背後でいきなり気配が立ち上がって、振り向いたときにはもう手遅れだった。
「〈痺レロ〉」
眉間に突きつけられた指先で、ぱちんと黄色い光が弾けた瞬間、私の身体はお庭の石像みたいに硬直して、意識と関係なくぱったりと倒れる。
――「フィリア、逃げて!」
最後の言葉はあの子に届いたか、そもそも私の喉から先に出せたのか。
それを確かめるすべもなく、倒れたままピクリとも動けない私の横で、再びローブをまとい直した何者かが無遠慮に青年の頭を足蹴にしているのだけが見える。
「オキロ、間抜ケ」
「う、ううむ……」
頭を振りながら、褐色の男はそこでようやく立ち上がってきた。
「いやまさか、あの状況で突っ込んでくるとは思わないよ。全く素晴らしい女性だと思わない?」
「……フン」
私の前で屈み込んで品定めする眼が、なるほど確かにキィルとよく似ているわね。
睨みつけるぐらいのことは出来るから、心からの軽蔑を込めてそうしてやったけど、こうなってしまえばもうそれも何の効果もない。
「じゃ、悪いね、お嬢さん!」
本当にムカつくほどにいい笑顔で、男が手を振る。
そこから振りまかれた粉を吸い込んだ瞬間、私の意識はそのままふっつりと途絶えてしまった。
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