アウトロダクション 十一月の空は青かった(その2)

 その日最後の授業が終わった。

 いつものように重い私物を担いで教室を出た充駆は、となりの教室を過ぎようとしてひさしぶりに佐伯祐未に呼び止められた。

「今日は紗登花が休んでるの。だから一緒に帰ろ。いいよね」

「うん」

 一緒に生徒玄関で靴を履き替えて校門を出る。

 そこに停まっているのは興味がないゆえ名前も知らない流線型のクルマ。

 そのかたわらに立ったエロ槻が親しげな笑顔で手を振る。

「祐未、乗ってけよ」

「祐未は乗らない。いい加減に諦めたらどうですか」

 口を開いたのは充駆だった。

 エロ槻と祐未がそろってぽかんと見ている中で充駆が続ける。

「告発しましょうか」

 エロ槻と祐未以上にぽかんとしているのは、なにも考えることなく感情に押されるまま言葉が口を衝いて出ていた充駆の方だった。

 そんな充駆にエロ槻が我に帰って、これまで何人も騙してきた穏やかな笑顔で言い返す。

「わかった。もう声を掛けない――とでも言うと思ったか。高見い」

 開き直ったらしい。

「僕のことは、今は公然の秘密になってることでみんな見て見ぬ振りをしている。もし高見が公にしたら、僕よりも大っぴらに好奇の目を向けられる女生徒の方が傷つくってことはわかるだろ。こういう話は君たち生徒の方が大好物だからね。大喜びで食いついて、無責任な尾びれをつけて、そのうわさは校内のみならずネットを介して世界中に拡散されるだろうね。すると、どうなるかな? 自殺する子が出てもおかしくはないよな。そこまでいかなくても、進学や就職を絶たれてその子の人生は“詰みチェックメイト”だよ。そうなったら、その女生徒と家族から白い目で見られるのは僕だけじゃない。特に女生徒にしてみれば隠してきたことを世間に公開したのは他ならぬ高見、君自身だ。僕とのことは合意があったり自業自得だったりするが、高見に対しては恨みの感情しか持ち得ないってことはわかるよな? つまり、僕と同等、あるいは僕以上に非難の目を向けられるのは彼女たちをサラシモノにした高見、君だということだよ。それでも――」

 にやにやと話し続けるエロ槻を充駆が遮る。“長々とつまんねえこと言ってんじゃねえ”と言わんばかりのうんざり顔で。

「わかりました。僕がまちがってました――とでもいうと思いましたか、先生」

「あ?」

 エロ槻の顔から笑顔が消えて、不快そうに目を細める。

 祐未はまだぽかんと充駆を見ている。

「僕は今でも十分、女生徒から同級生扱いどころか人間扱いすらされてないんですよ。そんな僕にとっていまさら女生徒の非難の目なんて痛くも痒くもないです。なによりもそんな女生徒どもが好奇の目にさらされたり人生チェックメイトになったりしたところで“ざまーみろ”でしかありません」

 男子生徒からの罵声だけでなく、女子生徒からの嘲笑も毎日飽きるほど受けてきているのだ。

「むしろクラスの女子そいつらを生け贄にすることで祐未にちょっかい出してる先生の手をへし折れるなら、一石二鳥、一挙両得、濡れ手に粟……は違うか。とにかく、僕にとっては望むところなわけですが」

「なるほど、それだけ本気ということか。ならば――死ねるか?」

 エロ槻の言葉に“ああ、聞いたことのある展開だな”――充駆はそんなことを思いながらも即答する。

「死ぬわけないじゃないですか」

「ちょ、いいかげんに……」

 割り込もうとする祐未を制して続ける。

「死んだらその時点で終わりじゃないですか。僕はこの先もずっと先生のジャマをしたいんです。先生が祐未から手を引くまでずっとずっと。そのためには途中で死ぬわけにはいきません。僕が死んだら先生が祐未から手を引くとでも言いますか? でも実際に手を引くかどうかを確かめることはできない以上、そんな話に乗るわけないですよ。僕は真剣です、本気です。だからこそ死ぬなんて“途中放棄”はしません。無責任なことはしません。先生が祐未から手を引くことを最後まで見届けますから」

 教室では一度も見せたことのない冷たい目でまくしたてる充駆に、エロ槻の表情が一瞬だけ怯えたように見えた。

 充駆はその表情に見覚えがある。

 それは制服評議会の中心にいたインのレンズが、ハンマーを振り下ろす充駆に向けた表情だった。

 エロ槻がまだなにか言おうと口を開きかけた時――

「こらっ」

 ――祐未が充駆のふくらはぎにローキックを放った。

「“生け贄”とか“ざまーみろ”とか“死ぬ”とか“死なない”とか、そんなこと言わないの」

 そして、充駆の腕に自身の両腕を絡ませてエロ槻を見る。

「そゆことで、失礼しま~す」

 充駆を引っ張ってその場をあとにする。

 少し離れてから背後でクルマのエンジン音が聞こえて、ふたりのかたわらを赤い流線型が走り抜けていった。

 その車影を見送りながら祐未がささやく。

「ありがと。かっこよかったよ」

「……うん」

「でも、元気になったんだね。それがうれしいよ」

 丁字路に差し掛かっていた。

 祐未が充駆のもとを離れて手を振る。

「今日はありがと。じゃね。バイバイ」

 ポニーテールを左右にぷらぷらさせながら小さくなっていく後ろ姿を見ながら充駆はつぶやく。

「この数日であれだけいろんなことがあったらイヤでも成長するよ」

 脳裏にこれまでのできごとがよぎる。

 思えばこの丁字路でボレロに呼び止められたのが最初だったのだ。

 潜在意識の世界に招かれてブレザーへの挑戦者決定トーナメントを戦い、ワンピに敗れたものの繰り上げで挑戦権を得て、ブレザーを倒した。

 しかし、集合無意識誘導鍵はスクールセーターと制服廃止論者に奪われてしまった。

 その後を追った森の中でぽぽちゃんとそのご主人と出会い、深層域でボレロと引き換えに鍵の奪還を果たした。

 そして、スクールセーターから制服評議会の真意を知り……。

 その時、視線を感じた。

 周囲に目を向けるが誰もいない。

 それでもなにかの――誰かの気配を感じる。

 充駆はそれが誰かをわかっている。

 その名をつぶやく。

「理未……?」

 ふと、その気配がゆっくりと空へ上がっていくのを感じた。

「ずっといたんだな、理未」

 空へ還っていく気配を目で追いながら、滲んだ視界から零れそうになる涙を堪える。

「ごめんな、ありがとう。僕はもう大丈夫だから」


 見上げた十一月の空は、やはり、青かった。



全編終わり

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無気力男子が巻き込まれたのは擬人化された制服女子による覇権争奪戦だったのです。 百年無色 @100years

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