第29話 裏明かし

「巡くん、すごいね」

「……どうもありがとう」


 ぱちぱちと拍手をして誉める実羽に、円野見はぎこちなく笑った。洋司はがっくりと膝をついて負けたポーズを取った。


「俺のラッキーボーイパワーが奪われた!」

「そんなつもりはなかったけど。単純な仕掛けである分、難しい仕掛けだ。僕みたいに周りの目を気にせずやったらすぐバレる。彼らに種がわからないぐらい、君は練習したというわけだ」

「え、イケメン……?」


 円野見の発言に洋司が両手で胸を押さえる。見た目は平凡であるが、言動が平凡ではないということを本人は自覚していなかった。

 横から興味深そうに見ていた美和子が、割り箸を指差して円野見に声をかける。


「割り箸の先に何かあるの? 印とかないように見えるけど」

「確かに目に見える印はない。だから、王様の箸を判別できる見えない印があるのかと考えて、触って確かめてみたんだ」

「見えない印? さっき触ってたのってここだけど……あ、なんかざらっとしてるかも!」


 円野見から差し出された割り箸の端に触れた美和子が声を上げた。尊斗も手を伸ばして触ってみると、たしかに指に小さな溝のようなものを感じる。でも、その感触はあるとわかっていないと気づけないほどの違和感だ。手を離してもう一度まじまじと見てみるが、光の加減でよくわからない。顔を近づけて睨んで、やっと小さな傷のようなものが見えた。

 仕掛けがバレてしまった洋司はあーあと残念そうにため息を吐いた。


「まじで天才の思いつきだと思ったのに。見破るのが一瞬過ぎて、落ち込む……」

「よかったじゃねぇか。アンラッキーボーイに方向転換すんだろ」

「今日の合コンまでに、十分なアンラッキーネタが集められないんだよね。ちゃんとアンラッキーボーイになったときにはまたオーララ君を合コンに誘うよ」

「だから、行かねぇって言ってんだろ」


 そもそもラッキーだの、アンラッキーだの、そんなオカルトなものでどうにかしようとするなと尊斗は眉間にしわを寄せた。こんなものに全力をかける理由が心底理解できない。

 そのアンラッキーの種を見抜いた円野見は、最初の要望どおり何もなかった尊斗の放課後に予定を入れた。


「放課後、ホームルームが終わったら校門前で」

「結局、何すんだよ?」

「以前助けた婦人の、その娘さんのカフェに顔を出すべきかと思ったんだ。いろいろ忙しくて、結局行けてなかっただろう」

「ああ。亀のうららを飼ってたばあちゃんのやつか」

「じゃあ、そういうことで」


 用件だけ簡潔に伝えた円野見はさっさと教室を出ていった。それを小さく手を振って実羽が見送る。

 思い返せばあそこから事件に巻き込まれたんだなと尊斗は思い返す。あの日老婦人が大金を払おうとしているのを止めて、花柳先輩の目に止まり、トモシビの会に関わることになった。おかげで、尊斗の最近の気持ちは冴えない。じゃあ助けなければよかったかと言えば、考えるまでもなく無視できずに声をかけただろう。


「残念だったわね」

「あ? 何がだよ」


 美和子がつんとそっぽを向きながら嫌味っぽくそう言ってきた。訳がわからず尊斗が聞き返すと、不機嫌そうな顔をしてじろりと睨んでくる。


「合コン、行けなくて残念だったわね。そんなに落ち込むなら正直に行きたいって言えばよかったのに」

「だから、別に行きたくねぇよ。それに落ち込んでもねぇし」

「あ、そう。どうでもいいけど、ぐちぐち言われたくなかったら落ち込まないでよね。でかいのがじめじめしてたら気になるの」


 ふんと鼻息の荒い美和子の真向かいで、実羽がふんわりと笑った。


「ワコちゃん、心配してたもんねぇ」


 思わずへえっと呟いた尊斗に、がたっと椅子を蹴り倒しながら美和子が立ち上がる。耳まで真っ赤にして、わなわなと口の端を痙攣させて、不安そうな手が握り拳をつくってぶんぶん振り回された。


「心配してない! こっち見るなってば!」

「へぇへぇ」


 言われたとおりに尊斗は視線を反らした。反らした先でにやにや笑っている洋司と目が合ったため、とりあえず目の前の椅子は蹴っておいた。

 どんな非日常が起こったとしても、平凡な日々はやってきて、今日も尊斗は穏やかな学校生活の時間は流れていく。

 放課後、尊斗が校門前に立ったときには円野見はいなかった。人相の悪い校内でも有名な不良が校門前に立っていると、帰っていく学生たちの流れはそこだけ避けるような形をつくる。尊斗は舌打ちをしたが、移動すれば円野見とうまく会えないかもしれない。

 尊斗は顔を伏せて、腕を組んで壁にもたれ掛かる。待っていると、すぐ横でキキッと自転車のブレーキ音が聞こえてきた。あいつ、自転車通学だったかと顔を上げるとそこには自転車にまたがっている美和子がいた。どうせすぐに目をそらして帰ってしまうと思ったが、じっとこちらを見て動こうとしない。

 尊斗は組んでいた腕をそっと上げた。


「……じゃあ、また明日な」

「なに、そんなに私にさっさと帰ってほしいの?」

「別にそうでもねえけど。来栖は?」

「実羽は調理部の日なの。別に私一人だっていいでしょ、あんただって一人なんだし」

「ふうん」


 何よと喰ってかかろうとした美和子は身を乗り出そうとして、自転車のブレーキが甘かったのかバランスを崩してぐらっと前に倒れそうになった。咄嗟に尊斗は腕を前に出して、倒れそうな自転車のハンドルをつかんだ。

 助けられた美和子は、自転車から降りてどうもと小さく呟く。どうもと尊斗も返した。


「……その、今日カフェ行くんでしょ?」

「そうらしいな」

「私と実羽もよく放課後にカフェに行くから。今日行くカフェが良さそうなとこだったら、教えてよ」

「別にいいけど」

「うん……」


 そこで会話が終わる。しかし、美和子はまだ帰るつもりはないようだった。指にくるりと髪を巻きつけながら引っ張って、こっちを見たりあっちを見たりと落ち着かない。何か言いたいことがあるのかと尊斗は黙って待っていた。

 ふと、本来待っていた人物が美和子の頭越しに尊斗の視界に入った。こちらに近づこうとしていた円野見は、なぜか後ろ歩きで戻っていこうとする。


「あ、おい!」

「え、何? ……あ、もう来ちゃったんだ。じゃ、じゃあ私帰るから! バイバイ!」


 思わず声を上げた尊斗に、美和子も待ち合わせ相手が来たことに気づいたようだった。慌てたように自転車にまたがり、止める間もなく行ってしまった。あっという間に小さくなってしまった背中を尊斗が見送っていると、いつの間にか隣に立っていた円野見が悪いと謝った。


「もう少しタイミングを考えれば良かったな。ごめん、邪魔した」

「邪魔もタイミングも何もねえよ。つうか、遅れてきたことを謝れよ。さっさと行くぞ」

「ちょっと帰りのホームルームが長引いたんだ」


 余計なことを言われる前に、尊斗はさっさと歩き始めた。そうだなと円野見もそれ以上は話を広げずに歩き出す。


「カフェは、駅に行くまでの道の途中にあるらしい」


 円野見の言葉にふうんと素っ気なく相槌を打って、尊斗は乾いた唇を舐めた。そして、ずっと気になっていたことを言葉にした。


「お前、花柳先輩がどうしてるか知ってるか?」


 そう尋ねると、円野見は一瞬ちらっと横目で尊斗の顔を見た。しかし、すぐにまた前を向いて、何でもないという顔で歩き続ける。しばらく黙ったままで、しびれを切らした尊斗がおいっと声をかける直前にやっと口を開いた。


「知らない。先輩ももうこっちとコンタクトは取ってこないだろう。そうする意味がもうない」

「意味って何だよ、あれ何だったんだよ?」

「目的はトモシビの会を解散させることだと君も聞いていただろう」

「そういうことじゃねぇだろ、おい!」


 思わず怒声を上げたところで、円野見の感情の読めない表情は崩れない。周りを歩いていた下校中の生徒たちだけががすっと避けていって、尊斗は舌打ちした。

 視線を横に向ければ、歩道の脇には桃色の鮮やかな花が植わっている。それを見ていると、誰かの姿を思い出す。

 気まずい空気の中、円野見がぽつりと謝った。


「悪い。今、わざと誤魔化した。……先輩がトモシビの会を解散させたかった理由は、カグチを手に入れるためだったんだろうな」


 あの日。花柳は憔悴していたカグチに花の妖精のような囁きで止めを差した。狂ったように叫び続ける可哀想な男の頭を宝物のように両腕に抱えて蠱惑的に微笑んだ。

 思い出すだけで尊斗の心臓はばくばくと嫌な音を立てる。誰もがこんなふうに憧れの先輩を思い浮かべて心臓を高鳴らせているのなら、尊斗は一生誰にも憧れたくないと思う。

 理解できない尊斗はさらに尋ねた。


「お前、先輩のやりたいこと知ってたのかよ?」

「知っていたかどうかと言われれば、勘づいていたというレベルだ。先輩は健気な願いしか口にしなかった。……でも、健気な人が僕たちに体当たりでやってくるのはどこか回りくどい。話の筋は通っていたが、その割にそうするだけの熱が見られなかった。美しい花のような顔だけしか見せないから、何か隠しているんだろうなと思った」

「……具体的なことは何もわかってなかったのか」

「初めて花柳先輩と会った日の放課後、僕だけ二人で話しただろ。そのときに言っていたんだ、トモシビの会があることが耐えられないって」

「カグチがいるあそこを潰したいわけじゃなく、あそこにカグチが置いておきたくなかったから潰したってことか?」

「多分、独占欲というやつじゃないか」


 事実だけを端的に言う円野見の表情は相変わらず読めない。一見すれば、ただの男子高校生だ。でも、あの日、カグチを追い詰めていたときは、尊斗の目には人間ではないもののように映っていた。


「お前は勘づいていて、それでも先輩に協力したのかよ?」

「逆に、君はわかっていたら協力しなかったのか?」


 逆に尋ねられると、尊斗も答えに困る。花柳の意図がわかっていたとして、それでも恐らく協力はしていただろう。嫌いなものは嫌いだった。オカルトなんて滅べばいい。だから、一人でもビルを探した。尊斗は尊斗で自分のために行動した。

 ただ、円野見なら知っていたのならどうにかできたんじゃないかという期待もあった。


「今は俺の話じゃないだろ。また話を誤魔化してんのかよ、だせぇな」

「うん、そうだな。この期に及んで僕は逃げている。性根がそうなんだろう。……僕は、花柳先輩のことを何となく気づいていて協力した。カグチという存在がいることが許せなかったからだ」

「お前のテストの赤点みたいだからか?」

「格好つけてそう言ったな。率直に言うのなら……」


 強い風が吹いた。街路樹が枝を揺らして、葉を落とし、ざわざわと騒ぐ。静かになるまで待って、円野見はようやく言葉を吐き出した。


「――僕の手で消してやりたい存在だよ」

「大して知りもしねぇ奴がそんなに気に喰わねえか? お前に似てるから?」

「……その話は、少し長くなりそうだから。先に目的地まで行ってしまおう」


 円野見はそう言うとくるっと背中を向けて、すたすた行ってしまう。その背中を追いかけながら、逃げてるなと尊斗は感じていた。

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