6 未來から見た幸福

第28話 アンラッキーボーイ

 ずっとあの日のことを考えていた。

 手がつけられない惨状となったトモシビの会の混乱の最中、電源の落とされたロボットのように反応の鈍い円野見を引きずって尊斗は逃げ出した。花柳はあの部屋に置いていった。彼女はあの部屋でただ一人幸せそうな顔をして笑っていた。

 あの日以来、円野見と花柳の顔を見ていない。


「おーい、オーララ君起きてる? 息してる?」

「……なんだよ、うっせえな」

「いやいや! だってさあ、ノート開いてペンを持ったままぴくりとも動かないんだもん! もう昼休みだって気づいてる?」


 はっと尊斗が教室を見回すと授業をしていたはずの教師はとっくにおらず、昼を食べているクラスメイトがちらほらおり、ついでに黒板の文字はとっくに消されていた。尊斗がおそるおそる自分の手元のノートを確認すると真っ白だった。

 舌打ちする尊斗を洋司は慣れたように笑い飛ばして、購買で買ったホットドッグを頬張った。


「オーララ君、最近ぼーっとしてるよね。俺のノート貸そっか?」

「……ちっ。貸して、クダサイ」

「何その屈辱そうな言い方。そんな顔しないでも貸すって。ほい、これ」


 ぽいっと投げ渡されたのは、薄汚れて、くたびれた洋司のノートだった。あっちから貸すと言ったんだから有効活用してやろうと、尊斗は自分のノートと一緒に鞄の中にしまった。そういえば腹が空いていた。

 先に昼飯だと巾着袋に入った祖母手製の弁当を取り出したところで、何の気なしに洋司が言う。


「最近、また教室で食べるようになったよね。前までどこで食べてたの?」

「ああ……」


 昼休みに集まって円野見と花柳とあの日のための練習をしていたことを思い出し、尊斗の口からため息が出た。洋司がどうしたどうしたと言って、持っていたホットドッグを差し出してくる。


「落ち込むなって。一口食う?」

「いらねえ。お前の食いかけだろうが」

「まだ上のソーセージしか齧ってないって。気になるなら、下のパンだけいる?」

「まじでいらねえ。全部食っとけ」

「オーララ君、潔癖すぎない? 回し飲みとかも無理なタイプだっけ?」


 尊斗は無言で弁当箱を開けて、いただきますと食べ始めた。今日は、アジのフライとほうれん草のごま和え、れんこうとごぼうの煮物、にんじんのきんぴらと卵焼きだった。白飯の上には、シンプルに塩コショウで焼いただけの豚バラ肉が5枚ほど敷かれている。

 ホットドッグを噛る洋司が羨ましそうに見てくる。


「あいかわらずオーララくんのお弁当ってお腹いっぱい食べろって感じのボリュームだよね。一口もらってもいい?」

「やらねぇ」

「……返しに覇気がないよね。まじでなにをそんなに落ち込んでんの? 女の子にフラれた?」

「お前と一緒にしてんじゃねぇぞ、軟派野郎」


 素っ気なく返したことが余計に力なく見えたらしく、やっぱりフラれたんだと洋司は誤った確信したようだった。尊斗は舌打ちをしたかったが、残念ながら豚バラ肉を咀嚼していたので、抗議をする余地がなかった。


「じゃオーララくんも合コン行く? ちょうど一人欠員が出たんだよね」

「行かねえ」

「まぁまぁ、ものは試しだよ。新たな出会いがオーララ君を新たな世界へ導いてくれるかもよ」


 ホットドッグを一気に口に詰め込んだ洋司は、鞄から割り箸の束を取り出した。以前に見せられた、一本だけ先が赤く塗られている合コン用の小道具だった。


「今ならオーララ君にもラッキーボーイになる秘訣を教えてもいいよ! 大サービス!」

「だから、いらねぇってんだよ。つうか、まだそれやってたのかよ」


 横からあっというか細い声が上がった。思わずといったように声を漏らしたのは隣の席の実羽だった。彼女の視線の先は尊斗たちにはなく、真正面に座っている美和子も飛び越して、教室の後ろ側の扉に向けられていた。尊斗が振り返ると、やはりそこには円野見巡が立っていた。

 教室の入口で様子をうかがっていた円野見は、気づかれたのなら仕方ないとばかりに無遠慮に教室に入ってくる。実羽がひらひらと小さく手を振ると、小さく会釈を返した。

 目の前にやってきた円野見に、尊斗は片足を椅子の上に乗せて行儀悪く迎えた。


「んだよ。また、何か用でもあんのか? また面倒ごとか?」

「ちょっと、食事中の行儀の良さが数少ないあんたの取り柄でしょ。食べてる最中に足を上げないで!」

「……ばあちゃんみたいなこと言うな」


 威嚇する尊斗に美和子がむっとした顔で説教口してくる。しぶしぶ足を下げた尊斗がぼそりと言った言葉が耳に入ったのか、美和子がおばあさん扱いするなと怒る。

 いまいち格好がつかない空気の中、首の後ろをかいた尊斗はもう一度質問をした。


「で、まじで何の用だよ?」

「今日の放課後、空いているかと思って聞きに来たんだ」

「放課後だぁ?」


 尊斗が顔をしかめて何のつもりだと睨んでも、円野見の平常どおりの感情の読めない落ち着いた顔だった。自分ばっかり気にしているみたいで、自分が馬鹿に思えてくる。

 尊斗がぎりぎりと奥歯を噛み締めていると、関係ないはずの洋司が困った声を出した。


「ごめんごめん、今日オーララ君は合コンに参加予定なんだよね。円野見くんの用事って今日じゃないと駄目な感じ?」

「おい、俺は行くって言ってねえぞ」

「えー、行こうよ! オーララ君もラッキーボーイになろうよ!」

「そんな胡散臭ぇやつになってたまるか」


 ラッキーボーイという謎の円野見が不思議そうに聞き返した。それを聞いた実羽が、両手でジェスチャーしながら一生懸命に説明しようとする。


「ラッキーでね、先が赤いお箸がどれだかわかるんだって。こうやって赤いところを握って見えなくして、一本を抜き取るの」

「そうなんだ」


 一生懸命な実羽と頷く円野見の姿を見た洋司はぽかんと口を開けたかと思うと、隣の尊斗の肩を力強く揺さぶってきた。抱えている割り箸の束ががさがさうるさい。尊斗が鬱陶しいと振り払うと、今度は全身ぷるぷると震え始めた。


「円野見君、なんかモテてない? 何が? 何で? 俺のほうがラッキーボーイじゃん?」

「ラッキーボーイじゃねぇほうがモテんじゃねぇの」

「ふ、不覚! そうか、アンラッキーボーイのほうが、女の子の母性をくすぐってモテるのか!」

「別にアンラッキーってわけでもねぇだろ」


 真理を悟って頭を抱えてショックを受ける洋司に呆れている尊斗に、ラッキーボーイの説明を聞き終えた円野見から声をかけられた。


「大浦は放課後に合コンでラッキーボーイになる予定があるから無理なのか?」

「行かねえし、ならねえよ。……けど、そうだな、このラッキーボーイのタネがわかったら放課後のお前に付き合ってやってもいい」


 合コンには行かないので放課後の予定はないが、おとなしく円野見に付き合ってやるのも癪だった。

 尊斗がそう提案すると、円野見はなるほどと簡潔に呟いた。そして、腰を屈めたかと思うと割り箸の束に顔を近づけて検分し始める。割り箸を手に持っている洋司は誤魔化そうとするように視線を宙にさまよわせた。


「ええっと、これは俺のラッキーで当てているだけだから、種も仕掛けもなくてさあ……ってあんま触ったらバレちゃうって!」


 ああっと悲鳴を上げる洋司を無視して、円野見は腕を伸ばして割り箸の何も描かれていない端の部分を指で一本ずつ慎重に擦り始めた。横から見た限り、箸に何かあるようには見えない。しかし、円野見は一本の箸に触れたかと思うと手を止めた。そうして、確信を持って引き抜かれた割り箸の先は見事に王様を示す赤に塗られていた。

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