第26話 熱さの原理

 一対一では勝てないと悟ったのか、カグチは信者たちを振り返った。


「彼は疑心という悪霊に取り憑かれているようです。皆さんの声で、どうか彼に教えて上げてください。浄火の温かさがどんなものか、どれほど素晴らしいものか、どのように皆さんを救ったか。皆さんは、救われましたよね?」


 教主に乞われて、戸惑っていた信者たちがどのように救われたか口にする。口々に話しているせいで、何一つはっきりと聞き取れない。音がぐちゃぐちゃに混じった雑音でしかなかった。

 しかし、カグチはうんうんと優しく頷いてさらに煽る。


「皆さん、私に救いの力がないと思いますか?」


 信者たちは一斉に否定をする。否定をしなければならない。なぜなら、救いの力がないということは彼らは今も救われていないからだ。尊斗から見れば救いようがない姿だったが、彼らは現実を直視することを恐れて否定する。


「私たちはカグチ様に救われた!」

「この間違った世界を救えるのは、あの方しかいない!」

「あいつは悪霊なんだ、燃やしてしまえ!」


 熱くなりすぎて、信者たちの言ってることがだんだんまともじゃなくなっている。度を超して熱の籠った憎悪の眼差しが円野見に向けられて、尊斗はそれらの視線の先に立ち塞がった。このままでは暴力も起こりかねない。彼らこそ、悪霊にでも憑かれたようだ。

 焦る尊斗の肩を、円野見が軽く叩いた。その表情はいつもと同じ落ち着いた優等生の顔だ。やっぱり普通じゃねえと感じる。

 前に一歩出た円野見は信者たちと相対して、指揮棒でも振るように腕を持ち上げて揺らす。信者がどんどん声高になるにつれて腕をゆっくり上へと伸ばしていく。声はどんどん大きくなり、腕もどんどん高く伸びて伸びて、どちらも限界が近づいてきたところで円野見の開いた手がぐっと指揮者のように閉じられた。しんと誰もが口を閉じて、静かになる。すとんと腕を下ろした円野見は、満足そうに頷いた。


「そんなに言うのであれば、確かめてみましょう」


 わっと信者たちがまた満面の笑顔を浮かべて盛り上がる。もはや何に喜んで、何に怒っているのかがこんがらがっていた。

 すっかり信者たちを円野見に操られているカグチは、渋い顔だった。


「何を確かめるっていうんだい?」

「彼らの主張は、特別な貴方だから救いの力があるということです。誰でも救いの力を持っているのであれば、彼らは貴方を頼ったりしません。ですから、救いの力が本当に特別なのか確認してみましょう」


 円野見は、カグチに向かって彼の信者を手で示した。


「彼らのうちの一人を選んでください。貴方と同じことをしてみましょう」

「君が、彼らを救ってみせると?」

「そうですね……」

「――違えだろ」


 今そんなことを気にしている場合ではないと知りつつ、思わず尊斗は口を挟んでしまった。でも、救いの力があると尊斗は主張したくない。


「救いの力なんてもんはこの世にねえよ。あくまでも、そこの詐欺師の偽の力を再現してやるって言ってんだ」


 円野見は透明で感情の見えない目で尊斗を見たが、うっすらと笑って言葉を言い直した。


「そう。そうですね、彼の言うとおりです。あくまでも貴方の力が特別でないと言うこと示すだけです。……さあ、選んでください」


 選択を迫られたカグチは、ぎらぎらと目に異様な光を宿している信者たちを前にしてしばらく考え込んでいた。そうして選んだのは、神経質そうな顔をしている細面の男性だった。余程の熱心な信者なのか、涙を目に浮かべながらあの悪霊は私がやっつけてみせますと物騒なことを言っている。

 敵意剥き出しの信者を前にしても、円野見は淡々とした様子で説明をする。


「やるのは、貴方が以前僕の友人の大浦くんにしたことです。手に触れることで火傷のような熱を与える。僕は、指先一本でやってみせましょう」


 馬鹿にしやがってと信者が憤るが、円野見は表情を変えずに険しい顔をしているカグチを見つめる。カグチは随分と躊躇ってから、わかったと頷いた。

 それではと円野見が人差し指を一本立て、目の前の信者の鼻先でゆっくりと左右に振った。そして片手を前へ出すように指示する。


「聞いて。君の怒りに燃えている。君は正義に燃えている。何故なら、君は敬虔で、実直で、誠実な信者だからだ。その火が消えることはあり得ない」

「ああ、そうだ! このカグチさまへの信心がある限り、悪霊の甘言など私には通じない!」

「そう。僕を前にして、貴方の火はますます燃え上がっている」

「ああ! カグチさまの聖なる炎がこの身に宿っているのだ!」

「ぼうぼうと燃えている。燃える音が貴方には聞こえる。火が燃えている」

「ああ! 燃える音が聞こえる!」


 こういったものは、熱心な信者であればあるほどひっかかりやすい。誘導すれば信じ込み、今も円野見の言葉のとおり火の燃える音を聞いている。鼻先で揺れていた指先がゆっくりと移動し、耳から肩、腕、手へと下りていく。そして、最後にちょっとした刺激を与えてやればいい。


「熱い、熱い、熱い。ぱちぱちと火花が散っている。貴方の手の上に火花がぽとりと落ちた。」


 前に差し出された信者の手の甲を、円野見が爪で軽く引っかいた。


「――熱っ!」


 瞬間、信者は腕を後ろに振り払って熱がった。言った瞬間に、細面が青ざめる。信者たちが悲鳴を上げた。


「僕にでも使える技術なんですよ、貴方がたが言っている救いの力なんてものは。誰だってできる。これのどこが特別なんですか?」


 円野見がばっさりと切り捨てる。熱いと思わず言ってしまった信者が違う違うと否定しているが、出た言葉は取り消せない。

 追い詰められたカグチは、汗で額を光らせながら、何とか今起こったことに理由をつけようとする。


「彼も言っていただろう。私の浄火は信者たちの身体の中に宿っているんだ。今のは、私の火が君に抵抗しようとして、燃えてしまっただけだよ」

「貴方は救いの力があるとばかり主張しますが、実際に僕の目の前で救いの力を見せてくれない。ありもしないのに主張ばかりでは、虚言にしか聞こえません」

「それは、君が僕を疑ってばかりで見ようともしないからだ――じゃあ、こうしよう!」


 突然カグチに指を指されて、尊斗はびくっと肩を揺らした。


「君のお友達を救ってみせよう。彼に救われたと言わせられれば、私の力は本物だ!」

「……それは、あまりに強引では」

「おや、自信がないのかい? 君から見れば私は力のない凡人なのだから、試すことに問題はないはずだ」


 初めて言葉を詰まらせた円野見に対して、カグチは調子に乗ってさらに挑発を重ねてくる。それに、意気消沈していた信者たちも息を吹き替えして、やれやれと声を上げている。

 ここまで追い詰めたのに、自分のせいで失敗することは許せない。ぎゅっと拳を握って、尊斗は前に出た。


「いいぜ、やってやるよ」

「おい、大浦……」

「俺は、お前の力なんて信じてねえ。救えるわけがない」


 前の昼休みに円野見から催眠術や自己暗示の原理も教えてもらった。だから、そう簡単に、操られたりはしないはずだと尊斗は思っていた。

 迷っていた円野見は、ここまで来たら止められないとしぶしぶわかったと頷いた。カグチは余裕を取り戻したように、教主様の慈愛の笑みを浮かべている。


「ああ、心配しないで。私は本当に君を助けるつもりだ。前回は力の調整を失敗してしまったから、今度こそ君を救いたい。だから、力を証明するための相手は君であるべきだ。どうか安心してほしい」


 本当に救いたいんだと真摯な様子で訴えてくるとカグチは、もしかしたら本当に自分には力があると信じているのかもしれない。反吐が出ると尊斗は顔をしかめた。勝手な幻想で人を食い潰す奴は、意図的に騙すより性質が悪いかもしれない。詐欺師なら都合が悪ければ悪事を辞めるが、夢想家は都合が悪くなっても良いことを辞めようとは思わない。

 そういう奴らは、救うとか言って誰も見ていないのだ。目の前で苦しむ人の顔を見て、泣いて喜んでいると自己解釈する糞だ。尊斗の脳裏にちらちらと水盤に祈る祖母の顔がよぎる。不良を辞めても、こっちを全然見てくれない。その偉い人はどこか消えたというのに、いつまでも手を合わせ続けている。早く終わらせたい。

 終わらせるために、尊斗は顎でしゃくって始めるよう催促した。


「……始めようぜ。どうやるんだよ」

「前回と一緒、さっき君のお友達がやったことと同じだよ。彼は人差し指一本でやったから、私も今度は触れずにやろう。これなら、手品の仕掛けを心配する必要もないだろう?」


 手を触れないのなら、例えば手がかぶれるような薬を使われる心配もない。だが、なぜわざわざ不利になるようなことをカグチが自ら提案するのか。自棄になっているのか、自信があるのか。

 カグチはさあと尊斗に手を出すように指示をした。尊斗も抵抗せずに手を前に出す。円野見の少し離れた場所で見守っていた。


「ガーゼがあるね。私が前回失敗してしまったからだ」

「うるせえな、お前のせいだろ」

「そうだね。だから、私が救おう。じゃあ、その右手をぎゅっと握ってご覧」


 ガーゼを貼っているせいで少し握り込みにくい。力強く手を握ると、カグチが尊斗の拳の上に手をかざした。反射的に以前の熱さを思い出して逃げそうになった身体を抑え込んで、舌打ちした。かざされたカグチの手が気持ち悪い。手の甲にある産毛が逆立っているような気がする。目を閉じて、尊斗は目の前の光景が見えないようにする。その分耳に神経が集中した。

 カグチの声がする。


「かわいそうに」

「はあ……?」

「君の心は凍っている。とても冷たく、震えて痛いほどだろう。だけど、君は強いから我慢できてしまうんだろう」

「何言ってんだ、てめぇ。自分の力とやらを信じてすぎて、ないものが見てんじゃねぇか」

「そうだね。心は見えない。だから、君の苦しみは誰にも見つけられなかった」


 カグチの言葉の一つ一つが煙のようにまとわりついてくる。振り払うために尊斗が馬鹿にする言葉を言ってみるが、煙のような言葉はじりじりと尊斗の頭の奥を焦がしていった。


「氷というのは、一見冷たく、固くて、触れることも躊躇ためらわれる。君は削られて、まるで針のように鋭くなってしまったから余計に近寄りがたいんだろう。誰もが怖れるその形こそ、今まさに君が味わっている苦しみの形だというのに」

「あんたは詞をつくるのが好きなのか? だったら、路上にでも行って歌ってくりゃいいだろ」

「その氷は、いつか君の心臓を止めてしまいかねない。そうなる前に氷を浄火しなければいけない」

「うるせえ! ごちゃごちゃ言うのは自信がねぇからかよ!」

「君を助けたいんだ。ひとりぼっちは寒いだろう」


 尊斗の首の後ろあたりが冷たくなって血の気が引いていくった。寒震えそうになる右腕を左手でさする。さすったところで、自分の手はどちらも冷えているのだから、温かくならない。世界は凍ってくれないのに、自分だけ凍えそうだった。

 ずっと、ずっとずっと寒い。

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