第25話 燃えない紙
「わかった。それでは、君の不信感を拭うために私の力を見せよう。それでいいかい?」
カグチの宣言に、信者たちはわっと喜び沸き立つ。
これも、3人で計画したとおりだった。信者たちを煽ってカグチに力を使わせる場面をつくる。ここまで順調に来てはいるが、円野見は慌てることなく、カグチの提案に対してすぐには頷かないで質問をした。
「……どんな力ですか? 小手先の手品で誤魔化されたくはないです」
「人の心の浄火というのは、目に見えないから証明には良くないかな。手を触れずに遠くから火をつけるというのはどうだろう?」
「火ですか。そういえば、花柳先輩からも聞きました。何かの儀式だとか」
「そう、浄火だよ。じゃあ、実際に君にもやってあげよう」
そう言って、カグチは手で合図を送って準備をさせる。部屋の隅にある段ボールから、学校のビーカーのような透明なガラスの容れ物を取り出してきた。大きさは成人男性が両手でぎりぎり囲えるぐらいだった。何度も使っているのか、底が少し黒ずんでいる。明らかに怪しかったが、円野見は気にせずに質問した。
「それで、これでどうするんですか?」
「君の不満を記した紙をこの器に入れて、手を触れずに力を使って紙を燃やし、君の苦しみを浄火するんだよ」
「そうですか。あなたの力では、そんなことは簡単にできるということですか?」
「できるよ。だから、私を信じてほしい」
「……信じるかどうかは、あなたの力を見てからです」
そこで、円野見はほとんど物の入っていない鞄からノートと油性ペンを取り出した。
「何か細工されたくないので、紙は僕のノートを使います」
「ああ、どうぞ。君の気の済むようにしなさい」
余裕を持ってカグチが許可をした。信者たちも期待を持って様子をうかがっている。そうやって前のめりにこちらを覗き込んでくる信者たちにまぎれて、そろそろと花柳先輩が近づいてきた。じわじわと緊張してきた尊斗も、手のーにかいた汗を何度もズボンの後ろで
カグチの心を折るには、その力を自信満々に使わせて失敗させなければいけない。これは欠かすことができなかった。しかし、幾ら考えたところでその力の原理がどこにあるのかは推測にしかならず、わからない。だから、こちらで失敗のように見せかけなければならない。
ノートを開いた円野見が油性ペンを使って迷うことなく何かを書いていく、そして、破くような仕草をすると、その書いた紙をカグチ、そして信者たちに見せた。
そこには、「思い上がり」という文字が太く書かれていた。
「それが、君の不満だね。それじゃ、その紙をこちらに渡してくれるかな」
「わかりました……」
差し出されたカグチの手を前に、円野見はぐしゃぐしゃと恨みでも込めているように荒っぽく力を込めて紙を丸めた。そして、小さく丸くなった紙をカグチの手の上に投げる。
「どうぞ」
「ありがとう。それじゃ、この紙をこの中に入れるね」
丸めた紙が先ほどの容れ物の中に入れられる。うるさいほどの心臓の音を聞きながら、尊斗は右手をぐっと力強く握り込んだ。
紙を入れたカグチが容れ物を控えている信者に渡そうとしたところ、それを円野見が止めた。
「あの人がこっそりライターか何かで燃やしては困ります。その器を誰からも遠ざけて、床の上に置いてください」
「もちろん、いいよ」
その円野見の要求にもカグチは快く応えて、透明な器を地面に置いた。よほど自信があるのだろう。そして、危ないからと下がるようにと囲んでいる人々に指示を出す。カグチ自身も容れものに届かない場所に立つと、両手を軽く擦り合わせて容れ物へかざした。
「よく見ていてご覧、私の浄火をね」
カグチの指先が広がった瞬間だった。ぼうっと激しく炎が燃える。わあっと信者たちが歓声を上げる。彼らは勝利を確信していた。
熱狂的な彼らへの罵倒は喉の奥に押し込み、尊斗は大きく息を吸った。
「いいや、燃えてねえっ!」
大声で否定した尊斗は容れ物に駆け寄った。止めようとする信者を力づくで払いのけて、だんだん小さくなっていく火の中に手を突っ込んだ。否定の言葉とともに駆け出した。熱いと思う間もなく火はすぐに消えていく。ざわざわと背後でざわめく声を聞きながら、尊斗は容れ物からゆっくりと手を引き抜き、全員に見せつけるようにして手の中にあるものを見せた。そこには、白く丸まった紙が燃えずに乗っている。
「やっぱり、燃えてねえじゃねえか」
そう吐き捨てると、喜んでいたはずの信者たちが想定外の事態に顔を見合わせて騒ぎ始める。ちゃんと燃えていたはずなのにという声が聞こえる。そこで、尊斗はさらに言ってやる。
「そもそも、俺は燃える火なんて見てねえぞ! 何もなかったのに見たとか、お前ら全員幻覚でも見てたんじゃねえのか!」
本当は燃えていた。だが、否定する。ここにいる連中全てを否定してやる。否定して、揺さぶることが目的なのだから。
尊斗の発言に続いて、円野見もよく通る声で否定する。
「僕も燃えているのを見ていません。……皆さん、いったい何を見たんですか?」
俺たちの主張を当然信者たちは否定する。実際燃えていたのだから、この点においては当然の主張である。絶対に燃えていた、ここにいる全員が見ていた、お前たちが何かイカサマを使ったんだろうと口々に責め立ててくる。教主のカグチも当然こちらに疑いの目を向けてくる。
「おかしいな、私の浄火は確かに燃えていたよ。否定しているのは君たち二人だけで、私も含め、ほかもみんなが燃えたのを見ている。……彼の持っている紙には君が書いた字はあるのかい?」
そうだそうだ、見せてみろと信者たちが野次を飛ばしてくる。こちらが疑われるのはもちろんわかっていた。
円野見は落ち着いた表情でそれもそうだと頷き、尊斗の手から紙を受け取って広げた。そこには、はっきりと「思い上がり」という円野見の文字がある。
「ほら、僕の字です。こうして燃えずに紙が残っているということは、そもそも火は燃えていなかったということになります」
実際燃えていた以上、無茶な主張だ。しかし、円野見のよく通る声で語られると真実らしく聞こえる。信者たちはそう簡単には納得しないものの、動揺はしているようだった。
「嘘だ! そんな滅茶苦茶な出鱈目を言うな!」
「いいえ。実際に紙が燃えなかったという証拠がある以上、これが真実です」
「だが、俺達全員が見ていた!」
「人数の多さで真実を決めるのですか? かつては太陽が回っており、地球は平面で、世界には果てがあるのだと言っていました。多くの人々が信じていたのに、それは今や真実ではない。信じることによって、真実はねじ曲げられるのです」
「いいや、見たことが真実だ! カグチ様は本当だ!」
「聞いて。あなた方は、こちらの方の信者です。だから、あなた方が彼の言われたとおりのものを見たと思ってしまうのです。本当は燃えていなかったのに、火の幻覚を見たのです」
しんと信者たちが静かになる。顔を真っ赤にして、不信そうに顔をしかめ、憎々しそうにこちらを見ているが、言い返せない。なぜなら、円野見に言われたことが真実だと信じかけているからだ。
額に手を当てて黙っていたカグチが、こちらに手を差し出してきた。
「君たちが、二枚の紙を用意していたということは? 紙をすり替えたりしたかい?」
カグチの言うことは正解だった。普段どんなパフォーマンスをしているのか花柳から聞き取り、準備をしていた。手順としては単純で、まず文字を書いた紙はぴったり2枚が重なったものだ。習字の授業で使う半紙の束から静電気でくっついた紙をノートに挟んでおく。そして、円野見が文字を書き、丸める動きをするときに2枚を引き剥がす。そして、2枚目の紙をカグチに渡し、1枚目の紙をこっそり尊斗に手渡す。受け取った紙を手の中に握り込んだ尊斗は、誰よりも早く容れ物に駆け寄って手を突っ込み、まるで中から取り出したように紙を見せればいい。和室で何度か練習したが、所詮子供騙しだ。それでも、理想に
疑うカグチの目の前に、円野見は紙を目の前に突きつける。
「紙は実際に僕が書いたものですし、それをあなたはしっかりと受け取りました。疑うのなら、字をよく見てください」
「……細かい字の違いは、僕にはわからないよ。君は事前に同じ文字を書いていたのかもしれない」
「教主様なのに、何もわからないとは恐れ入ります。わからないけど、僕がイカサマを使ったと主張したいのですね。では、僕のノートを見ますか、鞄を探りますか、身体検査をしますか。構いませんよ、無力な教主様のために協力しましょう」
「……いや、いいよ」
自信満々でさあどうぞと腕を広げる円野見に、カグチは諦めた。実際、調べられたところで2枚目の紙は燃えてなくなったし、ほかに尊斗たちは小細工をしていないので証拠は見つからない。
諦めたカグチに円野見はすかさず追求する。
「では、あなたは失敗したということですか?」
「……君の心があまりにも頑なだったようだから、紙が燃えなかったみたいだ」
「つまり、失敗したということですね。あなたはそもそも力を持っていなかった。そうでしょう?」
「いや、そういうことではない。今回、たまたま失敗したんだ。私は確かに救いの力があり、実際に多くの人を救っている」
「実際に僕は救われていません」
「……私は浄火できる!」
とうとう穏やかな教主の顔を崩したカグチが、乱暴に腕を振った。すると、ぼんっという音とともに容れ物から勢いよく火が上がった。勢いを失くしていた信者たちがわあと嬉しそうな声を上げて拍手する。
しかし、円野見はそれらを冷たく切り捨てた。
「そもそも、あれって遠隔操作で火を出しているだけじゃないですか?」
「……君もわからないのに、私の出鱈目を疑うのかい? そもそもあの容れ物はガラス製で、機械なんかどこにも見当たらないよ」
「手品動画で見た脱出トリックがあって、それはテーブルの下に鏡を置いて何もないように見せてたんです。あれにもそういう仕掛けがあるのでは?」
「証拠がないだろう?」
「じゃあ、あの容れ物を僕の目の前で割って見せてください」
種も仕掛けもあるに決まっている以上、容れ物を壊すことができるはずもない。
カグチは薄笑いを浮かべて誤魔化そうとする。
「そこまで疑うのかい? なら、初めから僕の力を見たいなどと言わなければいいのに」
「最初ぐらいは貴方のステージに乗って上げてもいいと考えたんです。しかし、あまりお粗末な手品だったので」
最初から否定しても、信者たちの気持ちを揺らがすことなどできない。一度同じステージに乗ってこそ、こうして今揺さぶりをかけられているわけだ。尊斗は味方の立場であるが、円野見が空気を支配する鮮やかな手業を見ていると冷や汗が出てくる。
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