5 花蘇芳の願い

第23話 集会所への切符

 学校のない日曜日だというのに、尊斗は通学するときと同じバスに揺られていた。いつもは通勤や通学の人で埋まる席もがらんとしている。尊斗は流れる車窓を眺めて、はやる気持ちを落ち着かせようとしていた。

 花柳によると、トモシビの会の月1の定例会が今日行われるらしい。教主のカグチの下に信者たちが集まり救われる日だという。そこに尊斗は飛び入り参加しなければならない。そう考えるだけで、心臓がばくばくとうるさいぐらい鼓動を打った。

 駅前に着いて尊斗はバスを下りた。待ち合わせ場所は駅の切符売場前の柱になっている。そちらへ近づいていくと、既に円野見が柱にもたれて待っているのが見えた。こちらに気づいた円野見がいつもの平淡な調子でおはようと言う。格好は、休日だというのにお互いに制服だ。


「休みって気がしねえ……。制服着て、しかもお前の顔を見るなんてよ」

「決行日であるから気分は休みではないな。制服は安全策だ、諦めろ」


 トモシビの会の集会に向かうに当たって、二人の素性は既に前回ばれているので隠す必要がない。また、高校生という立場が一目でわかるほうがいいと言ったのが円野見だった。高校生ということで相手を油断させ、また問題が起こったときに迷わず保護してもらえるようにらしい。欠点は、制服で問題を起こすと学校から滅茶苦茶に説教されることだ。

 落ち合った2人は駅から移動する。花柳とはまた違う場所で合流することになっていた。駅から一本裏に入ったところにある駐輪場だった。あそこは駅前ほど人通りが多くない。遠目に花柳が立って待っていることがわかった。

どうにか落ち着こうと深呼吸する尊斗に、円野見も緊張しているのかいつもよち低くかすれたぼそりと呟いた。


「……どうなろうとやるしかない。頼りにしてる」

「うぜぇ、プレッシャーかけてくんじゃねえよ。……じゃ、事前に話してたとおりだ」


 念のために小声でやりとりしてから、尊斗は両手をポケットに入れて前屈みになり、大股で足音荒く花柳に近づいた。待っていた花柳は、眼前にまで迫ってきた尊斗に肩をきゅっと縮めて身を固くして、散り際の花のような弱々しさで上目遣いになる。


「あの、こんにちは……」

「ドーモ、先輩。休日にまで、わざわざごくろうさまッス」


 フェンスのほうへ追い詰めるようにして、尊斗はガンをつける。じりじりと身体を引いて、がしゃんとフェンスに足がぶつけた花柳は、しおれた花のように視線を怯えた様子で地面へと落とす。駅のほうから電車が風を切る音がわんっと遠くから響いてきた。

 後ろからゆっくりと追いついてきた円野見が、まぁまぁと仲裁するようにして間に立った。しかし、花柳をかばう仕草を見せるでもなく、逆に上から威圧するように振る舞う。


「こんにちは、花柳先輩。ところで、以前のお話のこと考えてくれましたか?」

「その、何のことですか……?」

「知らないふりですか? だったら思い出せるようにもう一度話します。あのカグチって人が恐喝まがいのことをする詐欺師だということをネットに広められたくないなら、俺たちの言うことに従ってくださいという話です」

「ち、違います! カグチさまは、そんな人ではなくって……」


 花柳が反論をしてきたタイミングで、尊斗は自分の人相の悪さとでかいガタイを生かして凄んで見せた。特に意識せずとも、あの詐欺師を思い出せば尊斗の顔も凶悪になった。


「こっちは怪我までしてんだよ。何が救いだってんだ、あのクソ野郎がよお!」


 心のままに吐き捨てて、尊斗は右手を開いてみせた。あの日の火傷のような跡はすっかり消えて治っていたが、今日のためにわざわざガーゼを貼ったのだ。

 示し合わせたように、円野見が持っていたスマホを揺らす。


「怪我をした証拠写真も残っています。この事実を基に、ネット上にあなたの言うカグチさまとやらの真実の姿を広めます。もちろん、それは先輩が僕たちを無視したらの話ですが」

「真実って……カグチさまのことほとんど知らないでしょう?」

「正直、真実か嘘かなんてどうだっていいんです。火種さえあれば、ネット上であっという間に話は広がります。今時のネットの怖さって知ってますよね。……では、先輩の答えを聞かせてください」


 それは、決定的なことは言わないが脅しだった。花柳が祈るように両手を組み、戸惑いながらも答えようと口を開いたときだった。


「や、やめろぉ!」


 ひっくり返った声が割って入ってきた。それは、丸襟のシャツに色褪せたジーンズという素っ気ない服装のげっそり痩せた男だった。疲れた顔をしているがまだ若く、学生ぐらいにも見える。尊斗と円野見が来る前からカーブミラーの柱の後ろで隠れていたことは、もちろん最初から全員知っていたが誰も口にはしなかった。

 突然現れたはずなのに誰も驚いていないという事実に、男は気づかなかった。必死に尊斗と円野見から、花柳を引き離そうとする。


「あ、灯ちゃんに近づくなっ」

「どちらさまですか?」

「灯ちゃんのと、とも……トモシビの会で同じく信者をしている者だ」

「ああ。あの狂った集団の一員ですか」

「黙れ! カグチさまのことを馬鹿にするな! あの方は、お前らみたいな糞餓鬼や頭の悪い教師や本当の価値も見極められない有耶無耶なんかよりもよっぽどすばらしいんだぞ! 俺の隠れた才能だって、あの人はすぐわかってくれた!」


 興奮して妙に甲高くなった男の声が人通りの少ない道に響いた。頭に血が上りすぎたせいか、信者の男はうふふっと口の端から謎の笑いを漏らしている。尊斗は気味悪く感じて身を引いたが、円野見は冷静に様子を観察していた。


「なるほど。あなたが先輩と知り合いということはわかりました。でも、この場において部外者なのは変わりませんよね。お引き取りください、話の邪魔なので」

「じゃ、邪魔だって! お前らのほうが世の中のゴミのほうが邪魔なくせに! ふん、馬鹿と話しても意味がない! 灯ちゃん、行こう!」


 後ろで立ちすくんでいた花柳の手首を信者の男がつかもうとしたので、すかさず尊斗が腕でガードしてそのまま払いのけた。そんなに力を入れたつもりではなかったのだが、男はふらふらっとたたらを踏んだ。そして、すぐに耳まで赤くして唾を跳ばしながら怒鳴る。


「ぼ、暴力だな! 警察を呼ぶぞお!」

「警察ですか。いいですよ、呼んでください。こっちにも怪我の証拠写真があるんです。あの胡散臭い集まりを警察の人に取り締まってもらったらいいんじゃないですか。……連絡しないんですか? 僕はしてもらっても構わないです、できるものならですが」

「く、くそくそくそ! 本当にこれだから、調子の乗ったガキは嫌いなんだよ! こんな奴らがでかい顔してるなんて、まじで世の中腐ってる!」


 警察を呼ばれたらこちらの計画がつぶれて困るというのに、円野見は一切の動揺を見せずに淡々と男を煽る。尊斗は思わず呆れた顔になりそうになって、頬の内側を噛んだ。すっかり冷静さを失った男は、こめかみあたりに青白い血管を浮かせていた。今にも飛びかかってきそうだが、体格で負けている尊斗をちらちらと気にしてどうにも思いきれない様子だった。

 そこで、円野見がとどめの一言を突きつける。


「やはり、カグチなんていうホラ吹きに騙される集団の一員だけあって、大したことないんですね。もう行ってもいいです。興味がないので、見逃します」

「うるさい、黙れ黙れ黙れ黙れえ! 俺を馬鹿にするな! カグチさまの力は本物なんだあ!」

「本物? 証拠は? 証明できますか?」

「本物だ! 見せてやる! 証明してやるよぉ! ……カグチさまの力を見て、びびって逃げるなよ」


 急にすとんと正気を取り戻した男は、尊斗と円野見を見てにやにやと勝ち誇ったように笑った。その急激な変化と笑いに気味悪さを感じながら、尊斗は円野見と花柳と互いに目配せをした。

 いままで黙っていた花柳が一歩前に出る。


「今日、トモシビの会の集会があります。そこで、実際にカグチさまのお力を見れば納得できると思います」

「わかりました。そんなに言うなら見せてください。それで納得したら、僕たちも引き下がります」

「はい……。では、案内しますね」


 そう言って、花柳はくるりと身体の向きを変えて、先導するように歩き始めた。その半歩ほど後ろをついていく信者の男がしきりに大丈夫かと声をかけるが、花柳は笑ってかわしているようだった。尊斗と円野見もおとなしくその後ろをついていく。

 ここまでが、第一段階だった。

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