第20話 飲み込めない温度

「じゃあ、そういうことで」


 淡々と落ち着いた声で円野見は作戦会議を終了させた。しゃべって喉が渇いたのか、また水筒の中身を飲もうとしている。

 ごちそうさまを言った尊斗も何かを飲みたい気分になったが、水筒は鞄の中に入れたままで持ってくるのを忘れてしまった。あいつが急げというからだ水分補給する円野見を横目で見る。


「先輩、近くに自動販売機とかあるっすか?」

「自動販売機なら3号館の入り口横にあると思います」

「そうっすか」


 しかし、また庭を通って自動販売機で飲み物を買うより、このまま教室に戻って水筒のお茶を飲んだほうがいいような気がした。話し合いも終わったし帰るかと尊斗が考えていると、喉を潤したばかりの円野見が持っていた水筒を差し出してきた。


「良ければ飲むか? 中身は水道水だが、それでもいいなら」

「いらねぇ。誰かさんがかしたから置いてきただけで、教室に自分の茶があんだよ。お前の施しは受けねえ。つうか水道水ならそこの蛇口をひねって飲む」

「蛇口から直で水を飲むのは不衛生じゃないか?」

「んなもん、手で受けて飲めばいいだろうが」


 また一方的な言い争いが始まったところで、花柳がすっと立ち上がった。


「あの備品を使ってもいいよと言われているんです。大浦君を呼んだのは私だし、お茶を淹れてきますね。円野見君ももしよかったら」

「んなつもりじゃなかったんすけど……」

「せっかくなのでもらいます」


 尊斗は遠慮しようとしたが、円野見が欲しいと言ったのを聞いて、花柳はちょっと待っててねと足早に奥にある台所のほうへ行ってしまった。

 その背中を見送って、一瞬しんと静かになる。


「お前、そんなに茶が飲みたかったのかよ?」

「水道水よりはお茶のほうがいいな」

「ああ、そうかよ……」


 花柳がいなくなって少し気楽になった尊斗は、あぐらをかいたままごろんと後ろに倒れた。畳の匂いがする。このままだと寝てしまいそうだが、食べた後にすぐ寝たら牛になると祖母に言われたなと薄目を開けた。

座布団の上で正座している円野見のほうをちらりと寝転がったまま見上げた。


「お前、何でそんなに乗り気になったんだよ?」

「この計画に? 昨日も言ったと思うが、あのカグチって人が見ていられないからだ」

「そう言うわりには、正してやろうっていう熱を感じねぇんだよ」

「正義感に燃えているわけじゃないからな。赤点のテストを隠したくなるような気持ちに近い。自分の欠点を突きつけられているようで嫌なだけだ。同属嫌悪だ」

「お前、赤点とか滅多に取りそうにないよな。……ふうん、同属嫌悪か」


 尊斗は頭の中で円野見とカグチを並べる。似ていると言えば、似ているかもしれない。まず、第一印象がいけすかない。それから、回りと比べてどこか異なった不思議な雰囲気を持っている。そして、種や仕掛けがあるかどうかよくわからないが、不思議なことを起こすことができる。

 まぁそうかもなと尊斗が返すと、そうかと言った円野見は自分で言ったくせに少し嫌そうな声色だった。声に感情が乗ったことに驚いて、思わず尊斗はひじをついて頭を起こした。しかし、表情を隠すように円野見は顔を窓の外の庭へ向けてしまった。


「子どもの頃って万能感があるだろう。僕は催眠術も使えたし、得意になって助けてやろうと思ってた時期があった。それで、失敗した。だから、カグチを見ていると苛々する」

「ふうん、お前にしてはマシな理由じゃねえの」


 正義感に溢れる答えをされたら協力も拒否しかねない心持ちだったので、思ったより個人的な理由だったことに尊斗は少し好感を持てた。円野見の人間的な部分が見れて、安心したというのもある。

 窓の外を見ていた円野見は庭を見るのを止め、足を抱えて体育座りになった。その膝の上に重たそうに自分の頭を乗せて逆に尊斗に質問してくる。


「君はどうしてだ? 気に食わないとは言っていたが、理由は何だ?」

「気に食わないのに理由とかいんのかよ。そんだけでいいだろ」

「……君、僕にだけ言わせるつもりか」


 そう言われて、尊斗はがりがりと首の後ろをかいた。言いたくないが、こっちだけ聞いているのも不公平に感じる。いけすかない奴に引け目なんて感じてるほうが面倒くさいと尊斗は判断した。


「だから、不思議な力とか何とか出まかせ言って騙すペテン野郎が大嫌いなんだよ」

「ああ。そういえば、君初対面から僕のこと嫌っていたもんな」

「今でも気に食わねぇ寄りだよ。……でも、まぁそうだな」


 言い淀んだ尊斗に、円野見の目が向けられる。何もかも見通すような目だ。落ち着かない。だが、既にばれているのなら隠している意味もないのではないかと、そんな気の緩みも尊斗の中に生まれた。だから、ぽろりと口にしてしまった。


「俺のばあちゃんが騙されたんだ。これであなたお孫さんが救われますなんていう怪しい水盤を買わされた。俺が夜な夜な好き勝手暴れていたら、そんな糞野郎なんかにばあちゃんが騙されちまった」

「そうか。……君、おばあちゃんっ子だもんな」

「んだよ、喧嘩売ってんのかよ?」

「売ってない。でも、そうか。だから、君は頑張っていたんだな」


 円野見の言葉に思わず尊斗は言葉を失ってしまった。まさかそんなふうに言われると思っておらず、またその言葉の響きにぞわっと総毛立った。いままで、誰にも頑張っていると言われずに済んでよかったとさえ思った。


「気持ち悪ぃ。どういうつもりだ、てめえ」

「え……ああ、そういうものか。僕はそう言われたかったんだけどな」

「頑張ってるねってか? 頑張ったところで、結果がなきゃ意味ねぇだろ。結果がなきゃ、その途中の行動だってやらなかったのと同じだ」

「そうだったかもしれないな。でも、僕はその結果の過程にも意味があったと思っていたい」

「褒められて伸びたいタイプってやつかよ」

「そうかもしれない。君、結構的を射たことを言うな」


 適当に言った尊斗の言葉に、円野見がいつもと変わらない表情で大真面目に頷く。意味わかんねぇと尊斗がぼやいていると、背後からかちゃかちゃと器のぶつかる音がした。


「手間どってしまってごめんなさい。お湯を沸かすのに時間がかかってしまって」


 木製のお盆を持った花柳が、3つの湯呑み茶碗を乗せて戻ってきた。畳の上に寝転んだ体勢のままだった尊斗も起き上がる。

 はいどうぞと渡されたのは、湯気のたった緑茶だった。尊斗の冷えきった指先には、火傷するような熱さに感じる。口を近づけたが、飲む前に熱すぎると湯呑み茶碗を離した。喉が渇いているのに、尊斗には飲めなかった。横でじっくりお茶を味わって飲んでいる円野見が憎たらしいほどだった。

 お茶を持ってきた花柳が、心配そうな顔で上目遣いに様子をうかがってきた。


「あの、大浦君、大丈夫ですか? 口に合わなかったかな」

「いや、別に」


 口に合わないも何もまだ飲んでいない。しかし、熱いのが飲めないなんて言いたくない。幼い頃から、うどんを食べるときもばあちゃんに冷まし用の小皿を用意してもらっていたが、子どもっぽいので尊斗は家の外では隠してきていた。

 口の中に唾を溜めて、尊斗は決心した。ぐいっと一気に。


「……あっちぃ!」


 そういうことに催眠術を使うのは無理だと円野見に断られて、尊斗はひりひりと火傷した舌のまま教室に戻り、授業を受けることになった。しゃべり方が少しカタコトになってしまい、大笑いした洋司の鳩尾に軽く拳を入れておいた。

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