第19話 和室の作戦会議
「花柳先輩もいるし、少し催眠術について説明しておくか。歴史的な話でいうと、メスメルという人物が始まりらしい。ちょうどマリーアントワネットがいた頃のフランスで催眠療法を流行させた。けれど、国に医学的根拠のないものと認定された」
「つまり、昔いたホラ吹き野郎が催眠術の始まりだったってことか?」
「完全なホラというわけではない、きちんと効果が見受けられることもあった。ただ、調査した結果、それらの治療効果は人々の想像力によって引き起こされたと結論づけられたんだ」
「想像力ぅ?」
尊斗は想像力という言葉に顔をしかめたが、静かに話を聞いていた花柳はなるほどと納得したように手を打った。
「プラシーボ効果、みたいなものですか? ただのビタミン剤でも、効果のある薬だと思えば病気に効いてくるっていう」
「それに近いと思います。メスメルはいかにも権威のある立派な人物に見える服を着て、香を焚いて、音楽をかけ、快適で薄暗い部屋に治りたいと望む患者を集めて治療した。それらしい場所で、それらしい格好に、それらしい振る舞いをして、それらを望む人々に暗示をかけた。逆にそれら全てが揃わなければ催眠術は成功しない」
「想像力っても俺にはそんなもんねぇぞ。それでもお前の催眠術に引っかかっちまったんだが?」
いままでもっと親御さんの気持ちを想像しろだの、こうなることを想像できなかったのかだの、想像力がないからこんなことをするんだの言われてきた尊斗は、想像力がない自分では催眠術にかからないはずだろうと主張した。
しかし、円野見はいいやと否定する。
「想像力というのは、例えば小説を読んで情景が浮かぶとか、登場人物の心情に共感するということばかりではないんだ。……なんと言えばいいか、僕の感覚ではこうありたいと信じる気持ちがある人間は催眠術にかかりやすい。冷静で客観的に物事を見る人はかかりづらい印象があるな」
「誰が向こう見ずな馬鹿だって?」
「君、本当に言葉の裏の悪意を読もうとするんだな。それも一つの想像力だ」
「これこそ想像力じゃなくて、お前がさっき言ったパターンの問題だろ」
想像力がないと言われてはきたが、そもそも想像力なんてものを持っていないほうがいいと尊斗は思っていた。想像力豊かなんて言われた日には馬鹿にされているように感じる。単純にダサい。
頑なに受け入れようとしない尊斗に、円野見は箸に刺しっぱなしだったプチトマトを噛りながらまた別の例えを出した。
「もっと単純に考えていい。技術としての催眠術はメスメルからとされているが、その原理はもっと昔からあったと思う。聖書の中には、手を患部に当てると病気が治ったという記述がある。そこにも信じるという意味での想像力があったと言える。君は痛いところに手を当てられて、気分が楽になったことはないか?」
「そんなもん……」
尊斗は箸を持っている自分の右手を見下ろした。昨日赤く腫れていた手は一晩ですっかり良くなっていた。軟膏のおかげもあるだろう。ただ、祖母が自分の手を乾いた手で撫でた感触によってましになったことも覚えていた。
尊斗の視線の先に気づいた花柳が明るい声を出した。
「そういえば右手良くなったんですね。安心しました」
「ああ。どうもっす」
尊斗は手のひらを隠すように箸を握って、弁当箱のあと残り少しを口の中に運んだ。
いつの間にか弁当を食べ切っていた円野見は、水筒を傾けて食後の一服をしていた。
「話は長くなったが、催眠術を確実にかけるに当たっては相手に信じさせなければいけない。その下地をつくる手伝いを、大浦と花柳先輩にお願いしたいんだ」
「そうはいっても、昨日だって信者どもに催眠術かけてただろうが」
「あれはタイミングが良かったし、混乱状態だったからだな。……あのカグチって人がちゃんと対応すればすぐに収まっただろう催眠だ。当然信者は僕より教主のほうを信じる。そうなったら僕の催眠術は効かない」
思い返してみると昨日の円野見と花柳の登場は唐突であり、カグチも少し状況に混乱している様子だった。しかし、昨日の出来事を踏まえて、カグチは円野見を警戒するだろうことは尊斗でも簡単に予想できた。
「カグチ自体に催眠術はかけられないのかよ?」
「このままでは無理だと思う。少し見ただけではあるが、彼は自分の力を強く信じているようだったから。ああいうタイプは一度自信を崩すところからやらないと」
「で、そこを俺たちに手伝えってか」
「そういうことだな。そこについて作戦を立てないといけない。それでいいですか、花柳先輩も」
お伺いを立てる円野見に、花柳はこくこくと頷いた。
「私も頑張ります。最初にお願いしたのは私だから、ちゃんと私が責任を持ちます」
「ありがとうございます。早速なんですけど、カグチの弱味とかって知っていますか?」
「弱味、ですか……」
円野見に突然尋ねられて、ううんと花柳は考え込んでしまう。人の弱味と言われても、すぐに思いつくものでもないだろう。なかなか弱味を言えないでいる様子の花柳に、尊斗が助け船のつもりで声をかけた。
「弱味がわかんないなら、無理に引き出さないでもいいっすよ。幼い頃からの付き合いっても知らないことがあって当然――」
「私、ちゃんと知ってますっ!」
急に大声を出した花柳は、はっと我に返って恥じらうようにうつむいて表情を隠してしまう。言葉を遮られる形となった尊斗はそうっすかと小さく返事するしかできなかった。
ごめんなさいと花柳が風に揺れる花がたてる音ようにかすかな声で囁いた。
「必死になっちゃってごめんなさい……。だって、私がずっと側にいて、ずっと見ていたのに」
追い詰められた先の命綱であるかのように、花柳は空になった紙パックを両手でぎゅっと握った。べこんと紙パックがへこむ。
最初に質問をした円野見が、それじゃあと続きを促す。
「先輩の知っていること、些細なことでもいいので、弱味を教えてください」
「はい。……きっと、私が一番知っていますから。私だけが、知っていることだって」
顔を上げた花柳は清らかな花のような微笑を浮かべて、過去の幾つかのカグチとの話をした。
「そうですね。カグチさまは人の期待に応えようとして、断れない人でした。児童館のボランティアに来ていた頃から、子どもたちにやってとせがまれたことは何でもやろうとして、それで木に登って落ちたこともありました。……私の前ではとても子どもっぽいところも見せてくれたんです」
「なるほど。ほかには?」
「ほかだと、ちょっと大雑把なところがありますね。インスタントコーヒーを淹れるとき、いつも適当に入れちゃったりして。味が薄いなんて言うこともありました。……教主になった今は、女性信者なんかにお世話されていますけど」
「そうですか。ボランティアのときってあの人も学生でしたよね。何を専門にしていたとか覚えていますか?」
「たしか児童心理だったと思います。でも、ボランティアにばかり来て、あまり大学に行ってるようには見えませんでした。……こっそり私には勉強が苦手なんだって愚痴を聞かせてくれました。理論よりも直感派なんだなんて言ってました」
花柳が次々と話すそれらは、カグチを打ち倒すための弱味というよりは、幼い頃の笑える失敗談に尊斗は感じた。こんなものが役に立つのかとも思ったが、作戦の要である円野見は重要なことがわかったような顔でうなずいている。
「ありがとうございました。助かりました」
「どういたしまして。こうやって自分だけの思い出話を他人に教えるのって、何だかくすぐったいですね」
「……先輩は本当にカグチのことを大切に思っているようですけど、僕たちに協力していいんですか」
最終確認のように、円野見が花柳に質問をする。ちょうど同じことを尊斗も考えていた。花柳の口から語れる思い出には熱が籠っている。先輩から言い出したことだが、これほど好いているのにカグチに対して敵対できるのか。直前になってやっぱり嫌だとなるかもしれない。
そんな疑いを、花柳は力強く否定した。
「不安にさせたのならごめんなさい。でも、私は絶対にやります」
「無理はするべきじゃないと思います」
「私、悲しいんです。私のカグチさんが、みんなのカグチさまになって……でも、それだって私が原因なんだから」
何度聞いても、決意は変わらないようだった。それ以上は円野見も聞かなかった。
花柳の話を基にして3人で詳細作戦を立てていく。誰が、どうやって、何をするのか。それは、3人で頭を突き合わせて話し合うのに、尊斗は奇妙な感覚になった。お互いにお互いがよくわからないまま、普段交じり合わないような人間同士が流されるようにして集まっているからかもしれない。
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