第18話 測りかねる距離

 職員室を出て、二人は待ち合わせ場所に向かう。部活動を行うための教室が集められた3号館が目的地だと円野見は言った。


「花柳先輩が秘密の話し合いにぴったりの場所を確保したと連絡をくれたんだ」

「へぇ。てか、どうやって連絡取り合ったんだよ。直接伝えに来られたら、また騒ぎになんだろうが」

「昨日の時点で連絡先を交換しておいたんだ。知りたいなら、あとで君も教えてもらうといい」

「いや、俺はいらねぇ……」


 花柳の連絡先と聞いて、尊斗は真っ先に大袈裟に身をくねらせながら紹介をねだってくる洋司が思い浮かんだ。そんな面倒になるぐらいなら知らないほうがいい。


「お前、よくあんな目立つ先輩と連絡先交換できるよな」

「まあ、確かにあの先輩は目立つな。……あの先輩って、さっきのプリントのあの人に似ているな」

「似てるって……何かよくわかんねえけど花の枝折ったやつか?」

「花蘇芳の枝を折った女性だ」

「文章だけで似てるも糞もねぇだろ」


 そもそもしっかりと読んでいない文章だから、国語の問題の人物像なんてうすぼんやりしている。尊斗がやっと思い出したのは、問題の女性が美しいとされている人物だったくらいだ。


「あー、美人ってことか? お前にもそういう感性ってやつがあったんだな」

「当然あるが。僕を何だと思ってるんだ?」

「得体の知れねぇ奴。人間に紛れ込んだ妖怪」

「……平凡な人間のつもりなんだけどな」

「お前が平凡なわけねえだろ」


 話しているうちに、本校舎から渡り廊下で繋がっている3号館が目の前に見えてきた。昼の練習をしているところもあるのか、開いた窓から楽器の音色が響いてくる。

 渡り廊下に差し掛かったところで、先を歩いていた円野見が急に方向転換した。3号館を無視し、コンクリートで固められた道から外れて、土の上を上履きで進んでいく。


「おい、どこ行ってんだよ」

「こっちのほうが人目につかず入れるらしい」

「……騙されてんじゃねぇだろうな?」

「こんなことで騙したところで、あっちも困るだけだろう」


 迷いなくどんどん進んでいく円野見の背中に舌打ちして、尊斗も続いていく。舗装されていないため、転がっている小石を蹴り飛ばし、伸びている枝をよけて、突然目の前に現れたクモの巣を手で払いながら進んでいかなければいけない。その先に竹で出来た柵が現れた。そこを乗り越えると、砂利の敷かれた日本庭園風の庭があった。


「あ、いらっしゃい。迷わず来れたようで、よかったです」


 そして庭の縁側で待っていたのは、約束相手である花柳灯だった。射し込む日光を遮るように額の上あたりに手をかざして、目を細めている。その立ち姿は庭に一輪咲く花と見間違うほどだったが、生憎この場にはそう褒め称える人間が存在しなかった。

 花柳は、こっちと二人を屋内へ手招きした。


「上履きを脱いで、中に入ってください。私以外には誰もいないですから」


 障子を横に引いて、奥に示されたのは畳の敷かれた和室だった。靴を踏石の上で脱いで室内に上がるとお茶の匂いが漂ってきた。


「茶道部の友達に、和室を貸してもらいました。内側から鍵もかけていますし、ここでなら内緒話もできると思います」


 そう言いながら、花柳は座布団を渡した。ありがたく受け取ったそれを畳の上において、二人は座った。花柳も自分の座布団の上に正座する。その手には、リンゴジュースの紙パックが握られていた。


「二人ともお昼まだですよね。食べながらお話ししましょう」

「そうですね。昨日に引き続き慌てて食べたくはないので」


 円野見は持っていた紺色のランチバッグから見覚えのあるステンレス製の弁当箱を取り出した。蓋を開けるとみっちり詰まった白米、唐揚げやブロッコリー、プチトマト、端の焦げた卵焼きと彩り豊かな中身だった。

 尊斗も自分の膝の上に乗せた弁当箱を開ける。キャベツと豚肉の味噌焼きに、のりを巻いた卵焼き、きんぴらゴボウ、きゅうりと昆布の酢漬け。白ご飯の上には甘辛く煮たじゃこが乗っている。相変わらず一面茶色だった。


「いただきます」


 手を合わせた尊斗が食べ始めると、横からの視線を感じた。きゅうりをぽろぽり奥歯で噛みながら、なんだよとこちらを見る円野見を睨む。


「いや……君は、偉いなと思って」

「喧嘩売ってんのか?」

「僕に売るほどのものは何もないよ。食事前にきちんと挨拶するというのを最近はしてなかったと思ったんだ。いただきます」


 何口か既に口にしていたようだったが、円野見が改めてというように両手を合わせた。からかわれているのかと尊斗は思ったが、そのまま黙々と食べ始めた様子を見て、ふんと鼻を鳴らすのにとどめた。

 がつがつと弁当をかきこむ男子2人の向かいで、ちょびちょびとリンゴジュースのストローに口をつける花柳は、片手で皺の寄ったプリーツスカートを手で伸ばしながら口を開いた。


「それで、えっと昨日も話していたトモシビの会をどうするかについてなんだけど」

「……俺たちの目的は、あいつらがもう活動できないようにするってことで合ってるんすよね?」


 ごくりと口の中のものを呑み込んで、尊斗が尋ねる。まず、そこが一致していないと話にならない。それに対して、花柳は少し躊躇いながらもこくりと頷いた。


「そうですね。私は、カグチさまを嫌いにはなれないけれど、このままじゃいけないと思っているんです。だから、今の活動をやめてほしい」

「じゃ、ゴールはそこっすね。で、あとはどうやってやるかってことっす」

「うん。だけど、それをどうすればいいかがわからなくて」


 うつむいた花柳の顔に艶やかな黒髪がさらさらと流れてきて、憂鬱そうな絵画的横顔をつくる。尊斗のほうも解決案は浮かんでいない。そこで、食べてばかりいる円野見に話を振った。


「昨日あんだけ偉そうに話してたんだから、お前は何か手を考えてんだろ?」

「まぁ、考えはなくもない。成功するかどうかはわからないが」


 箸を動かすのを一旦止めて、円野見は背筋を伸ばした。


「例えばあの場所を使えなくするとか、信者の心を離れさせるとか、そういったものは一時しのぎでしかない。場所を移し、また異なった人を集めて、同じようなことをするだろう。なら、狙うのは大元しかない」

「カグチの野郎をどうにかするって?」

「そうだ。あの人の心を折るしかない」


 はっとかすかに息を飲む音がした。見ると、花柳が両手で口元を覆っていた。飲んでいたはずのジュースのパックがスカートの上に転がっている。


「先輩、中身こぼれてませんか?」

「あ、えっと、うん。大丈夫みたいです」


 円野見に指摘されて、花柳は慌てて紙パックを手にとって、倒れないように畳の上に慎重に置いた。その指先はわずかに震えているようだった。


「これには先輩の協力も必要です。僕は非友好的方法しか思い浮かばないので、これが駄目なら助けにはなれません」

「うん……。私、誰にどう思われようとも、やってやると心に決めていますから」


 膝の上で両手を祈るようにしっかりと組んだ花柳は、こくりと一つ頷いた。その覚悟を聞いた円野見も、顔色を変えないまま頷き返す。


「なら、心を折るという方向でいきましょう。……もちろん、大浦の助けも借りるつもりだ」

「俺にもちゃんといいかどうか聞けよ。つうか何させる気だよ。お前、また催眠術ってのを使う気だろ?」

「僕ができることはそれしかないからな。だが、前にも言ったように催眠術も万能じゃない」

「そうか?」


 あの空間のいた全ての信者の頭をおかしくさせて操っていたカグチに対峙して、あの熱に浮かされた信者たちの頭を一瞬で円野見は冷やしてしまった。もうこいつ一人でどうにかなってしまうのではないかという目で尊斗が見ていると、一人では無理だともう一度円野見は否定した。


「何が無理だって? 人の心を読んでおいてよぉ」

「催眠術は人の心なんて読めない」

「じゃ、今のは?」

「パターンの問題だ。君だって、僕が全部話す前に喧嘩を売っているのかと言い出すことがあるだろう。それと同じだ」

「ふぅん? そのパターンってのが正しいってことは、やっぱお前俺に喧嘩売ってたんじゃねえのか?」

「違う、喧嘩は売ってない。そういうことじゃない」


 食事中でなければ胸ぐらをつかんで揺さぶってやりたいぐらいの気分だったが、尊斗は苛立ち紛れに白米を一気に口の中に入れてわしわしと咀嚼した。軽く身をのけぞらせていた円野見はふうっと息を吐いて、自分の弁当箱の中のプチトマトを箸で突き刺した。

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