第15話 種と仕掛け

 息を整えようとしている小さなつむじを見下ろしながら、尊斗は首の後ろをかこうとして、ぴりっと手に走った痛みに舌打ちした。同時にさっきまでのことが頭に蘇る。

 まんまとカグチにいいようにされるところだった。円野見が来て助かったが、あんな情けない瞬間を見られたくなかった気持ちもある。そもそもどうしてあんないいタイミングで現れたのか。


「で、何でお前はあそこにいたんだよ。手助けする気はねぇって言ってただろうが」

「もちろん、そのつもりだった。……ただ、教室を一つずつ覗いて僕たちを探そうとしている花柳先輩を見つけたからな。もちろん、君も探されていた」

「あ?」


 思わず上げてしまった尊斗の声に反応するように古い電灯がぶぶっと音を立てた。学内でも有名な花柳灯が探していたとなれば、ただでさえ煩わしかった洋司がますます喧しく騒いだだろうことは想像できる。


「だから、大きな騒ぎになる前に花柳先輩と話をしたんだ。その点については、君は僕に感謝してくれてもいい」

「しねえよ。そもそも昼の時点で結構な噂になっちまってるし……ってか俺ばっかりでお前は何で全然話題になってねぇんだよ」

「僕は品行方正に目立たず平穏に生活しているからな。とはいえ、流石に花柳先輩が直接名前を出して僕を探しているとなるとそうはいかないだろうが」


 好き勝手話す二人に、やっと息を整えた花柳がごめんなさいと萎れた花のようにうつむく。月の隠れた夜であっても、電灯の光をまとった彼女は輝いていた。

 しかし、それを見る二人の男子は面倒くさそうにして、お互いの顔を見合わせた。


「話を聞いてほしいということだったから、人目のつかない屋上で少し話を聞いていた。そこで一度だけでもとお願いされて、僕はあの集会に連れていかれたってわけだ」

「どうしても諦められなくて……迷惑だとはわかっているんですけど」

「はぁ、そうっすか」


 迷惑とわかっていてやってきているのなら、今更迷惑だと言ったところでどうしようもない。非常に面倒だ。

 ところでと今度は円野見が尊斗のほうに目を向けた。


「君こそ何であそこにいたんだ? そっちこそ関わらないと言っていただろう」

「んなの知らねぇよ。……適当にぶらついてたら、あのカグチって奴に声をかけられたんだよ」


 実際は適当にぶらついていたわけではないが、そこは誤魔化して尊斗は話した。円野見もそこについては突っ込まず、あの教主かと呟いた。


「何で声をかけられたんだ? 正直なところ、あのご婦人と違って、君はカモにはならなそうだろ」

「そんなのあいつに聞けよ。君は救われるべきだの、かわいそうだの、急に意味不明なことぬかしやがって……!」


 思い出すだけで苛々しすぎて尊斗の頭が痛くなってくる。ぶつぶつ文句を言っていると、花柳の声が控えめに上がった。


「あの、多分カグチさまはあなたのことを助けたいと本当にそう思って、声をかけたんだと思います」

「は?」


 思わず強く聞き返した尊斗に、花柳は肩をすくめて縮こまってしまった。しかし、尊斗としても自分をこんな目に遭わせた詐欺師を擁護する言葉は聞き逃せない。

 ぴりぴりとした空気を振り払うように円野見がさっと二人の間に入って、尊斗の手を指差した。


「それで君の手のほうはどうなんだ?」

「手? 違和感はあるけど、どうなってるか暗くてよくわかんねぇな」


 いまだひきつるような痛みが尊斗の手に残っている。外灯の光で照らしてみると、まだ火傷のような赤みがうっすら浮かんでいた。

 そこへ不意にスマホが向けられて、フラッシュとともにシャッター音がした。突然写真を撮った円野見は撮れた写真を無言で淡々と確認する。あまりの早業に尊斗は口を挟むこともできなかった。


「おい、いきなり何なんだよ!」

「一応証拠というか手がかりとして撮っておこうかと思って。熱いと言ってたが、実際あの男に何をされてたんだ? 後ろからはよく見えなかった」

「何って言われてもよくわかんねえよ。なんかイカサマを使われたのは、わかるけどよ」


 思い返したところで種も仕掛けもわからない。不思議な力なんてあるわけないが、あの瞬間はカグチの力によって目に見えない火で手を焼かれたのだとしか思えなかった。

 じりじりと僅かに痛む自分の手のひらを睨んでいると、スマホを鞄に戻した円野見が軽い調子で冗談を言う。


「本当にそういった力を持っていたという可能性もゼロではない。世の中は広いからな」

「は? 催眠術使うやつが言うとシャレになんねぇんだよ。くだらねえ冗談やめろ」

「催眠術関係ないだろ」


 円野見は関係ないとか言うが、いくら催眠術が現実的な技術と言われてもいまいち尊斗には不思議な力との区別がつかない。実はまだ少し疑っているところがある。

 そこで、ぴんと思いついた。


「催眠術だ、そうだよ。催眠術で火傷させたりとかできないのかよ」

「……囚人に暗示をかける実験で、冷たいスプーンを押し当てて火傷を負わせた事例というのを読んだことがある。やったことがないから断言はしかねるが」

「じゃあ、やっぱそれだろ! あいつも催眠術使ってんじゃねぇのか!」


 これだと思って尊斗は声を上げたが、円野見は自分も使う催眠術のことだからか、納得いかないような反応を見せる。尊斗の赤くなった手をじっと観察して、他に考えられるものを挙げてくる。


「大浦の手に残された痕を見るともっとほかの方法も考えられるんじゃないか。例えばあの男の手袋に何か肌がかぶれるようなものがついていたとかだ」

「手袋?」


 そう言われて、カグチがあのときわざわざ手袋を装着してから手を握ってきたことを思い出した。あの手袋に何か仕掛けがあったからだと考えると納得はできる。催眠術よりもあり得るかもしれない。


「でも、手袋でどうやって火傷させんだよ?」

「例えば長芋やマンゴーに触るとかぶれて、火傷に似たような赤い発疹ができるだろう。僕の想像ではあるが、そういったかぶれる成分が手袋に付着していたために君の手は赤くなった。つまり、君の手は火傷したんじゃなくかぶれたんだ」

「そういうことだったのか……」

「いや、これは僕の想像だから事実ではない。あり得るという話だ」


 円野見にはそう言われたが、訳のわからない力があると言われるよりは尊斗にとってはずっと理解できる。やっぱり、種も仕掛けもありやがった。

 それならと、あのカグチと信者たちの異様な密室空間でのことを思い返した。


「カグチの手から白い煙がのぼったのは?」

「煙? 君の見間違いでないなら……そういえば指をこすると煙が出るっていうおもちゃがあったな。そういう方法もあり得る」

「じゃ、ランプの火が勝手に点いたのは?」

「なんでもかんでも聞かれても、僕だってわからないんだが。……仮に考えるなら、ランプが遠隔操作でどうにかできる機械なんじゃないか?」

「なんだよ。やっぱ、イカサマじゃねえか」


 あんな偉そうな態度していたカグチも、裏ではこそこそ工作をしていたというわけだ。それを救うだの何だの言いやがってと、尊斗は舌打ちをする。

 でも、これで全部説明がつくし、解決ができると思えばどうということはない。足の痺れも、手の痛みも、肌の上に残った気持ち悪い感触も全部帳消しだった。


「だったら、あの信者どもの前でイカサマだってバラせばどうにかなるんじゃねえの?」

「それは無理だろう。さっき言ったのは全部こじつけのようなものだ。仮に全部当たっていたとしても、彼らはそう簡単に解散しない」

「何でだよ?」

「彼らが心底あのカグチという人に心酔しているからだ。彼がカラスを白だと言えば、あの人たちは白だと信じるだろう。僕たちが外側から言ったところで、声すら聞こえないだろう」

「そんなの、……どうしようもねぇだろ」


 信じてしまった人をどうすることもできないのは、尊斗もよく知っている。信者たちの目はおかしかった。彼らの目には、カグチが神様に見えているのだ。祖母と同じだ。

 苛立ちまぎれに道に捨てられていたビニール袋を蹴ったが爽快感はなく、逆に足にまとわりついてきて鬱陶しい気持ちになっただけだった。

 信じてしまった人が現実に戻ってくることなんてあるのだろうか。うつむいた尊斗はこちらを見上げていた花柳と目が合った。


「……先輩は、あのカグチって奴の信者だったんすよね? どうやって目を覚ましたんすか?」

「私? えっと、厳密に言えばちょっと違うかな。目が覚めたって感じじゃなくて……」

「あの団体を解散させてほしいんすよね? あれは冗談だったとか言うつもりっすか?」

「それはそうなんだけど、でも、嫌になったからとか恨んでるとかじゃないんです……」


 もごもごと言いづらそうにしていた花柳は口を閉じてしまった。気まずそうに視線をそらして、落ち着きなく指先で唇をなぞっている。まるで強風に怯える花だった。ただ、尊斗は花を見て感傷を覚える性質ではない。じっと見つめて答えを待つ。

 刺さる視線に負けた花柳は、そろりと口を開いた。

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