第13話 招かれた集会所
改装をしているのか、古いビルのわりには中は綺麗で明るかった。白いタイルの上に折り畳みのパイプ椅子が幾つも並べられていて、年齢、性別、服装がばらばらの人々が座っている。彼らがみんな揃って身を乗り出して見つめる先には、赤い布が敷かれた一段高い台の上に立つカグチだった。にこやかに微笑みを浮かべる彼の背後の壁には、炎が揺れるさまを描写しているシンボルマークのような水墨画が飾られている。
「皆さん、こんにちは。本日も皆さんの顔が見れて、嬉しいです」
そうやって挨拶をすると、カグチさまカグチさまと並ぶ信者が口々に唱えて、手を合わせたり、涙ぐんだり、膝をついて頭を下げたりしている。
彼らの顔を上から見渡して、そしてカグチはうんとうなずいて、血色の良い手のひらを見せた。それを合図にしんと静まり返る。
「大丈夫。あなたは、私が救います。苦しみ、悲しみ、不安、絶望、全てを私が浄火しましょう。あなたは幸せになれるのです」
わあっと歓声と拍手、そして暑苦しい熱気が、後ろに立つ尊斗まで飲み込んでくる。窓は締め切られて、深紅の分厚いカーテンによって外と遮断されているせいか、空気が薄いように感じた。
息苦しさから逃れるように尊斗が一歩下がると、扉ががちゃんと閉じる音がした。外にいた女性信者が扉を閉めたようだった。満足に息もできない密室空間に、尊斗は唾を飲み込む。指先が凍ったように冷たく感じた。
「さて。今日は、新しく招いた子がいます。慣れていないでしょうから、温かく見守ってあげてください。ええっと、そういえば名前を聞いていなかったな。君、こちらに来てくれ」
カグチが真っ直ぐに尊斗を見て呼びかける。瞬間、周りの信者たちが一斉に振り返ってじいっと目を向けてくる。自分とは何かが違う異質な瞳に取り囲まれながら、居心地悪く尊斗は前に出ていった。
まるでどこぞの国の王様のように、左右にガタイのいい信者を控えさせたカグチが両手を広げて尊斗を迎える。
「君の名前は?」
「……いきなり連れられてきて、名前を言う馬鹿がいんのかよ?」
「ああ、ごめんね。いきなりで怖がらせてしまったかな」
「馬鹿にしてんのか、てめぇ?」
「さっきも言ったけれど、私はカグチ。人を救う仕事をしてるんだよ」
「こんな狭い部屋で? 闇医者でもしてるってのか?」
「あはは、そういう漫画でも読んだのかい? 面白い発想だけど、お医者さんではないかな。さて、どういうふうに説明すればわかってもらえるだろうね」
どれだけ馬鹿にした態度で口汚く罵倒しても、カグチはな姿勢を崩さずに笑うだけだった。尊斗は乾いた唇を舐めて、目の前の相手を油断なく睨み続ける。カグチはどうしようかなと顎に手を当てて考えている。
あれほど熱狂的にカグチを賛美していた信者は、尊斗の発言を聞いても反応はしなかった。それどころか、しんと静まり返っており、パイプ椅子のきしむ音がいやに響いて聞こえる。尊斗の背中を黙ってじいっと見つめているようだった。背中をつうっと嫌な汗が流れていく。
「神様なんて大それた呼び方をされることもあるけど、私は授かった力を使っているだけなんだ。実際にいつもの風景を見せたほうが早いかもしれないね」
カグチがそう言ったのをきっかけに、ガードマンのように控えていた両隣の信者が動いた。壁際に置かれていたクーラーボックスのような形の箱をぱちんと開けて、中から筒状のものを何本も取り出し、それらを座っている信者たちに配っていく。信者たちは、それらを頭下げながらありがたそうに両手で受け取った。
尊斗が観察したところ、それは少し携帯型のランプスタンドのようだった。火が燃え移らないようにするためか、上部に透明の覆いが被せられている。
「皆さん、ランプは持ちましたか。……苦しいこと、つらいこと、全てをそこに押しつけてしまってください、さぁ」
そう促されて、信者たちは手の中にある何も灯っていないランプを力強く握りしめ、ぶつぶつとつぶやいたり、顔をしかめて唸ったり、貧乏ゆすりをして椅子をがたがたと揺らしたり、それぞれやり方は違ったが信者たちはみんな怨みつらみを吐き出し始めた。空間が歪むのではないかと思うほどの負の感情に満ちた空間に、尊斗は信者たちから一歩距離を取った。
その肩に、熱いほどの手が乗せられる。
「大丈夫。よく見ていなさい」
振り払う前にカグチの手は離れ、彼は一番手前に座っていたすすり泣きながらランプを抱えている信者の前に膝をついた。そして、前準備のように両手を合わせて擦りはじめた。すると、その手からふわふわと煙が上がりはじめる。見間違いかと尊斗は目をこすったが、確かにそこに白い煙が見えた。
手を擦り合わせるのをやめたカグチは、さぁと優しく声をかけながら、信者の震える両手を支えるようにして自分の手で包み込んだ。
「君の悲しみは溶けていく。火が灯ったのなら、もう大丈夫。よく見てごらん」
カグチが力強くそう言ったときだった。
ぽっとランプがひとりでに灯った。ゆらゆらと揺れる赤い光が、先ほどまで暗い顔で泣いていた信者の顔を明るく照らす。
「ああ、ありがとうございます。ありがとうございますありがとうございます、カグチさまっ!」
目から涙を流しながら、しかし信者は口角を上げて何度も喜びと感謝の声を上げた。手を離したカグチは微笑みながら頷き、立ち上がった。
そして、両手を天井へ広げて信者たちに呼びかける。
「さぁ、全てを吐き出して。私の火が全てを溶かしてしまいましょう!」
すると、信者たちの熱気は増していき、はっきりと誰かの名前を憎々しげに呼び、椅子を蹴り飛ばして立ち上がり、首もとまで真っ赤にして言葉にならない声で泣き叫ぶ。そうしていくうちに、ぽつりぽつりと信者たちのランプに火が灯っていく。すると、歪んだ顔はすぐさま笑顔になり、恨み言はカグチを讃える言葉へと変化する。
カグチはそんな信者たちの顔を一人一人見て回っていった。なかなか火がつかない信者に手を差し出すと、すぐさまその手の中のランプにも火がついた。そうやって信者たち全員のランプに火がついた。誰もが笑い、感謝を述べている。暗い顔なんてものは一つもない。負の感情はランプの火によってすっかり燃やし尽くされたようだった。
尊斗は思わず口元を手で覆った。一見すると幸せそうであるのに、どうしてこれほど気持ち悪い光景なのか。理由が自分でもはっきりとしなかった。ただ、信者たちが口の端から泡を吹きながらする感謝を聞いていると、さっきまで吐いていた呪詛の言葉よりももっと鳥肌が立つ気がした。
そんな尊斗の真正面にカグチが立った。
「大丈夫? 少し、気に当てられすぎたかな。水でも飲むかい?」
尊斗の顔色を見たカグチは、眉を下げて心底心配だというふうな顔をする。先ほどランプを配っていた信者の一人に水を取ってくるように指示を出した。言われた信者は、壁際の段ボールからごそごそとペットボトルを取り出す。ラベルには、この部屋の壁に飾られていた水墨画と似たようなものが描かれている。
「さぁ、どうぞ」
「みず……」
「そうだよ。火と水は相容れないようでいて、切っても切り離せない要素なんだよ。これも私の炎で蒸留して清めた水で――」
差し出されたペットボトルを尊斗は大きく腕を振りかぶって叩き落とした。べこんと鈍くペットボトルがへこむ音とともに床を転がる。
胃の底がひどく冷えて、吐き気そうだった。喉元まで気持ち悪いものが上がってきて咳き込んだが、酸っぱい味を飲み込んだ尊斗は吐き捨てた。
「黙れ、詐欺師野郎! てめぇがそうやってインチキで人を騙して、金を巻き上げようって腹の中で考えてるのはバレてんだよ!」
尊斗は、水盤を買ってきた祖母の顔を思い出していた。毎朝聞こえてくる水の流れる音が耳の奥から聞こえてくるように感じて、冷たくなった指先で耳を覆う。何もかも消えてしまえばいいと世界を呪った。
転がったペットボトルを目で追いかけていたカグチは、そう怒鳴った尊斗の顔を見てにっこりと微笑んだ。
「なるほど。それが、君の浄火してほしいものなんだね」
ぱんとカグチが両手を打った音が、思いの外大きく部屋に響いた。気がつくと、あれほど熱狂して喜んでいた信者たちがしんと静まり返って尊斗たちを見つめている。怒るでも嘆くでもなく、透明な瞳がこちらを映していた。
警戒する尊斗の目の前に、赤い手のひらがかざされる。
「それでは、君の気持ちも浄火してしまおう。そうすれば、君の凍った心は楽になるはずだ。信じられなくても、一度だけ試してみないかい?」
近づけられた男の手が、まだ触れていないのに熱く感じた。いつのまにか尊斗は汗をびっしょりかいていて、塗れた前髪が額に張り付いていた。
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