第12話 カグチさま
その怪しい集会が行われているであろう場所は、具体的には書かれていなかった。書き込みした人も必死で逃げていたため細かいことがわからなくなったのかもしれない。ただ、白い雑居ビル1階の飲食店から出たところ勧誘され、逃げるときに近くの電機屋のチラシ配りをしていた店員とぶつかったとあった。
スマホの地図で確かめると、駅向こうには電機屋は3店舗ある。その周辺にある白い雑居ビルを探して尊斗は歩いた。それらしき雑居ビルに入ってワンフロアずつ確認する。しかし、なかなか見つからない。怪しい宗教団体がそのまま堂々と看板を出すわけもないだろうから、見逃しているのかもしれない。
尊斗は空を見上げた。ビル向こうの端のほうが赤くなってきている。随分時間がたったようだった。時間を確認すると、祖母が夕飯の支度をする時間だった。
「次のビルだけ見て、帰るか……」
わざわざ労力と時間を使って、特に何も得ることができなさそうな現状に、尊斗は舌打ちをした。良いことをしたいわけではない。ただむしゃくしゃするからやろうと思っただけだ。だが、見つけたところで殴り込むわけにもいかない。補導なんてされたら、また祖母が訳のわからない詐欺にすがってしまうかもしれない。……なら、何のためにこんなことをしているのか。
目星をつけた白い雑居ビルの前で、尊斗は足を止めた。そもそも関係のない話だった、そう尊斗自身もそう言った。学校内の憧れの存在らしい花柳に心動かされたわけではない。正直なところ、尊斗はあの先輩が苦手だった。
「馬鹿みてぇ」
もう一度考え直してみると、そもそもこんな行動に価値も意味もなかった。どうでもいいことを衝動的にやってしまった自分が、尊斗はひどい馬鹿のように思えた。いつまでたっても正解がわかるような賢い人間にはなれない。
帰って、そして何もなかったことにして忘れる。そう決めて、尊斗は踵を返した。目の前のビルの中に入って調べる気にももうなれない。
「ねぇ、大丈夫かい?」
それが、最初自分に向けられた言葉だと尊斗は気づかなかった。幼い頃を除いて、ほとんどそんな言葉を自分にかけた人物はいなかった。
「ねぇ、君だよ、君。大丈夫かい?」
「は?」
肩に手をかけられて、反射的に強く振り払った尊斗は相手を睨んだ。声をかけてきた不審人物は、柄の悪い尊斗に対して怯えるでもなく、穏和そうな顔に笑みを浮かべた。それが薄気味悪く、尊斗は威圧するためにさらに顔を凶悪に歪めた。近くを歩いていた通行人が避けていく。
「なんだ、てめぇ」
「ごめんごめん。急で驚かせたよね。でも、どうしても見過ごせなくて声をかけてしまったんだ」
「は? ……あんた、私服警官って奴か? 喧嘩もやってねぇし、べつに煙草も好きじゃねえし、酒もしねえ。これから帰るつもりだから深夜徘徊もしねぇよ」
今までの経験からして、自分に声をかけてきた大人と言えば警察かと尊斗は当たりをつけたが、ははっと目の前の男は声を上げて笑った。その反応にイラッとはしたが奥歯を噛んで尊斗は暴言を飲み込んだ。
「まさか、私が警察に間違われるなんて思ってもみなかったよ。警察ではないけど、君が心配で声をかけたのは事実だよ」
尊斗はじろじろと目の前の人物を上から下まで観察する。白い清潔そうなシャツに、赤いジャケットを羽織った男は、一見すれば穏やかで誠実そうな好青年に見える。だが、まともな相手が人相の悪い柄の悪そうな少年に声をかけるわけがない。
つまり、こいつはヤバいやつだ。
「わりぃけど、あんたに心配されるようなことはねぇし、やべぇことなら手を出さねぇから」
未成年にヤバい仕事を肩代わりさせる犯罪集団がいるというテレビの特集に、祖母が気をつけなさいねと言っていたのを尊斗はわずかに覚えていた。あのときは、まさかそんな事態になるとも思わなかった。穏やかそうな好青年が誘いをかけるのが手なのかもしれない。
しかし、尊斗の警戒に男は眉尻を下げてひどく悲しげな顔をした。
「悲しいなぁ。……ああ、ごめんね。違う、違うんだ」
「もう帰りてぇんだけど」
というか、わざわざこっちが足を止めてやる必要もない。正体がどんなものであろうとどうせロクでもないのだから、走って帰ろうと尊斗は鞄を背負い直した。
「疑われたのが悲しいんじゃないよ。疑うしか術を持たない、かわいそうな君が悲しいんだ」
「……んだと、てめぇ」
逃げようとしていた尊斗は、どう考えてもまともじゃない相手の言葉を聞き流すことができなかった。憐れむふりをして、こっちを見下して馬鹿にしているようにしか感じなかった。
「一目見てわかったんだよ。君の心は凍りついている。それが君を苦しめているのだと」
「わかってたまるかよ、糞野郎! 何様のつもりだっ!」
感情のまま伸ばした手で男の襟をつかもうとして、怒りのあまり震えてつかみ損ねてしまった。反対に男のほうが尊斗の手をつかんだ。ぎくりとほど熱く感じる男の手の温度に尊斗は顔を歪める。
「私には、わかるんだ。きっと君がここにいるのも導きだよ。君は、私に救われたくてここに来たんだ」
空いていたもう片方の腕で男を突き飛ばして、尊斗は男の手から逃れた。捕まれていた手首にまだ熱が残っている気がする。気持ち悪い感触を消すために、尊斗は手を振った。それでも笑っている目の前の男は、異様だった。
建物と建物の隙間から、落ちかけた太陽の赤黒い光が男の背中を照らしている。くっきりと黒く縁取られた男の輪郭が真っ赤な世界でぼうっと浮かんでいた。
「カグチさま、こんなところで何をしていらっしゃるんですか?」
向かい合う男と尊斗の間に割って入ったのは、ビルから出てきた顔色の悪い女性だった。カグチさまと恭しく男を呼び、ちらりと横目で柄の悪そうな若者である尊斗を見る。
「この子も、今日の集まりに参加してもらおうと思ったんだよ。きっと、私の力が救いになるだろうから」
「まぁまぁ、それはそれは」
いつの間にか男によって尊斗の予定が決められていた。それを聞いて、女性が感激したように口を両手で覆っている。
怒鳴り散らしたいのをぐっと耐えて、尊斗は目の前の男の顔をもう一度注意深く眺めた。聞こえてきた名前には聞き覚えがあった。
「カグチ、さま?」
「うん、そう。名乗るのが遅れて申し訳ないな。私のことはカグチと呼んでほしい」
はっきりと男が自らをカグチと名乗った。今日、ずっと探し、ついさっき諦めようとした存在が尊斗の前に立っていた。教主というからには年老いた貫禄のある人物だろうという想像とは異なっていたが、そうだと言われると納得してしまう。気味が悪い。
カグチは腕時計をちらりと確認すると、信者らしき女性の背中を軽く押して、そして尊斗を手招きした。
「さて、そろそろ時間だ。君も一緒においで。大丈夫、もう苦しまなくてもいいんだ」
尊斗の背中にぞわっと
「あなたもおいでなさい」
扉を開けたままの女性信者が、中に入るように促してくる。じっとその目に見つめられながら、尊斗は一歩ずつゆっくりと扉をくぐった。
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