3 トモシビの会

第11話 交錯する噂

 噂というものは思った以上に早く世の中を駆け抜けていくものだと尊斗は思い知った。昼に会った先輩の花柳しかり、そして今現在のこともそうだった。


「何でそんなことになってんだよ!」


 尊斗の机の上に顔を伏せ、大袈裟に洋司が嘆いている。おーいおいとわざとらしい泣き声を言葉にして腕の隙間からこちらをうかがってくる様子に手刀を落とした。額が机にぶつかった洋司がひどいと顔を上げるが、尊斗は無視してやっと空いた机の上に自分の鞄を置いた。もう帰りのホームルームも終わった。さっさと帰りたかった。


「いつまでも俺に絡んでんじゃねぇよ。朝から言ってた彼女とやらに連絡でもしとけ」

「……だってさぁ」


 その情けない声を聞いて、尊斗は気をそらすための話題選びを自分が間違えたことに舌打ちした。これは何度も繰り返したいつものパターンだ。


「うざいってブロックされたんだけど! 小まめに連絡くれる人が安心するって言ってたのに! なんでだよ!」

「言葉どおり、うざかったんだろ」

「はあ? 勝ち組は言うことが違いますなぁ」


 鞄の中に持ち帰るワークブックとノートを入れようとしたところで、妨害するように洋司が尊斗の鞄の上に覆い被さる。舌打ちする尊斗に、いつもは宥めてくる洋司も煽るように睨み付けてくる。よほど機嫌が悪いらしい。ついでに周囲の、特に男子生徒からの視線がいつもより尊斗に刺さってくる。それもこれも、学校を駆け巡った噂のせいだ。

 学校一の高嶺の花である花柳灯が、学校一柄の悪い男と有名な大浦尊斗に身を委ねていた。間違っているわけではないが、正確でもなく、大いに人に誤解される噂だった。


「あの、美しくも儚く繊細で触れることも躊躇ためらってしまうと遠くから観賞するしかない、過激派のファンまでいる花柳先輩が、何でこんな口も悪ければ足癖も悪い強面に! くそ、いい匂いはしたのか?」

「うるせぇな」


 ぎゃんぎゃんと騒いでいるのを黙らせるために、尊斗は目の前の洋司の椅子を思い切り蹴った。うわっとバランスを崩した洋司が立ち上がって、しかしそれでも諦めずに尊斗の腕を揺さぶってくる。


「何でそんなことになったんだよ! いつから知り合いだったんだ! 恋には奥手な純情ボーイだと思ってたのに、俺を嘲笑ってたのか!」

「うざい被害妄想をやめろ。そもそも顔も名前も今日知ったんだよ。……あの先輩、そんな面倒な人だったのか」

「男子なら一度は仲間内で話題に上がる人だろ。どうやって知り合ったんだよ?」

「体調悪くしてたところを、保健室に運んだだけだ。そもそも、運んだのは俺だけじゃねぇよ。円野見の奴だって一緒だったのによ」


 あの花柳灯が、あの大浦尊斗にということばかりが噂では強調されていて、一緒にいたはずの円野見は陰すらなかった。それが納得いかない。まさか催眠術で何かしたのかと尊斗が勘ぐっていると、話を聞いてようやく落ち着いたらしい洋司が何だと自分の椅子に座り直した。


「偶然ってこと? いや、それでもうらやましいけどさ。姉ちゃんの持ってる少女マンガに、熱を出して倒れたところを助けてくれた男子生徒と恋に落ち……い、嫌だ! そんな展開、許されるのは漫画の中だけだからな!」

「おい、落ち着いたんじゃねぇのかよ。そろそろ正気に戻れ」

「……まぁ、こう言っちゃ悪いけど、漫画と現実は違うから。そこを混同してもらったら困る」

「混同してんのはお前だろうが」


 やっと持って帰るものを詰め込み終わった尊斗は、隣の席の実羽がじっとこちらを見ていることに気がついた。一緒にいる美和子も、朝より鋭い眼差しでこちらを睨んでいる。嫌な予感しかしない。

 無視しようとしてしきれず尊斗が何だと聞くと、実羽がずいっと近づいてきた。


「巡くんも一緒に先輩を助けたの?」

「そうだよ。……なぜか俺ばっか噂になってるけどな」


 幼い子供が親に向かって物を尋ねるような素直さで見上げてくる実羽に、尊斗もつい正直に答えてしまう。なるほどと満足そうに頷いているその隣で、美和子が腕を組んでふんっとそっぽを向く。


「悪目立ちって言うのよ。あんたは何をしでかすかわからないから目が離せないの」

「その割にお前はこっちを見てねえけど」

「何で、私があんたなんかを見なきゃいけないのよ。別にあんたが人助けしようが、落とし物を拾おうがどうだっていい」


 尊斗がわざわざ指摘すると、思ったとおり美和子は顔をかっと赤くして、背けていた顔をこちら側に向けた。それを見て思わずにやりと笑った尊斗に、ああもうっと美和子が首を振った。


「実羽、こんなのほっておいてもう帰ろう。今日は帰りにカフェに行くって話だったじゃない」

「うん。巡くんが相変わらず人助けするやさしい人みたいでよかった。……お話ありがとう、大浦くん。また明日ね」

「うっす」


 自分なりに満足した実羽はひらひらと手を振って、ぐいぐいと腕を引っ張る美和子とともに教室を出ていった。それを見送り、自分も帰るかと尊斗は鞄を肩にかけて立ち上がった。


「え、オーララくんも帰るの? 傷心中の俺を慰める会を開いてくれたりしないの? 具体的には、花柳先輩に俺を紹介してくれるとか」

「だから偶然助けたって言ってんだろ。紹介するも糞もあるか。つうか昼まで彼女がいたってのに、もう違う奴に乗り換えんのかよ」

「恋の痛手を癒すのは、また新たな恋なんだよ。でも、朴念仁のオーララくんには期待できないか……。しょうがない。それじゃあ、また今度ね」

「俺がお前に紹介する今度なんて一生来ねえからな」


 さっさと気分を切り替えた洋司はポケットからスマホを取り出して、何かやり取りをし始める。こういうとき、洋司は次の合コンをセッティングしている。尊斗は軽く舌打ちして、さっさと自分も教室を出た。

 ここ数年、尊斗はほとんど放課後に寄り道をしたことがない。必要最低限の用事をこなし、真っ直ぐに家へと帰る。それが一番安心できる方法だと考えていたからだ。しかし、いつもの帰り道、昨日老婦人が座っていたベンチが目に入って尊斗は思わず足を止めた。


「俺には、関係のねぇ話だろうが……」


 そう言いつつも、頭の中に渦巻いているものがある。放課後までの間に円野見が言っていたようにカグチさまとネットで検索してみた。トップに出てくるのはカグチという名前のついた社名や店名、商品などで、それらしいものがなかなか見つからなかった。カグチ「さま」とすると、古い日本の神様カグツチの伝承が出てきたが、これも違う。そこで、最寄り駅と宗教勧誘というワードで検索すると、幾つか注意喚起をしているものがヒットした。その中にカグチというワードが入っているものが1件。場所は駅の向こうで、怪しい宗教団体の集まりに連れていかれそうになったと書かれていた。

 そこまでは調べた。だが、尊斗がすることは何もない。花柳に言ったように自分一人が乗り込んでどうこうできるわけもない。そもそも関係ない話だ。なのに、帰ろうと思っても足がなかなか動かない。老婦人がうなだれていた姿が、頭の中で自分の祖母の顔と重なる。

 尊斗はポケットからスマホを取り出した。メッセージを送ろうとして、気づかれなかったことのときを考えて電話にする。しばらくコール音が響いて、ぷつっとつながった。


「もしもし、ばあちゃん?」

「もしもし? ……ええっと、どちらさまですか?」

「画面に名前が出るだろ? 俺だよ」

「俺? 俺さんのお名前は?」

「尊斗だって。別に詐欺じゃねぇよ」

「だって、今時は物騒なのよ。今度、合言葉でも決めましょうか? そういうのがいいって、テレビで言ってたの」

「わかったって。じゃ、帰ってからな」

「そうしましょうね。それで、電話のご用事は何なの?」


 電話越しにテレビの音が聞こえる。祖母はどうやら居間でくつろいでいたらしい。のんびりと問いかける声に、尊斗一度唾を飲み込んでから用件を伝えた。


「ちょっと帰りに寄るとこあるから。帰る時間が遅くなる」

「あらあらあら。お友達とどこかへ遊びに行くの?」

「いや、そんな……そんなところだよ。晩飯までには帰るから」

「わかったわ、楽しんでいらっしゃい。……お友達の名前は何て言うの?」

「ああ、えっと、円野見って奴だよ」

「そうなの。帰ったら、詳しく聞かせてちょうだいね」


 まるで自分が遊びにでも行くかのようなはしゃいだ声を上げて、マリエは電話を切った。スマホを持った手を下ろして、ため息を吐く。今は誰も座っていないベンチをもう一度睨んで、尊斗は目的地へと足を進めた。

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