第10話 先輩からのお願い

 美しい先輩を前にして、流石の円野見も眩しそうに目を細めていた。しかし、淡々とした声はいつもどおりで、落ち着いた様子で花柳に質問する。


「理由とは、僕たちがした昨日した人助けと関係しますか? 面識のない僕たちに今日会いに来るなんて、人助けの噂を聞いたからぐらいしかないですよね」

「私もちょっと耳にした程度だったんです。昨日話を聞いて気になってはいたから……学校に2人がいるって聞いたら、思わず会いに来てしまったの」

「昨日の時点で聞いて、知っていたんですか?」


 老婦人を助けたのは昨日で、事の一部始終を知っているのは当事者である老婦人とそれを迎えに来た娘さんぐらいのはずだった。横を通り過ぎた生徒たちはいたが、何をしていたのかわかるほどじっと立ち止まって見ていた誰かはいなかったはずだ。となると、選択肢は限られてくる。


「ばあちゃんの孫、もしくは知り合いなのか?」


 思いついた尊斗がそう聞くと、なぜか花柳は気まずそうに視線を明後日のほうに反らしてしまった。その様子を冷静に観察していた円野見がなるほどとつぶやいた。


「貴女は婦人を騙そうとしていた人もしくは団体の関係者ですか」

「ばあちゃんを騙そうとしていた詐欺野郎の?」


 そういえば、結局老婦人から金を騙しとろうとしていた奴がどうなったのかはわかっていなかった。まさか張本人というわけではないだろう。しかし瞬間的に尊斗の頭が沸騰した。

 ずっと花柳に握られている腕をぐいっと自分側に引っ張ると、力のない女子生徒である花柳は容易く倒れ込んでくる。その顔を覗き込んで、尊斗は感情が爆発するかしないかの瀬戸際を耐えながら聞いた。


「あんたも力とやらを信じてんのかよ?」


 違うと目を覗き込んですぐに尊斗はわかった。信じてしまった人の顔は毎日見ている。だから、彼女が騙されているわけではないとわかった。なら、どういうつもりなのか? まさか騙す側なのか?

 肝心の花柳は尊斗の質問には答えない。限界を超えた尊斗がその肩に手を伸ばしそうになったとき、それを邪魔するように手のひらが出され、円野見によって尊斗は止められた。


「落ち着け。そんな顔してたら、誰だってまともに話ができない。……先輩、僕たちは逃げる気はありません。冷静に話すためにも、先輩も手を離してください」

「あ……そうですね、ごめんなさい」


 ゆっくりと指一本ずつ剥がすようにして、花柳は手を離した。距離が離れると同時に、尊斗を制止するように掲げられていた円野見の手も下げられる。全身の緊張を緩めて息を吐き出した尊斗は円野見を睨んだが、視線は無視された。

 円野見は何を考えているのかわかりにくい表情でさてと仕切り直す。


「僕も気になって調べたんです。昨日会った婦人は、カグチさまという名前を出していました。カグチさまというワードで調べてみると、公式に情報などは出していないものの、信徒と思われる人のアカウントをネット上で幾つか発見できました。それなりの宗教団体のようですね。先輩の生米も、カグチさまの何らかの力を示すものですか?」

「そうです。私の両親はカグチさまの熱心な信徒なのです。私も一緒に集まりに参加していました」

「では、あなたたちの活動の妨害をした僕たちに、報復しようと近づいてきたんですか?」

「それは違う……!」


 あくまでも淡々とした円野見の質問に、花柳は前のめりになって悲鳴のような声で否定する。力みすぎたのか、激しく咳き込んでしまった。口元に手を当てて全身が跳ね、やっと咳が止まったときには息切れをしていた。人に踏みつけられた花のような憐れな様子だった。

 弱った様子すら疑わしく見ていたが、か細く呼吸をする先輩の姿には間違いないらしいと尊斗は睨むのをやめた。


「あんたの身体が弱いのは、本当なんすね」

「……ぶつかったのはわざとです。ごめんなさい。身体が弱いのは生まれつきなんです。これが原因で、父と母は、カグチさまのところへ入信したんですから」


 細く息を吸う花柳は、自分の肺あたりを撫でた。反対の手にはしっかりと清められたという米粒が握られている。

 彼女の意気が整って、円野見が謝った。


「すみません。責めるつもりはなかったんですが、驚かせすぎました」

「ううん。私、怪しいもの。……でも、私の目的はあなたの考えているものとは逆です。私、あの会のことをどうにかしたいんです。それをあなたたちに手伝ってもらいたい」

「手伝う?」

「カグチさまの、トモシビの会を解散させてほしいんです」


 両膝に手を当てて、花柳は頭を下げた。そのつむじを見下ろして、尊斗と円野見は思わず顔を見合わせる。目があっても特に通じ合うことはないが、お互いに困惑していることは察することができた。

 いつまでも頭を上げようとしない花柳に、円野見が顔を上げてくださいと声をかける。


「まず警察とかでは駄目なんですか?」

「警察は、動かないと思います」


 花柳が言うことに尊斗も思い当たることがあった。祖母が買ったあの水盤について、父親が警察を呼んだときのことだった。あのとき、肩をすくめた警察から半笑いで告げられた。


「俺たちが止めたあの糞みたいな詐欺も、物に対する返品や返金はできても、よほど脅しや暴力行為がない限り、あいつら自体は取り締まれねえらしい」


 結局、祖母を騙した集団は裏で暴力行為があったとかで警察に追われることになったが。

 そういう事情には精通していない円野見はなるほどと納得した。


「有名な神社でお祓いをしてもらうにもお金を払うし、それに人は疑問を持たないからな。霊的サービスにお金を支払うことを犯罪にしたら、道端の占い師も捕まえないといけなくなるのか」

「俺としては、全部根こそぎ滅亡してほしいけどな」


 つまり、警察は当てにならない。だからといってどうして自分たちなのか。尊斗は別に善行をする人間ではないし、昨日のことはたまたま気が向いただけだった。


「俺だって、あの詐欺行為をした奴らはむかつくけどな。だからって俺たちにできることなんてないっすよ。それとも、そこに行って暴れてこいって意味っすか?」

「そんなことを言うつもりはありません。……どうしてもらいたいというのは、まだ具体的には考えてないんです。衝動的に会いにきてしまって」

「何をするのかもわからねえなら返事のしようもねえっす。まあ、そもそも協力する義理もないんすけど。昨日ばあちゃんを助けたのはたまたまだったんで」


 尊斗が断ろうとすると、どんどんと花柳の頭が重力に負けたように垂れていく。不安そうにぎゅっと彼女の両手が握られた。

 しんと廊下が静かになると、遠くから昼休みの学生の騒ぐ声がよく響いてくる。3人のいる空間だけ、見えない壁で隔てられているようだった。

 すっかり黙りこんでしまった先輩の姿に、いっそこのまま無視して教室に戻ってしまおうかと尊斗が考えていたところ、口を開いたのは円野見だった。


「ご両親のことが心配なら、それこそカウンセラーとかに頼ったほうがいいのでは。団体の解散となると、規模が大きすぎてどうにもならないと思います」

「……両親も心配ではあります。でも、それじゃあ駄目なんです。どうしても、解散してくれないと」


 硬直状態を解いた花柳は、大きく首を横に振った。


「無茶苦茶なことを言ってるのは、わかっています。自分でもどうするべきかわかりません。でも、もうあなたたちしか頼るものがないんです! やっと、やっと見つけられたと思……――けほっ!」


 話しているうちにだんだん高揚していった花柳は、再び激しく咳き込んだ。長く艶やかな黒髪がばさばさと波打っている。なかなか勢いは止まらず、彼女はとうとう立っていることができずにしゃがみこんでしまった。せっかく集めた米粒がまたぱらぱらと手からこぼれていく。


「花柳先輩、大丈夫ですか? ……大浦、手伝ってくれないか。保健室まで運ぼう」

「お前が運べばいいだろ。これ以上この人に関わりたくねえんだけど」

「僕一人の場合、先輩を引きずって運ぶことになる。流石にそれはないだろう」

「お前、そんなにひ弱なのかよ?」

「……手伝ってくれないなら、無理やり手伝ってもらうが」


 こちらを何もかも見透かしたような円野見の眼差しにじわりと汗が流れる。尊斗はため息をついて、わざと大声で悪態をついた。


「ああっ! ここが学校じゃなかったら、てめぇなんて一発で黙らせてやれるのによお! そもそも催眠術とやらを脅しに使うってのは不公平じゃねぇのかよ!」

「べつに、催眠術を脅しにしたわけじゃない。それは君の早とちりもしくは勘違いだ」

「そうかよ!」


 花柳の両肩に腕を通すようにして尊斗が支え、円野見が両足を持ち上げ、ぐったりとした身体を保健室まで運搬していく。保健室にたどりつくまでに生徒が多く賑わっている廊下を通ることになり、多くの声と視線にさらされることになったが、気にしている暇があれば一歩でも速く進んだほうがいい。

 祖母と同じぐらいの年齢の保険医に出迎えられ、促されるままに保健室のベッドに寝かせた。運ばれているうちに意識を朦朧もうろうとさせていた花柳は、ぐったりと枕に頬を押し付けていた。

 一仕事終えてつかれたと尊斗が腕を回していると、保険医がお疲れさまとねぎらった。


「大変だったでしょう。どうもありがとうねぇ。この子、よく貧血で保健室に来るのよぉ」

「どうも。……やっぱ、この人って体弱いんすか」

「そうねぇ。ちゃんと病院に行きなさいとは言ってるんだけどねぇ」


 下がり気味の眉をますます下げて、困った顔の保険医が花柳の上にシーツをかけた。どうやら彼女は眠ったようだった。

 お駄賃よと保険医から飴玉を一つずつもらって、二人は保健室から出た。


「結局カグチさまってやつは嘘っぱちじゃねえか。生米とか食わされてるのにあの人全然健康そうじゃねぇ」

「どうだろう。あれで昔よりマシになってるから、先輩の両親も信じてるのかもしれない」

「は? お前、誰の味方だ?」

「誰の敵になるつもりもない。大浦は、先輩の味方になるつもりか?」

「ちげえ。カグチさまってのが俺は気にくわないんだよ」


 まだお昼を食べていない尊斗は、もらったばかりの飴玉を口に含んだ。赤い色はいちご味かと思えば梅味だった。きゅっと耳の下あたりが絞られるように痛んで、口をすぼめてしまう。

 円野見は尊斗のほうを見ずに、ただ自分の進行方向をまっすぐ見つめている。


「僕は、関わるべきではないと思う。怪しいだろ」

「あんなん怪しいに決まってんだろ。じゃ、お前はあの人のこと無視すんだな?」

「何かできる力はないからな」

「……催眠術があるのに?」


 期待を裏切られて不満だというような声が出て、言った尊斗自身が動揺してしまった。何でもねぇよと即座に吐き捨てる。尊斗の言葉どおりなかったことにしたのか、円野見は何も言わなかった。

 そこでべつに一緒に歩く必要がないことに尊斗は気づいた。


「腹が減ってイライラしてきた。俺は先に戻るぞ」


 円野見を早足に追い越して逃げるように教室へ戻ろうとしたところで、尊斗を引き留めるように声がかけられた。


「大浦はどうするつもりだ。先輩を助けるつもりか?」

「そんなわけねぇ。あの人を助けるつもりなんて、少しもねぇよ」

「……そうか?」

「何度も同じこと言わせんなよ。あぁ、くそ。お前と話してると、飯食う前に昼休みが終わるだろうが」


 円野見を置き去りにして、尊斗は早足で自分の教室へ戻った。ほとんど走るようにして肩で風を切っていく尊斗に、周りの生徒たちは道を開けるように避けていく。

 しかし、教室の扉を開いた瞬間に授業開始5分前の予鈴が鳴ってしまった。尊斗は弁当の中身を急いでかきこみ、授業担当の教師が来るまでにいっぱいになった口の中のものを必死に咀嚼する羽目になった。


「ハムスター系男子でも目指してんの?」


 からかってくる洋司に言い返すための口が空いていなかったため、椅子を蹴って抗議をすることにした。

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