第7話 教師からの呼び出し
登校した尊斗は教室に入っても誰と話すでもなく、大人しく自分の机に顔を伏せて担任が教室に来るまで寝て待つのが常だった。しかし、いつも遅刻ぎりぎりの時間に来る洋司が今日はもう席に座っている。尊斗が席に座った途端、
勢いよく振り返ってぎらぎらと目を光らせた。それを見て、何となく察しがついた。
「おはよう、オーララくん。ね、ちょっと聞いてよ」
「何の自慢話だ。昨日の合コンとやらがうまくいったのか?」
「え、何でわかったの? やっぱ幸せのオーラが漏れ出てたかなあ」
「お前うまくいったときの目付きがいつもやべえんだよ」
「え、まじ?」
尊斗が指摘すると、洋司は自分のポケットから手鏡を出して目を確認し始める。うまく合コン相手と連絡交換ができた場合、洋司は喜びと興奮の余り一晩中相手にメッセージを送ってしまう。大量のメッセージが原因で、一晩で相手からブロックされたこともあるというのに、この悪癖は直らないらしい。
「姉ちゃんのコンシーラー借りて、隈はちゃんと消してきたんだけどなあ」
「目が据わってんだよ。俺に話しかける前に寝ろ」
「ええ、やだ。自慢したい、俺の武勇伝披露したい、話した過ぎて眠たくない」
「まじでうぜえ」
寝不足なのも相まってテンションの上がっている洋司は、尊斗が睨んだところでびくともしない。本当に面倒くさいと首を横に向けると、のんびりパックジュースを飲んでいた実羽が柔らかく微笑んだ。
「おはよう、大浦くん」
「ああ、おはよう……」
実羽に素直に笑いかけられると、尊斗は無性に気恥ずかしくなる。横を向けた首を前に戻すと、にまりと気味悪い笑顔を浮かべている洋司を直視することになる。思わず舌打ちが出た。
「いつかダブルデートとかしたいよねっ」
「きもい妄想やめろ。まじでうぜぇから。こっち見んな」
「昨日、ちゃんと円野見くんの情報あげたじゃん! だから、今日は俺のコイバナに付き合ってくれてもいいじゃん!」
「俺のはそういうんじゃねぇって言っただろうが!」
テンションが高い洋司は、実羽がすぐ隣にいようがお構いなしに大声で話すからたちが悪い。直接口を閉じようと腕を伸ばすが、くねくねと体を揺らしてうまく捕まえられない。胸ぐらを掴むか、タックルするか、椅子ごと引き倒すかと物騒な選択肢を尊斗が頭に並べているところに、ふわっとした声が横から飛んできた。
「巡くんの話?」
洋司が口にした名前が耳に入ったのか、いつも積極的には話しかけてこない実羽が割り込んできた。尊斗のほうに身を乗り出し、好奇心で長いまつげ揺らしている。あっちゃあと洋司が自分の口を手で覆ったが、もう遅い。
「巡くんがどうかしたの?」
「円野見を見かけたって話だ」
「そうなの? 何かおしゃべりしなかった?」
「いや……」
話を終わらせようとするが、実羽が話題を強引に続けようとする。尊斗が無視しきれずに困っていると、丁度よく担任が教室に入ってきた。まだ朝礼のチャイムは鳴っていないが、早めに来たらしい。
「教師が来たから、話はやめようぜ」
「あれ? なんだか、今日は早いね」
担任のほうを指差すと、実羽は残念そうにしながらも自分の椅子に座り直した。ほっとした尊斗もこちらを振り返っている洋司の背中を軽く小突いて、前を向いた。
早くに朝礼を開始した担任は、いつもどおり朝の連絡事項をつらつらと述べていく。ぼうっと聞き流していたところで、突然尊斗の名前が呼ばれた。周囲の目線がこちらに集まり、つい顔をしかめてしまう。今回は何のことで叱られるのか。
「学校に連絡が来た。お前、昨日隣のクラスの円野見と詐欺被害に遭いかけてたおばあさんを助けたんだってな」
「……はぁ」
担任からの予想外の言葉に、尊斗は間の抜けた声が出た。ちらちらとこちらの様子を伺っていたクラスメイトたちが、ざわざわと尊斗を話題にささやき合っている。意外と良いやつなんだなんて誰が言ったかわからない言葉に、尊斗の胃がひっくり返りそうだった。吐き気がする。
「昼休みに校長室に行ってくれ。その件について話があるらしい……という明るい話題で朝礼は終わりだ。今日も勉学に励むように」
それで連絡事項を締めて、担任はさっさと教室を出ていってしまった。残ったのは、尊斗に対する周りからの視線とひそひそ声だった。唇を噛んで唸っていると、振り返った洋司が尊斗の顔を覗き込んできた。
「うわっ、なんか手負いの獣みたいになってんじゃん。褒められたんだから、笑えばいいのに」
「お前、手負いの獣なんて見たことねえだろ」
「そりゃ見たことないけどさあ」
ぎりぎりと奥歯を擦り合わせて威嚇する尊斗に、ちらちらと向けられていた周囲からの視線はそっと外される。しかし、不機嫌な尊斗の顔も気にしない実羽はのんびりと話しかけてきた。
「巡くんと人助けしたの?」
「……俺は助けてねえよ、良い人間じゃねえし」
「巡くんってすごいでしょ。やさしいんだよ」
「まぁ、悪いやつではなかった。すごかった、ような気もしなくもない」
気に食わないが、実羽の言葉は否定しにくかった。実際に円野見を前にすると、この世で一番嫌いなものを尊斗が信じかけてしまうほど、催眠術というのは不思議な力だと感じてしまった。これも錯覚というやつだったのかとぼんやり尊斗が考えていると、横から陽気な声が割って入る。
「いやいや、そう言ってもオーララくんにも良いところはいっぱいあって、負けないくらいやさしい奴なんだって! 例えば、ええっと例えば、どうなんだろうねえ?」
割り込んできた洋司は、円野見ばかり話題にする実羽に何とか尊斗のイメージアップを図ろうとするが、咄嗟に思い浮かばなかったのか尊斗本人にフォローの援護を視線で求めてきた。
「ないなら話すなよ。そもそも良い奴になった覚えはねえ」
「せっかく俺が助け船出してるのにさあ! その硬派だか照れだかマジだかわかんない発言やりにくいから、今は黙ってて!」
「知るか。あと、俺はマジでしかしゃべらねえ。そして、お前の助けは求めてない」
自分が良い人間だと評価されてしまうのは、尊斗は嫌だった。嫌悪感があると言ってもいい。あくまでも祖母を心配させないようにするだけだ。本当に良い奴になってしまったら、玄関に置いてあるあの最悪な代物のいいようにされていることになる。それだけは許さない。
フォローする本人にばっさり切り捨てられて、何だよと不満気に呟いた洋司が肘で脇腹を突いてきたので、尊斗も肘で押し返した。二人の会話を横で黙って聞いていた実羽は、ちょっと間を空けてからワンテンポ遅れて頷いた。
「私も大浦くんも良い人だなって……」
「――そんなわけないでしょ。猛獣が大人しくしてるだけで勘違いする人もいるけど、騙されちゃだめ!」
尊斗が良い人だと言い切る前に、背後から実羽に巻きつく腕が言葉を遮った。友人を守るように抱きしめた美和子は刺のある眼差しを送ってくるが、尊斗は反対にほっとしていた。それに気づかず、美和子はきゃんきゃんと噛みついてくる。
「本当はどんな奴か、私は知ってるんだから。子猫拾ったり、ちょっと段差につまずいてるおばあさんを助けたり、落とし物を拾ったところで不良は不良よ。実は良い奴なんていう1パーセントの美点を見て、99パーセントの汚点を見逃すなんてありえないんだから」
「俺は子猫拾ったことねえけど」
「ものの例えっ! いちいち突っ込まないでっ!」
「勝手に怒んなよ……。まぁ、いいけどな」
「もうなんなのよっ!」
なんなのよと言われても本当に何もない。適当にあしらわれたのだと受け取った美和子は耳まで顔を赤く染めて怒っていた。さらに尊斗のどこが最低か語ろうとする美和子に、見かねた洋司がどうどうと落ち着かせようとする。それはあまり効果がなかったが、実羽のもうすぐ授業が始まるよという一言でどうにか場は納まった。
「あんたが何しようと、ちゃんと見張ってるんだからね」
そんな捨て台詞を置いて、足音荒く美和子は自席へと戻っていった。まるで怪獣か何かのようだなと、口元を手で隠しながら尊斗は笑った。かすかに震える尊斗を見て、あれも照れ隠しかもしれないよと勘違いした洋司が励ましてくる。尊斗が一番息がしやすいのは、美和子の前に立っているときだった。自分の最低の本性を既に知っているから、無駄に肩に力をいれなくてもいい。これは美和子に最低と言われても仕方ない。
チャイムが鳴って、1限目の担当教師が教室に入ってきた。勉強は学生の本分である。やる気がなくとも教科書と睨みあい、ノートに文字を刻みつけ、教師の声を無理やり脳みそのしわの一つにする。
そんな作業を続けて、やっとつかの間の昼休みがやってきた。
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