32 特別な刀
どうやら
夕食の時など、他のメンツの前では
少しは信頼してもらえたのかもしれないし、単に話すのが好きなのかもしれない。どちらにせよ、一昨日まで無視されるか嫌味を言われるかだったのだから、劇的な関係改善と言えよう。
ただ、どうしても義凪が教えてもらう側になるので、羚の偉そうな態度が変わらないことだけが義凪の不満だった。
次の日も羚による猛特訓だった。
昼になって一度住処に戻り、風呂に入って食堂に向かうと、
「寒くないの?」
義凪は濡れた髪をタオルで拭きながら羚に尋ねる。その日も小雨が降っていて、昨日よりも肌寒かった。焚き火には火がついていない。
「別に」
羚はぶっきらぼうに言ったが、その直後、くしゅんと可愛らしいくしゃみが飛び出すと、ばつが悪そうに顔を背けた。
「我慢することないだろ。これで火をつければいいのか?」
義凪は近くにあったライターを手に取った。先端に、青白い小さな炎が灯る。
「あっ……」
羚が息を呑んだ、その時。
「ガウ!」
「うわっ」
いつの間にか背後にいた北斗の吠え声に、義凪は飛び上がった。
「先輩ごめんなさい、ライターの調子が悪くって」
今度は調理場から走ってきた梢が、義凪の手からライターを取り上げた。
「今、温かいスープを持って行きますから」
「あ、うん……」
呆気に取られていた義凪が向き直ると、羚が気まずそうに視線を泳がせている。義凪が見たことのない、不安そうな様子の羚。
今度は北斗に目線を向ける。睨まれている気がした。
「俺運ぶよ」
義凪は羚の様子に気が付かないフリをして、梢のいる調理場へと向かう。
義凪の意図を察した梢は、スープとおにぎりの乗ったトレイを渡す際に声を落として言った。
「羚ちゃんは火が怖いんです」
言われてみれば食事の時、羚はいつも丸太の端に座っていた。会話にもほとんど入らず、焚き火から目を逸らして食事を摂っていた気がする。そして誰よりも早く食べ終えて、さっさと姿を消していた。
(そうだよな……三年前、あの山火事の中に居たんだもんな)
遠く離れた自宅で山火事を見た義凪でさえも、あの炎は恐ろしかった。
「わかった。ありがと」
義凪はトレイを受け取り、一呼吸ついた。そして普段通りの表情で振り返った。
「おーい羚、食べるぞー」
義凪が丸太に座った後も、羚はどこか落ち着かない様子でおにぎりを齧っていた。気まずい雰囲気が漂う中、調理場から戻ってきた梢がお茶を注ぎながらにこやかに話しかけた。
「ねえ、羚ちゃん、義凪先輩に訊きたいことがあるんでしょ?」
どきりとした羚の顔が赤くなる。
「私が代わりに訊こうか?」
「いいっ、訊くなっ」
「なになに?」
「なんでもないっ」
義凪が身を乗り出すと、羚がキッと睨む。
ふふ、と笑った梢は、お茶を二人の足元に置いて立ち上がった。
「私、お洗濯してきますから、二人ともごゆっくり」
梢と北斗が食堂から出ていった後、義凪は膨れっ面でおにぎりを頬張る羚に話しかけた。
「なあ、なんだよ。気になるじゃん」
「……あのさ」
羚はそれだけ言って暫く黙っていたが、やがて小さな声が届いた。
「……どうやったら、そんなに背伸びるの?」
予想外の質問に、義凪はしばらく意味を理解できずに固まった。
「……え、身長のこと?」
「やっぱり、牛乳? 牛乳なのか?」
追加の質問でようやく理解すると同時に、義凪は思わず吹き出した。くっくっく、と喉を鳴らして笑うと、顔を真っ赤にして羚が怒鳴る。
「なんだよ! こっちは真面目に訊いてんだけど!」
「ごめんごめん……」
義凪は目尻の涙を拭いて呼吸を落ち着ける。羚も前のめりになった体を引き、フンと鼻を鳴らしたが、顔がまだ赤い。
「牛乳はフツーに飲んでたけど、特に意識したことないな。俺は子供の頃から背が高い方だったから」
飛び抜けて背が高い奴がどの学年にも二人くらいはいるもので、それには及ばないまでも義凪は平均より背が高かった。そういえば背の順で並ぶと必ず後ろに瑞樹がいたなと思い出して、懐かしくなる。
「そう……なのか」
明らかにしょんぼりした羚の様子に口角が緩みそうになるのを必死で堪え、義凪は続けた。
「なんでもたくさん食べる方が大事だと思うけどな。あ、好き嫌い多いのか?」
「ちげーよ。なんでも食ってるけど伸びないんだよ」
羚はぶすっと膨れて言う。
「でも羚は別に背が低いわけじゃなくて、平均くらいだろ? 男子の成長期ってこれからだって言うし、そのうち伸びるんじゃないか?」
「……それじゃ遅いんだよ」
視線を落として呟く羚は、どこか遣る瀬無さを感じさせた。なぜそんなに身長を気にし、そして急ぐのか、義凪はすぐに解った。刀を持つためである。
「羚は刀なくても十分強いし、刀持つとスピード落ちるからこのままの方がいいんじゃないのか?」
羚はとにかく速い。森の中を移動する速度は一族の中でいちばん速いし、身軽で体も柔らかいので、義凪の攻撃は擦りもしない。動体視力も相当のものだろうが、正確無比な回避が可能なのは高い身体能力あってのものだ。
そしてその速さは蹴りの威力も高めている。体重が軽い割に羚の蹴りは重いのだ。
さらに義凪が痛いほど実感しているのが、刀の重さだった。今まで竹刀しか持ったことがなかった義凪は未だに真剣の重さに慣れておらず、刀を提げている時ですら負荷になる。このハンデによって羚の持ち前のスピードを殺してしまうのは、甚だ惜しい。
「……解ってるよ」
ボソリと呟いた羚の表情を見て、本人も自覚しているのだと義凪は確信する。それでも刀を持ちたいと願わずにいられないのは単なる憧れか、それとも。
「なんでそんなに刀に拘るんだ?」
羚はふいと顔を背けた。暫く黙ったままだったが、やがて小さな声で呟いた。
「アンタ、その刀大切に使えよ」
「え? ああ、もちろん」
「本当にわかってんの?」
羚は義凪の方に向き直ると、ずいと顔を近づけて睨みつけた。気迫に押された義凪は思わず上半身を仰け反らせる。
「この一族の刀鍛冶はもういないから折れたら終わりなんだからな? 刀は数本しか残ってないし、それに……」
「……それに?」
言葉を切った羚が再び外方を向いてしまったので、義凪はその先を促す。
「それは
羚は目を合わせずに言った。
「そうなの!? 檜さんそんなこと全然言ってなかったぞ!? そんな大事な刀、なんで俺が使ってんの!?」
「知るかよ! とにかく折ったら承知しないからな! もし折ったら山頂のお化け杉に一晩逆さ吊りにしてやる! ってか、いつまで飯食ってんだよ、訓練の時間がなくなるだろうが!」
破竹の勢いで叫ぶと羚は食堂から出て行ってしまった。
お化け杉がどんな木なのか気になるがそれはさておき、義凪は今や愛用していると言っても過言ではない日本刀を見つめた。
檜から渡された時から新品でないことはわかっていた。しかし、それが稲葉家の亡き長男の形見だとは夢にも思わなかった。きっといずれは、羚が使うつもりだったのだろう。
(そりゃあ、部外者の俺が使っていたら怒るよなぁ……)
そんな大切なものを檜が義凪に使わせた理由として考えられるのはただ一つ。
羚に刀を諦めさせたかったのだろう。
(それにしても、俺って知らないうちに手玉に取られたり憎まれ役を押し付けられたり……なんだかなぁ)
長い溜め息をつきながら肩を落とす。せめて誰か先に教えてくれよと文句の一つも言いたくなるが、教えられていたら、それはそれで尻込みしていただろう。
それに、檜がそれだけの理由で大切な刀を預けたとは思いたくない。
義凪はまた一つ決意を新たにし、皿を持ってすっくと立ち上がった。
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