27 初陣(一)
敵が動いたのは早朝だった。
これを纏うことで、一族の一員とまでは言えなくとも、味方として受け入れられたような気がした。自分が勝手に思っているだけかもしれなかったが。
義凪が命じられたのは、社で
今回は守られる側じゃない。体が震えるのは恐怖だろうか、それともこれが武者震いというものだろうか。
今回も
(唯、大丈夫かな)
もう傷は治っていると言っていたが、怪我をする前と同じように敵に挑めるものなのだろうか。
俺たちは、心がある人間――。
檜が言った言葉を思い出す。
しかし、義凪に他人の心配をしている余裕がないことも事実だった。己の剣術がにわか仕込みであることは、自分が一番よく知っている。きっと障壁での防御が中心になるだろう。
それでも今、自分にできることをやるしかない。
(守るために、戦う)
社の
さらに奥の扉の向こうには京と
「あまり気負うなよ。前回のような機械が相手だったら楓に任せろ。刀で太刀打ちできる相手じゃない」
「わかりました」
要に向かって義凪は力強く頷く。
遠くで猛獣の咆哮が聞こえた。前回はキメラの数が多すぎて対処しきれなかったことが唯の負傷に繋がったらしい。義凪は敵の数が少ないことを願った。そして、できれば人間の敵がいないことも――。
遠吠えが聞こえた。北斗だ。
「義凪、来るぞ。人間だ」
心臓がドクンと大きく脈打った。刀の柄をギュッと握ると、手に汗をかいているのがわかる。
瞳を閉じて大きく深呼吸をし、そしてゆっくりと目を開けた。
ガサガサと林床の草木が揺れる音がした直後、迫り出した床の下から何者かが飛び出した。
義凪は慎重に相手の動きを見る。キメラ以外の攻撃は銃弾の可能性が高いと事前に要から言われていたからだ。
障壁を張る瞬間を見極める。
違う、銃じゃない。
(相手も剣だ!)
刀を横に構え、障壁で振り下ろされる剣を受けた。義凪はまだ真剣での防御の仕方を習得していない。構えた刀は、障壁が耐えきれなかった時の保険だった。
相手は後ろに飛び退くと、一回転して迫り出した床の先端に着地した。
過去の襲撃で社に現れた二人はゴーグルやサングラスをしていたが、今回の相手は全く顔を隠していなかった。体格の良い男で、年齢は三十歳半ばだろうか。緩く縮れた髪を後ろで束ねており、紅白の袴のような服は侍を連想させる雰囲気がある。右手に握られた剣は義凪と同じ、片刃の日本刀だ。
男は刀を構えずに、左手を前に差し出した。
「私には君たちを傷つける意思は無い。その奥のものをこちらに渡してほしい」
滑舌の良い、よく通る声だった。
投降を促すという予想外の展開に義凪は動揺した。先程の一撃も柔らかく、本気の重さは感じられなかった。
「断る。お前らのやっていることは略奪だ。帰れ、二度とこの山に立ち入るな!」
義凪の後ろでフードを取り払った要が声を張った。濁りのない声が空気を震わせる。
「君たちはその奥にあるものの真の力を知っているのか? ここに眠らせておくべきものではない」
「何もわかっていないのはそっちだ。お前らに扱えるものではない」
侍風の男が負けじと声を張り上げるが、要も全く怯む様子はない。男は顔を顰めた。
「なぜこんな子供だけになってまで守ろうとするのだ。私は君たちを傷つけたくはない。大人しく渡してくれ」
「よくもそんな事が言えるな、俺たちの家族を皆殺しにしたのはお前らだろう」
男と要の間で、義凪は刀を構えたまま立っていた。緊迫した空気に固唾を呑む。
目の前の男はこれまでの二人とは明らかに違う。力強い声と目には威圧感があるが、こちらを見下す様子はない。誠実そうで、はっきり言って悪人には見えなかった。
男は残念そうに頭を振った。
「……埒が明かないな」
「お前らが諦める以外の選択肢はない」
「君たちは家族と同じ目に遭いたいのか」
「そのつもりもない」
男は義凪越しに、再度要を睨んだ。
「もう一度言う。宝玉を渡してくれ」
「断る」
要がきっぱりと言い放つと、男は僅かに目を伏せた。
「そうか……。ならば仕方ない」
義凪は刀を構え直した。
(来る!)
男が一瞬で間を詰めた。
義凪は横から振り抜かれた刀を障壁で受ける。男は体勢を崩すことなく、弾かれた刀をすぐに斜め上から振り下ろす。義凪はそれを見極めもう一度攻撃を受け止めた。
「やるな、少年」
間合いを取った男がニッと笑う。
一方の義凪は、先程の攻撃より明らかに重い一撃を受け止め、話す余裕など全くない。相手の動きを見逃さないよう、そして威圧感に気圧されないよう、口をキッと結んで男を睨みつける。
(大丈夫)
義凪は自分に言い聞かせる。
(檜さんや羚の方が速い!)
真剣の練習の合間に、木刀で檜や羚と試合をした。義凪はまだ刀で攻撃を受け流すことができないので防御はもっぱら障壁だったが、それでも二人の攻撃、特に羚の蹴りは障壁を張るのが間に合わないほどの速度で、腕や脛にはいくつも痣を作った。それに比べればこの男の動きは遅い。
しかし、同時に危機感もある。この男の剣撃は重く、障壁を的確に張らないと防御が崩れてしまう。障壁が破れたらきっと刀では受け切れない。
疲労が溜まる前にこちらから攻めたいが、隙が全くなかった。
「どうした、反撃してこないのか?」
義凪は黙っていた。向こうにはまだ余裕がある。挑発に乗ってはいけない。
男は一瞬力を溜めたかと思うと、義凪に向かって突進した。
激しい打ち込みが義凪を襲う。
「くっ……!」
障壁を張り損ねた攻撃を刀で辛うじて受けた。金属がぶつかり合う激しい音が響く。
このまま押されれば、後ろにいる要たちが危なくなる。せめて少しでも隙ができれば、後ろから楓が術で攻撃してくれるはずだ。
(焦るな……!)
義凪は自分に言い聞かせる。
次の攻撃を後ろに跳び退いて回避した。間合いが生まれ、義凪は止まっていた呼吸を再開した。相手の剣を受けた衝撃で手がビリビリと痺れている。
男が刀を引き、カチャ、と小さく金属音がした。
その時義凪は、足元で蠢く何かを感じ取った。
「!!」
男の足元の石床が、突然隆起した。男が横に跳び退く瞬間を義凪は見逃さなかった。
床を思いっきり蹴り、男の懐に飛び込んで左から右に刀を振る。
僅かに刀尖が掠める感触。
直後、左から男の刀が振り放たれ、義凪は紙一重のところで障壁を展開して後ろに吹っ飛んだ。尻餅をついたが、クルッと後転してすぐに体勢を立て直す。
男の左頬にできた一本の赤い筋から血が流れ、白い袖に小さなシミを作っていた。
義凪は怖いと思わなくなっていた。不思議な高揚感がある。相手に切先が届いた、その小さな成果が自信となる。
大丈夫、やれる――
しかし次の瞬間、男の鷹のような目が鋭く義凪を睨んだ時、鳥肌が立った。
体が硬直する。
飛び出した男の顔が一瞬で目の前に迫ったその時、義凪の足元が隆起した。男は石の小さな山を素早い身のこなしで器用に回避し、今度は楓をギロリと睨みつけた。
術者に気がついたのだ。
(しまった!)
義凪が地面を蹴るより、男の動きの方が早かった。
楓は杖をかざし、どこからともなく出現した石礫を五つほど男に向かって飛ばす。しかし男は移動速度を落とすことなく、目にも止まらぬ剣捌きでそれを全て弾いた。
間に合わない。
義凪は届かない手を伸ばす。
「楓っ!」
男の刀が振り下ろされる寸前、要が咄嗟に楓に覆い被さった。
刀が風を切る音とほぼ同時に赤い障壁が砕け、二人は床に倒れ込む。
要の脇腹から鮮血が吹き出した。
スローモーションで流れる目の前の光景が、一面真っ赤に染まる錯覚。
カシャン、と要の眼鏡が床の上を滑った音で、義凪の中でぷつんと何かが弾けた。
「うあああああっ!!!」
義凪は無心で男に斬りかかった。男はすかさず回避のために体を捻ったが、義凪の刀の切先が男の左腕を掠める。
義凪は間髪入れずにさらに斬りかかった。前のめりのまま、立て続けに激しく刀を振り、男はそれを受け止めるたびに後退する。
刀同士がぶつかる激しい音が、豪雨のように響き続ける。
「チッ!」
三メートル近く後退した男が一瞬の隙を突いて勢いよく刀を振り上げると、甲高い音と共に義凪の刀が宙を舞った。
(しまった!)
すぐさま振り下ろされた男の刀を、義凪は腕で顔を覆いながら咄嗟に障壁で防御した。
障壁は破られることなく、男の斬撃を受け止め切った。男の動きが一瞬止まる。
「避けて!」
楓の叫び声で、義凪は右に体を捻って床を転がった。次の瞬間、隆起した石の床が針の様に男を襲った。
飛び上がって石の針を避けた男がハッとして首を捻ると、横から羚の蹴りが弾丸のように飛んできた。それを右腕で受け止めたことで体勢を崩す。
男の頭上には、鋭い眼光を湛え刀を振り翳した檜の姿があった。
衝撃音と共に、男の周辺に土煙が舞い上がる。激しい金属音が数回響いて、煙の中から男と檜が飛び出した。
社の床の端に着地した男の手から、刀が音を立てて落ちた。
右肩から腕にかけて真っ赤に染まり、さらに右眉の上が横一文字にぱっくりと斬られ、止め処なく血が流れている。
男から離れた位置に着地した檜はすぐさま男に斬りかかったが、左手で剣を拾った男は檜の斬撃を受け流した。
そして後ろに高く跳躍すると、森の中へ姿を消した。
「羚、京を呼べ」
檜は早口で言うと男を追った。
羚が呼びに行くより早く、京と梢が扉から駆け出した。すぐに要の治療に取り掛かる。
「大丈夫だ、傷は浅い」
要は顔を苦痛に歪めてはいるが、はっきりとした口調で言った。
義凪は転がった後のうつ伏せの状態のまま、胸から上を腕で押し上げてその様子を見ていた。要の無事がわかると途端に全身の力が抜けて、そのまま床に突っ伏した。
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