19 特訓二日目

 義凪よしなぎは翌朝、午前中は自主練にするとかいに言われた。昨日の復習をしておけとのことだった。


(まあ、昨日の夜あんなことがあったしな……)


 朝食の席にかなめの姿はなかった。寝ている、としょうは言っていた。



(それにしても、どうして人質の俺にこんなに熱心に教えてくれるんだろう)


 優しさなのか、それとも自分のことは自分でなんとかしろということか。

 自主練で向かった訓練場には、きょう椎南しいな、そしてめいがついてきた。


「もしかして練習に付き合ってくれるのか?」

「うん、茗がお手伝いするの」


 張り切る茗の手には、なぜか木製バットが握られている。檜の木刀より恐ろしい気がした。


「とりあえずさ、相手がいなくても力が使えるか試してみたいんだ。いつでも使えるようにならなきゃ意味ないからさ」


 茗は少し不満そうにこくんと頷くと、義凪から離れた。


(まずは障壁から……)


 目を閉じて、昨日覚えた感覚を思い出す。そして、敵の攻撃が飛んでくるイメージをする。

 義凪を襲ったゴーグルの男。

 自分の頭を目掛けて飛んできた刀。

 目を開けると同時に手を前に立てて力を込めると、手から少し離れた位置にガラスの板のような障壁が現れた。


「よし、できた!」


 障壁は昨日よりも厚く、大きくなった気がする。

 離れた位置で見ていた京が歩いてきた。


「義凪くん、昨日より力が強くなっていない?」

「そうですか? 確かに、昨日ほど疲れない気がします」


 京は驚きを隠せなかった。昨日の義凪は術を習い始めた一族の子供程度の力しかなかったのに、今日は体から力が溢れているのが感じ取れる。


(元々強い力の持ち主なんだわ。それに蓋をしていただけで……)

「どうかしました?」


 我に返った京は慌てて微笑む。


「ううん、なんでもないの。でも無理は禁物だからね。体に違和感を感じたらすぐ教えてね」




 昼前、訓練場にゆいがやってきた。


「何してるの?」

「鬼ごっこ!」茗が楽しそうに答える。


 茗が追いかけ、義凪はそれを避ける。普通の鬼ごっこと違うのは動きが超高速という点と、小さな鬼が木製バットを振り回している点だ。訓練場の端まで使って、二人はまるでワルツを踊るように追いかけ合っている。


「あいつ、連続で避けられるようになってない? ほとんど走ってるじゃん」


 唯は二人を見守る京に声をかけた。


「そうなの、びっくりよね」

「戦力になりそう?」


 唯が京にしか聞こえないように言った。


「ええ……。でも、このまま続けていいのかしら」

「もう普通の人間には戻れないんだから、力をコントロールできないと困るのは本人だよ。その先のことは本人次第なんじゃない」


 唯はさらっと言ったが、その表情は複雑だ。


「そうね……」


 京もまた、それしか言えなかった。





 午前の自主練が終わり、昼食のために住処に戻ってきた義凪たちに檜が合流した。珍しく、京も一緒に食堂で食事を摂っている。


「全然追いつけなくなった」


 茗が不満そうに言うと、義凪が自信ありげにニッと笑った。


「結構上達しただろ? 後半は余裕出てきて楽しかったな」


(バット振りながら追いかけられて楽しいかなぁ……)

 と京は思ったが口にはしなかった。


「それにしても茗はすごいな、全然息上がってないもんな」


 義凪が言うと、茗は嬉しそうにえへへと笑った。


「持ち上げすぎちゃ駄目だよぉ。茗はまだ小さいんだから」

「唯ちゃんすぐそう言う」


 茗は口を尖らせておにぎりを齧る。


「それにしても、義凪ってほんとにどっちもイケるんだね」


 唯が言うどっちもというのは、身体能力の強化と障壁の展開のことだ。

 唯たち稲葉家の人間は、宝玉の恩恵により高い身体能力を持つ一方で術は一切使えない。だから自力で障壁を展開することもできない。


「サラブレッドってやつ?」

「……ハイブリッド?」

「それそれ」


 唯は口の中のおにぎりを飲み込んだ。


「あたしたちの他にも身体能力上げられる人って結構いるのかもね」


 要によれば、先日かえでとやり合った女もその前のゴーグルの男も身体能力を上げている可能性が高い。それが自前の魔力によるものなのか、研究所による人工的なものなのかは不明だ。


(父さんは一体どんな研究をしているんだろう……)


 自分の父親がマッドサイエンティストだったのかと思うと気が滅入る。

 義凪は気分を切り替えるように、気になっていたことを唯に訊いた。


「そういえば、昨日時雨しぐれ先輩を助けたのって森の外だろ。どうやって戦ったんだ?」

「それはねぇ、これ」


 唯は首元の紐を引っ張って、服の中からペンダント状になった赤い宝石を取り出した。


「《紅稀晶べにきしょう》っていうんだけど、宝玉の力が蓄積されてるの。これを身につけていれば森の中と同じように動けるんだよ」


 義凪は唯から受け取ったそれを天にかざした。真紅だが水晶のように透き通っていて、よく見ると中心に黒っぽいインクルージョンが混入している。

 先の戦闘で楓が展開した障壁とよく似ていた。


「これ使えばあたしたちでも多少は障壁張れるの。でも使ってるうちに小さくなって無くなっちゃうから、節約しなきゃなんだけどね」

「いっぱいあるわけじゃないのか?」

「うん、これ紅辻べにつじの巫女で特に強かった人が死んだ時に偶然できるものだから」

「へー、……え?」


 義凪は赤い石を手に持ったまま固まった。


「死んだ人の体が結晶になるの」

「つまり、これ、遺体の一部ってこと?」

「まあ、そうだね」

「肉体に蓄積された宝玉の力が結晶化すると考えられているのよ」


 お茶を飲んでいた京が横から補足した。


「埋葬しないんですか?」

「そうね、紅稀晶になったら埋めないわ。ま、風守の一族は死生観が世間一般とは違うからね」

「どう違うんですか?」

「人間が肉体と魂でできているって前に要が話したと思うけど、死んだ肉体はこの森に返すの。だから灰にして埋める。お墓もすごく簡素なものだから、結晶になる方が名誉なことって考える人もいたくらい」

「はぁ……」


 義凪は解ったような解っていないような、曖昧な返事しかできなかった。


「じゃあ、魂はどうなるんですか」

「魂は循環する。やがて別の新しい肉体に宿り、次の生命となる。輪廻転生――生まれ変わるってことね。だから私たちにはお墓参りの習慣もないし、お盆に帰ってくるとも考えない。もう次の生を歩んでいるから」


 黙って話を聞いていた茗が、檜を見上げて訊いた。


「……お父さんとお母さんの魂も、もうここにはいないの?」

「そうだな」

「せいちゃんとあいちゃんも?」

「そうだ」


 檜は茗の頭を撫でた。きっと亡くなったもう二人の兄弟の名なのだろう。


(佐伯の魂も、もう別の命になっているのかな)


 彩加あやかの顔が脳裏に浮かび、義凪は胸がきゅっと苦しくなった。





 昼食の後、訓練場にて訓練が再開した。


「平らなとこはマスターしたなら……とりあえず不自由なく移動出来るようにしたいな」

「森の中を、ってことですか」


 義凪が訊くと、檜は頷いた。

 最初にここに来た時、檜の肩に担がれ、そして酔ったのを思い出す。木々を軽々と移動していた唯たちを猿と揶揄したのは自分だ。


(俺もあんな風になるのか……)


 そこでふと疑問が浮かんだ。顔に出ていたらしく、察した京が小さく首を傾げる。


「どうかした?」

「いや、その……移動できるようになるってことは、俺がここから逃げることも出来ちゃうってことですよね」


 義凪を除く面々が顔を見合わせる。そして一斉に見つめられて義凪はたじろいだ。


「逃げんの?」


 無表情のまま訊き返した檜は、怒っているのかそうでないのか。感情が読み取れない。


「いや、可能性の話で……」

「逃げたきゃ逃げればいい」


 慌てて弁解する義凪にあっさりと言って、檜はケープを翻して歩き出した。


「始めるぞ」

「は、はいっ」


 義凪は慌てて追いかけた。


 檜は訓練場の端まで来ると、斜め上を指差した。


「あの枝に飛び乗れ」

「……はい?」


 そこにあったのは、樹高十メートルは下らないブナの大木だった。檜が指示した枝はかなり高い位置にある上に意外と細い。


「平らなとこと大体同じ。方向が変わるだけ」


 義凪は理解できない理屈に変な汗をかきながら檜を見た。


「あそこまでジャンプしろってことですか」

「そう」

「助走は……」

「しない」

「掴まればいいんですか」

「手使ってもいいけど、最後は立って」

「あの枝、折れませんか」

「さあ」


 義凪は再び指示された枝を見た。どう頑張っても手が届くイメージが湧かない。


「義凪、高所恐怖症?」唯が訊いた。

「そんなことないけど……いや、そういう問題?」


 こんな巨木に登ったことなんてない。しかもヘルメットも命綱もなし。怖いだろう、普通。

 檜をチラリと見ると、義凪をじっと見ていた。


「届かなかったらどうすればいいんですか」

「届くよ」


 実にあっさりとした返答だった。確信があるのか、励ましているのか。

 義凪は目標の枝を睨み、唾を飲み込んだ。


(大丈夫、届く)


 自分に言い聞かせて、深呼吸する。

 頭の中が空っぽになった瞬間に地面を蹴った。


 我に返った時、体は宙に浮いていた。

 一瞬、無重力を感じる。狙っていた枝を見失っていたことに気づき慌てて枝を探す。


「わっ」


 バランスが崩れ、体が重力に負けて落ちていく。地面が見えて、目の前の枝にしがみついた。枝は下にしなり、ミシミシと音を立ててから上に跳ねた。


「ありゃりゃ」


 唯の声が下の方から聞こえた。

 枝の揺れが収まったので義凪は目を開けた。眼下遠くに剥き出しの地面が見え、その高さに血の気が引いた。それからゆっくりと状況を確認する。

 どうやら自分がしがみついているのは、目標の枝らしい。


「飛び過ぎたねー。立てるー?」唯の笑い声が聞こえる。

「む、無理っ!」

「加減は要特訓だな……」檜が呟いた。




「どうだ?」


 義凪の特訓を少し離れた位置で見守っていた京のところに、要が姿を現した。


「あら、おはよう。動いて大丈夫なの?」

「問題ない。あいつは?」

「……すごいわよ」


 そう言って京は義凪を見遣った。

 義凪はその後も枝に飛び乗っては降りる訓練を続けている。集中しているせいか、要が来たことには気がついていない。


「二日目であそこまで……」

「治癒術は一度も使ってないわよ」

「付き合わせる必要はなかったか。すまないな、結界も張ってるのに」


 京は首を横に振ってにっこり笑った。


「もしものことがあったら大変だものね。心配なんでしょ?」


 要は返事をせず、京の隣にいた椎南の頭を撫でながら視線を訓練中の義凪に戻した。


「今日はとりあえず最後まで付いてるわ」

「助かる」


 要はそれだけ言うと、さっさと社に戻っていった。



 その後も特訓は続いた。地面から目的の枝に飛び乗ることと、その枝から地面に飛び降りることを繰り返す。

 距離感を把握するのが難しく、幹に激突もした。届いても、今度は枝の上に立つのが難しい。細く滑りやすい枝は、まるで鉄棒の上に立つような気分だった。

 休憩するのも忘れて練習を続けているうちに、檜はいなくなっていた。


 陽が西に傾いた頃、義凪はようやく狙った枝に跳んで着地できるようになった。

 飛び降りるために、幹に手をつきながら体を回転させる。

 その時、離れた木の枝の上にれいが立っていることに気がついた。


「あれ……」


 義凪と目が合うと、羚は姿を消してしまった。

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