16 特訓初日

 襲撃の次の日、義凪よしなぎやしろ住処すみかより更に上の方に連れて行かれた。かいゆい、そしてめいはほんの数歩で登ってしまったが、義凪は五分以上かけて急な斜面を登らなければならなかった。


「義凪くん、頑張って」


 後ろから声をかけるきょうは、椎南しいなの背に乗って悠々と移動している。義凪はちょっと恨めしかったが、もちろん口には出さなかった。


「京さん、社から離れて大丈夫なんですか」

「ええ、結界は安定しているから、ちょっとなら大丈夫」


 九合目にある開けた場所、檜たちはここを訓練場と呼んでいる。ちなみに住処や社があるのは八合目で、頂上には政嵐まさらし神社の本殿があるらしい。

 集まったのは檜、唯、茗、京、椎南、そして義凪。

 会話を切り出したのは唯だった。


「で、どんな訓練するの?」

「そうだな……そもそもこいつの力は一体なんなんだ」


 檜が義凪を睨みながら、抑揚のない声で言った。


「義凪くんは一族の人間じゃないから自前の魔力のはずだけど、本人が無意識だとねぇ。何から手をつければいいのかしら」


 京は頬に手を当てて小さく唸る。

 義凪は自分のことなのに、まるで他人事のように会話を聞いていた。どうすればいいかなんて誰よりもわからない自信がある。もちろん、なんの自慢にもならない自信だ。


「義凪、昨日障壁張れたんだよね?」唯が訊く。

「らしいけど……」


 と言うのも、義凪は銃声と共に目を瞑ったので、自分が展開した障壁を見てすらいない。


「もう一回張れない?」

「どうやんの?」

「どうって、昨日とおんなじようにさぁ」

「それがわかったら苦労しないだろ」


 うーんと唸ってから、唯が足元の石を手に持った。そして徐に手を頭の後ろに引いたかと思うと、勢いよく振り下ろした。


「だぁっ!?」


 唯の投げた石が額に直撃し、義凪は後ろに倒れた。


「だめかー」

「唯、それは流石に危ないわよ……」京が窘める。

「そうだよ、目に当たったらどーすんだよ! せめて先に一言言えよ!」


 義凪が額を押さえながら起き上がった。


「そうだな……それじゃ」


 前に歩み出た檜が義凪を見下ろし、木刀を突きつけた。

 義凪は血の気が引いた。こいつらは鬼だ。力だとか術だとかの前に死ぬだろ、これ。


「二人とも、稲葉家の常識を義凪くんに押し付けちゃダメよ……」


 京はこめかみに手を当てて溜め息をついた。


「でも力を使う感覚がわからないなら、似た状況を作って、昨日の感覚を思い出すしかないんじゃない?」と唯。

「それは一理あるけど……。義凪くん、昨日かえでを庇ったときのことをよく思い出して」

「そう言われても……」

「唯の言う通り、引っ込んでるなら引っ張り出すしかない」


 檜はそう言って義凪の鼻先に木刀の切っ先を向ける。義凪は思わず小さく悲鳴をあげた。


「茗、こいつの後ろに立て」


 檜が言うと、茗は呑気な返事をして言われた通りに義凪の後ろに立った。


(自分の妹に何させてんの!?)


 義凪は心の中で叫ぶ。


「お前が避けたら茗に当たる。楓を庇った時のこと、もう一度思い出せ」


 檜はそう言って、義凪の返事を待たずに木刀を振り上げた。

 檜の目は本気だ。

 怖い。

 だめだ、後ろに茗がいる。

 昨日は彩加の言葉が不意に耳で響いて、それで飛び出した。

 ――守らなくちゃ。


 木刀が振り下ろされた瞬間、義凪は腕で頭を庇い、反射的に目を閉じた。


 弾けるような音の後、カラン、と音がした。


「……?」


 義凪が恐る恐る目を開けると、木刀が地面に転がっていた。そして義凪の顔の前に、僅かに青色を帯びたガラスの板のようなものが浮かんでいた。


「これって……」


 目を丸くした唯が呟いた。いつも無表情の檜も、驚いた表情で固まっている。


「え、え?」


 義凪が状況を飲み込めず狼狽える間に、ガラスの板は音もなく消えてしまった。


「今の障壁でしょ? ねぇ!」


 唯はそう言って京を見た。京も目を丸くしている。


「ええ……ハッキリ見えたわ」


 檜が木刀を拾って義凪を見る。


「何か掴んだか?」

「いや、あんまり……」

「じゃ、もう一回」

「えええええ」

「掴むまで繰り返すしかない」



 三十分後。

 義凪は地面に倒れ込んだ。


「わかってきたんじゃない?」

「だいぶ……」


 義凪を上から覗き込んで言った唯に、義凪は天を仰ぎながら返事をした。


 檜から目を閉じるなと指摘されてから、少しコツを掴んだ気がする。

 恐怖が前面に出ていると、目を開けていられない。

 守る、立ち向かう。その意識が強いとき、木刀が当たる直前に体が熱くなる。そしてふっと体が軽くなると同時に障壁が現れる。

 理屈ではないからこそ、反復練習は確かに有効だった。《力》──自分が持つ魔力を使う感覚がわかるようになった気がした。


 しかし。


「これ、すげぇ疲れる……」


 激しく動いたわけでもないのに汗だくなっていた。体力には自信があったのだが。


「まだ慣れていないのに、これだけ繰り返せば疲れるわ。お昼には少し早いけど戻りましょう。半日足らずでこれだけできるなんて、やっぱり素質があるのね」


 京が優しく声を掛けた。


「続きは午後な」


 檜がしれっと言った。

 まだやるのか。義凪は目眩がした。






 午後もまた、訓練場に連れてこられた。

 唯は研究所の監視をしているれいと交代する予定だったが、結局午後も訓練場に来た。羚が「監視の方がいい」と言ったらしい。つまり、義凪の訓練に付き合いたくないのだろう。


(まあ、明らかに嫌われてるし……)


 いい気はしないが仕方がない。それよりも今は目の前の課題に集中する。


「走ってみて」


 檜に言われて、義凪は五十メートル程の距離を全速力で走った。

 次に、唯と並んで走ることになった。唯は同級生の中でもずば抜けて足が速く、義凪は一度も勝てたことがない。今回も追いかける形になることはわかっていた。

 が、ここでの唯は、学校での速さの比ではなかった。


「はっや……」


 義凪は頬が引きつった。

 もはや瞬間移動だ。これが宝玉の恩恵というものなのか。


「森の外で走るのとは感覚が違うんだよね。もっとふわっとした感じ?」と唯。

「ぴゅーんって感じだよ」茗が両手を上げて言う。

「全っ然わかんないんだけど」


 義凪は半眼で姉妹を見る。


「走るっていうより、飛び移る感じかな……」


 檜が呟く。今回は木刀は持っていないが、腰に日本刀が差してある。襲撃に備えているのだろう。まさか訓練で真剣を向けられるとは思いたくない。


「午前もそうだったけど、お前は実践タイプかもな」

「実践?」

「木刀持ってこなかったな……まあいいか」


 檜は刀を鞘から抜いた。その動作は美しく、そして恐ろしい。


(まさか)


「本気で振るから、本気で避けろ」


 やっぱりそうなるのか、と心の中で絶叫した。




 京と椎南は離れた位置に座って訓練の様子を眺めていた。術の練習ではないので口を出すつもりはない。

 途中からしょうも様子を見に来ていた。


「やっぱり……」


 京が呟いたので、梢が首を傾げる。


「檜たち、教えるのが絶望的に下手ね……」

「そうだね……」


 隣で椎南が大きな欠伸をした。




 檜と向かい合って、義凪は考える。


(一定の間合いは保たなければ……)


 しかし次の瞬間には、檜の顔が目の前にあった。


「うおぁ!?」


 速い。速すぎる。

 横から飛んできた刀を、上半身を思いっきり反らせて避けた。そのまま後ろに倒れて後頭部を打った。


「足を使え」


 果たしてこの超人的な兄弟たちと同じレベルにまでなる必要があるのだろうか。そんな疑問が頭に浮かぶが、口にしたところでこの訓練が易しくなるとは思えない。


(そもそも、自分の身は自分で守れるようになりたいって俺が言ったんだし)


 訓練してもらっている身で、泣き言は言っていられない。


「次で決めろ、できない状態に慣れるな」


 義凪は立ち上がり、姿勢を低くした。足で避けろということは、刀が振り下ろされる瞬間に後ろか横に飛び退くしかない。


(そうだ、刀を構えた相手の動きを見るのは剣道で慣れているじゃないか)


 剣道は竹刀だけど。防具もあるけど。丸腰じゃないけど。


 集中。

 檜が一瞬で間合いを詰め、刀が上から振り下ろされる。


(来た!)


 たん、と靴が地面を蹴る音が響く。


「おわっ」


 バランスを崩して尻餅をついたが、目の前にいたはずの檜が遠い。さっきまで自分がいた位置から五メートル近く離れていた。


「できた!」唯が叫んだ。


 檜が義凪の元に歩いてきた。


「掴んだか?」

「飛び移るって感じは、なんとなく分かった気がします……」


 全力疾走をイメージしていたが、もっと軽い。力を込めるのは一瞬だ。ただ、障壁を張るときと同じで、一瞬なのに酷い疲労感だ。


「じゃ、もう一回」


 檜に言われて、義凪は立ち上がった。

 疲れてはいるが、今の感覚を忘れたくない。体に覚え込ませる、それしかない。


「お願いします!」




 その後も怒涛の攻防を繰り返す二人を見ながら、梢が言った。


「檜さんのやり方、意外と合ってるのかな?」

「そうねぇ……」


 京が小さく唸る。


「義凪くんも脳筋タイプなのかしら……」





「終わり」


 突然、檜が言った。鞘に収められた刀がチン、と高い音を鳴らす。

 義凪は驚いた。まだ一時間しか経っていない。


「初日だし、集中力はこれくらいが限界。自主練は任せるけど、無理しないほうがいい」

「は、はい」


 義凪はその場に正座した。


「ありがとうございました!」


 しまった、と思った時には遅かった。剣道部の練習の流れで、つい正座して頭を下げてしまったのだ。

 カアッと熱くなった顔を恐る恐る上げる。檜はきょとんとしていたが、やがてふっと表情を緩めた。


「お疲れ」


 檜が笑ったのを、義凪は初めて見た。

 檜は唯と何か話して去っていった。いつの間にか京も姿を消していた。


 唯が義凪の元に来た。その後に茗もついてくる。


「この後どうする?」

「そうだなぁ、自主練しようか……」


 義凪は立ち上がりながら言ったが、すぐに膝と手を地面についた。


「膝が笑うってこういうことか……!」

「今日はもう止めた方が良さそうだねぇ」


 四つん這いのまま固まっている義凪の上に、茗がひょいと跨った。


「わーっ! ちょっ、無理無理!」


 義凪が叫ぶ横で、唯は腹を抱えて笑っている。

 近づいてきた梢が苦笑いしていた。


「茗ったら……。先輩、大丈夫ですか?」

「なんとか……」


 義凪は膝に手を当てて立ち上がった。


「すごいですね、術が使えて、肉体の強化もできるなんて」


 梢はそう言いながら、義凪にタオルと水の入ったステンレスのボトルを渡す。


「すごいのかな……あ、ありがとう」


 義凪は受け取ったタオルで汗を拭った。


「京ちゃんから伝言です。『檜のことだから明日はもっときついだろうけど、頑張ってね』だそうです!」


 梢はにこやかに微笑む。義凪は息を呑んだ。


「はい……頑張ります……」

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