20 萌芽(一)

 きょうが結界の異変を感知したのは、その日の午後だった。

 義凪よしなぎは前回同様、やしろおもてで待機するよう指示された。


 またあの男が来るのだろうか。


 今回もかいゆいれいの三人は森の中へと飛び出していった。

 前回と違ったのは、きょうしょうがもう一匹の黒い狼と共に社の中へ退避したこと、そして結界の異変からまもなくかえでが表に姿を現したことだった。


 楓は義凪と一瞬目が合ったが、すぐに視線を逸らし迎撃の態勢に入った。

 楓を見るのは熱を出した時以来だった。湯煙の中での出来事を思い出し、義凪はぶんぶんと頭を振る。

 隣に立っていた茗が首を傾げた。


「よしなぎ、どうしたの?」

「はは、なんでもないよ……」


 改めて楓の横顔を盗み見ると、ぞくっとするほどの美貌だった。ただ、柔らかさのある京や梢とは違う類の美しさである。癖のない漆黒の長い髪、白い肌、やや釣り上がった真っ直ぐな眉。そして、意志の強そうな真紅の瞳。


 彩加あやかと魂が共存していたという人物。


 彩加は利用されただけじゃないのか。

 かなめや梢の説明を聞いても、疑念を払拭しきれたわけではない。肉体だとか魂だとかいう話はよくわからない。


 ただ、あの夢――桜の雨の中で、彩加が話した一言が忘れられなかった。




 十五分ほど経ち、本当に敵が近づいているのだろうかと義凪が疑い始めた頃だった。


「近い」


 要が呟いた次の瞬間、近くで爆発音が響いた。程なくして社の周辺に硝煙が立ち込める。

 楓の杖に嵌め込まれた宝石が赤く光った。すると旋風が吹き始め、煙が掻き消されていく。


 その時、消え切らない煙の中から何かが飛び出した。

 大きな黒影から、銃口が伸びる。


 楓が杖をかざすと、赤いガラスの板のようなものが空中に現れた。

 ほぼ同時に、耳をつんざく銃声。そして金属が弾かれるようなかん高い音が続く。赤いガラス板に細かい亀裂が走った。


 社の床に着地した黒い影の正体は、黒いボディスーツにサングラス、ミルクティ色のポニーテールの女だった。


(あの女……!)


 義凪がこの山に連れて来られた日、森の中で銃を撃った女だ。


 女は楓に銃口を向けて立っていた。

 楓もまた、黙ったまま女に杖の先を向けていた。黒い髪が風に踊り、瞳と同じ色の耳飾りが煌く。よく見ると楓を中心にして足元で砂埃が円を描いている。


 緊迫した空気の中、二十秒ほど睨み合った後、女が動いた。

 楓の足元に向かって小さな球を投げつけると、激しい音と同時に再び煙が立ち上った。隅にいた義凪の元まで煙が広がり、思わず手で口を覆う。


 女が楓との距離を一気に詰める。


 銃声が三発。岩が砕けるような音の後、女の影が再び距離をとって着地した。


(どうなった……!?)


 煙が少し晴れ、女の腕や足の服が鋭く裂けているのが見えた。

 反対側を見れば、浮かぶ赤い壁はひび割れていた。そして、荒く呼吸をしながら立っている楓の顔の左半分が赤く染まっていた。


「楓!」

「動くな」


 飛び出そうとした要に、女は視線を動かさずに拳銃を向けた。

 要の動きが止まると拳銃をスライドさせ、再び楓に照準を合わせる。肩を上下させる楓は今にも膝から崩れそうだった。


(まずい!)



 楓が撃たれる未来が、一瞬見えたような気がした。


 その時不意に、彩加の声が耳の中で響いた。



 ――楓は、私のとても大切な人だから。



 銃に怯むことなく飛び出したのは、茗だった。

 一瞬で女の近くまで跳び、右足を蹴り上げる。しかし女はそれを右腕で払い退け、すぐに銃の照準を再び楓に合わせた。


 義凪は無意識に地面を蹴っていた。


 そして引き金が引かれる瞬間、楓の前に両手を広げて立った。


 ぱあん、と弾けるような音が響く。


 反射的に目を瞑った義凪は、楓と縺れるように後ろに倒れる。

 まるで全てがスローモーションに感じられる中、楓は床に倒れ込むまでの僅かな間に、杖を義凪の横から空に伸ばした。

 紅炎が龍のようにうねり、女に襲い掛かった。


「なっ!?」


 煌々と輝く炎を真正面から受けた女は、声にならない悲鳴を上げ社の下に落ちた。


 北斗がそれを追いかける。

 枝や下草が折れる痛々しい音が遠ざかる。


「義凪!」


 楓に重なるように倒れていた義凪の意識は、要の声によって呼び戻された。薄らと目を開ける。


(あれ……)


 撃たれたはずなのに、どこが痛いのかわからない。

 銃で撃たれるってこんな感じなのか。

 ああ、もしかして死ぬのか。

 死ぬってこんな感じなのか――。

 そんなことを考えて、義凪は再び目を閉じた。


「撃たれて……ない?」


 要の発した言葉を三秒ほどかけて理解し、義凪はパチっと音がしそうな勢いで目を開けた。

 上半身を起こし、恐る恐る自分の体を見る。


「……あれ?」


 撃たれたはずだった。銃口と目が合ったのをはっきり覚えている。しかし自分の体は傷どころか、血一滴付いていない。


 ということは、まさか――。


 義凪は慌てて振り返った。

 しかし、肘をついて体を起こした楓は生きている。頭から流れた血で服が汚れているが、それは最初に受けた攻撃によるものだ。

 義凪は体から一気に力が抜けて、横にぐったりと倒れた。


「大丈夫か」


 要の声には珍しく焦りが混ざっている。


「……た」

「は?」

「よかった……」


 義凪は掠れた声で言った。


 無事でよかった。

 自分が? 楓が?

 どっちなのかわからないまま、心臓が思い出したように激しく脈を打ち始める。汗が吹き出し、頭がクラクラする。

 落ちていった女を追っていた北斗が戻ってくると同時に、社の扉から京たちが顔を出した。

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