14 二つの家系

 気まずい。


 義凪よしなぎは今、風守の一族の面々と夕食を摂っている。二人の巫女以外の全員が集結し、一緒に焚き火を囲んでいるのだが、誰も何も話さない。食器が当たる音と焚き火の燃える音だけが食堂に響いている。


(普段からこうなわけないよな……絶対俺がいるせいだ)


 自分抜きでいいから、会話をしてくれないだろうか。

 無言の時間が続くほど義凪の気まずさと緊張が増し、口に運んでいる物の味もだんだんわからなくなってきた。

 沈黙を破ったのは、食事を終えたかなめだった。


「これかられいと山を下りる。急ぎで必要なものがある人」


 要は焚き火を囲んでいる面々を見渡した。

 しばし沈黙が流れた後、梢が口を開いた。


「えっと、ゴミ持って行ってもらっていいかな」


 梢は食事を残したまま食堂の奥に消えた。

 他の面々も食事を終え立ち上がる。結局、義凪だけが食堂に残された。


 時刻は午後六時前。空は濃紺とピンクのグラデーションになっている。

 食堂の隣の広間から声がした。要と羚を見送っているようだった。義凪も見送りに行くべきか迷っている間に、静かになった。


 梢が食堂に戻ってきて丸太に座り、残していた食事に手をつけた。いつも傍らにいる狼・北斗は珍しく姿が見えない。


「先輩、ゆっくり食べて大丈夫ですよ」


 義凪はようやく緊張から解き放たれ、小さく溜め息をついた。肩が凝っていることに気がつく。


「山下りるって、なんかあったの?」

「食材とか必要な物資を町長さんたちが用意してくださるので、定期的に取りに行くんです。あとは情報交換も兼ねているそうですよ」


 なるほど、と義凪は思った。こんな山奥での生活は支援者がいなければ成り立たない。それが淡雪町の町長、もとい雪邑ゆきむら家というわけだ。

 雪邑一族が古くからこの町の政を担ってきた名家であることは、その手の話に疎い義凪でも知っている。


「こんな時間に山下りるの、危なくない?」

「暗い方が相手に察知されにくいですから」

「あ、そう……」




 北斗に跨った要、そして羚が麓に着く頃には、すっかり暗くなっていた。

 要たちが向かったのは麓の南、つまり北にある研究所とは町内で最も離れた位置になる。森から近い位置に総合病院があり、要が町長と物資や情報をやり取りするのは病院の裏と決まっていた。


「変わりないかね」


 要に声を掛けたのは、淡雪町の町長である雪邑泰造。豊かなグレイヘアに紳士的な風貌は、齢七十を超えているとは思えないほど若々しい。


「一昨日襲撃を受けましたが、規模が小さかったので撃退しました」

「そうか……。本当に始まってしまったな」

「警察の動きは」

「動いてはいるが、あまり期待はできないかもしれん」


 二人は近況を報告し合った。電気の通らない山奥では情報収集がほとんどできない。この一時下山で得られる情報が生命線なのである。


 会話を終えると、要は羚と共に生活物資を受け取った。この場には町長だけではなく、雪邑家の人間が何人か手伝いに来ている。その中には町長の孫娘であるエリカと、その母親であるエマも含まれる。それは数日前に下山した際も同じだったが、今回は意外な人物の姿があった。


 時雨しぐれがエリカの隣に立っていた。


 要は時雨と目が合うと、一瞬動きを止めた。しかしすぐに視線を逸らし、エマから大きなリュックサックを二つ受け取った。一つは羚が担いだ。


「気をつけてね。どうか無事で……」


 エマが優しく労う。

 要は淡々と礼を言うと背を向け、二人と一匹は暗い森の中に消えた。




「さっきの誰?」


 やしろまで戻る道すがら、羚が要に訊いた。帰路は上りに加えて、重たい物資を背負っているため、行きに比べて随分ゆっくりだ。


「同級生」


 要は素っ気なく答えたが、内心はあの一瞬の動揺に気がついた羚の洞察力に驚いていた。


「ふうん」


 羚の返事はそれだけだった。





 次の日、義凪は要に声をかけた。


「掃除、手伝います」


 全員が共同で使用している浴室の掃除をしていた要は、手を止めて義凪を見た。

 睨まれたと思った義凪は、慌てて弁解する。


「梢と食事の片付けしてたんですけど、先輩の手伝いしてくれって言われて」

「そう」


 それだけ言うと、要は再び手を動かし始めた。


(またか……)


 義凪は肩を落として小さく溜息をついた。



 時は一時間ほど遡る。

 要が朝食の最後に連絡事項を淡々と伝えた後、義凪は意を決して切り出した。


「あのっ、俺に何か手伝えること、ないですか……」


 全員が一斉に注目したので、つい尻すぼみになる。食堂がしんとなった。


「何言ってんの」


 ボソリと呟いたのは羚だった。自分の皿を持って立ち上がると、義凪を見下ろした。


「アンタ人質だろ、大人しくしてろよ」

「羚!」


 ゆいの叱咤も、羚は無視して出て行ってしまった。



 ――ということがあって、要の反応も予想の範囲内だった。とはいえ、内心傷ついていないわけではなかったのだが。


「ここはもう終わるから。次、廊下の掃除」


 義凪の返事がないので、要が顔を上げ、訝しげに訊く。


「……手伝うんじゃないのか」

「はいっ! もちろんですっ!」


 義凪は慌てて返事をすると、要の後を追った。




「何」

「いや、手際がいいなと思って」


 要が家事をする姿は想像できなかった。あくまで、義凪の勝手なイメージであったが。


「社で偉そうにふんぞり返ってるとでも思ってたんだろう」

「そんなこと思ってません」


 要の嫌味に、義凪は少しムッとして答える。

 考えてみればこんな山奥で子供だけで生活しているのだから、身の回りのことは自分たちでこなしているはずだ。


(逞しいなあ)


 そして自分の当たり前が、いかに恵まれていたかを実感する。


「手が止まってる」

「すいません」


 要に窘められ、義凪は慌てて手を動かす。

 会話がなくなって、義凪は要を横目でチラリと見た。聞きたいことは山ほどあるが、いざ聞こうとすると何から聞けばいいかわからない。


「ちょうどいい機会だから」


 意外にも要の方が口を開き、食堂のあるこの建物のことを説明してくれた。

 一族の住居であるこの建物は『一の住処すみか』、あるいは単純に『住処』と呼ばれている。一ということは二や三があったわけだが、それらは三年前の山火事で使えなくなった。今は一の住処と社しか機能していないのだという。


「元々、一の住処は姫巫女ひめみこの家系のための居住区だった。他はもっと下にあったんだ」


 住処は使われていない部屋も多く、どこか荒れている印象を受ける。社と同様に斜面に填め込んだ洞穴のような造りになっていて、窓が少なく全体的に暗かった。


「二つの家系に分かれてるって聞きましたけど、一緒に生活してたんですよね。家系ってそんなにきれいに分かれてるもんなんですか?」

「風守の一族は家系の管理が特別に厳重だった。二つの家系は決して混ざってはいけない、それが決まりだった」


 それはつまり、それぞれの家系の人間同士が婚姻関係を結び、子を設けてはいけないということだ。


「なんでですか?」

「二つの家系の《力》が相反するものだから」

「えっと、姫巫女は自前の魔力で、紅辻べにつじは宝玉の恩恵なんですよね? それがどうして――うわっ!」


 義凪が言ったその時、足元で何かが動いた。

 黒っぽいそれはモゾモゾと動いたかと思うと、素早く要の足を登る。


「…………リス?」


 一匹のリスが、要の肩からひょっこりと顔を出した。フサフサとした尻尾に、くりくりの目が義凪を見つめている。


「うわぁ、可愛いなぁ」


 義凪が手を伸ばすと、リスは要の背中にサッと隠れてしまった。しかし、数秒後には要の頭の上に姿を現す。明らかに要に懐いている。


「……なんだその目は」


 要は義凪を睨んだ。


「いや、だって、先輩のイメージとのギャップが……」


 要は無言で踵を返すと、箒を片付けてさっさと歩いて行ってしまった。義凪が慌ててついていくと、外で梢とめいが洗濯物を干していた。傍には北斗の姿もある。


「あっ、リス!」


 茗が要の頭に乗っている茶色い生き物に気がついた。リスが茗の頭に飛び乗ると、嬉しそうにキャッキャッと声を上げる。

 要と義凪が加わったことで、洗濯物は一気に片付いた。日差しの中で洗濯物がたなびく様子を見ていると、ここでつい先日、血生臭い諍いがあったことなど忘れてしまいそうになる。


「かなちゃん、手伝ってくれてありがとう。義凪先輩もありがとうございます」


 梢が笑顔で頭を下げた。


「そんな、お礼なんていいよ」

「梢、こいつはもっと扱き使っていいから。遠慮も容赦もしなくていい」

「先輩、それはちょっと……」


 梢がくすくすと笑った。

 要は社に行くと言って、一人で歩いて行った。肩に乗っているリスは、いつの間にか三匹に増えていた。

 義凪は梢に小声で尋ねる。


「要先輩って、動物好きなの?」

「かなちゃんは獣使いの血筋なんですよ。動物の言っていることがわかるんです」

「何それ……犬語とかわかるの?」

「いえ、言葉ではなくて、感じ取ることで意思疎通ができるんです。代々狼たちの世話を担ってきたのもかなちゃんのおうちで、宝玉の恩恵ではなく、そういう才能なんだそうですよ」

「へぇ……」

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