12 知らないこと、知っていくこと
次の朝、目を覚ました
箒で床を掃いていた人物が直ぐに気がつき、義凪に近寄った。
「もう起きて大丈夫?」
「あ、はい。えっと……」
「自己紹介がまだだったわね。私は
昨日の朝、熱を出した義凪を
「よろしくお願いします……」
尻すぼみになりながらも、義凪は差し出された手を握り返した。微笑む京は優しげながら、左目の泣きぼくろのせいかどこか色っぽい。髪の色も瞳の色も、梢よりもさらに色素が薄く日本人離れしている。控えめに言っても美人だ。
「そこに座っていていいわよ。もう少ししたら、梢が朝ごはん持って来てくれると思うから」
京は扉から少し離れた位置にある木製のテーブルを指差した。
「ありがとうございます……あ、掃除手伝います」
義凪の申し出にきょとんとした京は、直ぐにふっと吹き出した。
「あの、なんか変な事言いましたか……?」
「ふふ、ごめんなさい。あなた面白いのね。
「えっ? あいつ、俺のこと何て言ってたんですか」
戸惑う義凪を見て、京は口元に手を当ててクスッと笑う。
「いいやつだって言ってたわよ」
思いもしなかった返答に、義凪は言葉が詰まった。その様子を、京はニコニコと見つめている。
「あら、噂をすれば」
京がそう言うのと同時に、後ろから足音が聞こえた。義凪が振り返ると、大きな籠を持った唯と梢、そして
「義凪、おはよー!」
唯の明るい声がこだました。
社の表に置かれた大きな丸いテーブルには、義凪と京の二人分の朝食が並べられた。京の手元のマグカップからコーヒーの香ばしい匂いが漂っている。
「京さんは皆さんと食べないんですか?」
「ええ、結界を張っているし、社を空けるのはあまりよくないの。それに今は
京は先ほど梢が籠を持って入っていった扉を見遣った。
「まだ調子悪そうだね」
円卓に頬杖をついたまま唯が言った。その隣に茗が座っている。
楓――
彩加の死は彼女のせいではないらしい。そう言われても、彼女を川で見つけた後、彩加は死んだのだ。
考え始めると胸が苦しくなる。義凪は咀嚼したおにぎりを飲み込んで別のことを尋ねた。
「あの、結界ってなんですか?」
「外部から敵の侵入を防ぐための見えない壁、と言ったらいいかしら。結界は近づく人間の視覚と聴覚を惑わせ、方向感覚を狂わせる。この森を覆うように張られているから、上空から社や一族の姿は見えないの。結界を通れるのは一族の人間と、強い力を持つ人だけ」
(強い力……)
母さんのような――そう言いかけて、義凪は言葉を呑み込んだ。
「義凪くん、ここに連れて来られたときに気がつかなかった?」
「あー……、俺肩に担がれて、車酔いみたいな状態で連れて来られたんで……」
「
唯が困った顔で言う。
「そうだったの、ごめんね」
京は可笑しそうに笑いながら、なぜか謝った。
「それが
「ええ、術のひとつよ」
朝食を食べ終え、コーヒーを飲みながら京が答える。
「それって……いや、なんでもないです。すいません」
言いかけてから、義凪は口を噤んだ。気まずそうな義凪を見て、京と唯が顔を見合わせる。
「遠慮しないでなんでも訊いていいのよ。要はあなたに、普通だったら一族の人間以外には話さないことも全部話した。知っていて欲しかった……いえ、知るべきだと思ったんでしょう。もちろん、知りたくなければそれでもいいの。でも、あなたには知る権利がある」
同意するように唯も頷く。
「そうだよ。人質なんて言い方してたけど、捕って食おうなんて思ってないからね。そりゃあたしたちのこと信用できないかもしれないけどさっ」
「そんなことは、ないけど」
返答に詰まっている義凪に、京は微笑みかけた。長いまつ毛に縁取られた優しげな瞳が義凪を見つめている。
「それに、要はあなたのこと信用してるんじゃないかしら。私びっくりしたのよ、要があんなにペラペラ喋るんだもの。あの子は相手の器とか理解力とか、見極めて話すところがあるから」
「え……」
驚いた義凪を見て、京も唯もふふ、と笑った。茗だけが、不思議そうな顔で三人の様子を見ている。
「さて、私は楓の様子を見てくるわね。ゆっくりしてていいわよ。茗も来る?」
立ち上がった京が訊くと、茗はこくんと頷いて椅子から降り、二人は扉の向こうへと消えた。
二人きりになった義凪と唯の間に沈黙が流れる。
先に口を開いたのは唯だった。
「……怒ってる?」
「えっ、なんで」
「突然こんなとこ連れてこられて、人質なんて言われてさ……。佐伯さんのことだってあるし」
確かに、突然山奥に連れて来られて、要に一方的に説明された時は怒っていた。混乱していたと言うのが正しいかもしれない。今はどうだろう、と自問する。
「うーん……怒ったって言うより、ショックだったかな。佐伯のことも、親のことも」
「そっか」
「あと、お前にもう二人兄弟がいたってことも」
唯は一瞬固まったかと思うと、困ったように笑った。
「はは、バレちゃったか」
「稲葉は、俺の親のこと知ってたんだろ」
「うん」
「いつから?」
「……小学校に転入した時から」
最初から知っていたのか、と義凪は小さく溜め息をついた。
「母さんのことも、俺のことも、その……恨んでるんじゃないの」
「うーんとね……」
唯はいつになく小さな声で、一つひとつ言葉を選ぶように話し始めた。
「最初はさ、義凪のことちょっと怖かったんだ。魔女の息子ってどんなやつなのかなって……」
「うん……」
「でもだんだん、こいつはあたしたちのことも親御さんのことも、何も知らないなって気づいてさ……」
「う……」
「ちょっと困った」
意外な答えに、義凪は思わず聞き返す。
「何で?」
「だって、悪いやつだったらそれで片付けられるじゃん」
唯は義凪と目が合うと困ったように笑い、椅子の上に膝を引き寄せて抱えた。
「一族以外はみんな悪いやつだって思ってたの。味方なんていないって。なのにさ、学校は楽しいし、町の人は優しいし、魔女の息子はいいやつだし」
義凪は言葉に詰まったまま、唯の話を聞いている。
「学校入ったとき、わかんないこと色々教えてくれたでしょ。あれ、すごく嬉しかったんだよ。義凪のお母さんのことは、正直よくわかんない……。あんまり考えたくない。でも、義凪は義凪だよ」
木々が葉を揺らす音が波のように聞こえる。涼しい風が二人の髪を揺らした。
沈黙の後、義凪はポツリと口を開いた。
「俺さ、小学校に入学した直後、友達できなくてさ、仲間外れにされてたんだ」
「……義凪が?」
唯の言葉には驚きが混じっていた。義凪も思う、今の自分からは想像できないだろう、と。
「最初は理由がわかんなくてさ、何でって聞いたら、父親が研究所で働いているからって」
どこで父親のことが知れたのかはわからない。今思えば、きっと義凪の母が馬鹿正直に父親の勤務先を小学校に提出したのだろう。それを知った同級生の親たちが警戒し、近づかないように子供に言い聞かせたに違いない。
「その頃の俺は研究所が良く思われていないことも知らなかったし、父さんなんて滅多に家に帰ってこなくて、なのに何で俺が仲間外れにされなきゃいけないんだろうって……」
独りぼっちで、泣きながら帰った帰り道。夕焼け空が虚しくて悲しくて、だけど母を心配させたくなくて、涙が止まるまで遠回りをして帰った。
「そんで夏休みの少し前かな、俺キレたんだよね」
「……は?」
唯がポカンと口を開ける。義凪は苦笑いした。
「グループでやる授業だったかな……どこにも入れてもらえなくて、俺、はっきり言ったんだよ。父さんのことなんか知らない、全然帰ってこないし何してるかも知らない、そんな父親のことで仲間外れにされるのは納得いかないって。言いながら大泣きした」
「ほぉ〜……」
唯は感嘆の声を上げたかと思えば、ぷっと吹き出した。
「笑うなよ」
「ごめんごめん、流石だなと思って」
義凪は小さく咳払いをして、話を続けた。
「その後で圭一と瑞樹が声かけてくれて、一緒に遊ぶようになって、仲間外れにされることはなくなったけど、怖くてさ……。俺が悪いことしたら、父さんの子供だからって言われるんだろうなって。悪いレッテルが一度でも貼られたら終わりだって。だから先生の前でも、友達の前でも、いい子じゃなきゃいけないって……」
「義凪も苦労してたんだね」
「まあな……。でも父親のことも母親のことも、何も知らなかったからそんな風に言えたんだと思う。知ってたら、同じように言えたかな」
義凪が伏し目がちに言うと、唯は身を乗り出した。
「義凪は何も悪いことしてないじゃん。関係ないよ」
「そうかもしれないけど、今はもう無関係とは言えないだろ。それでも俺は何も知りませんって言い続けるのも、なんか違うと思うんだ。俺、ちゃんと知りたい。その上で、俺が正しいと思うことをしたい」
義凪は顔を上げて姿勢を正し、唯を真っ直ぐ見た。
「だからさ、色々教えて欲しいんだ。研究所のことも、風守の一族のことも」
唯は少し驚いた顔をしてから、ニカっと笑った。
「うん! 任せて!」
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