09 魔女の息子
その後、梢の配慮により一人で早めの夕食を摂った。誰とも顔を合わさずに暗い部屋に戻って、これからどうしようかと考えているうちに眠ってしまった。
翌朝、義凪が目を覚ましたのは朝六時過ぎだった。
起き上がったら昨日より体が軽かった。自覚はなかったが、かなり疲れていたのだろう。
部屋を出ようとしたが、声が聞こえたので慌ててベッドに戻り、毛布に包まった。誰かに会うのは気まずかった。
(一応、人質らしいし……)
梢には自由に過ごしていいと言われたが、どう過ごせばいいかわからない。悶々と時間が過ぎるのを待った。
しばらくして静かになると義凪は部屋を出て、昨日長い説明を受けた広間に出た。
誰もいない広間の先には、壁の代わりに今日も青い空が広がっている。淡雪町の街並みが木々の隙間からわずかに見え、この石造りの建造物がかなり高い位置にあることがわかる。
床の終わりは切りっぱなしで柵などはなく、膝をついて下を覗くと、崖のように切り立っていて地面が見えない。
(怖っ……)
義凪は唾を飲み込んだ。あまり端には近づかないようにしよう。
「起きていらしたんですね」
背後から声がして、義凪は飛び上がった。
「ごめんなさい、驚かせてしまって」
声の主、梢は笑顔で謝った。
「おはようございます」
「おはよう……」
義凪は恥ずかしさで声が小さくなった。
梢に促され、義凪が食堂――隣の焚き火のある部屋を梢はそう呼んだ――に入り丸太に腰掛けると、梢は直ぐに朝食を持ってきてくれた。メニューは昨日と同じおにぎりに、インスタントの味噌汁がついた。
義凪はようやく、自分の置かれている状況を考えてみる気になった。
(もう少し優しく説明してくれればいいのに……わざと怖がらせてるんじゃないか)
義凪は心の中で要に文句を言った。
「どうかしましたか?」
どうやら顔に出ていたらしい。難しい顔でおにぎりを頬張っていた義凪を、心配そうな梢が覗き込んだ。
「あ、いや、昨日要先輩が言ってたこと、実はあんまりよく解ってなくて」
「直ぐ理解する方が無理な話ですよ」
梢は優しく微笑むと昨日と同じように丸太に座った。
義凪は梢をじっと見た。この子は信用できそうな気がする。というより、悪いことなど出来なさそうな、天使のようなこの女の子に騙されるなら、諦めもつきそうな気がした。
「……いろいろ訊いてもいい?」
「はい、もちろんです!」
梢はどこか嬉しそうに答えた。小さくなった焚き火を囲んで、二人は話し始めた。梢の後ろでは相変わらず狼が丸くなっていた。
「……で、なんとかの一族がその宝玉とやらを守ってるんだっけ」
「はい、風守の一族です」
梢が淹れたお茶を二人で飲みながら、会話は続いた。
風守の一族という存在について、概要は理解した。特殊な力を使って、
「
「いえ、私はその……使えなくて……」
「そうなの?」
梢が一瞬、悲しそうな顔をした。
いわゆる魔法だと要は言った。圭一や瑞樹と遊んだテレビゲームを思い出す。当たり前だが、そちらはファンタジーでフィクションだ。
本当にそんなものがあるなら見てみたいが、今は状況の整理が優先だ。
「で、宝玉をあの研究所が狙っている、と」
「はい。製薬会社と言っても名ばかりで、淡雪町の研究所で行われているのは魔術といった特殊な力やキメラについての研究だそうです」
「キメラぁ?」
テレビゲームにそんな名前のモンスターがいた。ライオンと鳥と何かの頭が一つの体に付いていた記憶がある。ますますフィクションの世界だ。
「宗教団体も抱えていて、多数の信者があの建物の中で生活しているそうです」
「そんなとこでうちの親は働いてたのか……」
義凪は思わずこめかみを抑え、溜め息をついた。
「先輩はご両親から何か聞いていませんでしたか?」
「いや、全然……。俺の父親、ほとんど家に帰ってこなかったし」
義凪は父のことをよく知らない。帰宅することはほとんどなく、最近は一年に一度顔を見るくらいだった。そんな父を母は一度たりとも咎めることなく、いつも帰りを待っていた。
義凪は幼い頃、なぜ父が帰ってこないのか母に訊いたことがある。母は悲しそうな顔をして義凪を抱きしめ、ごめんね、と言った。
――お父さんはね、難しい研究をしているの。
なぜ母が謝るのだろう。なぜ父は母を悲しませてまで、研究というものに没頭するのだろう。きっとすごい研究なんだ。人の役に立つ研究に違いない。
そんな期待も裏切られた。
「そんなとこ、町の人たちが気味悪がるわけだよな」
「怪しいということは皆さん知っていたようですね」
「そうだよな、だから……」
(だから……)
「先輩?」
突然沈黙した義凪を、梢が不思議そうに見ている。
「いや、なんでもない」
義凪は小さく首を振った。
その時、自分の隣に誰かが座っていることに気がついた。
「うわぁっ!?」
心臓が飛び出るほど驚いた義凪は思わず叫んだ。小さな女の子が、丸い瞳で義凪の顔をじっと見つめていた。左右の高い位置で結んだ髪には、さくらんぼのような赤い飾りが付いている。
「
「お腹すいちゃった」
梢に“茗”と呼ばれた女の子はポツリと呟いた。
「ちょっと待っててね」
梢は立ち上がって奥の部屋へ入っていった。
この子は一体いつから隣にいたのだろう。バクバクと音を立てていた心臓が落ち着いた頃、ふと、義凪はその子に見覚えがあることに気がついた。
「キミ、稲葉の妹だよな」
「茗、稲葉だよ?」
「そうじゃなくて、えっと
「うん」
梢が四角い缶を持って戻ってきた。中には個包装のクッキーが入っていて、義凪の目の前で市松模様のクッキーが小さな手に渡された。
「先輩も食べますか?」
義凪はうんと言いそうになったがギリギリで飲み込んだ。
「いや、大丈夫……」
忘れそうになるが、自分は人質なのだ。
義凪の隣で、茗は美味しそうにクッキーを食べ始めた。
義凪が茗の顔を知っていたのは、唯と一緒に歩いているのを何度も見たからだ。二年前の春、小学六年生の時に唯が転入してきたのと同時に新一年生として入学してきた。その時、弟も転入してきたはずだ。
茗はクッキーを食べ終わると、ごちそうさまと言って食堂から出ていった。義凪は梢に訊いた。
「あの子、今は小三?」
「そうです。弟の
「へぇ……あいつ三人も兄弟いたんだ」
「本当はもう二人いました」
義凪はふーんと流しかけて、絶句した。梢の言葉が過去形だったからだ。
「……もしかして、死んだの?」
「はい」
「……それって、その、もしかして……殺された、ってこと?」
「はい、三年前に。ご両親もその時に」
三年前というのは、あの山火事の時だろう。唯が親兄弟を亡くしているということを、義凪は全然知らなかった。唯はいつも底抜けに明るくて、そんな素振りは微塵も見せなかった。
義凪はハッとした。
母さんが、殺したのだろうか。
そんなこと考えられない。母さんはそんなことをするような人間じゃない。だけど昨日の要の話が――母さんが相手側の戦力だったという話が、真実なのだとしたら。
唯は今までどんな気持ちで自分と接していたのだろう。今、自分に優しくしてくれている梢だって、あの時に家族を亡くしたのかもしれない。要は、他の人たちはどうだろう。
そもそも、父親はあの研究所の人間なのだ。義凪は父親のことをよく知らなくとも、他人からは親子として見られるのだ。
昨日、一斉に向けられた冷たい視線、『魔女の息子』を見る目が脳裏に蘇る。
「……風駒さんは俺とこんな風に話してていいの?」
「え?」
梢はきょとんとして義凪を見たが、義凪は目を合わせられなかった。
「……ご馳走様」
そう言うと義凪は立ち上がり、食堂から出ていった。
食堂から出たはいいが、他に行くあてもなかった。義凪は一度ベッドのある部屋に戻ったが、暗くて結局広間に戻った。
ここから逃げ出したい。
人質、という言葉に対する恐怖は感じていない。鎖で繋がれるわけでもなければ、温かい食事も出してくれる。ただここに居たくない。ここの人たちと顔を合わせたくなかった。
「なんで母さんと父さんのせいで、こんな……」
無意識に口から声が漏れた。
広間の床の先に立って、麓の街を見つめた。登山の経験はほぼない。ひたすら山を下れば街に着くだろうか。この建物の出口を探そうと振り返った。
「うわっ!」
義凪の背後には、梢にぴったりとくっついているはずの白狼・
義凪が声を上げたことに全く動じることなく、北斗は金色の瞳で義凪を見つめている。先ほどの茗といい、ここの輩は音もなく近づいてくる。怖い。
「…………」
義凪は北斗の様子を伺ったが、北斗も同様だったのだろうか、一人と一匹の睨み合いが続いた。
「なんだよ、監視してるのかよ」
北斗はじっと義凪を見つめ続けている。義凪の方が根負けし、外の方を向いて床にどかっとあぐらをかいた。
しばらくしてちらりと見ると、北斗は床に伏せていた。義凪と一瞬目が合うと、欠伸をして丸くなった。
「……はぁ」
義凪は脱走を諦め、空を眺めた。
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