07 風守の一族(二)
「
「そう、この山に眠っている、というよりは封じられている、と言うべきか」
「俺たちはそれを守ってきた『
外部とは淡雪町の外という意味だろう。この町の人たちは町外のことを“外”と呼ぶことがあり、特に年配の人に多い傾向がある。
「特殊な力っていうのは、わかりやすく言えば“魔法”だ。俺たちは《力》とか《
いよいよ雲行きが怪しくなってきた。魔法だって?
「うわ、信じてないって顔してる」
「昨日お前をここに運んだのは
要は昨日義凪を担いでいた青年を指差した。
義凪もそれについては不思議だったと認めざるを得ない。木の上を走っていた彼の身体能力は人間業とは思えなかった。そして、あの戦闘の様子も。
「で、宝玉を手に入れようとしているのが、北地区の麓にある研究所だ。お前もよく知っているだろう」
義凪の心臓が強く脈打った。
「お前の父親が勤めている研究所だよ」
*
「
そうエリカが言ったとき、時雨はそれまで信じられなかった話がすとんと腑に落ちた。
「三年前の山火事も、関係あるのね?」
「そう、あれも研究所が宝玉を手に入れようとした際に火事になったのよ」
「それでママは山火事に巻かれて死んだのね……」
淡雪町の北地区の山裾に、東方製薬という製薬会社の巨大な研究所がある。
三年前――正確には二年半前のある秋の日、研究所の裏の森から
マンションの窓から見えた赤く燃える山を、時雨はよく覚えている。その夜、時雨の母は仕事から帰って来なかった。次の日も母から連絡はなく、エリカに相談した直後、研究所から母の訃報が届いたのだ。
「だからママは、あの研究所で働いていたことを隠していたのね」
「おそらくね。町の人はあの研究所を警戒していたから……。実態はよくわかっていないけれど、製薬会社の研究所なんて名ばかりの、危険な組織なの」
母の訃報を受けるまで、時雨は母が研究所に勤めていたことを知らなかった。淡雪町の隣の市で働いているはずだった。それが突然、母は冷たくなって帰ってきた。
「山に攻め込まれたことは過去にもあったんだけど、あの山火事のときが一番激しくて、研究所の幹部と風守の一族はほぼ相討ち状態になった。そして生き残った風守の一族はたった八人、みんな子供」
「要もその中の一人なのね?」
「そう。うちに居候していた子もそうよ」
「えっ、
エリカは頷いた。
「そして研究所側も幹部を失って大打撃を受けたけど、諦めたわけじゃない。だからまたいつか襲撃を受けるだろうと、風守の一族やおじいちゃんたちは準備していたの」
そこでエリカは溜め息をついた。
「でもこんな、町中を巻き込むような手荒いことをするなんて……。研究所側だって大ごとにはしたくないはずなのに」
「どうしてそんなに宝玉を手に入れようとするの? その宝玉って、一体なに? 神様って言ったけど、財宝みたいなもの?」
「私もよく知らないの。というか、誰も正確なことはわからない、未知の物体……未知のエネルギー体って説明されたわ。膨大なエネルギーを蓄えていて、山一つどころか国一つ吹き飛ばせるとか……」
「ええ!? そんなものがあんな小さな山に眠っているの!?」
時雨は思わず腰を浮かせた。エリカは頷いた。
「だからそれを封じて、必死で守ってきた。風守の一族だけじゃなくて、この町全体でね。昔は淡雪町全体が風守の一族だったのよ。山に住んでいる人たちが中心というだけでね。今はもう山と町は分断されて、一族の存在自体が隠されているけれど」
時雨は浮かせていた腰を下ろした。
「要はそれを守るために焔城山にいるのね……」
「そうよ。だから今は無事だけど、この先はわからない。警察だって動いているけど、母体の製薬会社が裏で手を回しているだろうし、あの研究所は宗教団体も抱えていて、何も知らない信者を人質にするだろうって。だから、事態がすぐに落ち着くとは思えないって」
「そうこうしている間に、要たちは戦闘……になるの?」
エリカは伏し目がちに頷いた。
*
父親の勤め先の名前が挙がったことは、義凪を少なからず動揺させた。しかし、同時に納得もした。
だからだったのか、と。
――お前の父ちゃんはケンキュージョで働いてるんだろ!
幼い記憶が呼び起こされる。
「それで、父親が研究所の人間だから、俺を連れてきたってことか」
「それは違う。あの山火事の夜、お前の母親はどこにいた?」
心臓がドクンと脈打った。
忘れもしない。赤く照らされた夜空を、義凪は自宅の窓から見た――たった一人で。
「家には、いなかった……」
*
「今日は帰って来れないかもしれないけど、明日には必ず帰るからね」
当時小学五年生だった義凪が登校する前、母・七瀬はそう言った。母が泊まりがけで出掛けるなんてことは初めてだった。
その日の夜、山火事が起こった。義凪の住む一軒家は山から離れているので避難する必要はなかったが、闇夜を照らすように赤く光る山と、風に乗って漂う焦げ臭い匂いは恐ろしかった。なぜこんな日に限って母はいないのだろう、と思わずにはいられなかった。
次の日の夜になって、母は帰ってきた。
もうずっと家に帰っていなかった父に抱き抱えられて。
眠っている母の頬に、黒い煤がついていたことをはっきり覚えている。
次の朝、目を覚ました母は、義凪を抱きしめて泣いた。
理由はわからなかった。何も話さずに一時間近く泣いていた。母が泣くのを初めて見た義凪は、びっくりして何も聞けなかった。
*
「あの夜、お前の母親はこの山にいた。なぜかわかるか?」
要は回想から戻った義凪を睨みつけて言った。
「研究所側の戦力として投入されたからだ」
義凪は俯いて床を睨みつけると、なんとか言葉を絞り出した。
「……俺はそんなの知らない。母さんは何も言っていなかった」
「だろうな。自分が魔女だなんて話はしたくないだろう」
要はさらりと言った。
「魔女……?」
「お前の母親は、特殊な力を持っている。戦力とはそういうことだ」
「もしかして、『魔女の息子』って……」
「お前のことだ」
昨日、要が口にした『魔女の息子』という言葉。
まさか自分のことだったとは。
「そんなはずない! 母さんは普通の人間だ!」
義凪は声を張り上げた。
「お前が知らないだけだ。とにかくお前の母親は俺たちにとっては脅威だ。だからお前がここにいる。そうすれば、俺たちに手を出せない」
要は、義凪の目を睨んで言った。
「人質なんだよ、お前は」
義凪は言葉を失った。インプットされた情報が多すぎて、それはどれも現実離れしていて、頭の処理が追いつかない。
しかし、山火事の後の母の様子も、ほとんど帰ってこない父が母を連れてきたことも腑に落ちる。そういうことだったのかと、どこかで冷静に認めている自分がいることも事実だった。
義凪はその時になって、その場にいる全員の視線が自分に集まっていることに気がついた。
どの瞳も、冷たい。
そうか。
要の話が本当なら、母はここにいる人たちの仇。そして自分はその仇の息子。
最初から歓迎などされていないのだ。
考えなければならないことは山ほどあるのに、どれも考えたくないと頭が拒否する。気づかぬうちに汗をかいていた。
「さて、これで状況は大体わかっただろう。説明続きだが、佐伯
「……聞く」
そう答えたのは最早、意地以外の何物でもなかった。
要は呆れたように小さく溜め息を吐いて、口を開いた。
「あの山火事の時、一族は追い詰められて、宝玉の祠の前で奴らと対峙していた。その時……」
一瞬、要は言葉に詰まったように見えたが、すぐに口を開いた。
「《宝玉の力》が暴走した。原因はわからない。その場に居合わせた人間はほとんど死んだ。奴ら側で生き残ったのはお前の母親だけだっだ。そしてその力の影響で
義凪は要の隣に座っている黒髪の女性を見た。
「人間を含め生き物は、容れ物である『肉体』と、動力である『魂』で成り立っているといわれている。強制的に剥がされた魂は簡単に肉体に戻ることはできないし、楓の肉体は損傷が激しく危険な状況だった。肉体は刻徒川に運ばれ修復に入り、行き場を失くした魂が行き着いたのが、当時余命幾ばくもなかった佐伯彩加だった」
本当だったらこんなに生きられなかった、と言ったのは誰だっただろうと義凪は思い返す。
そうだ、夢で見た彩加だ。
「魂が共存できる者がいたのは奇跡的なことだった。そうして佐伯彩加の肉体には本人の魂と楓の魂が共存し、楓の魂が持つ生命力によって生き長らえた。それでも延命には限界がある。佐伯彩加は楓の肉体の修復が終わるまでなんとか堪えてくれた。だから殺した訳でも見捨てた訳でもない。本人も全部知っていた」
義凪の胸の中で複雑な感情が渦巻く。この感情がなんなのか、義凪自身もわからない。気分が悪かった。
「説明は以上だが、何か質問は?」
そう訊いた要は、五秒くらいしか待ってくれなかった。
「ないなら解散」
その言葉を合図に、義凪以外の全員がゆっくりと立ち上がった。
「はー、長かった」
唯の隣にいた少年が伸びをして、吐き捨てるように言った。
要は義凪を一瞥もせず部屋から出ていく。他の面々も皆、部屋から出て行った。唯は心配そうな顔をしていたが、床を睨んだままの義凪の目には入らなかった。
広い部屋には、義凪だけが取り残された。
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