03 陽だまりのような人
淡雪町は《神守の村》として、明治維新まで独立した自治を続けてきた歴史を持つ。
この町に伝わる風神信仰によれば、焔城山には神羅万象を司る神と、その神を守る風の神、二柱の神が住まうとされている。この町の民はその神々を崇めてきた。
そのためか、この町には寺院が一切なく、神社も一般的な神道と違う点も多い。独自の文化を持つ町なのである。
淡雪町で生まれ育った子供は、そんな話を町の年寄衆から聞いて育つ。
義凪も例外ではなかったが、両親共にこの町の出身ではないこともあって、神様なんて信じていなかった。
だけど、もしかしたら神様はいるのかもしれない。そう思うようになったのは、
山から吹き下ろした強い風。
不思議な女の子。
真っ赤な夢。
思い出すとゾクッとした。車に撥ねられたことよりずっと恐ろしい気さえするのだった。
*
「義凪、今年の体育祭は仕切らないの?」
体育の授業中、話しかけてきたのは
「うん、俺クラス委員じゃないし」
「意外だったなー、なんでやらなかったの?」
「部活の時間削りたくないからさ。今年は県大会で優勝するんだから」
義凪は靴紐を結びながら答える。
今日の授業は毎春恒例、五十メートル走のタイム測定である。走り終えた生徒は暇を持て余していた。
「ほんとに剣道好きだねぇ」
「稲葉こそ、相変わらず足速ぇな……」
唯は陸上部で短距離走のエースだ。足の速さは恐らく学年一、いや学校一だろう。
唯とは、小学六年生の時に義凪の通っていた小学校に転校して来て以来の付き合いだ。底抜けに明るい性格で、義凪とは気が合う。
「もうちょっとタイム出ると思ったんだけどなー」
(クラス一のタイムを出しておいて何を言うか)
義凪も運動神経は良い方と自負していたが、唯には全く追いつけない。
「そういえば、怪我治ってよかったね」
唯が自分のこめかみを指差して言った。義凪の目の横にはまだ小さなかさぶたが残っているが、絆創膏はもう必要ない。
「あれだけ顔で主張してたから、絆創膏無いと物足りない感じだねぇ」
「なんだそれ、ひでぇな」
けらけらと笑う唯は、今日も少し癖のあるショートヘアの毛先が跳ねている。
靴紐を結び終え立ち上がった時、唯の向こうに
「佐伯さん?」
「え、ああ……」
彩加を見ていたことに気がつかれ、どきっとした。
「体育の授業はほとんど見学なんだってね」
「可哀想だよな」
「義凪、好きなら色々助けてあげないと」
その一言に、義凪は膝から崩れ落ちた。
「それ、誰から聞いた……?」
「誰からって、みんな知ってるけど」
最悪だ。そして早すぎる。新学期が始まってからまだ一週間しか経っていない。
「あれ、違うの?」
「ちが……」
言いかけて、本当に違うのか、正直なところわからなかった。
この一週間、常に意識はしていたが、まだあの時のお礼を言えていない。周りの目が気になったのは事実で、あくまで自然に会話する機会が訪れないか伺っていのだ。
そんなことは義凪にとって初めてだった。いつもなら誰にだって、なにも気にせずに話せるのに。
「違わないって顔に書いてあるじゃん! ほら、こっち見てるよ、いってらっしゃい!」
「痛ってぇ!」
唯に背中を力一杯叩かれ、バシンといい音がした。なぜ自分の周りには暴力的な人間が多いのか。
顔を上げると、こちらを見ていた彩加と目が合った。意を決して、義凪は彩加に歩み寄る。
「体調、大丈夫?」
声が上擦ってしまいそうだったが、なんとか冷静を装う。
「うん、ありがとう」
彩加はにっこりと笑顔で答える。
(いつもニコニコしているな)
彩加の病気の事は詳しく知らない。今この時だって、もしかしたらキツいのかもしれない。
「桜、綺麗だよね」
そう言いながら、彩加は頭上の木を見上げた。義凪も釣られて見上げると、空を隠すかのように満開の桜が広がっていた。雪深い淡雪町では、桜が咲くのは四月に入ってからである。
「お花見できて、得しちゃった」
イタズラっぽく話す彩加は、ちっとも不幸そうには見えなかった。
(可哀想なんて言ったら、失礼だな)
できないことは確かにあるのだろう。それでも、彼女は彼女なりの楽しみや幸せを知っていて、それを心から楽しんでいる。彩加の笑顔は、そう思わせる暖かさがあった。
「結城くん、どうしたの?」
ぼうっとしていた義凪がハッとすると、彩加が不思議そうにこちらを見つめていた。
「あっ、いや、桜ホント綺麗だよな!」
グラウンドの方から体育教師の大きな声がした。どうやら、測定が終わった生徒から解散していいらしい。
「教室戻ろっか」
「そうだな。そうだ、佐伯」
立ち上がり、スカートについた土を払った彩加が顔を上げた。
「この前、事故に遭ったとこを助けてくれただろ。ありがとな」
「えっ?」
「ほら、始業式の少し前に、政嵐神社の近くで……」
彩加のきょとんとした表情に、義凪は動揺した。
そう簡単に忘れるような出来事ではないはずだ。ならば、あの子は彩加に似た別人だったのだろうか。
義凪が慌てて訂正しようとした時、あっと彩加が小さく声を上げた。
「ああ、あの時ね。うん、どういたしまして」
どうやら人違いではなかったらしい。義凪はほっとして話を続ける。
「俺、頭打ったせいかあんまりよく覚えてないんだけどさ、みっともないとこ見られちゃったよな」
「そうかな、そんなことないよ」
彩加は気まずそうに目を逸らす。
「佐伯、あの辺になんか用事あったの?」
「え? えっと……神社に行った帰り、だったかな」
(帰り?)
義凪はあの日のことを思い返す。あの後、彩加は山の方へ、つまり神社の方向へ歩いて行ったはずだ。
「ねぇ、次の授業は数学だよね。先生、時間に厳しいから早く行こうよ」
そう言った彩加の小さな手が義凪の手を掴んだ。
「そ、そうだな」
義凪は顔が一気に熱くなるのがわかった。女の子の手はこんなに華奢なのか。他にも聞きたいことがあったはずなのに、頭の中からすっぽりと抜けてしまった。
その時、校舎の三階の窓際に二人を見つめる人影があった。
仁科
義凪も彩加も、その視線には気がつかなかった。
玄関で彩加と別れた義凪は、その直後、背後から圭一と瑞樹のタックルという洗礼を受けた。
「あれ、もろに喰らってやんの」
圭一が拍子抜けしている。普段ならばこうなる事は予想できたはずなのだが、義凪はそれくらい頭がいっぱいだった。
「勝手に言ってろ」
義凪は投げやりに言いながら、彩加の応答を思い返す。
(なんか、はぐらかされたような……?)
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