02 新学期、再会

 帰宅した息子の姿を見て、母・七瀬は卒倒しかけた。

 ダウンジャケットは破れ、ジーンズは擦り切れている。義凪よしなぎは気付いていなかったが、左こめかみから血が滲んでいた。


「ど、どうしたの!?」

「自転車で転んだだけだよ。雪残っててさ」


 青い顔の母を宥めるように義凪は答える。心配症で少し過保護な母の慌て様は想像に難くなかった。


「病院で診てもらう?」

「大丈夫、大したことないよ」


 リビングでこめかみの傷を消毒されながら、義凪は車に撥ねられたことは言わないことにした。

 本当なら警察に話した方がいいに違いないが、母をあまり心配させたくなかった。それにもし警察に連絡したら、事故現場にもう一度行かなくてはならない。


 ――この辺りにはしばらく来ない方がいい。


 あの忠告を守った方がいい。そんな気がしたのだ。


「どこで転んだの?」

政嵐まさらし神社の近く」


 義凪が答えると、救急箱を片付ける七瀬の手が止まった。


「……どうして、そんなところに行ったの?」

「ばあちゃんが足悪いのにお供えに行くって言って聞かないからさ、圭一んちの帰りに代わりに寄ってきたんだよ」

「そう……」


 こめかみに大きな絆創膏を貼られた義凪がソファから立ち上がると、七瀬が義凪を見上げた。


「義凪、あまり山の方に行かないで」


 いつになく沈んだ声に驚いて義凪が見返すと、七瀬は目線を下に逸らす。


「なんで?」

「だってほら、前に山火事があったでしょ?」

「山火事って二年以上前だろ? そう何度も起こるもんじゃないし」

「そうだけど……」


 七瀬が言葉に詰まる。


「ま、学校始まるし、あんな離れたとこ、まず行かないって」


 義凪がニカッと笑うと、ようやく七瀬はホッとしたようだった。




 二階の自室で服を着替え、ベッドに寝転んだ。

 あの女の子が助けてくれたのだろうか。


 名前は確か、佐伯さえき彩加あやか

 中一の時は隣のクラスだった。小学校は別々だったので会話をしたことはないが、体が弱いと聞いたことがある。色白で華奢な子だったはずだ。

 しかし先程見た彼女は義凪の記憶と印象がだいぶ違った。どう違うのか、うまく説明できないが。

 それにしても、なぜあんな場所にいたのだろう?


 頭の中をぐるぐると思考が巡る。白濁する意識の中で、瞼が重くなる。


(そういえばあの子、瞳が赤かったような……)


 夢を見た。

 真っ赤だ。

 まるで、炎の中にいるような……。

 刀を携えた人影。

 他にも何人かいる。


 揺れる、長い黒髪。

 真紅の瞳が射抜くように義凪を見つめている。

 

 君は誰?


 伸ばした手が空を掴んで、義凪は目を覚ました。日が暮れて部屋は暗くなっていた。

 ふと顔に触れると、目尻から涙が流れていた。


「なんで泣いてるんだろう、俺……」



◇◇◇



「その絆創膏、どうした?」


 新学期の初日、中学校の自転車置き場で友人・永田圭一にまず聞かれたのは、左目の横で存在を主張する絆創膏のことだった。


「あー……チャリで転けた」

「どんだけ派手に転けたんだよ」


 坊主頭の圭一が白い歯を見せながら笑う。


 二人は玄関の横に掲示されたクラス名簿の中から自分の名前を探した。

 結城という名字は名簿の後ろから探した方が早い。すぐに二年二組の名簿に自分の名前を見つけ、そのまま目線を上に滑らし誰が同じクラスなのか確認する。


(お、瑞樹、圭一も一緒だな)


 更に目線を上げた時、どきりと心臓が跳ねた。

 ――“佐伯彩加”。


「義凪、同じクラスじゃん!」

「あ、ああ」


 突然圭一に話しかけられ、思わず戸惑いの声を漏らした。


「どうした?」

「あのさ、佐伯さんって知ってる?」

「佐伯さん? 俺、一年の時同じクラスだったけど、なんで?」

「いや、どんな子かなって……」


 義凪の目が泳ぐ。圭一の目が三日月型になった。


「ふ〜ん……お前、あーゆー子が好みなの?」

「違う! なんでそうなるんだよ!」

「よう、何の話?」


 話に入ってきたのは矢野瑞樹。義凪と同じ剣道部で、背が高くひょろっとしている。

 圭一、瑞樹、義凪の三人は小学校からの親友だ。


「義凪の好きな子の話」

「マジ? 誰?」


 圭一がニヤニヤしながら話すと、瑞樹の細い眼が普段の倍くらい開かれた。


「だから違うって!」

「じゃあ何で聞いたんだよ?」

「いや、ちょっと気になっただけで」


 しまった、と義凪が口に手を当てたが時すでに遅し。圭一はうんうんと満足そうに頷く。

 聞く相手を間違えたことを後悔しながら、義凪は玄関に向かってズカズカと歩き出した。




 新学期で久しぶりに友人と会う人も多いのか、教室は賑やかだった。


「ほら、あそこ」


 圭一に肘で突つかれながら、義凪はげんなりと肩を落とした。圭一からクラス中に広まるのは時間の問題だ。それまでに誤解を解ける自信はない、というか絶対無理だ。

 示された先では、席に座った女の子がそばに立つ友人と談笑していた。


「あっ、義凪じゃん!」


 談笑の相手である清水理沙が義凪に気付き、手を振った。彼女は義凪とは同じ小学校の出身のため顔見知りだ。


 理沙の目線を追うようにこちらを見た彩加と義凪の目が合った。


(あれ……?)


「なに固まってんだよっ!」


 圭一に思いっきり背中を叩かれて、義凪は前につんのめった。そこに理沙が歩いてくる。


「義凪、二組なんだね、よかったー! あの子、佐伯彩加っていうの。知ってる?」

「え、まあ」

「あの子、体弱くて休みがちなの。クラス別れちゃって心配だったんだけど、義凪がいるなら安心! 色々助けてあげてね、元委員長さん」


 理沙は義凪の左肩をバシバシと叩いた。事故で打った位置を直撃し、義凪は上げそうになった悲鳴を飲み込む。

 今度は左腕を掴まれ、彩加の元へ引っ張られる。背中を押す圭一がどんな顔をしているか想像に難くない。


「彩加、こいつ結城義凪っていうの。何かあったら頼るといいよ」


 きょとんとしていた彩加だったが、すぐににっこりと笑った。


「佐伯です、初めまして」

「あ、どうも……」


 義凪は小さく頭を下げた。


「やだ、照れてんのー!? めっずらしー!」


 今度は背中をバシンと叩かれた。この友人は昔から何かと暴力的だ。もちろん悪気がないことは知っている。

 圭一が理沙に何か耳打ちし始めた。


「圭一コラ! なに吹き込んでやがる!」


 慌てて止めに入ろうとした義凪だったが、瑞樹に羽交い締めにされる。


「えーっ、そうなのぉ!?」


 声を上げた理沙の顔を見て、焦った義凪は思わず彩加を見た。わぁわぁと騒ぐ四人をぽかんと見ていた彩加と目が合う。


「みんな、仲良いんだね」


 ふんわりとした彩加の笑顔に、義凪の顔はカァッと耳まで熱くなった。

 こんなことは生まれて初めてだった。


 そこで予鈴が鳴り、義凪はホッと胸を撫で下ろした。

 始業式のため体育館へと向かう理沙と彩加の後を、少し離れて義凪たちが追う。


「俺、義凪が赤くなってんの初めて見たわ」

「うるさいな」


 ニヤリと笑う瑞樹から義凪は目を逸らす。まだ顔が熱かった。

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