02 新学期、再会

「その絆創膏、どうした?」


 新学期の初日、中学校の自転車置き場で友人・永田圭一に会った義凪よしなぎがまず聞かれたのは、左目の横で存在を主張する絆創膏のことだった。


「あー……チャリで転けた」


 もちろん、車に撥ねられたとは言わない。


「どんだけ派手に転けたんだよ」


 坊主頭の圭一が白い歯を見せながら笑う。


 二人は玄関の横に掲示されたクラス名簿の中から自分の名前を探した。結城という名字は、名簿の後ろから探した方が早い。

 すぐに二年二組の名簿に自分の名前を見つけると、そのまま目線を上に滑らし、誰が同じクラスなのか確認する。


(お、瑞樹、圭一も一緒だな)


 更に目線を上げた時、どきりとした。

 ――“佐伯彩加あやか”。


「義凪、同じクラスじゃん!」

「あ、ああ」


 突然圭一に話しかけられて、思わず戸惑いの声を漏らす。


「どうした?」

「あのさ、佐伯さんって知ってる?」

「佐伯さん? 俺、一年の時同じクラスだったけど、なんで?」

「いや、どんな子かなって……」


 義凪の目が泳ぐ。圭一の目が三日月型になった。


「ふ〜ん……お前、あーゆー子が好みなの?」

「違う! なんでそうなるんだよ!」

「よう、何の話?」


 話に入ってきたのは矢野瑞樹。義凪と同じ剣道部で、背が高くやや細身だ。

 圭一と瑞樹、そして義凪の三人は、小学校からの親友である。


「義凪の好きな子の話」

「マジ? 誰?」


 圭一がニヤニヤしながら話すと、瑞樹の細い眼が普段の倍くらい大きく開かれた。


「だから違うって!」

「じゃあ何で聞いたんだよ?」

「いや、ちょっと気になっただけで」


 しまった、と義凪が口に手を当てたが、時すでに遅し。圭一はうんうんと満足そうに頷く。

 聞く相手を間違えたことを後悔しながら、義凪は玄関に向かってズカズカと歩き出した。




 新学期で久しぶりに友人と会う人も多いのか、教室は賑やかだった。


「ほら義凪、あそこ」


 圭一に肘で突つかれながら、義凪はげんなりしていた。圭一からクラスに広まるのは時間の問題だ。それまでに誤解を解ける自信はない。というか絶対無理だ。

 圭一が示した先に、席に座っている女の子がいた。そばに立つ友人と談笑している。


「あっ、義凪じゃん!」


 談笑の相手、清水理沙が義凪に気付いて手を振った。彼女は義凪とは同じ小学校の出身のため顔見知りだ。


 理沙の目線を追うようにこちらを見た彩加と、義凪の目が合った。


(あれ……?)


「なに固まってんだよ!」


 圭一に思いっきり背中を叩かれて、義凪は前につんのめった。そこに理沙が歩いてくる。


「義凪、二組なんだね、よかったー! あの子、佐伯彩加っていうの。知ってる?」

「え、まあ」

「あの子、体弱くて休みがちなの。クラス別れちゃって心配だったんだけど、義凪がいるなら安心! 色々助けてあげてね、元委員長さん」


 理沙は義凪の左肩をバシバシと叩いた。事故で打った位置を直撃し、義凪は上げそうになった悲鳴を飲み込む。

 今度は左腕を掴まれ、彩加のところへ引っ張られる。背中を押しているのは圭一だ。どんな顔をしているか想像に難くない。


「彩加、こいつ結城義凪っていうの。何かあったら頼るといいよ、頭いいし」


 きょとんとしていた彩加だったが、すぐににっこりと笑った。


「佐伯です。初めまして」

「あ、どうも……」


 義凪は小さく頭を下げた。


「やだ、照れてんのー!? めっずらしーい!」


 今度は背中をバシンと叩かれる。この友人は昔から何かと暴力的だ。もちろん悪気がないことは知っている。

 圭一が理沙を呼び、何か耳打ちし始めた。止めに入ろうとした義凪だったが、瑞樹に羽交い締めにされる。


「圭一コラ! なに吹き込んでやがる!」


 義凪は彩加をチラッと見た。わぁわぁと騒いでいる四人を不思議そうに見ていた彩加と目が合う。


「仲良いんだねぇ」


 ふんわりとした彩加の笑顔に、義凪は硬直し、顔が耳まで熱くなった。

 こんなことは初めてだった。


 予鈴が鳴ったためこの場はお開きになり、始業式のため皆が体育館へと向かう。


「俺、義凪が赤くなってんの初めて見たわ」

「うるさいな」


 ニヤリと笑う瑞樹から義凪は目を逸らす。まだ顔が熱かった。





 始業式の間、義凪が考えていたのは、彩加と最初に目が合った時のことだった。

 あの日、森の中で会った女の子は彩加だ。髪型も背丈も一致しているし、顔も同じはずだ。


(でも、何か違う気がしたんだよな……)


 さっきはその違和感に気を取られ、何も言えなかったのだ。


 考えすぎだと義凪は思い直す。それに制服と私服で雰囲気が変わる子は結構いるものだ。

 もちろん瞳が赤いなんてこともない。あれはきっと光の加減でそう見えたのだろう。


 きっとそうだ……。


 校長の話をぼんやりと聞き流しながら、後で彩加にお礼を言おうと義凪は決めた。




 ホームルームが始まり、クラス委員を決めることになった。担任が立候補を募るが、なかなか手は挙がらない。

 推薦を受け付けると、まず最初に義凪の名前が挙がったが、断った。


「俺、去年クラス委員長やったんで。代わりに永田君を推薦しまーす」


 今朝散々弄られた事に対する、義凪なりの反撃だった。クラス中からクスクスと笑い声が聞こえ、圭一が何か言いたそうな顔で義凪を睨んだが、気づかないふりをした。


 義凪はそういった役職に就くのが決して嫌いなわけではない。

 小学生の頃も他の生徒が謙遜してやらない仕事を引き受け、そのせいか同級生にも教師にもよく頼られた。

 今回は単に、部活の時間を削られるのが嫌なだけである。


 ホームルームが終わり、義凪はカバンを肩にかけた。


「じゃあな圭一、クラス委員頑張れよー」

「義凪テメェ覚えてろよー!」


 早速仕事を言いつけられている圭一を残して、義凪と瑞樹は教室を後にした。





 義凪が玄関を出ると、前方に彩加の後ろ姿があった。


(お礼を言うチャンスだ)

 

 踏み出しかけてハッとした。今、自分の隣には瑞樹がいる。

 彩加に話しかけようものなら、確実に冷やかされる。そして圭一にも話が行くだろう。それはまずい。


 義凪が思い留まっていると、同じ学年の女子生徒がコソコソと話しながら横を通り過ぎて行く。


かなめ先輩に挨拶しちゃった!」

「かっこいいよねー!」


 おや、と思った義凪が振り返る。


「要先輩!」


 義凪が声をかけると、仁科にしな要が顔を上げた。眼鏡の奥の気怠げな眼が義凪を捉える。


「先輩、何組ですか?」

「二組」


 要はニコリともせず答える。


「俺もです、また体育祭同じ連合ですね! もしかして連合長やるんですか!?」

「やるわけないだろ」


 義凪の通う中学校の体育祭は、学年を縦断してチーム分けされる。三年生が連合の中心となり、一年生と二年生はクラス委員がリーダーとなって準備を進めていくのだ。

 去年、一年と二年それぞれの一組のクラス委員だった義凪と要はそこで知り合った。


 実は義凪は、それ以前から要を知っていた。

 成績優秀で運動神経も抜群、そして何より端正な顔立ちの要は、学校中の女子生徒に人気だったからだ。


 そんな人物と一緒に仕事をするようになり、義凪は要が人気になる理由がわかった。クールで素っ気ない印象とは裏腹に、器用で気が回り、決断力とリーダーシップがある。

 中学生とは思えないほど大人びた要に、義凪は憧れ、すっかり懐いていた。


「義凪はまたクラス委員なのか」

「いやー、今年は流石にパスしました! でも絶対先輩が連合長やった方がいいですよ、優勝できますって」

「断る」


「要は嫌でも周りが推すだろうけどね」


 少し嫌味を含んだ、しかし明るい声と共に、要の後ろから二人の女子生徒が現れた。


時雨しぐれ先輩、エリカ先輩、こんちは!」

「結城くん、今日も元気ね。矢野くんもこんにちは」


 エリカがにっこりと笑うと、義凪の横にいた瑞樹が小さく頭を下げた。


「私たちも二組だよ、よろしくね」と時雨。


 雛形ひながた時雨と雪邑ゆきむらエリカ。要のクラスメートだ。


 黒髪の色白美人がエリカ。彼女こそ、この学校で知らない人はいない有名人だ。言わずと知れたこの町の町長の孫娘だからである。雪邑家は歴代の町長を輩出している名家で、エリカはそのご令嬢なのだ。


 もう一人の美女・時雨は栗色のショートヘアで、中学生らしからぬ魅惑的な体つきのためによく高校生と間違われるらしい。また、要に次ぐ秀才である。

 要と付き合っているという噂もあるが、本人たちは否定しているらしい。


「俺はやらないからな」時雨を睨みながら要が言う。

「とか言って去年もしっかり仕事してたじゃない」と時雨が冷やかす。

「そうそう、もったいないですよ!」

「義凪も乗っかるな」


 要は校門へ歩いて行ってしまった。エリカが軽く手を振り、美女二人も去っていく。


「……エリカ先輩、ホント綺麗だな」


 沈黙を貫いていた瑞樹が突然呟いた。


「瑞樹、エリカ先輩派?」

「お前は? 時雨先輩派?」

「うーん、俺は要先輩派?」

「お前それ誤解されるぞ……」


 気がつけば、彩加の姿も見えなくなっていた。


(ま、同じクラスだし、お礼はいつでも言えるか……)


 頭を掻いて、義凪は学校を後にした。


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