紅く燃える森 〜人質少年と宿命の巫女〜
夏野梅
第1章 戦う覚悟
01 プロローグ 〜風の出会い〜
「人質なんだよ、お前は」
連れてこられた山の上でそう告げられた
魔女の息子? 俺が?
そんなことを、どうして憧れていた先輩に言われなきゃならないんだ?
しかし義凪には、それよりももっと大事なことがあった。
先輩の隣にいる、真紅の瞳の巫女。
あいつのせいで、佐伯は――。
*
後になって思えば、すべてはずっと前から始まっていたのだとわかる。
しかし義凪にとっては、あの日――彼女との出会いがすべての始まりだった。
「よっ、ほっ、と」
結城義凪は高い木々に挟まれた石造りの階段を二段飛ばしで登っていた。
ここは
それは、とある“おつかい”のためである。
(ばあちゃんも、律儀だよなぁ)
ばあちゃんと義凪が呼ぶのは隣の家に住む老婦人のことだ。
家から神社までは若い人でも徒歩一時間以上かかる。足の悪いばあちゃんがそれでも行くと言って聞かないものだから、義凪が友達の家へ行くついでに寄ってくると申し出たのだった。
『冬の間は食べ物が採れないでしょう? 神様がお腹を空かせていらっしゃるから、雪が溶けたらすぐにお供物を持っていかなくちゃいけないのよ』
春になる度にそう言っていたばあちゃんは、義凪が小さい頃から山に住む神様の話をよく聞かせてくれた。義凪が住む淡雪町には風神信仰が深く根付いている。しかし義凪自身は信心深いとはあまり言えなかった。
(神様ねぇ……焼き菓子なんか食うのかな)
ばあちゃんから託された洋菓子屋の紙袋を揺らしながら百段ほどの階段を登りきると、視界が開けた。とは言っても円形の土地の中心にある拝殿はこぢんまりとしており、社務所も古びている。汚れた雪が境内の隅で山になっていた。
人の姿はなく、聞こえるのは鳥の
静かだ。
拝殿にはすでに供物の入った袋が置いてあり、義凪は横に焼き菓子の紙袋を並べると、ダウンジャケットのポケットから取り出した十円玉を賽銭箱に投げ込んだ。
境内に柏手の音が木霊する。
「えっと、ヤスコばあちゃんからです」
目を開けてふと見上げれば、拝殿はかなり古く所々傷んでいた。どれほどの歴史がある神社なのか、義凪はよく知らない。
風の冷たさにぶるっと体が震え、早く帰ろうと背を向けて歩き出した時、強い風が義凪の体を後ろから押した。
ざあっという風の音に包まれる。
「……?」
誰かに呼ばれたような気がして振り返る。しかしそこには小さな拝殿と、その奥に焔城山がそびえるだけだった。
階段を降りた義凪は自転車に跨り、来た道を下り始めた。焦茶色の短い髪を四月の風が撫ぜていく。
中学二年生になったばかりの義凪は、緩い坂道を下りながらもうすぐ始まる新学期に思いを馳せていた。
(今年はどんな一年生が剣道部に入部してくるかな……)
周りは水田と山から溢れ出した黒い森が広がるばかりなのに、道路は街と神社を結んでいるためかきれいに舗装されている。周辺に民家はなく、田植え前は人の姿も見られない。
そんな道の前方に黒いミニバンがぽつんと止まっているのが見えた。後部がこちらに向いている。
義凪が特段気に留めずに車の横を通り過ぎた直後、エンジンのかかる音がした。
「ん?」
義凪が振り向くと、車がこちらに向かって走り出し、近づいている。
気味が悪い――そんな直感で、咄嗟に目の前の十字路を左折した。スピードが出ていたので、危うく雪の残る水田に突っ込むところだった。
振り返って様子を
ぞわ、と嫌な予感がした。
義凪は体中に汗をかきながら、必死でペダルを漕ぐ。民家のある地区まではまだ距離がある。逃げ切れるだろうか――
「うわあっ!?」
背後から大きな衝撃に襲われ、義凪は前方に勢いよく投げ出された。
自転車がアスファルトに擦れる耳障りな音。義凪の体は背中から道路に着地し、横に二回転して止まった。
衝撃で呼吸ができない。
車のドアが開く音が聞こえ、続いて足音が近づいてきた。ぼんやりとした視界の中に男物と思しき黒っぽい靴が入り込む。
(誰だ……?)
呼吸が戻った義凪は大きく咳き込む。すると相手は無言で踵を返し、再び車に乗り込んだ。
朦朧とした意識の中で最悪の事態が頭を過ぎる。
(な、んで、こんな目に……)
次の瞬間、強い風が吹いた。
体が浮いた気がした直後、義凪の意識は途絶えた。
◇◇◇
「う……」
義凪が目を開けると、そこは薄暗い森の中だった。
「大丈夫?」
「いてて……ここ、どこ? 俺、確か……」
頭を押さえながら記憶を辿る。自転車ごと車に撥ねられたはずなのに、今いるのは森の中だ。
「歩ける?」
「あ、ああ」
淡白な問いかけに答え、義凪は木の幹に手を付き立ち上がった。左肩に痛みはあるが足は無事だ。
「こっち」
言葉少なに歩き出した彼女を慌てて追うと、間も無くして森を抜けた。
森の縁に沿って歩きながらキョロキョロと周りを見渡したが、山沿いの田園風景はどこも似たり寄ったりで特徴がない。義凪は現在地の特定を諦め、大人しく彼女の後ろを歩いた。
肩より少し上で切り揃えられた髪が風に揺れている。顔に見覚えがある気がしたが誰なのか思い出せなかった。
「あのさ、助けてくれたんだよな?」
話しかけるも、反応はない。
沈黙の気まずさに耐えかねた義凪が別の事を訊こうとした時、突然彼女が振り返った。そして何も言わずに指差した先には、アスファルトに横たわる義凪の自転車があった。
「あっ、俺の自転車!」
駆け出した義凪が彼女を追い越したその時、静かな声がした。
「この辺りにはしばらく来ない方がいい」
「えっ?」
振り向くと一瞬、彼女と目が合った。夕日を受けた茶色い髪が風に吹かれ、顔を隠す。
「気をつけて」
彼女は呟くように言うと踵を返した。
「ちょっと、どこ行くの?」
義凪の問いに何も答えず、来た道を戻っていく。
その時、一陣の強い風が吹き抜けた。
義凪は咄嗟に腕で目を覆う。気づいた時には彼女の姿は見えなくなっていた。
ぽかんと立ち尽くしていた義凪はハッと我に返る。
「あの子、隣のクラスの子だ。確か名前は、
◇◇◇
帰宅した息子の姿を見て、母・七瀬は卒倒しかけた。
ダウンジャケットは破れ、ジーンズは擦り切れている。義凪は気付いていなかったが左こめかみから血が滲んでいた。
「ど、どうしたの!?」
「自転車で転んだだけだよ。雪残っててさ」
青い顔の母を
「病院で診てもらう?」
「大丈夫、大したことないよ」
リビングでこめかみの傷を消毒されながら、義凪は車に撥ねられたことは言わないことにした。
本当なら警察に話した方がいいに違いない。しかし母を心配させたくなかったし、もし警察に連絡したら事故現場にもう一度行かなくてはならない。
――この辺りにはしばらく来ない方がいい。
あの忠告を守った方がいい。そんな気がしたのだ。
「どこで転んだの?」
「政嵐神社の近く」
義凪の答えに、救急箱を片付ける七瀬の手がピタリと止まった。
「……どうして、そんなところに行ったの?」
「ばあちゃんが足悪いのにお供えに行くって言って聞かないからさ、圭一んちの帰りに代わりに寄ってきたんだよ」
「そう……」
こめかみに大きな絆創膏を貼られた義凪がソファーから立ち上がると、七瀬が義凪を見上げた。
「義凪、あまり山の方に行かないで」
いつになく沈んだ声に驚いて義凪が見返す。すると七瀬は目線をパッと下に逸らした。
「なんで?」
「だってほら、前に山火事があったでしょ?」
「山火事って……二年以上も前の話だろ? 何度も起こるもんじゃないし」
「そうだけど……」
七瀬が言葉に詰まる。義凪は不思議に思いつつも突き詰めることはしなかった。
「ま、学校始まるし。あんな離れたとこ、まず行かないって」
義凪がニカッと笑い手をパタパタと振ると、ようやく七瀬はホッとしたようだった。
義凪は二階の自室で服を着替え、ベッドに仰向けになった。
「なんだったんだろう、あの車……」
天井を見ながら呟く。
なんだか夢を見ていた気さえしてしまう。体の痛みがなければそれで片付けていたかもしれない。それくらい非現実的な体験だった。事故もそうだが、その後のことも。
あの女の子が助けてくれたのだろうか。
佐伯彩加。
中一の時は隣のクラスだった。小学校は別々だったので会話をしたことはないが、色白で華奢な子だ。しかし先程見た彼女は義凪の記憶と印象がだいぶ違った。どう違うのかはうまく説明できないのだが。
(あの子、なんであんなひと気のない場所にいたんだ?)
頭の中をぐるぐると思考が巡る。白濁する意識の中で瞼が重くなる。
(そういえばあの子、瞳が赤かった、ような……)
夢を見た。
真っ赤だ。
まるで、炎の中にいるような……。
刀を携えた人影。
他にも何人かいる。
揺れる、長い黒髪。
真紅の瞳が射抜くように義凪を見つめている。
君は誰?
伸ばした手が空を掴んだ拍子に、義凪は目を覚ました。
既に日が暮れて部屋は暗くなっている。起き上がって顔に触れると、目尻から涙が流れていた。
「なんで泣いてるんだろう、俺……」
=====
本作をお手に取っていただきありがとうございます。
立ち上がりゆっくりめの長編ファンタジーですが、お付き合いいただけますと幸いです。
【参考】第一章で登場する主要キャライラストはこちら
(ドット絵なので平気な方のみどうぞ。若干第二章のネタバレあり)
https://kakuyomu.jp/users/natsuume8/news/16818622176723530365
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます