青年、告白する

 次の月。初夏の匂いを漂わせながら、惣一郎はやってきた。階段を上るその足取りはしっかりとしたものだった。

 

 小夜は蝶の簪を頭に挿し、彼に押し付けられた着物を纏っていた。


 桃色の振袖には鉄線の花が描かれ、黄色の帯には金で細やかな刺繍が入れられている。艶やかなその布は上等なものだろうと、着物に詳しくない小夜でも一目で分かったのだった。

 

「惣一郎。いらっしゃい」

「話があるんだ」

「……うん」


 四阿の長椅子に腰掛けた惣一郎は、真剣な目をしていた。息を一つついて、彼は口を開く。

 

「此処にはしばらく来れなくなる」

「え?」


 想定外の言葉に、小夜は目を丸くした。

 

「俺は染伊屋でこの領を受け持っていた。しかし二十になった今、『数多の領を見て回りながら商いをするように』と父からの申し渡しがあったんだ。だからしばらくここには来れない。下手したら、数年」

「そんな……寂しくなるな」


 小夜は眉を八の字に下げた。人間の友達は惣一郎ひとりしかいない。月に一回ではあったが、惣一郎に外の話を聞かせてもらうのは確かに小夜の楽しみになっていたのだ。

 

 惣一郎は小夜の言葉に少し黙る。そして深呼吸をすると、横に座る小夜の手をそっと取った。

 

「だから……小夜、俺と来てくれないか。これからしばらくは、ここでも自領でもない地で、行商人として修行するつもりなんだ。俺なら、小夜が見たことのない外の世界を見せてあげられる」


(──外の世界)

 

 外の世界に大きな憧れはあった。幼少期は薄汚れた小さな通りで暮らしていたし、村長邸に拾われてからはずっと屋敷の中から出してもらえないまま、乙羽が外出するたびにその自慢話を聞かされていたのだ。


(だけど、一緒に来てくれって......?)


「小夜のことが好きなんだ」


 熱のこもった焦茶色の瞳が小夜を射抜く。これほど真剣な彼の表情は初めて見た。本気なのだと伝わってくる。


「もし外が怖いというのなら、名前を変えてもいい。この領さえを出しまえば、領主や村長たちの手のものに正体が露呈することは決してないだろう。それに万一見つかったとしても、隣の領民の俺から勝手に小夜をとりあげることは不可能になる」


 握られた手に力が込められる。小夜とは違う、ごつごつとした大きな手。


「だからどうか……俺と結婚して、そばで支えてくれないか」


 熱い眼差しに思わず目を逸らしたくなる。


 実のところ、惣一郎からの友愛以外の好意には薄らと気づいていた。小夜は暁を後ろから眺めているときの自分を、横の鏡で見てしまったことがある。今の惣一郎とその時の自分は、似たような顔をしていた。


(だけど私は、暁が好き……)


 隠そうと決めた彼への想いは募るばかりで、押し殺し続けるのは苦しかった。一緒にいると幸福を感じるとともに、己の罪深さに溺れ死んでしまいそうになる。

 

 一昨年と昨年の東雲祭に二度、小夜は口付けをされた。唇が触れた瞬間は驚愕とともに幸福感が昇ってきて、それが離れた瞬間、絶望の谷底に突き落とされるのだ。


 しかし惣一郎といるときは暁といる時とは全く異なる。心地良く、ただ楽しいだけ。


 きっと彼についていけば、何も苦しいことはない。それに彼は大きな商屋の跡取りだ。きっと昔とは違う、何不自由ない暮らしもできる。

 情の深い彼は力を尽くして小夜を領主たちの目から守ってくれるし、例え寿命が普通ではない小夜のことを知ったって、一生涯愛してくれるのだろうと確信できた。

 

 それでも、小夜の脳裏には暁と過ごした記憶が蘇ってくる。人生に絶望したあの日、祠を壊した少女を拾って、全てを与えてくれたのは彼だ。


 それがある種の酔狂さだったということは分かっているが、誰かに尽くしたいと想う気持ちも、そして初めての恋も、全部暁が教えてくれたものだった。

 

 小夜に微笑みかけるあの朝焼けの瞳を思い出すと、泣きたいような気持ちになった。

 

(──私の命は、暁のものだ)


「惣一郎、ごめん。好きな人がいるの……私の命は全部、彼のものだから」


(本当は、ではないけれど)


 しかしそれを惣一郎に話すことはできない。握られた手を抜き取ると、惣一郎が少し笑った。笑っているけれどそれは諦めたような、哀しそうな顔だった。

 

「ここの土地神さまか?」

「え!?」

 

 まさかの言葉が惣一郎から出てきて、小夜は心底吃驚した。ぱちぱちと瞬きをして頷く。


「な、何で知ってるの?」

「一度見たことがある……はぁ、そんな気はしてたよ」


 惣一郎は先月、不思議な力によって酷い目に遭わされたことを思い出す。

 

 あの日惣一郎にだけ姿を現して牽制したということは、小夜と想いがまだ通じているわけではないのだろう。

 そう察しはついたため、この神社がある領さえ抜けてしまえば何とかなるだろうと考えて告白を決めたのだった。

 

 小夜は両手を胸の前に当て、目を伏せる。


「身分が違うって分かってる。相手は神さまだし。好きになってしまったけど、同じ気持ちが返ってくるなんて思ってない」

「そうか?」


 惣一郎は首を傾げる。あの日射殺さんばかりの目で睨みつけてきた銀髪の男を思い返し、苦笑いする。美人の眼力は迫力があるどころの話じゃなかった。


(まぁ、確かに同じ気持ちではないかもな。あれの方がずっと物騒で、酷く執着しているように見えた。)


 惣一郎は振られても、自分が思っていたより精神的に参っていないことに内心驚いた。


 告げる前、勝算は五分五分だと思っていたが、どうやら小夜のこの様子では一分も無かったらしい。まだ胸はきりきりと鋭く痛んでいるが、背中くらいは押してやろうと思った。

 

「土地神さまに伝えないのか?」

「そんなことしても、迷惑かけるだけだよ」

「俺の想いは迷惑だった?」


 はっとした小夜は、慌てて首を横に振る。首が取れてしまうのではないかと思うくらいの激しさだった。惣一郎の想いが迷惑なんてことがあるものか。


「そんなことない! 嬉しかったよ、本当に」

「なら、土地神さまもそう思うんじゃないのか」


 小夜は彼の言葉に胸を打たれる。自分への想いを伝えてくれた惣一郎は、これ以上ないほどに真っ直ぐだった。

 

(暁は、迷惑だなんて絶対思わない)


 祠を破壊するというとんでもないことをしでかした小夜を許し、拾ってくれた彼は間違いなく優しい神さまだ。迷惑がるくらいなら、最初から社に人間を置くこともないだろう。

 

 彼が神力しんりょくを与えてしまった責任感から花嫁に、と小夜に持ちかけることが苦しかった。


 だけど、どんなに同じ想いを返してもらえる可能性が低くとも、こうやって逃げ続けてはならない。


 理由をつけて恋心を隠そうとしたのだって、本当は自分がこれ以上傷つきたくないだけだった。


(私も、伝えなきゃ)

 

 目の前の青年に向き直る。

 

「私も、伝えることにする」

「そうすればいい」

「あのね……! 惣一郎はいつまでも、私の大切な友達だよ。だからその……良かったらまたいつか、遊びに来てほしい」


 必死に言い募る小夜を見て、惣一郎は自らの恋に完全に終止符を打つことにした。好きな子である前に、彼女は友人だったなと思い出す。自分よりよほど長生きするらしいその少女に笑いかける。

 

「あぁ、友達だ。必ずまた遊びに来る」


 荷物を背負った惣一郎は、背を向けて歩き出した。

 

「わ、私を好きになってくれて、ありがとう!」

 

 背後から小夜の叫び声が聞こえた。大きな声を出すことに慣れていないせいか、少し声が裏返っていた。

 

 頑張れよという気持ちを込めて惣一郎は振り向かないまま、好きだった女の子に手をひらひらとさせるのだった。


 惣一郎の姿が見えなくなると、小夜は気合いを入れるように足を叩いて、駆け出した。向かう先は本殿だ。

 

 暁は毎月はじめに惣一郎が訪れる日の日中は、何故だか姿が見えなくなる。夕食の時間まで待てば現れるが、小夜は今すぐにでも気持ちを伝えたかった。

 

 本殿の中央に位置する東雲神社の御神体の前で、その名を叫ぶ。


「暁!」


 今まで自分から彼を呼び出したことはなかったため、果たして来てくれるのかは分からない。どうか来てくれますようにと強く祈ったとき、背後から声がかかる。


「何かな」

 

 よく知った、待っていた声。振り返ると、銀の髪と朝焼けの瞳が目に入った。その瞳が小夜の頭からつま先までを静かに眺める。

 

 彼の様子に気づかない小夜は、拳を握って口を開いた。

 

「あのね、暁」

「そんな、持っていたんだね?」


 それは、冷たい響きだった。

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