神、睨み合う

「あの二人、お似合いよねぇ。良いのかしらぁ?」


 ちらちらと女神の視線が向けられる。

  

「私には関係ありません。それに小夜はまだ子どもだ。余計なお世話だと思いますが」


 蜜を一瞥もせず、暁は言った。

 

「そうやって花開く小夜ちゃんから目を逸らしているつもり? 子どもじゃないわぁ、もう彼女は十八よ」

「何千年も生きる我々にとって、人間が二つ年をとることがそんなに重要ですか」

「そうねぇ? わたくしたちにとって、二年など瞬きと変わらないわぁ。だけど、人間は違う。小夜ちゃんはまだ、人間でしょう」

 

 「ぎりぎりだけど」、と彼女は小さく付け加えた。普通の人間ではないとは言え、神でも眷属でもない彼女はまだ人間の範疇はんちゅうにいる。


 二年前彼女を拾ったときから、小夜はずっと必死だった。何一つその手に持っていなかったからだ。


 透明な彼女は、身を置く場に合わせて自らの色を変え、溶け込ませようと近づける。しかし味方のいない世界に慣れすぎていたせいで、自らに害意の無い世界での歩き方が分からないかのようだった。


 捨てられないように、傷つけられないようにと張り詰めた糸のような緊張感を纏うこともあれば、素直に全てを受け取る無防備さもある。


 何も持たない手で何かを掴もうと、何かを差し出そうとする姿はどうしてか放って置けなかった。

 

 小夜のはにかんだ笑顔に目が離せなくなるのは、何も暁だけの話ではない。

 弓彦も、蜜も、そして惣一郎という青年も、想いの種類は多少異なれど、彼女に惹かれていったことには変わりなかった。


 ふぅ、と大袈裟に蜜は息を吐く。


「花嫁に、と迫ったんでしょぉ?」

「……それが何か? 別に無理強いをしたことはありません。あくまで一つの道として示しただけです」


(小夜のことは、少し気に入っているだけ。別に私の花嫁にならなくたって、一切構わないし)


 祭りのとき、花嫁と言及したのも、小夜が細工屋を気にする素振りを見せていたからだ。

 もし恋人同士が揃える指輪に憧れるなら、あんな我楽多がらくたじゃなくてもくれてやると、そう思って言っただけに過ぎない。


「それならどうして、姿を消してまであの青年と小夜ちゃんの逢瀬を監視してるっていうのよ。彼ってば結構わたくしの好みなんだから、そんなに睨みつけないでちょうだいな」

「社を逢瀬の場にしようというのが、神を舐め腐っていると思っただけですよ。そもそもあの人間は最初から、血でけがれた身のまま私の鳥居を跨いでいた」

「はぁ……貴方ねぇ! 今どき戦神でもそんな言い掛かり、つけたりしないわよぉ」


 女神の呆れたような声は聞こえないふりをする。


 とにかくあの人間の男は気に食わない。神の領域で神のに愚かにも手を出そうとするなど、不敬もいいところだ。小夜が微笑むたび、鼻の下を伸ばし切っている人間の顔を見て苛立ちが募る。


「監視も何も、神が自分の社を眺めることに何の問題があるというのですか」

巫山戯ふざけた色の袴を寄越したり、鈴蘭の簪を付けさせたり、男と話すのを見張ったり、口付けたり。自分のものだとあれだけ激しく主張しておいて、花嫁にと口説いておいてまさか……小夜ちゃんへの愛寵あいちょうを認めないつもりぃ?」


 小夜が身につけているのは、東雲神社の巫女服である朱色とは異なる薄紅色の袴。それは、暁の司る曙の色だ。

 

 小夜が今蝶の簪を付けているのは、蝶の簪を貰ったとき「その子の前で付けてあげなさい」と蜜が助言したからだろう。

 

 しかし小夜は、蜜が遊びに来ているときは常に鈴蘭の簪をつけていた。おそらく彼女がそれを付け替えざるを得ないのも、暁が小夜に強いているからだろう。彼女の予想は、ほとんど正解と言って良いものだった。


 一方の暁はますます機嫌を悪くする。何故そこまで言われねばならない、という表情だった。


 蜜が口付けのことを知っているのは、おおかた小夜が話したのだろう。それ自体は想定の範疇だったが、こうも直接言われるとは思っていなかった。

 

(──別に、口付けたのも……紅が目についたから)


 顔を真っ赤にする小夜を見て、自ら引き直してやった紅を落としてやりたい気分になったから。ただそれだけだ。暁は自分に言い聞かせる。

 

 あの祭りの日からすぐに、小夜の様子が少しよそよそしくなったのにも彼は気づいていた。そしてそれは蜜が遊びに来ていた日から始まったことだった。


「小夜から聞いたのですか。そういえば……貴女がここで結界を張った日がありましたね」

「あら、気づいてたのぉ?」

「白々しい。私の神域で一体、何を話していたのですか?」

 

 これまで彼女が遊びにくる際は元々、暁はあえて神域内の会話を聞かないようにしていた。この女神の姦しい声を余計に耳に入れたくなかったためだ。

 

 しかし、意味ありげに結界を張られればいくら何でも気にするに決まっている。それを分かっていて、彼女はわざと結界を張ったのだ。

 

「教えなぁい、わたくしは小夜ちゃんに幸せになってほしいだけよ。あの子の笑顔が翳ったのは……わたくしのせいもあるから」


 ふと声を落とした彼女を見ると、いつも締まりのない表情とは異なる、沈痛な面持ちになっていた。それは神が滅多に見せることのない、罪悪感。

 

「小夜に、何をした?」


 思わず低い声が出る。ただの人であれば死んでしまうような鋭い視線で蜜を刺した。

 この女神が余計なことを言ったに違いない、そう暁は決めつけた。しかし蜜も負けじと睨み返す。


「こわぁい顔。でも悪いけれど、暁ちゃんにだけは責められる筋合いなんて無いわぁ。『関係のない話』じゃなかったのぉ?」


 舌の根も乾かぬうちに、とはこのことだった。そう言われれば、暁は押し黙るしかない。二柱の神が、睨み合った。

 

 目を逸らさないまま、暁は内心呟く。


(人間など、誰が本気で愛すものか)


 享楽的で有名な女神は、珍しく厳しい表情をした。


「わたくしは、小夜ちゃんが何を考えようと尊重するつもりだった。どうせ暁ちゃんが動くだろうって思っていたから」

「何を……」

「だけど貴方はこの二年、小夜ちゃんに決定的なことを言わなかった。この檻に閉じ込めておきながら、愛を告げなかった。どうして?」

「愛?」


 何だそれは。暁は吐き捨てる。

 

 たかが人間に、神が恋をする? たかが人間に愛を告げる? そんなことをして待ち受けるのは、愚かな破滅だ。

 

 人からすれば、遥か昔の記憶。暁が眠りにつく前のこと。一柱の神が、一人の人間の女に恋をした。


(嫌なことを思い出した)


「知っているでしょう。人間を神が愛せば、どうなるかなど」


 暁の言葉に、蜜は目を見張った。彼女の桃色の髪が動揺でふわりと浮く。


「暁ちゃん、貴方まさか……まだのことを引き摺っているの?」

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