少女、罰を知る
「ええ〜っと……何というか……」
問い詰める小夜に、おろおろと目を泳がせていた女神はやがて観念した。
「小夜ちゃん……何か神力の含まれた物を、食べるか飲むかしたでしょう? 一度でも神力を取り込んでしまえばもう、普通の人間の年の取り方は出来なくなるの」
神力の含まれた食べ物、と言われても小夜に思い当たる節はなかった。
そもそも今まで数えきれないほど、この本殿で飲み食いしてたのだ。
食材は弓彦が用意してくれていたが、何か気づかないうちに食べてしまっていたのだろうか。祠を壊して倒れ、起きたばかりの時に貰った茶までは、小夜の頭に浮かばなかった。
小夜は考える。『普通の人間の年の取り方』とは、おそらく寿命についてのことだろう。蜜の発した”二百年”という言葉の通りなら、五十年も生きれば良いと言われている人間の寿命を、これから小夜は大幅に越すことになるのだ。
蜜の声はいつものように間延びしたものでは無かった。それだけで今、彼女が真剣に答えてくれているのだと理解する。
蜜はゆっくりと、少しだけ低い声色で言った。
「もし人間に神力を分け与えたなら、それがどんなに僅かでも…………神は、責任を取らなくちゃいけないの」
(責任)
その言葉は小夜の胸に重く響いた。暁は、小夜に神力を与えた責任を取ろうとしていた?
「つまり、その人間を神自らの手で消滅させるか、神力を与え続け眷属として側に置くか、ということよ。大抵の場合、神は前者を選ぶの」
そもそも滅多に神が神力を与えることなんてないけれどね、と彼女は続けた。
「蜜も、そうしてるの?」
「わたくしは人間に神力を与えたことなんて無いわぁ……誰か一人を選ぶなんてとても、出来ないもの」
蜜は首を横に振った。ふわりと桃色の髪が揺れる。
「実はね、わたくしの社にも、人間の子たちは何人かいるのよ。暁ちゃんは小夜ちゃんだけだけど、わたくしは長い間、たくさんの子たちを連れて来たわぁ」
知らなかった。小夜以外にも、神域で暮らす人間がいるらしい。人間を手元に置く神は最近では珍しくなったのだと彼女は語る。
しかし、悠久を生きる女神と人間の小夜とでは”最近”の言葉の意味は異なるのだろう。
「わたくしが引き取るのは皆、どこかの神から神力を与えられてしまった子たち。そして一緒に遊んで、楽しんで。長引いてしまった彼らの寿命の頃合いで、消してあげるの」
蜜の”遊ぶ”という言葉の中にはとても小夜には言えないような、いかがわしい内容も多分に含まれていたが、それでも彼女の瞳はいつだって恋するうら若き乙女のようだ。
蜜は過去を懐かしむような、もう二度と会えない人々を想うような、感傷的な眼差しで空を眺める。
「だからね、もし暁ちゃんのもとに居るのが耐えられなくなったら……小夜ちゃんも、わたくしのもとに来ていいのよぉ?」
儚げな横顔を見て、小夜は確信する。きっと蜜なら、痛みすら少しも感じ無いよう、いつか小夜の存在を消してくれる。
だけど、共に過ごした人間を消す彼女の方は、痛みを感じないのだろうか。小夜は尋ねた。
「蜜はそれで、辛くないの?」
「そうねぇ……まぁ、毎回悲しくなるわぁ。でもそれ以上に、わたくしは人間が好き。だって、可愛いんだもの」
切なく形の良い眉を下げながらも、蜜の微笑みは見惚れてしまうほど美しかった。
この女神は、あまりに人間を愛し過ぎている。
彼女の社にいる人間たちは皆心の底から彼女を愛し、そして愛されているのだ。
だからきっと、伸びてしまった寿命を迎えた時も幸せな気持ちのまま瞼を閉じ、身を任せるに違いない。
それでも小夜は、自分がこの心優しい友の社に移ることはないだろうと悟る。そして蜜もまた、この人間の友がが自分の元で消えることを選ばないだろうと悟った。
小夜は深呼吸をする。自分のすべきことが、ようやく分かってきた。
「私、結婚なんてしないよ」
暁が言っていた生贄も花嫁も全て、責任の取り方の話だったのだ。消すために贄として食べるのか、消さずに花嫁としてそばに置いておくのかという選択肢の中、優しい彼は退屈しのぎにうっかり拾ってしまった少女に対して、情が湧いてしまったのだろう。
愛しているから花嫁にするのではない。
美味しくもなさそうで、かといってすぐに消すのも哀れだから、少なくともしばらくは花嫁として生かしてやろうと考えただけなのだ。
勘違いなどしてはいけない。自惚れてはいけない。
気まぐれに拾った小夜に飽きて捨てたとしても、暁は何も悪くないのだ。
それでも自分がもし彼の愛を期待し、身の程知らずにも求めてしまったらどうなるか。いつか手放されるその時を待つことすら、耐え難くなってしまうだろう。
「でも小夜ちゃん、暁ちゃんはきっと……!」
「決めたの」
気遣わしげな視線が向けられるが、何か言おうとする蜜に首を振って制止する。
何を言っても励ましてくれるだろう彼女の言葉を聞いてしまえば、この決意が鈍ってしまうと分かっていたからだ。
「この気持ちは最期まで、秘密にする」
まるで自分に言い聞かせるように、そう呟く。しばらくの間ののち、女神は目を伏せた。
「わたくしは……何も言えないわ。二人の話だもの。でもね、小夜ちゃんにそんな顔させるつもりじゃなかったのよぉ……ごめんなさい」
「もう。女神さまが人間に、頭なんて下げないでよ」
小夜は苦笑する。神に謝られるのは、暁に手首を噛まれたとき以来だった。
蜜は瞳を潤ませ、ぎゅうっと小夜を抱きしめる。豊満な胸が押しつけられ、少し苦しい。しかしその圧迫感に、今は少しだけ慰められるような気がした。
「ねぇ、わたくしは小夜ちゃんの味方よ。何かあったらすぐに言って。いつだってお話、聞くわぁ……」
その声の響きは、真綿で包まれているような柔らかさだった。今にも垂れて溢れてしまいそうな蜂蜜色に、にっこりと笑って見せる。
それが強がりだったことは、きっと気づかれてしまっているけれど。
「そうだわ! 今度わたくしともお酒を飲みましょう! あぁ、わたくしの神域に招待するのも良いかもしれないわねぇ」
蜜は急に明るい声を出し、きゃっきゃとはしゃぎ出した始める。それは小夜への思いやりに違いない。彼女の優しさ、その友愛に心が和らぐのを感じた。
落ち着いてきた胸の中、ふと小夜は村長邸に乙羽が飼い始めた犬がいたことを思い出した。
乙羽も子犬の頃は可愛がっていたものの、大きくなると飽きたのか、その世話は女中らに移ることになった。
小夜はよく、彼女らの目を盗んで犬小屋に忍び込んだものだった。もし堂々とその犬に会いに行けば遠ざけられるか、逆に犬まで酷い目に遭うかのどちらかだと思ったからだ。
餌やりをすることもできない、外に出て散歩に出ることもできない。そもそも小夜よりも犬の方がよっぽど上等な食事にありついていたし、犬小屋すら小夜の押し込められていた屋根裏よりも建て付けが良いほどであった。
たまにこっそりと撫でるだけで、暖かな気持ちになったことを思い出す。小夜はその犬に名前を付けなかった。乙羽に付けられたであろう名前すら一度たりとも呼ばなかった。失うのが怖かったからだ。
あの犬もいつだったか、村長に殴られた小夜の頰を慰めるように舐めてくれたのだった。
ふかふかの犬の毛並みの中と、すべすべの女神の胸の中。肌触りは異なるが、小夜は同じ温かさを感じた。
そう、暁が自分に触れるのは、人間が愛玩動物を可愛がるようなものだ。
神にとっての人間の存在は、あまりにちっぽけで弱い。小夜に何かを与え続けるのも、彼にとっては捨て犬の面倒を見るのと同じだったのだろう。
撫でるのも、口付けるのも、そこに深い意味は全くない。小夜だって犬に顔を舐められたことくらいはある。
神の気まぐれの中に、人間である小夜が意味を見出そうとするのは……あまりに無様な行いだ。
それならば此処に置いてもらえる限り、犬のように尽くそう。
そして彼が小夜との生活に飽きてしまったら、万一にも罪悪感を抱かせたりなどしないよう、大人しく消えよう。きっと自分に出来ることはそれくらいだから。
(──祠を壊した、
自らが神に対して犯した蛮行。
祠を破壊するという大罪の
重ね続ける罪は、いつか身を滅ぼすかもしれない。それでも今はまだ、この苦くて甘い罰に縋り付いていたかった。
(大丈夫……きっと、隠し通せる)
小夜は拳を握りしめ、自らの初恋を封じることを決めたのだった。
**
そして月日は流れる。
小夜が社で暮らし始めてから、早二年が経過していた。
木々が騒めく社の中、凛々しい顔つきをした一人の青年がゆるやかな階段を登りゆく。遠くに目当ての人物を見つけた彼は焦茶色の瞳を輝かせ、手を挙げた。
「小夜!」
陽の元で照り輝く玉のように白いふっくらとした頬、瞬きのたびに音が鳴りそうな長い睫毛、気品漂う漆黒の瞳。
十八歳になった彼女は儚さと清廉さを纏い、可憐に花開いていた。
名前を呼ばれた彼女は振り返り、一房だけ溢れた艶やかな黒髪を耳にかける。その髪をゆるりと留める頭の頂点には、金の蝶が佇んでいた。
そして、少女──小夜は柔らかに微笑む。
「いらっしゃい、惣一郎」
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※ハッピーエンド保証です。次話から第四幕、クライマックスに近づいてきます。
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