少女、紅を落とす

 結局暁が次々に露店で食べ物を買っていくため、小夜は渡されるままに口にする。小夜が明確に「いらない!」と言わない限り、売りつけられたものを暁はそのまま買ってしまうのだ。たまに社で見かける、親鳥に食べさせられる雛のような気持ちになる。


 数分前、露店でまた半ば売りつけられるようにして買ったのは芋の天ぷらだった。

 

 村長邸においては魚の尻尾くらいしか寄越されたことがなく、また社に来てから自分で揚げたこともない。天ぷらを食べるのはこれが初めてだった。


 あつあつの衣から、じんわりと自然な芋の甘さが広がっていく。舌を火傷しそうになりながらも、はふはふと口内で転がした芋を咀嚼する。

 美味しい。今度弓彦に揚げ物の作り方を聞いてみよう、と思ったのだった。


 一方の暁は、天ぷらに瞳を輝かせた小夜を、にこにこと見つめる。彼が自分の分も購入したのは最初の団子だけ。あとは全て一人前を買って小夜に食べさせていた。


「暁は食べなくていいの?」


 今日はお腹が空いていないのかな。不思議に思って尋ねてみれば、彼は笑う。


「小夜の作るものの方が、美味しいからね」


(お、お世辞に決まってる!)


 だって、露店の食べ物はこんなにも美味しいのだ。弓彦が作るお手本ならともかく、自分の手料理のほうが美味しいなんて自惚れられるわけがない。それでも、お世辞だと思ってもなお、そう言われると喜びが隠せない。



 日が完全に沈んで、提灯に照らされた大通りの賑わいはさらに増す。


 照れ隠しのように黙って天ぷらをもきゅもきゅと頬張っていると、暁が「甘酒を買いに行ってくる」とその場を離れてしまった。どうやら近くに、冷やし甘酒を売り歩く商人を見かけたようだった。


 一つ一つの量は大したことないとはいえ、小夜ももうそろそろ満腹だ。次こそ止めなければ。そう決意しながら、すぐそばの道の傍にて残りの天ぷらを食べ切る。


 ふと横に視線を向けると、細工屋の露店があった。

 危機管理上、露天では流石に安価なものだけを置いているのだろうが、そこでは浴衣を纏った小夜とそう変わらない年頃の男女の客が二人、楽しそうに品を見ていた。


(恋人同士、なのかな)


 たとえ彼らが恋人同士でなくとも、側からそう見えることが羨ましく思えた。


 暁の神力で姿を変えたとて、きっと暁と小夜では兄妹に見られるのが関の山だろう。そこまで考えて頭を振る。


(まさか私、暁と……恋人同士に見られたいなんて、思ったの?)


 何を馬鹿なことを。しかし、小夜の視線は再び細工屋の露店にいる男女へと吸い込まれていく。


 二人はどうやら、揃いの指輪を買ったようだった。

 互いの薬指に付け合っている彼らには、互いしか見えていないのだろう。周りに人など存在しない、世界には二人だけ。そんな幸せそうな雰囲気をまき散らしていた。


「小夜、何を見てるの?」


 気づかないうちに、暁が甘酒を片手に戻ってきていた。白く濁ったその液体からは、ほのかな甘い匂いが漂ってくる。


「ありがとう、美味しそう」

「ふふ、喜んでもらえたなら良かったよ」

「でももうお腹いっばいだから、これ以上は要らないからね」


 何気ない会話を心がけながらも、小夜の心臓はばくばくと音を立てていた。

 

 細工屋の男女を見ていたことには気づかれていやしないだろうか。別に悪いことをした訳でもないのに、落ち着かない心地だった。


 誤魔化すように甘酒を喉に流し込むと、優しい麹の甘さがすっと身体に溶けていく。飲み干したところで、人々の掛け声と囃子の音が近づいてくるのに気づいた。


 やってきたのは、威勢の良い十代から四十代と思われる男たちの集団だ。飛び散る汗の粒が、提灯に照らされて眩しい。

 

 彼らは大きな装飾が施された金の箱のようなものを担ぎ、こちらへ進んでくる。周囲の人々は、それが前を通るたびに大歓声を上げていた。


「あれは?」

神輿みこしだよ。あの上に神が乗っているんだって。──ふふ、私はここに居るんだけどなぁ」


人混みの中心を練り歩くそれは、やがて小夜と暁の目の前も通り過ぎた。担ぐ人々の熱、そして豪奢な装飾の施された神輿に、小夜は圧倒されたのだった。

 

 隣で「何度か乗ってやったこともあるけれどね」なんて言いながら悪戯っぽく笑う暁。やはり彼は本物の神なのだと、改めて実感する。


 この大きな祭りもあの神輿も、この土地神さまのためにあるのだ。本来なら、小夜のようなちっぽけな人間が話しかけていい存在ではない。


(私、思い上がってる)


 着飾って少しでも可愛いと思われたいと、心の隅に隠していた願望を認める。


 暁は、そんなことを思って良いような相手じゃない。分かっていたはずだ。細工屋の露店にいた男女と小夜たちは、初めから全部違う。

 

 少し俯いた小夜に気づいてか否か、暁は周囲を見渡す。道の端に寄ったはものの、神輿を見ようと人が殺到していて、大通りは人がごった返している。


「小夜、あちらへ行こうか」


 暁に手を引かれ、人混みを抜ける。

 触れた手を意識してしまうのは、祭りの熱気のせいだと思いたかった。


 連れて行かれた先は川に面した小さな社。その鳥居をくぐると、四阿が見えた。東雲神社の本殿のわきにあるものと少しだけ似ている気がする。


「誰もいない……こんなところ、近くにあったんだ」

「これも新宮しんぐうだよ。近くに本宮ほんぐうがあるから、他より小さめ、といったところかな」


 本宮とは、東雲神社のことだ。本宮から分けて建てられた新宮がいくつも存在するのは、歴史ある大きな神社だけなのだと、以前弓彦が誇らしげに語っていた。

 

 巾着袋を横に置いて四阿の長椅子に座った途端、脚にどっと疲労を感じた。外をこれほど長時間歩いたことは無かった上に、今日は慣れない下駄まで履いている。当然だ。


 普段外履きとして用いている雪駄は底が平らだが、この下駄は底に歯の凹凸もある。自分でも気づかないうちに、脚に大きな負荷がかかっていたようだった。

 

 脚を摩っていると、暁の心配そうな目が向けられる。自分すら気づかなかった体力の限界に彼は気づき、座るところを見つけてくれたのだ。

 小夜はやっと彼の心配りを理解した。


(──ねぇ、どうしてそんなに優しいの)


 聞きたいような、聞きたくないような。どちらともつかぬ心地だった。


 暁の社で暮らすようになって、小夜は初めて知った。蔑まれることよりも、丁寧に扱われることの方がよほど怖いということ。

 

 与えられるばかりの幸福が、人と喋る温かさが、不相応なことが分かっているからだ。

 自分は貰った恩を、砂の一粒ほどだって返せていない。

 

 いっそ村長邸の人間のように八つ当たりの相手にでもしてぶってくれた方が、この罪悪感も薄れたのかもしれない。

 それこそ八つ当たりじみた考えが頭をぎる。


 この幸せが永久のものとは、小夜だって思っていない。しかしいつかこの暮らしを手放さなければならなくなったとき、自分は果たして耐えられるのだろうか。


 摩っていた膝に爪を立てそうになるが、浴衣が傷ついてしまってはいけない。あわてて拳を握り直すと、横から手が添えられた。


「どうしたの?」


 いつだったか、神は頭の中を覗けると言っていた。それでも彼は覗かずに、小夜に訊ねてくれる。


 こんな卑屈な想いは絶対知られたくない。それと同時に、覗いてでも良いから分かって欲しいなんて、心のどこかで思う。そんな身勝手な感情を払うように、小夜は首を横に振った。


「何でもない」

「そう? ね、小夜。口紅落ちてるよ」

「えっ!? つ、付け直そうかな」


 目が合った暁が、とんとん、と口元を指すような仕草をした。

 

 あれだけ飲み食いしたのだ。そりゃあ落ちるに決まっている。


 暁に紅を直しているさまを、まじまじとは見られたくなくて、思わず顔を背ける。当初荷物になるかもしれないと迷ったが、口紅を持ってきていて正解だった。

 

 そんなことを考えながら巾着袋から取り出すと、紅の器が奪い取られる。


「塗ってあげよう」

「いや、いいよ。 手、汚れちゃう」

「神の手が、汚れるはずなどないんだよ」


 暁はそう言い放つと紅を指に取り、小夜の顔に手を伸ばす。

 

 恥ずかしくて思わず瞼を閉じそうになるが、以前目を瞑ってはいけないというようなことを言われたのを思い出し、薄目になってしまう。


 唇を、自分のものではない長い指が撫でる。少しだけ硬いその感覚だけが、脳を占めた。

 

 指が離れた気配に目をしっかりと開くと、暁は満足げな顔で頷いている。そんな彼はちらりと空を見遣って、呟く。


「そろそろかな」

「え?」


 次の瞬間耳に入ってきたのは、風を切るような音。

 

 その音を追うように小顔を上げた小夜の目は、思わず釘付けになる。耳をつんざくような大きな破裂音とともに、輝く火の花が次々に宙に咲いたのだ。

 

「わぁ……凄い……!」

「花火だね。火薬を打ち上げて模様を作る、祭りの風物詩だよ」

「綺麗……!」


 火薬。以前の惣一郎との会話で、彼が知り合いの火薬屋の話をしていたことを思い出す。


 彼自身この祭りで奔走するようなことを言っていたし、今打ち上がっている花火に関わっているのかもしれない。小夜は暁に笑って話しかけた。


「そういえば友達が祭りに関わってるらしいんだけどね、火薬がなんとかって言ってた。この花火のことだったのかな」

「友達……あの、小夜が簪を貰った子?」

「そう!」


 宙に輝く友の功績を誇らしく思いながら答えたが、暁は急に黙ってしまう。かと思うと小夜の顔に手を添え、頬に垂れていた黒髪が耳にかけられる。


 耳に彼の指が少しだけ触れる。弄ぶような手つきが擽ったくて、小夜は身を捩った。

 

 絶え間なく打ち上げられる花火。その光に、彼の銀の髪がきらきらと照らされていた。

 

「これからは、その人間に貰ったものは使わないで。私があげた簪をつけて」

「え……どうして?」


 突然の言葉に小夜は理由を尋ねた。しかし彼は答えず、ただじっと小夜を見つめるだけだ。


 彼が次に口を開いたとき、話題に出したのは全く関連のない話だった。


「そう言えばさっき、細工屋の方を見てたね。指輪、小夜も欲しかった?」

「ち、違う」


 甘酒を買いに行く暁を、待っていた時のことだろう。やはり見られていたのだ。

 

 小夜は本当は指輪を見ていたのではなく、恋人同士と思しき二人の男女を見ていた。しかし弁明しようにも、不可解なやましさがまた胸中に立ち上ってくる。


 頬に、先ほど耳のあたりに触れていた暁の手が添えられる。どくどく、と添えられたところの血流が良くなるのを感じた。

 

 熱を持っていることが、彼に気づかれてしまわないだろうか。

 

 全てを暴いてしまうような暁の瞳が、小夜を射抜く。


「指輪が欲しいなら」


 心臓の鼓動が高まって、息が上手くできないほど胸が苦しい。だというのに、どうしても彼から視線を逸らせない。


「あんな紛い物じゃなくて、もっと良い物をあげるよ」


 頬をすりすりと指で撫でられ、花火の光に照らされた端正な顔が近づいてくる。

 

「──私の花嫁に、なるのなら」


 そして、二人の影が重なった。

 

 ゆっくりと顔が離されると、小夜の唇が親指でそうっとなぞられる。

 神はくすりと、嫋やかに笑った。

 

「口紅。せっかく付けたのに、また落ちてしまったね?」

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