青年、再来する

 それから二週間としないうちに、惣一郎が再びやって来た。わざわざ神社の奥の道を使って、小夜のいる本殿まで階段を登ってきたのだ。


「久しぶりだな、小夜」

「惣一郎! 傷はもう大丈夫なの?」

「あぁ」


 傷に苦しんでいる姿しか知らなかったが、こうして見ると彼は健康的な若々しい青年だった。


 毛並みの良い馬のような焦茶色の髪は、後ろで短く結ばれている。かぶっている笠はいかにも商人といった出立ちだった。

 太めの眉毛に、焦茶色の瞳。意志の強そうな雰囲気を醸し出している彼は、その手に木箱を二つ持っていた。そこから何かを取り出し、小夜に差し出す。


「改めて、この間はありがとう。気持ち程度だが、これは礼だ」

「そんな。良いのに」

「髪、留めていないだろう? 良かったら使ってくれ」


 惣一郎が木箱の中から取り出したのは、蝶が繊細に彫られた赤と金のかんざしであった。


「わぁ……すごく、素敵」

 

 小夜は背中にかかるくらいの黒髪を、いつもそのまま流していた。料理のときは邪魔になるからと適当な紐で結んでいたが、あまりにも適当な紐すぎて日常使いは出来ず、普段は留めずにいたのだった。

 

 手の中の簪を見つめ瞳を輝かせる小夜に、惣一郎は満足げな笑みを浮かべた。


染伊屋うちは、この領でも取引を始めることになったんだ。護符もそのうちの一つだし、これからは月初めに、東雲神社を訪ねるつもりだ」

「へぇ! 本当に惣一郎って、商人なんだね」


 彼は少し誇らしげに、自らの家が営む染伊屋について話し始めた。


「俺の家は曽祖父の代から両替商をやっているんだ。最近では他にも扱うものを広げていて、俺たちからしたら隣領──つまり此処での行商も始めることになった。そこで俺は、この領の責任者に命じられたってわけだ」

「責任者! ねぇ、惣一郎って何歳なの?」

「十八だよ」


 小夜は驚く。精悍な顔つきから、もう少し年上かと思っていた。しかし小夜とたった二歳しか変わらないのだという。


「小夜は?」

「十六……すごいね、惣一郎は。年もそんなに変わらないはずなのに、ちゃんと大人で、仕事もしてる」

「まぁ、跡継ぎだからな。よく『親の力だろう』って舐められるよ。だけど俺は、俺の代で染伊屋をもっと大きくしたい」


 熱く語る惣一郎が眩しかった。彼はすでに、自らのやりたいことを持っている。

 

 ふらふらと流れ着いて、ただ平穏な日々にしがみつこうとしている自分とは大違いだ。そう思った。

 

「立派だよ。私、惣一郎と比べたら……なんにも、出来ないな」

「そうか? だけど少なくとも、俺を助けてくれただろ。あの時小夜が手当てしてくれなかったら、俺は今頃まだ医者の処にとっ捕まってただろうな」

「そのくらい……当然のことだよ」


 目を伏せた小夜を励ますように、彼は冗談めかして首を横に振る。

 

「いや? 賊どもから逃げてるときだって、何人もすれ違った。だが誰一人、手当てどころか話しかけてすら来なかったよ。家から毛布まで引っ張って来たのなんて、小夜だけだ」


 ありがとうと、何度も感謝を伝えてくれる惣一郎に、胸の奥が温かくなる。


(私、誰かの役に立てたんだ)


 今までは、負担になってばかりの人生だった。社でも与えられるだけ与えられて、のうのうと過ごすだけだった。

 そんな自分が、初めて人の役に立てたのだ。

 

 思わず笑みが溢れる。良かったと心から思っていると、惣一郎が急に黙ってしまったことに気づく。目の前の彼をまじまじと見てみると、なぜか彼の顔は赤らんでいた。


「惣一郎?」

「いや──」


 赤くなったかと思えば、今度は目を逸らし始める。挙動不審だった。

 惣一郎はこほんと咳払いをする。


「そういえば、この領で来月祭りがあるらしいな。知ってるか?」

「祭り?」


 残念ながら、全く知らなかった。一応はこの領で生まれ育ったとはいえ、祭りなんてものにとんと縁のない人生だった。想像すらつかない。

 

 首を横に振る小夜に、惣一郎は驚いたような顔をする。


「知らないのか。ここの土地神を祀る祭りだと聞いたんだがな」

「あ、あー……そういえば、あったかも。その、私。最近この神社に来たばかりだから」


 不味いと思い、小夜は手を振りながら誤魔化した。


「そうだったのか。祭りの名前は確か――”東雲祭しののめさい”」


 東雲祭。土地神──つまり暁を祀る祭り。


 そう言えば、弓彦が以前初夏に祭りがあるとか言っていたことを思い出す。


 土地神、そして東雲神社に関する色々な情報を一気に詰め込まれたせいで、知識としては覚えていたはずだがすぐに出てこなかった。


「結構盛大な祭りで、その日は出店なんかも沢山出るらしい。うちが出資している火薬屋も関わっていて、当日は俺も色々動く予定なんだが……」

「うん」


 そこで言葉を止めた惣一郎は、言い淀む。

 どうしたのだろう。小夜が首を傾げていると、頬を赤く染めたままの惣一郎は、口を開いた。


「祭りが始まって少ししたら、自由時間が取れそうなんだ」

「へぇ、良かったね」

「いや、つまり──」

「あれ、小夜さん?」


 少し離れたところから声が聞こえ、二人は振り返る。黒い袴でしずしずと歩み寄って来たのは、弓彦だった。

 いつもの穏やかな微笑みが、何だか少し引き攣っているように見える。

 

 惣一郎は弓彦に気づくやいなや、即座に向き直って頭を下げた。

 

「これは、弓彦さん。先日は大変お世話になりました。行きがけに社務所の方にも寄ったのですが、いらっしゃらなかったので」


 惣一郎は木箱の中から菓子折りを取り出した。その木箱はさして大きくないように見えるが、何でも入っているのかもしれないと思った。


「惣一郎さん、ご丁寧にありがとうございます。我々も隣領まで信仰を広められて喜ばしいと思っております。ぜひ今後とも、染伊屋さんとは仲良くお付き合いさせていただければ嬉しいのですが」

「ええ、勿論です。こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 弓彦が惣一郎と話すさまは、普段小夜と接するときとは全く異なる。大人同士の会話に見えた。

 もう一方の惣一郎も、先程まで小夜と話していた時よりも大人びた、仕事の顔をしていた。

 

 もちろん小夜だって、決して弓彦に侮られているわけでは無いと分かっている。それでもやはり、彼からは一方的に与えられている立場なのだと痛感した。


「弓彦、どうしてここに?」

「え、ええっと……」


 普段この時間はまだ、弓彦は神社の仕事をしているはずだ。社務所ではなく本殿に来たのはどうしてだろう。気になって訊ねたのだった。

 

 すると弓彦は珍しく言い淀み、一瞬視線を斜め下に持っていったあと、惣一郎に再び向き直った。


「今後の取引について、惣一郎さんに確認させていただこうと思いまして」

「よく此処にいるのが分かりましたね」


 惣一郎が首を傾げた。

 

「えぇ、まぁ。ほら、護符の枚数とか……護符だけでなく、そうですね、破魔の矢なども取り扱うのはいかがでしょう?」

「持ち運びの可能な範囲で考えていましたが、破魔の矢ですか」

「持ち運びやすいものなら、方除札ほうよけふだなど方がよろしいかもしれませんね。ぜひ授与所で実物をご確認いただけますか?」

「勿論」


 何故か積極的に惣一郎に取引の話をしようとしている弓彦は、小夜に軽く礼をする。立ち去る挨拶というわけだ。


 小夜は便宜上この神社の巫女ということになっている。宮司が下の立場の巫女に恭しく接すれば怪しまれるため、これも察しのよい弓彦なりの機転なのだろう。小夜もお辞儀を返す。

 

 しかし、それを見た惣一郎は怪訝そうな顔をした。


「小夜、先程弓彦さんのこと呼び捨てにしていたよな?」

「え? あ、えーっと」


 しまった。先程はつい、いつも通りの話し方で弓彦に話しかけていた。慌てる小夜に、有能な宮司である弓彦の援護がすかさず飛んでくる。


「彼女は私の親戚の子なのですよ」

「そ、そうそう!」

「なるほど」


 納得いったように惣一郎が頷くのが見え、二人は安堵する。


「じゃあな、小夜。また来月、ここに来るから」

「うん。またね」


 弓彦と惣一郎を見送る。

 彼はまた来ると言っていた。これはもう、友達になったということだろうか。


 蜜は別として、同年代の友人(しかも人間)が出来るなんて、初めてのことだった。小夜は既に、来月を楽しみにしている自分がいることに気づく。

 

 彼に貰った美しい簪を見つめるが、正直、どうやって付ければ良いのか見当もつかなかった。蜜に訊ねれば教えてくれるだろうか。


「小夜」


 背後から聞き馴染みのある声が聞こえ、小夜はとっさに簪を懐に仕舞った。


「暁」

「お友達かな?」

「友達……う、うん」


 友達。その響きに胸が擽ったくなる。


「それは、良かったね。だけど君は追われている身なんだろう? 気をつけないといけないよ」

「惣一郎は大丈夫だよ」

 

 「惣一郎、というんだね」と、暁は呟いた。それは小さな声だったが、社によく響いた。


「うん。そういえば、ねぇ。来月お祭りがあるの?」

「祭り?」

「東雲祭……土地神さまの祭りって言ってた。どんなことをするの?」


 惣一郎が言っていた祭り。土地神本人(人ではないが)に聞くのが早かろう、そう思って訊ねたが、暁は手を顎に当てるだけだった。


「さぁ……? 祭りなど、人間たちが勝手にやっていることだから。弓彦の方が詳しいだろうね」


 いつだったか、神社の歴史について聞いたときと同じような反応だった。

 この土地神、自らの土地への興味が薄すぎる。

 

 そんなことを思っていると暁の手が伸びてきて、小夜の頬に触れた。親指がゆっくりと頬を撫でる。


「惣一郎って子と、祭りへ行くの?」

「え、ううん。そんな話にはなってないよ」

「そう。小夜は祭り、行きたい?」


 祭りに行きたいか。そんなもの、行けるのであれば行きたいに決まっている。


 村長邸では祭りなんて、着飾る乙羽を見送り、帰って来た彼女に戦利品を見せつけられるだけの行事だったのだから。


「行きたい、けど。でも私……追われてるから」

「私と行けば問題ないよ」

「え?」

「私と行けば、見つからないよ。絶対に」


 目の前の神の、朝焼けの瞳を見つめる。今日の色彩は赤が強い。暁は小夜の頬を親指で撫で続けながら、微笑んだ。


「小夜、私と祭りに行きたい?」


 こくり、と。

 小夜は頷いたのだった。

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