少女、酒に呑まれる

 夜、いつも通り小夜の作った夕食を二人は食べ終える。

 

 暁は大抵、小夜が洗い物をしている頃にはいつの間にか消えてしまう。そのため、その前に晩酌の約束を取り付けないと、と小夜は立ち上がった暁の袖を引いた。


「待って暁。あのね、蜜にお酒を貰ったの。寝る前に……一緒に、飲まない?」


 そういって炊事場に置いていた酒瓶を持って、暁に差し出す。


「あの女神に貰ったの?」


 てっきりいつものように「構わないよ」と言ってくれると思ったのに、彼の表情は険しかった。そして受け取った瓶を警戒するようにじっくりと見て呟く。


「……変なものは入っていないみたいだね。の、酒か」

「蜜がおすすめって。私も、暁と一緒に飲んでみたかったの。駄目、かな」


 断られるかもしれない。そう思うと悲しくて、言葉が尻すぼみになる。思わず俯いていると、ふぅ、と暁が息をついたのが聞こえた。


「分かった。一緒に飲もうか」


 途端、小夜の表情が花が咲くようにぱあっと明るくなる。


「本当!? それなら私、付け合わせになりそうなもの作るから!」

「はは、楽しみだな。それなら、用意ができたら私を呼んでくれたら良い」

「うん!」


 暁が一度いなくなり、小夜は洗い物を片付け、ついでに酒に合いそうな付け合わせを作る。今手元にあるもので簡単に作れそうなのは、豆腐の田楽と芋の煮転がしだろうか。

 

 皿に盛った後、調理の間に沸かしていた湯を急いで浴びる。そして蜜に貰った浴衣に着替え、あとは寝るだけという姿になった。


「暁」


 特に大きな声ではなかったが、彼を呼ぶにはそれで十分だった。姿を現した暁は目をみはる。


「……小夜、その浴衣は?」

「これも蜜がくれたの。どう、かな?」


 蜜、という名前に暁の眉がぴくりと動く。小夜の姿をしばし眺めた彼は、沈黙の末に小さく言った。


「…………良く、似合っているよ」


 躊躇っているような間があったし、お世辞だろう。小夜は少ししょげる。

 蜜の前で試しに着てみたときは「完璧よぉ!」なんて親指を立てられたから、それで調子に乗ってしまったのかもしれない。

 

 しかしそんな小夜に、暁は慌てたように続けた。


「小夜、私は決して嘘も世辞も言わないからね。本当によく似合っている。寝巻きまでは気が回らなかったなと、思ってしまっただけなんだ」

「本当?」

「あぁ」

 

(うれしい)


 小夜の頬が緩んだ。

 暁に、この姿を褒めてもらいたかったのか。そう気づくのと同時に、自分のことながら呆れてしまう。


 拾われて、最初はどうにかここに置いて欲しいと思っていただけだったのに、良い待遇を受けるうちにいつの間にかどんどん強欲になっていっている。

 気を引き締めなくてはならない。


 小夜は酒器にそれぞれ、蜜から貰った瓶の中身を注いだ。暁に器を手に持たされ、小夜はとりあえず彼の真似をしてみる。


「乾杯」

「か、乾杯」


 恐る恐る透明な液体を口に含むと、林檎のような爽やかな香りが鼻を通り抜けた。こくり、と飲み込むと喉がじんわりと熱くなる、


「へぇ、悪くないね」


 同じく一口飲んだ暁の表情が緩む。小夜にはまだこれが美味しいかどうかまでは分からなかったが、少なくとも嫌いな味では無かった。

 

 暁の真似をして同じような拍子で飲むようにする。濃いめの煮転がしや田楽にも箸をつけ、気づいたら酒器の中身は無くなっていた。


「付け合わせも美味しいよ。たまにはこういうのも良いね」


 いつもより心なしか暁の雰囲気が柔らかいような気がした。きっと彼は、酒が好きなのだろう。


「そういえば暁って、何歳なの?」

「何歳、か。もはや数えていないけれど、うーん、千五百年くらいは生きていると思うよ」


 今更の質問だったが、暁のことを知る絶好の機だと思った。神というからには長命だとは思っていたが、想像していたよりもずいぶん年上だった。

 改めて違う次元で生きているのだな、と思う。


「それじゃあ、蜜とも長い付き合いなの?」


 目の前の美丈夫は、途端に顔を顰める。酒を飲んでいるせいか、いつもより表情が分かりやすい気がする。そしてやっぱり蜜のこと苦手なのかな、と思った。


「あまり思い出したくもないけれど……それなりと言ったところかな。あれは私よりもよっぽど長く生きているよ」

「へぇ、そうなんだ。若く見えるのにね」

「そういう趣味なんだよ。私だってね、彼女が良い酒さえ持ってこなければ関わらないのに」


 ぶつぶつと何か言っている。その口ぶりからすると、彼と蜜を繋いでいるのは酒らしい。


 小夜が思っていた以上に彼は酒を好んでいるようだ。何だか、知らない一面が見れたような気がした。


「あの女神の話はもういい。小夜は? 十六だったね?」


 以前生い立ちを彼に話したとき、小夜は十六の誕生日に領主との婚姻を告げられた、と話したのを思い出す。暁はそれを覚えていたのだろう。

 

「孤児だから、正確には分からないけどね。でも多分、そのくらい」

「へぇ」


 少なくとも村長邸では便宜上そうなっていた。十六歳というのは、領内の法で婚姻が解禁される年齢だ。


 二人の酒は進み、それから和やかな時間が流れていった。時折暁が蜜の愚痴を言ったり、小夜が村長や領主のやり口の汚さを詰ったり、好きなもの話になったり。

 

 もう何杯目かも分からなくなってきたころ、小夜は頭がくらくらしてくるのを感じた。身体がどうにも火照ってきて、浴衣の中が汗ばんで来ているような気がした。


 何となく頬や首に手を当てると、肌が熱を持ってるようだった。


「ん……あれ、なんか、暑いかも……」


 小夜は浴衣の襟を少し緩めた。

 元々寝巻きだったため、緩めだった襟が更に緩まり、その内側に隠された白い胸元がちらりと見えそうになる。


「小夜? それは、緩めすぎじゃあ──」


 「ないか?」と続けようとした暁だったが、目の前の小夜の身体がくらりと傾くのを見て思わず手を伸ばす。暁に薄い肩を抱かれる中、小夜はとろんとした視線を彼に向ける。


「あか、つき……?」

「小夜、大丈夫?」


(ん......お酒が回るって、こういうことなのかな)


 鈍くなった思考の中、小夜は気づいた。そして酒を貰った時の蜜の顔を思い出す。


「小夜ちゃん、暑くなってきたらね……」とか何とか、助言してきた気がする。果たして彼女は、何と言っていた?


(蜜はこうなってきたら、どうしろって……)


 目頭に指を当て、思い出そうとする。確かに何かを言えと言っていたはずだった。


「小夜?」


(あぁ、そうだった。思い、出した)


 彼女に耳元で教えられた言葉。

 

 小夜はぼうっとして中々定まらない視線で、どうにか暁の瞳を見つめた。

 ふぅ、と息をついて、自分を抱えている暁の胸板に手を添える。男の人の身体って硬いんだなぁ、なんて思いながら、酒で潤った唇をゆっくりと開いた。


「ね、暁。……酔っちゃった、かも」

「は……」


 その言葉を聞いた暁は目を大きく見開き、息を詰まらせる。そして、しばらく止まった呼吸の中で溜めていた息をゆっくりと吐き、地の底を這うような低い声で言った。


「あの女神か……!」


 無表情になった暁はゆっくりと小夜をその場に横たわらせ、炊事場から水差しに入れられた水を持ってきた。水差しを口に添え、軟体動物のようにふにゃふにゃになった小夜にひたすら水を飲ませる。

 

 口から少し水を溢しながらも、段々と小夜の意識がしっかりとしてくる。


「ん、暁……?」

「小夜、あの女神に何を吹き込まれたの」

「んん、?」


 思い出そうと、眉を寄せる。蜜に、何を言われたか?


「触りながら『酔っちゃったかも』って言うと、男の人はみんな喜ぶ、って」


(ん? でも、そもそも暁は”人”じゃあ、ない?)


 小夜はあれれと首を傾げる。すっかり重心が定まった少女に、暁は無表情で告げた。


「小夜、正座」


 今まで聞いたことのないくらい低い声。思わず一瞬で、正座の姿勢になる。


「襟と裾、直して」


 自らの格好を見下ろすと、浴衣が信じられないくらいに着崩れていた。指示されるがままに、手早く直す。


「はぁ……酔いが醒めたよ、全く」

「あの、ごめんなさい……私、怒らせるつもりじゃあ、無かったの」


 暁から感じる怒りの気配に、思わず縮こまる。小夜はただ、一緒に酒を飲んで暁のことがもっと知りたかっただけだ。


 蜜が『暁ちゃんをよろこばせる方法』とやらを教えてくれたから、それを実践しただけだったのだ。

 

「分かってるよ、全てあの馬鹿な色惚け女神のせいでしょう。だけどやっぱり、小夜にはまだ教えなければならないことが沢山あるみたいだね」


 あんな台詞を口にした小夜に、他意が無いことなどすぐに分かった。あの女神の仕業だとも。

 

 暁は早急な情操教育の必要性を切に感じた。

 かといって弓彦に教えさせるわけにもいかないし、あのふざけた女神にこれ以上適当なことを吹き込ませるわけにはいかない。やはり自分がやるしかないのだろう。


 次の日の、学問を教える時間。普段とは異なる教本を開いて小夜に見せる。

 

 そして数日かけ、植物の受粉から魚の繁殖などを丁寧に教えたあと、出来るだけ婉曲的に、男の習性と人間の生殖について説明したのだった。小夜は筆で教わったことを書き出していく。


彼女は明らかに教養だと思いながらこれを聞いていた。まさか自分にも関係のあることだとは思ってもいないような様子だったのだ。


 そんな小夜を見て具体的に伝えるべきかと暁は一瞬迷った。しかしここで恥ずかしがるような素振りを彼女に見せられたら、困るのはむしろ自分のほうだ。


 とりあえず「男の前で目を瞑るな」「肌を見せるな」「二人きりの場で酔っ払うな」と、口を酸っぱくしていうことしかできなかった。


 それだけではない。さらにしばらくの間、小夜には禁酒令が下ったのだった。

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