女神、悪巧みする
「小夜ちゃん、遊びに来たわよぉ」
「蜜!」
語尾に音符でも付きそうなご機嫌な口調で、桃色の髪をなびかせた蜜がやって来た。
目敏い彼女は気づく。以前はぼろ布のような小袖姿だった小夜が、今は新品と思わしき袴を身につけていることに。
「あらぁ、今日は袴なの? 似合ってるわぁ」
「うん。暁がくれたんだ」
それを聞いた蜜は「ははぁん、なるほどねぇ」などと呟きながら、上から下まで小夜を舐るように見やる。
一見巫女装束のようだが、その袴の色は東雲神社の巫女が身につけている朱色ではない。
小夜の纏う薄紅色の袴の色合い。どう考えても暁の瞳の色から来ている。
すぐに気づいた蜜は、頬が緩むのを抑えながら続けたのだった。
「今日は小夜ちゃんに、手土産を持ってきたのよぉ」
じゃじゃーん、と謎の擬音を発しながら蜜は指を一振りする。次の瞬間、彼女の手の中に白い
(こういうところ、やっぱり蜜も神さまなんだなって)
首元や袖や裾などには、蔓や花を模した繊細な刺繍が入れられていた。
「小夜ちゃん、肌着も無しに袴着てるでしょぉ? それじゃ男の人が困……じゃなくて、えーっと、兎に角あげるわぁ」
途中で何か言いかけた蜜は誤魔化すように両手を振り、長襦袢を小夜にぐいっと押し付けたのだった。
「で、でも私。何も蜜に返せないよ」
「いいのよぉ、実はこれ、暁ちゃんから頼まれたことだし。お代もあの子から貰ってるもの」
暁からの頼まれごと。
蜜とまみえた際の暁は小夜の知らない口調で、何だか気が立っているように見えた。
あまり仲が良くないのかなと思っていたが、頼み事が出来る間柄なのかと認識を改める。
そもそも蜜がこんなに頻繁に遊びに来ている時点で、二人は仲の良い友人なのかもしれない。
暁が頭を覗いていたら白目を剥きかねないことを考えながら、小夜は長襦袢を広げる。
「これを、下に着ればいいんだね」
「そうよぉ。でも、まだあるの」
また指を振ると、今度は若草色の浴衣が現れる。その上には赤い牡丹と、薄黄色の千鳥が描かれていた。
「素敵な柄でしょぉ? 夜寝るときにでも、着てちょうだいな」
今まで寝巻きには普段着るものより更にくたびれた、ぼろぼろの小袖を使っていた。蜜が差し出した美しい浴衣に、胸が躍るのを感じる。
「ありがとう……とっても、嬉しい」
これまで着られるなら何でも良いと思いながら生きてたため、まさかこんな物を身につけられる日がくるとは思ってなかった。
村長邸にいた頃は、着飾ることには興味が湧かないと思っていた。しかしそれは、ただ諦めていただけだったのだと気づく。
いざ目の前にすると喜びが湧き上がってきて、思わずうっとりと見つめてしまっていた。
「うふふ、喜んでもらえて嬉しいわぁ。……どうせあの
言っていることはよく分からなかったが、蜜はにっこりと笑っている。きっと良いことなのだろうと思った。
「これを着たら、少しは大人っぽく……見えるかな」
生贄だの花嫁だのという話になってから、小夜は実は、色々と考えていた。
そしてそんな話が出されたのは、暁の中で自分が庇護対象になっているからだと仮説を立てたのだった。
家事も読み書きも
自分がもっとしっかりしていれば、こうも情けをかけられることなど無かったのかもしれない。
(同情、ってやつなんだろうな)
最近覚えた言葉を反芻する。
愛されてもいないのに、花嫁にと形だけ迎え入れられたらどうなるだろう。
まず身の安全は保証されるはずだ。追われているという心配もしなくて良くなると思う。今でさえよく面倒を見てくれている暁は、きっともっと良くしてくれるのだろうから。
それに、領主に一方的かつ強引に祝言をあげさせられるのとは違う、平穏で柔らかい日々を送ることができるはずだ。
そんな空想を魅力的だと思う反面、考えるだけでどうしてか胸が痛むのだった。
だって結婚は、本来愛し合う二人がするものなはずなのだ。たとえ憐れみで夫婦にしてもらったとて、彼がいずれ飽きれば自分は……一体どうなるのだろう。
小夜は、白い袖から伸びる自らの腕に目をやる。
かつて鶏の足のように細く、痩せこけていた身体も少し重みを感じるようになり、肉がついて来たのを自分でも感じる。
大人っぽくというのは望みすぎかもしれないが、せめて年相応に見えるようになれば。
暁に憐れることもなくなって、ただ召使いとして生きられるのではないかなんて思った。
「あら、うふふ! 大人っぽくなりたいなら、良いものがあるわぁ」
小夜を見て楽しそうにまた彼女は指を振る。今度は布ではなく、酒瓶だった。蜜はそれを頬の前に持ってきて、小夜に見せつける。
「わたくしお気に入りのお酒よぉ。人間の世界のものなんだけど、人気なだけあって美味しいから、試してみてほしいの。小夜ちゃんきっと、まだあまりお酒を飲んだことがないでしょう?」
「お酒……うん」
「浴衣を着て夜、暁ちゃんと一緒に飲むと良いわぁ」
蜜の言う通り、最初の日に供え物の果実酒を一杯貰ったくらいしか酒の経験はなかった。
あれは非常に美味だった。
密かに小夜は酒への興味を持っていたが、かといって暁にまた飲みたいだなんて言うのも迷惑だと思っていたところに、この降って湧いた幸運だ。
それに。
(お酒を飲んでお話ししたら、暁ともっと仲良くなれるかな)
まだいまいち掴みどころのない
「そうそう、小夜ちゃん。男の人とお酒を飲むときはしきたりがあるのよぉ」
「しきたり?」
そう言うと、思わず見惚れてしまうほど妖艶に笑った蜜は、小夜の耳に顔を近づける。
「ふふふ、それはね──」
ふむふむと言われるがままに頷く小夜は、この女神の悪巧みになど気づくよしも無かったのだった。
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