少女、脱走する

「──それが、お姉さま!」


 その言葉で、全てが頭の中で繋がる。引き取られてから放置されていた理由も、それでも追い出されずにいた理由も。

 小夜は、乙羽の身代わりに仕立てるために、引き取られたのだ。

 

 小夜の絶望した表情を見て、聞いてもいないのに、乙羽は楽しそうに喋り続ける。


「領主さまは、ここの土地神さまの末裔まつえい......つまり子孫らしいの。だから、命令を断ると村に祟りが起こるって。この村のため、自ら身を捧げて領主へのになるだなんて......なんて健気なお姉さまかしら!」


 わざとらしく手を合わせた乙羽は顔を歪ませると、跳ねるように床を鳴らしながら去っていった。

 

(──生贄、生贄か)

 

 地下室の本棚にあった一冊の本を思い出す。

 確か、魔女が子どもたちを食べるため、まずは肥えさせようと美味しいご馳走を振る舞う話だった。

 

 今の小夜も似たようなものだ。土地神の子孫だというあの領主に捧げられるためだけに、身なりを整えさせられ、今まで口にしたことのないご馳走が振舞われた。

 

 そんなことはつゆ知らず、服も料理もなされるがままにされていたことが悔しくてならない。

 

 村長に引き取られた直後の値踏みするかのような視線を思い出す。領主が気に入りそうかどうかを確かめていたのだろう。

 薄汚い、人を人とも思わない卑劣極まりないやり口だ。あの領主だって、神の名を使って脅し結婚を迫ろうだなんて、反吐が出る。

 

 乙羽だって、出会った頃はこんなに意地悪な子ではなかった。天真爛漫で、小夜の後ろによくついて来ていた。

 

 しかし村長夫婦は、乙羽が孤児の娘に懐くのを厭うた。彼らが小夜に冷たく、時に暴力的に接するのを見て、やがて乙羽も倣うようになってしまったのだった。


 四十ほども年の離れた、おぞましい領主の妻。

 騙し討ちのようなやり口と彼らの嘲笑に、今まで少しだけ感じていた恩義が心中で弾け飛んだ。


 結婚なんて、到底受けいれられない。考えたくもなかった。

 

 寝泊まりしている屋根裏にある窓が、小夜の視界に入る。冬の風によって窓はカタカタと揺れていた。


(逃げなきゃ)


 拾われた六年前の冬の日を思い出す。あの男と結婚させられるのなら、道端で凍え死んだ方がましだったと本気で思った。


 今まで従順に過ごし、村長邸から一歩も外に出られずとも文句の一つも言わなかった小夜は、彼らに舐められているようだった。

 祝言の意味も分かっていない小娘に、わざわざ監視をつけることさえしないのたから。


 屋根裏にある布を切って結んで、窓から垂らす。身体を動かすのが久しぶりでずり落ちそうになったが、何とか怪我なく三階から脱出することが出来た。

 

 女中たちに隠れて盗んだ少しの食糧を布で包み、体に巻き付ける。今回は凍えずとも良いよう、なるべく衣服を重ねて着込んでいた。

 

 息を殺して、走る。

 疲れていたが、明かりがぎりぎり見えなくなりそうなところまで、頑張って足を進めた。

 近づいて来た暗闇にどこか安心する。あの屋敷の中よりよっぽど安らぐような心地だった。


 布で包んでいた荷物から蝋燭ろうそくと火打石を取り出し、火を灯す。すると、急に明るくなった小夜の視界に小さな祠が飛び込んできた。


「これ……」

 

──土地神を祀る、祠。

 

 小夜も老婦の家で暮らしていた頃は、しょっちゅう祠に手を合わせていたものだ。

 彼女の具合が悪くなってからは毎日、快復するようにと一心に祈っていた。しかしそれからすぐに老婦は亡くなる。

 

 そして小夜は、願っても神には届かないことを知った。神など信じなくなった。

 

 あれから六年が経ち、村長邸に引き取られたかと思えば、今は領主と結婚させられそうになってしまった。当時の自分が聞いたら冗談だと思うだろう。小夜はふと、先程の乙羽の言葉を思い出す。

 

(そういえば……領主が土地神のまつえい・・・・だから、逆らえないって言ってた)


──何が土地神だ、とんだ厄病神じゃないか。

 

 ははは、と乾いた笑いが出る。そうだ。全部、その神とやらのせいなのだ。

 

 そばに落ちていたくわが目に入る。鉄製の刃は暗がりで見ても分かるほどこぼれていて、村人が適当に棄てたのだろうことが伺えた。


(──呪ってやる)


 小夜は倒れないように慎重に蝋燭を地面に置き、鍬を手に取る。

 

 祟れるものなら祟れば良い、殺せるものなら殺せば良い。いや、むしろ殺してくれたら良い。


 一人逃げ出した小娘がまともに暮らせるわけがないことくらい、小夜にも分かっていた。そのまま鍬を大きく祠に振り下ろせば、ぐしゃり、と木が折れる耳障りな音が夜に響く。

 そして背後から突如、くつくつと笑い声が聞こえてきたのだ。

 

「罰当たりだな。これは君、死んだね」


 人に見られたのは不味かったかもしれない。そう思いながらも、小夜は吐き捨てた。

 

「別に良いよ。ちょうど、死にたかったところだから」


 すると男は心底楽しそうに笑い始める。

 

「くっ……あははは! 何それ。ふふ、祠なんて壊されて、はて、どうしてやろうかと思っていたけれど……それなら、」


 急に男の声色が下がる。一通り笑って満足したのかと思った瞬間、小夜の視界は暗転した。

 

「死なせてあげないよ」



 こうして小夜は、の手に堕ちた。





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