第5話 魂の宿る場所
ここ数日、ぐずついた天気が続いていたが、この日は気持ちの良い晴天が空を覆っていた。
大きな空の下にポツリと立つバス停の脇に、男は立っていた。一応シャツとスラックスを着ているが、ジャケットもネクタイも無い。世にクールビズが浸透し、無駄な厚着をしなくて良くなったが、これは果たしてスーツと呼べるのか。どこからがスーツなのだろうか。そんなことを一人考えていた。
イチゴを貰ってから2週間近く経つが、あれ以来彼女の姿は見かけていない。どことなく名残惜しい気もするが、また平穏だった日々に戻ろうとしているだけのことと、言い聞かせていた。
振り返り、いつも彼女がやって来る背後の道を見たが、人けは無く、視界に入るのは古い住宅と道の先に見える広い畑だけだ。
バスの通る道路に背を向けたまま、ぼーっと畑道を眺めていた。
その時、少し遠くから聞き覚えのある声が聞こえた。
「随分と変な待ち方をするね。バスを背中で感じ取ろうという魂胆かい?」
驚き、バッと振り返ると、悠々と道路を横断しながら接近してくる女性の姿が見えた。
大きな麦わら帽子に白のロングシャツワンピースを着て、茶色のワイドパンツを履いている。珍しく顔にはマスクをつけて、何故かサングラスもかけていたが、すぐにその女性が誰だか分かった。
男が声をかけようとした時、女はゲホゲホと咳込んだ。
「大丈夫ですか。もしかして風邪ですか?」
「風邪ではないよ。ちょっと喉が痛くて鼻水が出て微熱があるだけだよ。多分、
そう言いながら女は左手の手首をくるくると回していた。
「ほとんどの方は、それを風邪と呼んでますよ」
「マイノリティが生きやすい世であって欲しいよ」
いつもの調子で軽口の冗談を叩いているが、少し辛そうで、空元気を出しているように見えた。
「ちゃんと食事は取っていますか? 栄養のあるものを食べてたくさん寝てください」
「妙に突っかかってくるじゃないか。お医者さん気取りかね」
「全然突っかかって無いですし、心配しているだけです。それに一応私は医療従事者なので」
男の回答に、女の動きが一瞬止まった。サングラスとマスクから表情は読み取れないが、思わぬ情報に驚いているように見受けられる。
「…へぇ。そうだったんだ。君医療に携わってるんだね。折角だしアドバイスを聞かせてよ」
唐突な問いではあったが、風邪の対処は意外とシンプルだ。
「そうですね、まずはたくさん水分を取ってください。薄いスポーツドリンクや白湯なんかで大丈夫です。コーヒーやお茶は利尿作用があるので避けたほうが良いです」
「なるほどね、白ワインはスポーツドリンクに入る?」
「絶対に入りません。体調が良くなるまでお酒も控えたほうが良いです。あとはひたすら寝てください。睡眠が一番です」
「ふーん…」
女は興味なさそうに適当な返事をした。
「なんかもっと必殺技みたいなのはないの? 雪見だいふくにブランデーかけたものを食べると治る的な」
「それは美味しそうですけど、そこまでお酒飲みたいんですか? そういったのだと、生姜湯やハチミツ大根は良いかも知れません。効くかはともかく、悪くはないです」
「仕方ない。そこまで言うならあとで雪見だいふく買ってくるよ」
「話聞いてました?」
彼女は咳込みながらも楽しそうに笑っていた。その姿を見て多少元気を与えられた気がした。言わなかったがメンタルが元気になることも大切な要素だ。
「そう言えば、病は気からなんて言うけどさ、その"気"ってやつはどこにあると思う?」
思わず心を見透かされたかと錯覚した。時々彼女の異様な鋭さに驚かされる。
「"気"ですか」
男は顎に手を当てて遠くを見た。以前にも魂や気持ち、意思といったものはどこにあるのか考えたことはあったが結論には至らなかった。
「普通に考えると、脳内で起きていることのように思えますが…」
女は黙って話を聞いていた。
「心臓や血液ですかね。臓器は記憶こそ持っていないものの、情報伝達の媒体ですから、全身の情報を集めて気分や体調に影響を及ぼしてるとは考えられるかなぁと」
突然、彼女が指をパチンと鳴らした。
「流石じゃないか。いい線いってるよ」
そう言いながらかけていたサングラスを外し、麦わら帽子の上にかけ、話を続ける。
「答えはここさ」
そう言って女は自身の下腹部をポンポンと叩いた。
「腹、丹田ですか。確かに腹に据えるとか言いますしね」
「腹というか、腸だね」
腸と聞き男は、あぁと声を漏らした。
過去に聞いたことがあったのだ。腸が第2の脳と呼ばれ、1億個以上の細胞からなる独自の神経系を持っているという話を。この神経系は脳とは別に独自の情報処理が出来るそうなのだ。
「忘れていました。腸内細菌が意思に関係しているという研究もありますね」
女は満足げに頷く。
いつの間にかバスが滑り込むようにバス停にすっと近づいてきた。
「君の仕事も分かった気がするよ」
「え、本当ですか!?」
「立派な仕事じゃないか。頑張って来るんだよ」
「ありがとうございます。あなたもお大事に」
ブザーと共に開かれたバスの扉に乗り込む時、後ろから声をかけられる。
「今度うちにも、ヤクルトを届けてね。いってらっしゃい、ヤクルトレディー」
「え! いや、ヤクルトレディーじゃないですよ」
「おいおい、ダイバーシティ&インクルージョンが推奨される時代だよ。男がレディーって言われたってどうってことないだろう」
弁明の余地も無く、バスの扉は閉められた。麦わら帽子にマスク姿の彼女は微笑みながら手を降っている。
初夏を彩る青空に向かい、バスは出発する。
ヤクルトレディーは医療従事者ではない。そんな事を反芻しながら男は思った。
(医療従事者の定義広いタイプかぁ)
バス停のキミ 毛布 巻男 @mofu_love
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