第11話 霧の中で

 セダンのエンジン音が、静まり返った山道に低く響いていた。周囲には霧が立ち込め、ヘッドライトの光がぼんやりと広がって視界を遮っていた。

 ミナトはハンドルを握りしめながら、バックミラーに映る牽引トレーラーをちらりと見た。そこには、損傷した霞切が固定されている。装甲には無数の傷が走り、所々で破損した箇所が鈍く光を反射している。

「……ひどいな。」

 ミナトは小さく呟き、視線を前方に戻した。霞切の傷跡は、ただの機械ではない。それは、彼自身の無力さを象徴するように見えた。

 上空には、颯太と瑠璃の魔導機が伴走している。

 瑠璃の機体は低空を滑り、森の影を縫うように軽やかに動いていた。彼女は地形を利用して視界を確保しながら、周囲を警戒している。

 颯太の機体はそれよりも高い位置を飛び、広範囲の監視を続けていた。その姿勢には隙がなく、彼の冷静さを象徴しているようだった。

『ミナトさん、大丈夫?道中で変な音とか聞こえたら教えてくださいね。』

 瑠璃が通信で明るい声を送る。

『まぁ、こんな霧の中で誰も追ってこないだろうけど、念のため!』

「……余計なことを言うな。」ミナトは無意識に眉間に皺を寄せた。

 霧と静寂、それに得体の知れない解放軍の存在。その全てが、彼を緊張させていた。

 森の中を進む車両の音が霧に吸い込まれるように消え、時折、小枝が踏み砕かれる音が微かに聞こえる。

 やがて、道が少し広がり、霧の奥から巨大な影が現れた。

 それは山肌を覆うようにして作られた施設──解放軍の拠点だった。廃坑を改造したその場所は、自然の中に隠れるように建てられており、外部からの視認を完全に防いでいる。施設を囲む木々には迷彩ネットが張られ、高所には見張り台が配置されている。施設周辺に配置された魔導機が、不気味なほど静かに待機していた。

 セダンを誘導する形で、瑠璃の魔導機がゆっくりと着陸した。

『到着!これで任務完了、かな?』

 彼女が通信越しに軽い調子で言うと、颯太の魔導機も静かに地面に降り立つ。彼の動きは、瑠璃とは対照的に緊張感に満ちていた。

 ミナトはエンジンを切り、霧の中に沈む施設をじっと見つめた。

「……これが、解放軍の拠点か。」

 冷たい夜の空気が、彼の肌を刺すように感じられる。牽引されてきた霞切を再び見やり、その無残な姿に目を細める。

「ここで……本当に何とかなるのか?」

 施設の入口付近では数人の解放軍メンバーが待機しており、車が止まると同時に素早く動き出した。トレーラーを車から切り離し、牽引トラクターへ繋げる。その確実な動作は、どこか安心感を覚えさせるものだった。

 だが彼らの連携を目にして、ミナトはわずかな違和感を覚えた。

「……ただの寄せ集めには見えないな。」

 ミナトは深呼吸をし、霧の中に溶け込むような、山そのものを建物にしたような施設を見上げた。岩肌に張り付くように建てられた施設は、迷彩ネットで巧妙に隠され、外部からはただの山の一部にしか見えないようになっている。

 颯太が無言で歩き出し、ミナトに軽く手で促した。

「涼さんは医療施設に収容しました。単なる魔力切れとは思いますが、まだ意識が戻らない以上、しばらくは入院ということになります。」

「ああ……ありがとう。」

「……ミナトさんも疲れたでしょう。せっかくです、ここで、英気を養って下さい。」

「そうさせてもらうよ。」

 そう言い、施設に足を踏み入れると、まず目に飛び込んできたのは居住区画だった。そこには、ミナトが想像していた「反逆者の隠れ家」のイメージとはかけ離れた光景が広がっていた。広い空間に設けられた食堂では、数十人がテーブルに座り、食事を取りながら談笑している。

 食堂の中央に並ぶカウンターには、湯気の立つスープや簡素ながらも良い香りの料理が整然と並べられていた。列を作る人々の間では、笑い声と軽い雑談が交わされている。

「おかわりは次に回してね!スープはまだ温かいよ!」

 配膳を担当する中年の女性が元気な声で呼びかける。

 食堂の端には、売店のようなスペースが設けられていた。そこでは、日用品や軍用品が交換されている。

「頼まれてたやつね。あとこれも。」

 店主が整備員に部品を手渡しながら、商売を進めていた。

 ミナトは無意識のうちに足を止め、目の前の光景をじっと見つめていた。

「……ここまで生活が成り立っているとは。」

 彼の呟きに、颯太が振り返る。

「生活基盤が成立したのはつい最近です。元々は他のコミュニティと大して変わらない、難民キャンプのような場所でした。だけど、ここにいる皆、生き延びる為に戦うことを決めてます。」

 その言葉を聞きながら、ミナトは複雑な感情を抱えたまま歩き出した。これが単なる「寄せ集め」だとは到底思えなかった。ここには生活の基盤があり、秩序すらも存在している。それがどれほどの努力と犠牲の上に成り立っているのか、想像するだけで胸が重くなる思いだった。


 基地を散策していると訓練区画を見つけた。居住区画とは対照的に緊張感に満ちていた。ここでは、解放軍の新入りたちが実践的な戦闘訓練を行っている。ほんの数分前まで、人々の笑顔や笑い声に包まれていたはずだ。それが今は、鋭い指示と衝突音が響く場所にいる。広大なスペースには、魔導機を使った模擬戦のフィールドや、魔法行使のための設備が整えられていた。

 模擬戦のためのフィールドでは、二機の魔導機が激しくぶつかり合っていた。機体が砂煙を巻き上げながら、観客席のような場所に集まった仲間たちから声援を受けている。

「いいぞ、そのまま押し込め!」

 教官らしき男が鋭い声で指示を飛ばすと、訓練生の一人が緊張した面持ちで操作を続けた。

 的を狙う訓練では、新人たちが魔法を放つたびに失敗の煙が立ち上る。そのたびに指導員が駆け寄り、細かく修正点を伝えていた。

「違う、イメージが甘い!もっと具体的に描け!」

 新人の表情には苦悩が浮かんでいたが、それでも必死に学ぼうとしている様子が伝わる。

 ミナトはその光景を見ながら、心にわだかまりを感じていた。

「こんな訓練で、本当に戦えるのか?」

 その言葉に、颯太が静かに答えた。

「戦わなければ、生き延びられない。それだけですよ。」

 その冷静な声には、覚悟とも諦念とも取れる重みがあった。

 最後に訪れたのは整備工場だった。ここでは、損傷した魔導機が次々と修理を受けている。ミナトの霞切も他の魔導機と並べられ、整備員たちが作業に取り掛かっていた。

「動力炉はオーバーホールだ、訳の分からんのが付いてるから慎重に外せよ!駆動系とセンサー類は全部使い物にならないと思え!」

 整備員の一人が手袋をはめながら、周囲のスタッフに指示を飛ばしている。

 ちょうど居た瑠璃が魔導機から降り立ち、軽い調子で話しかけてきた。

あの子霞切って意外とタフだね!普通ならもう廃棄でしょ?」

 ミナトは小さくため息をつき、彼女を一瞥した。

「ベースが良いんだよ、ベースが。九曜の傑作機なだけはある。」

 彼の声には苛立ちが滲んでいたが、それ以上に自分の無力さを霞切に重ね合わせていた。


 居住区画、訓練区画、整備工場。それぞれを巡る中で、ミナトは解放軍が単なる反逆者ではなく、生活と戦闘の両方を支える組織であることを改めて理解した。しかし、その理解が彼の胸に新たな迷いを生み出していた。

「ここにいる人々は、本当に何を目指しているんだ……。」

 颯太が足を止め、振り返った。「せっかくなら、幹部たちと顔を合わせませんか?」

「俺がか?」

「ええ。」

「……」

 ミナトは微かに頷き、霞切の整備が進む方向に視線を送った。その目には、まだ迷いと警戒が残っていた。


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2024年12月30日 00:00
2025年1月3日 00:00
2025年1月6日 00:00

魔法使いの解放者 尾生多久 @MonarchistAcrylicplate

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