三章-4 家で迎える夜


*


「オスカリウス侯爵代理、長男のヘルフィ・オスカリウスと申します」


 ロタが対応していたそこに躍り出たのはヘルフィだった。そこに普段の荒々しさはない。


「そちら様はどちら様からのご使者でございましょうか?」

「この国の皇太子殿下、レイン・ムスペル殿下よりの使いでございます」

 名乗りを聞いたヘルフィはロタと視線を合わす。ロタは眼鏡を押し上げて頷いた。


「オスカリウス家のご息女、テイワズ嬢へのご招待状をお持ちいたした次第」

「恐れながら」

 要件を聞いたヘルフィは犬歯の覗く口を見せる。

「このたびのご招待に際しまして、我らが同行することをお許しいただけますか」


「ご無礼ながら、この招待状はご息女お一人に対するものでございますゆえ、それは叶いません」

 尚もヘルフィは食い下がる。

 ロタもフォルティも同じように、その言葉に瞳に炎を宿した。


「……未婚の女性をたった一人、殿下のおそばに招かれるとは、誤解を招く懸念があろうかと存じますが」

「むしろ、その誤解を招くことを意図しておられるのかもしれませぬな」

 その声にヘルフィは眉間の皺を濃くした。

「すでに侯爵閣下より許可を賜っていることでございます」


 その言葉に、ロタが思わずといった拍子で漏らした。

「父様に……?」

 小さく舌打ちをしたのはヘルフィだ。

 フォルティも眉間に皺を寄せている。

 三人の様子を見て城からの使者は言った。


「爵閣下には、西方の街にございます国境近くの未亡人のご夫人宅にてお目通りしたのでございます」


「わあ……」

 口角を引き攣らせて漏らしたのはフォルティだ。

「父様らしいというか……」

「そんなところに……」

 唸るロタとフォルティの横で、毅然とした態度でヘルフィが使者に言葉を投げかける。


「我が家の妹は、何者かに襲撃を受けかけたばかりでございます。このような事情を鑑みるに、皇太子殿下がご存知であれば、なおのことご理解を賜りたい。したがいまして、きょうだいの……一人でも……付き添いとして同行することをお許しいただきたく存じます」

「その点につきましては承知しております」

 使者は頷き、こう続けた。

「そのためこそ、当日には最上級の警備をもってご息女の安全を守る手配を整えておりますゆえ、どうぞご安心くださいますよう」



 待ってろ、と言われ素直に待つことにしたテイワズの傍にはルフトクスが座っている。

「おかわり飲むー?」

 テイワズの空になったカップを見て、ルフトクスが言った。

「うん」

「ティーってば、いつの間に王子様に御目通りしちゃったわけー?」

 紅茶をカップに注ぎ入れるとそれを渡して、ルフトクスは黄金の目を細めた。

「うーん……私も不思議……」

 茶色な水面に、自分の顔が映る。

 待ちあげれば容易く揺れる。

「すごい偶然で……」


「おい」

 テイワズが口を開いた途端、ヘルフィの声が部屋に飛び込んできた。

 テイワズとルフトクスが顔を上げると、三人が部屋に戻ってきた。


「お待たせしました」

「驚きでしたよ」

 ロタとフォルティが、ヘルフィに続いて席に戻る。

「これがテメェに」

 そう言ったヘルフィがテーブルの上に置いたのは、一目で上質とわかる素材の封筒。封蝋には王家の家紋。この国の象徴。

(……本当に?)

 昼間に話したばかりだ。


「茶会を開くから招待状だとよ」


 ロタに黙って注がせた紅茶に、山ほどの砂糖を入れながらヘルフィが言った。


「うーわ……あのことがなければこれ以上ない名誉なんだけどねえ、なんだか複雑ー」

 テイワズの横で、ルフトクスが一番苦い味のそれを飲みながら言った。


「……開きますね」

 取り出された紙には、ただでさえ高価な紙に上等な紋様がされていた。なかなかお目にかかれるものではない。

 中の文字は青年の文字とは思えないほど達筆だった。


「……『城の庭に美しいコルンブルーメが咲いております。ぜひ眺めながらお茶をご一緒できたらと思います』……と。『明日の昼頃お迎えに上がります』」


 テイワズは読み上げて兄たちの顔を眺め見る。

 沈黙する兄たちの中で、一番最初に口を開いたのは長男だった。

「行かなくてもいいぞ」

「え?」

 何を言っているんだと、ヘルフィの顔を見た。

「テメェが嫌ならいかなくてもいい」

「そんなわけには……」


 自分を慮ってくれているのがわかる。

 難しい顔をするフォルティは、多分自分と同じことを思っている。

(王家の招待は、よほど断れない)


 テイワズにまずそう言ったヘルフィは、王家への疑念があるのか、それともテイワズを一人にすることへの警戒か。


「ちょっと困るよ、後から現れておれたちの可愛いティーをかっさらおうってわけー?」

「そうですよ。立場をたてに誘うなんてやり方が卑怯です!」

 ルフトクスとフォルティが口を尖らせ、ロタとヘルフィは眉間に皺を寄せている。

 社会人組は階級社会を身に染みているのか──それとも違う算段を整えているのか。


「俺様たちはついていけねぇ。ちゃんと警備はするって言ってたが、怖かったら行かなくたっていい」


 兄たちはそれぞれ快いとはいえない面持ちをしている。それでも、テイワズの答えは決まっていた。


「何を言うんです」

 女の矜持は笑顔を作る。

「明日、このご招待にあずかって行ってまいります」

 ヒールは己の背筋を伸ばしてくれる。

 ドレスは鎧だ。心の傷を隠してくれる。

 神話と王家の謎ができた今、不安がないわけではなかった。それよりはむしろ、王子に話を聞くことができたら大きな前進になるだろうとも思った。

(王子様はあれだけ人の良さそうな方だったから、何か参考になる話が聞けるかもしれない)


 ──テイワズの逃げ癖は一緒に育ってきた兄たちにだけだった。本人も自覚している弱さで、兄は知ってる甘えだった。

 婚約破棄の時も、図書館で受けた謎の襲撃の時も、支えられながらでも自分の足で立ち上がり歩き出した。

 それは貴族としての誇りであり、兄五人が培ってきたからこその強さだった。

 魔術要素がない自分が、オスカリウスの名に恥じないように、という引け目もあったが、周囲にそれを感じさせなかった。

 青い瞳は涙を隠し、凛と立ち続けた。

 その健気さを、兄たちは見ていた。

 だからこそテイワズを誰より大切にしてきた。──自分たちの結婚は、妹が嫁いでからと決めて。


「そうか……わかった」

 ヘルフィの返事に、ルフトクスは憮然とした表情を変えない。

「えー、でもさあ、ティーが王子様に求婚されちゃったらどうするのさあ」


 その言葉に、兄たち三人がピタリと手を止めた。


「うち、家柄的にも問題はないしー、ティーは兄から見ても完璧な淑女。王子様、確かこういう噂もないでしょ? ありえるかもよー」


「そんなわけ……」

「そうなる前にさあ、おれと逃げ出す?」


 金色の瞳は琥珀の色。まるで中のものを閉じ込める色のようだ。

 その瞳に捉えられたテイワズは思わず固まる。


「おれは兄さんたちがいるからしがらみもないしー真面目だからさー貴族の身分捨ててもちゃんと働くよー?」


「な」

 なにを言ってるの。

 テイワズがそう言うよりも早く、ロタが声を荒げた。

「だからそういうことを言うなと言っているだろう!」

「おー、こわこわ」

 笑い出したルフトクスに釣られて、ほっとテイワズの口から息が漏れる。

(あんな瞳で見られてしまったら)

 意識しないわけがない。

 胸の鼓動を確認した。……ああ、正直だ。

 テイワズは抑えるように胸元を握る手に力を込めた。


「とにかく、ルフは冗談を言うのをやめてください」

「えー、冗談じゃないんだけどなー」

 眼鏡を押し上げて冷静さを取り戻したロタをからかうようにルフトクスが言った。

「冗談じゃないってロタ兄さんならわかってくれると思ったのにー」

「……今言うことでもないでしょう」


「だーかーらっ! テメェらいい加減にしろ!」


 視線をぶつけ合ったロタとルフトクスに、ヘルフィが声を荒げた。


「とにかく飯だ! 飯!」

「えー? 兄さん、さっきそんなにお腹空いてないって言ってなかったー?」

「そうですよ。だから夕飯を遅らせようかとしていたんですよ」

「急に結束すんなテメェら!」


 まとめようとした結果、ロタとルフトクスに逆に刺されてしまったヘルフィを見て、テイワズは胸元から手を離した。

 フォルティだけが赤い目で、招待状を見ていた。



 ノックの音が飛び込んできたのは月がだいぶ高く昇ったときだった。

(ヘルフィお兄様?)

 ただいつもよりもノックの音が硬い気がする。

「はい」

「ティー」

 扉を開くと、そこには暗闇に光る赤い目。

「フォルお兄様」

 紫水晶を思わせる髪の色、フォルティだった。

 時間もとうに遅いというのに、未だ服装は安らぐ時のそれにはなっていない。

「どうしたの?」

 フォルティは廊下に他に人影がないかを気にする素振りをしながら口を開いた。


「……部屋に入っても?」


 どうしよう、と思った。

 けれど、招き入れるべきじゃないと高鳴る心臓が教えた。

「……それはちょっと」

 どんな反応をするだろう。

 恐る恐るフォルティの顔を覗き見ると、その顔は微笑を湛えていた。

「確かに、あなたはもう……立派な淑女だ」

 いつになく、大人びた顔をする。

 そんな顔をしたフォルティを、テイワズは初めて見た。


「淑女の部屋に入りたいだなんて失言でした。申し訳ありません」

 胸元に手を添えて恭しく頭を垂れたフォルティを、知らない。

「い、いえ……」

「だからこそ──」

 途端、体が包まれた。

 フォルティに抱きしめられたと理解するのに、数秒かかった。

「だからこそ、この抱擁をお許しください」

「お兄、様」

 許しを与える前に抱きしめられた。

 フォルティにこんな身勝手さがあったことを、今の今まで知らなかった。


 重なるフォルティの体は熱かった。聞こえる心臓の音が早すぎて、一人分なのか二人分なのかさえわからない。


「あなたにお兄様と呼ばれなくなることを、切に願ってしまう僕を、許してください」


 振り解けない。

 どんな顔で言っているのか見たいのに、腕の中に閉じ込められたせいで見えない。


「行かせたくありません」


(何を言うの)

 振り解けないのは、フォルティの力が思ってたより強いせいじゃない。


「城にはまだ姫もいるでしょう。あなたが……」


 耳元で吐かれる言葉に、鼓膜だけじゃない。心臓さえも揺らされるようだった。


「あなたが傷つくかもしれないところに、あなたを行かせたくありません」


「お兄様……」


 抱きしめ返せなかった。

 それでも、テイワズの頭を撫でたその手をはらうこともできなかった。


(許されるなら)

 願わずにはいられなかった。

 この実直に伝えられるそれが、許されないものにならないことを。


(誰にも誹られることのないようにしてほしい)

 髪を撫でる兄の手を。

 抱きしめる男の腕を。

 込められたそれはまごうことなき愛だから、どうか。

 こうして伝えられた愛が許されないものではありませんように、と。


(兄妹じゃなければいい)

 はじめてそう思ってしまった。

 ずっと、兄妹のままでいたいと、変わらない絆を信じていたいと思っていたのに。

 あまりにも自分のために向けられた愛の形が優しかったから、兄妹じゃなくてもいいと思ってしまった。



(もう、この愛が許されるものであってほしい)

 ルフトクスの眼差しが教えてくれた愛が。

 ロタが指先で涙を拭ってくれた愛が。

 エイルが眠らなければ言えなかった愛が。

 フォルティが抱きしめてくれる愛が。


 ヘルフィが貸してくれた上着も愛と呼ばせてもらうことにして──だから、五人の。


 五人の兄たちから与えられる愛が。

 許されないものになるなんて、残酷すぎるから。

(もう兄妹でいられなくていい。そうじゃない方が──救われる)


 けれど、五人の兄の中に一人だけ血の繋がりがある者がいる。

 愛したくない五分の一。

(愛してしまったら傷つくとわかってるのに)

 愛してはいけない五分の一。

(許されない愛がある)


 抱きしめられているのに、途方に暮れる気分だった。


 時間がどれくらい経っただろうか。

 秒針が時を刻むより早く、心臓の鼓動が動き続けていた。

 きっともう分針もずいぶん動いて、時針と離れたり近づいたりを繰り返してるだろうに、テイワズはフォルティに抱きしめられたままだった。



「……すみません」

「いいえ」

 突然、フォルティの腕がぱっと離された。

「ティー」

 恥ずかしさに顔を背けようとしたのに、真っ直ぐに呼ばれて赤い目から逃れられなかった。

「これを」

 手を取られて、手のひらの中に包み込むように何かを渡された。ほのかに温かい。


 何かと思って自分の手のひらを確認すると、それは柔らかに光っていた。小さな小瓶の中に、火種のようなものが入っている。それが淡い光と熱を放っているようだった。

 まるで星が閉じ込めているようだった。


「お守りです」

「え?」

「僕の火の魔術を閉じ込めました。これを投げれば、ぶつけられた先が燃えます。……何かあった時のひとまずの自衛になるでしょう」


 そんな魔術の使い方、聞いたことがなかった。

 魔術を使う、ではなく。次に使うために閉じ込めて、それを魔術要素なしの人間が使うことができるなど。

(信じられない)

 テイワズの顔を見て、フォルティは微笑んだ。

「僕は天才ですからね……こんなことも出来ちゃうんですよ」

 教科書に載せられるほどの偉業だ。


「すごい……」

「そうでしょう?」

 手の中で光る小瓶をしげしげと見つめるテイワズに、フォルティは目を細めた。

「ルフお兄様も言ってましたが……いえ、僕こそ」

 テイワズは顔を上げる。

「この身一つあれば、この名一つさえあれば──家名などなくとも……僕があなたを守ります」


 願わくは。

 フォルティは続けた。


「僕があなたを守る資格を得られますように」


 ──それは、その資格とは。

(世間からの許しだろうか、それとも、私からの愛だろうか)

 フォルティは答えを求めなかった。

 その代わりテイワズの手の中の小瓶に一つ、口付けを落とした。


「おやすみなさい、ティー。……よい夢を」


 いったいどんな夢をよい夢と呼ぶのだろう。

 どんな夢を見たら、世迷言のような寝言を言わずに済むだろうか。



 自室の扉を閉めて一人にきりになった空間で、テイワズは呟いた。

「……わからない……」


 愛していいのか、わからない。

 許されるものが、わからないから。



 フォルティは自室に戻りながら、暗い廊下に呟いた。

「……兄様には、負けませんから」


 いつも夜更かしをしてばかりの、兄に向かって言うつもりで。



 赤髪。紫の目。

 招待してくれた王子を思い出して、ドレスの色は悩んだ。

 赤にしようかと思ったけれど、招待状に書いてあったコルンブルーメという花は青い花だ。


 この色なら花の邪魔をしない。尚且つ王子の色に並んでも悪くないだろう、と決めて着替えると部屋の外でヘルフィに会った。


「おはようございます」

「似合わねぇ」

「……」


 早く起きてるのも珍しい、と思えば挨拶よりも先にとんでもなく失礼なことを言われた。

 思わずテイワズが口元を引き攣らせていると、雑に頭が撫でられた。


「この前俺様が買ってやったドレスがあるだろ、それにしとけ」


 手が離されて、テイワズは乱れた髪を整える。


「テメェは好きな色を着ていいんだ。どんな色だって似合うんだからよ」



 そうしてテイワズは迎えに来た豪壮な馬車に乗った。

 もう逃げ出すことはできない。

 逃げることを許してくれる兄はいない。

(一人でも)

 この身に誇りを再び。


 お茶会とは美しい場所とは──女の戦場なのだから。


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婚約破棄されたばかりの私に、五人の兄たちが求婚してきます〜愛してはいけない確率は五分の一〜 鈴木佐藤 @suzuki_amai

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