三章-3 家で迎える夕方


*


 朝早く。花瓶の水を換えながらフォルティは機嫌良く鼻歌を歌っていた。

「今日は僕と一緒ですからね! 大船に乗ったつもりでいてください」


 襲われた事件の次の日。そして婚約破棄あの日から八日。

 たった一週間で随分周りが様変わりしてしまったと、あの日フォルティに褒めてもらったドレスを纏うテイワズは思う。


 今日はフォルティがテイワズと一日過ごすことになった。テイワズが部屋に戻った後、兄四人で会議をしていたらしい。


「だって、誰よりはやくティーと一日過ごしたかったからですね……頑張りましたよ」

 そう言って、フォルティが赤い目を細めた。


 テイワズは知らない。──彼が一番に名乗りをあげ、それを通したその夜の会議を。


「僕に決まってるでしょう」

 テイワズが部屋に戻った後、自分の兄三人に向けてフォルティはすぐにそう言った。

「なぜですか?」

 ロタが眼鏡を押し上げる。

「あなたも学校に行って休む前の準備を整えてからの方がいいでしょう」

「いえ、別に明日休んだって大丈夫です。……よね? ルフ兄様」

 フォルティの視線を投げられたルフトクスは、露骨に顔を顰めた。

「えー、まあ、明日はおれたち特に当番とか、行事とかもないけどさぁ……」

 ルフトクスの嫌そうな顔も触れず、フォルティはむしろ水を得た魚のように瞳を光らせた。

「……と、いうことなので問題はありませんよ? 兄様方」

「なんでテメェが一番に名乗りをあげるんだよ」

 末弟の無遠慮な態度に、長男が顔を顰める。

 しかし末弟──フォルティの顔は曇らない。せいせいとした顔をして、答える。


「僕が天才だからですよ」


 せいせいと高らかに──傲慢に。


「昨日の今日で危険性は高いです。僕の魔術ならどんな相手が来ても追い払えます」


 高慢に。


「僕の魔術に大抵の人は敵いませんからね。よほど強い相手でも……ねえ、兄様方?」


 高潔に。


「兄様方も当時学校最強の名を欲しいままにしていたそうですが──僕は自分が勝るとも劣るとは思っておりませんよ」


 赤い目の視線が重なり合った。わかった、と頷いた赤目の持ち主は銀髪。そして今日の護衛役が決まったのである。

 おそらくは卒業後、この国有数の魔術使いとなるだろう末弟の態度を、兄の誰も不遜だと怒ることはなかった。


 そんな夜の攻撃的な目の光を隠して、フォルティはにっこりとテイワズに笑いかける。

「ま、昨日の今日ですからね。家でゆっくりしていた方がいいでしょう」

 そうですね、とテイワズは頷く。


 フォルティ以外の兄たちは皆それぞれの場所に行ってしまった。初日がフォルティなのは正直意外だった。

(確かに、ヘルフィお兄様はお仕事だと言っていたけど……)

 ロタかルフトクス辺りだと思っていたから拍子抜けだ。とはいえ理屈はわかる。フォルティは単純に最強だからだろう。


「本当はティーが行きたいところに行き、僕もエスコートできるのならしたいのですが」

 フォルティはテイワズの手を取る。

「あなたの安全が最優先です。尽力しましょう……僕があなたを守ります」

 真っ直ぐに見つめられて、テイワズは思わず言葉を飲み込んでしまう。

「なんでも。あなたがしたいことを言ってください……僕がすべてを叶えます」

 なんせ、とフォルティは笑った。

「僕に敵わないものはありませんから」


 結局その日は家から出ることなく、フォルティに古代文字のことを教えてもらったりしているうちに時間が過ぎた。


「ティー。こうして二人きりで過ごすのは久しぶりですね」

 本を捲って、フォルティが言った。

「永遠にこうして過ごせたらいいのに、と思います」



「じゃ、今日はおれがティーの護衛役だよー」

 次の日はルフトクスが護衛役を務めた。

「なにする? うーん……一緒に昼寝でもする?」


「お兄様」

 寝ません、とテイワズが言うとルフトクスは茶髪を揺らして笑った。

「冗談だよ、きみと過ごせる一日が嬉しくて……ごめんね?」

 金色の瞳に、金髪のテイワズが映る。

「おっと……こういうの禁止されてたんだった、けど」

 笑うその顔は、甘い。

「おれはね。ティーと過ごす一日が何よりも替えがたいの……だから、今度こそ一日仲良く過ごそうねぇ?」


 ルフトクスの瞳の色に合わせたドレスを選んだテイワズを見て、舌を舐めた。

「ああ、もう……食べちゃいたいくらい、きみは可愛い」



 二人きりになった空間で、ロタが紅茶を注ぐ。

「どうぞ」

 ありがとうございます、と例を言って、テイワズはカップを持ち上げた。

「あいつらは何も変なことしでかしてませんでしたか」

「はい」

「それはよかったです。……油断も隙もないやつらですから」

 眼鏡を押し上げたロタに、テイワズは少し笑う。それから、弟二人には聞かなかったことを聞いた。

「あの、お父様って……」

「あれから連絡ありませんね。元々自分とヘルフィに任せがちで家にいたのも……あなたの……まあ、珍しいことでしたからね」

 の後にはきっと──社交界デビューの日、と言おうとしたのだろう。

 優しい兄らしい濁し方だ。

「どこかにしけこんでるのでしょう、わりと自由奔放な人ですから……」

 子供が六人。しかも異母兄弟と言われてたからには──まあその通りなのだ。

 その通りの奔放さだ。

「そういうところはエイルに似てますよね」

 その言葉にテイワズは顔を上げる。

「エイルは元気でしたか」

「……お元気でしたよ」

 テイワズは紅茶の水面に同じ金髪の兄の姿を思い出す。

(もう)

 会いたいけど──合わす顔がない。


「あいつは入学した途端に遊び出して……ろくに家にも寄り付かなくなり困ったものでしたが」

 それでも、とロタは続けた。

「あいつが描く絵はいい絵でしたね」


 そうですね、と返すテイワズはロタと共に男爵家で見たエイルの絵を思い出していた。

 ──あのタッチで描かれる女性は。

(きっと幸せ者ね)


「ま、父にも弟にも困ったものですが……」

 ロタが眼鏡を押し上げる。

「自分は結婚したら一途でいると決めています」

 レンズの奥の青い目が細められた。

「……今までもそうでしたし、ね」



 兄三人との時間は余白がなかった。

 会話がない時でさえ、彼らの視線は饒舌だった。

(──わかる、大切にされてるのが)

 妹として。

(──女として愛を向けられてるとも、わかる)

 そんな愛を向けられても、どうしたら良いかわからない。


 だって、たとえ、愛を返したとして。

(兄の一人は……愛してはいけない存在)

 血縁関係からは逃げられない。

(この身で生きている限り……許されない愛がある)


 だから愛したくない。

 けど向けられる愛に、自分自身が溶けていくのが──形を変えて変わっていくのが、わかる。

(ずるい)

 フォルティも。ルフトクスも。ロタも。

(自分が実の兄じゃないと思って、容赦なく刺してくる)

 言葉で。視線で。刺されたそこに注がれるのは間違いなく愛だ。


(こわい)

 婚約破棄は、ついぞ一週間ほど前。まだ二週間は経っていない。傷はまだ治ってない。

(未来を信じて、傷つくのが怖い)

 愛したとして、それが誹られるものだとわかるのが怖い。


(わからない。きょうだいのことも……)

 ずっと過ごしてきたはずなのに。

 今までの親愛は性愛を隠していただけというの?


(わからない。自分のことも)

 ずっと生きてきた体。

 何もないと思っていのに、潜んでいたのは知らない魔術素養。


 きょうだいに守られる時間は安全だった。ふとしたときに女としての心を乱してくるので安穏とは言えなかったが、それでも安心はあった。

 とはいえ何も前進していない。

(明日は図書館にでも行けるといいのだけれど……)

 兄が一人付き添ってくれるのなら多少の外出は安全だろう。

(明日はヘルフィお兄様)

 月を見れば思い出した。


 夜空の色はロタの色。

 夜明けの色はフォルティの色。

 木々の色はルフトクスの色。

 朝日はエイルの髪の色をしている。

 外を見れば、何もかもがきょうだいのすべてを思い出させた。



「眠そうじゃねぇか」

「お兄様も、いつも」

 いつも通り眠そうで。


 いつもよりひときわ遅く、ヘルフィは食卓に現れた。

 紅茶に砂糖を山ほど入れると、いっきに飲み干してカップを置くと、雑な仕草で次の紅茶を注ぎ淹れる。

 他の兄たちが家を出ると同時に、ヘルフィは部屋から出てきた。

 食卓にはテイワズとヘルフィの二人きり。窓の外からは鳥のさえずりが聞こえた。


(……思えば、ヘルフィお兄様と二人きりって、随分なかった気がする)

 そう思って視線をやれば、ヘルフィはまた山ほど紅茶に砂糖を入れている。


「昔から甘いものがお好きでしたっけ」

「ああ?」

 テイワズの言葉に眉根を顰めると、それでも答えた。

「大人はなあ、飲みもんくらい甘くねぇとやってけねぇの。世の中辛酸ばっかなんだよ」

「そうなんですか」

 言うほど大人ってわけでもないだろう。

 とは言わなかった。ヘルフィの言葉はいつものことだ。長兄としての言葉。


 いつから、とはわからなかったが、それでも返事は与えられた。テイワズが啜った紅茶は、好きなシナモンの味はあまりしない。

「今日は図書館に行きたいのですけれど」

「ああ? 出かけんのかよ」

 ヘルフィの顔は難しいままだ。

「危ねぇだろ。なにがあっかわからねぇ」

「けど……その、『風』ことについて調べたくて……」

「俺様も調べてみてはいたんだがよ」

 ヘルフィは話し始める。


「古い本に『自然の力』って書いてあった。多分それが風のことだ。分かりづらいように、わからないように濁してるんだろう。文献の文字の『自然の力』を『風』と置き換えればすべて辻褄が合うんだ」


 厄介なのは、とヘルフィは言った。

「学術書や図鑑にはねぇ。文献として、歴史の資料としては残されてなかった。つまり、この力は──……隠されてるってことだ」


 窓の外で、鳥の羽ばたきが聞こえた。

 風が窓ガラスを優しく叩き、肩、と小さく音がなる。


(神話では──創世のお伽話は)

 テイワズは思い出す。


 かつてこの国が国となる前。大地は灰で覆われていた。命の芽吹くことのない虚無の平野。形も荒れたその場所で、やがて覆われた灰が飛んだ時、空から炎が降り注いだ。炎のゆらめきから生まれた熱が、一雫の水を産んだ。それは瞬く間に流れ川となった。

 水と火が交わり、大地が芽吹く。息を吹き返し生命の礎が築かれた。こうして世界に火、水、大地と自然の力が宿った。人々は恩恵を享受して生まれた。


 神話を思い返せばひっかかった。

 当たり前過ぎて気づかなかった。昔話だから許される、おおらかな話なのだろうと思っていた。

(……なぜ、大地を覆っていた灰は飛んだ?)

 そもそも。炎がはじまりでは、ないのでは?

(息を吹き返す……風で、ってこと?)

 火、水、大地──自然の力というのではなく。

(火、水、大地……自然の力……つまり、風)


 顔を上げればヘルフィはまだ眉間に皺を寄せていた。


「それは全ての力を統べる素養で、それを持つ王がいたとき世の中は康寧なんだと。それは王たる者が持つべき素養だが──」

 饒舌だったヘルフィの言葉が、そこからは切れ切れとした。

「……なければ王はそれを得ることができる。王家の伝統を以てして」

 だとさ。

 言い切って紅茶を啜った。にげぇな、と呟いてまた入れ直す。どう考えても甘くて甘すぎるはずだ。テイワズも乾いた口を潤す。

 気になることがある。

「どうやって、お兄様はそれを調べたんですか?」


 一体。どうやって。図書館でさえそれらの資料は乏しかったのに。


 テイワズの青い目に見据えられて、赤い目の視線を外してヘルフィが答えた。

「貴族──オスカリウス侯爵の名はダテじゃねぇってことだな」

 意味深な答えだった。

 首を傾げると、ヘルフィは答えた。


「王家にまつわる本で、文献にはねぇ。なら、この辺には──王都周辺は確実にねぇだろうと思ってなあ、地方の領主や貴族に聞いたよ。色々視察で出かけるから、ついでではあったが」


 そんなの、まるで。

(王家が隠してるみたいじゃない)


 何も言えないテイワズに、ヘルフィは続けた。

「年寄りがなあ、やっぱ待ってんだよ、古い本。おとぎ話だけど、昔のことを調べたいならどうぞ、なんて渡してくれたぜ」


 ヘルフィの話は続いた。


「きみも物好きだねぇ、なんて言ってな……ウチもそうだが、やっぱ貴族ってのは蒐集が好きだな。なんでもその本、おもれーのに数少なくて、ろくに出回らなかったんだと」


 御伽噺。童話。寝物語。

「あくまで創作らしい……たとえば劇に使われるような、創作の話」


「けど」

 テイワズはやっと口を開けた。

「たしかに口伝されてきた話……?」

「そうだ」

 ヘルフィは頷いた。

「だから俺様は案外、ただの創作じゃねぇと思ってる。なんじゃねぇかと」

 紅茶はすっかり冷めている。静かになった水面に自分が映る。

「……王が得るとか、伝統とか、そのあたりがわからねぇ。それが資料が少ねぇことに関係してるのか……俺様たちは何を知って──何を知ろうとしてるのか」


 窓の外の風が強く吹いたのが、部屋の中のテイワズたちにもわかった。

 息を飲むのも忘れた。

 知らない世界に踏み入ろうとするときは、こんなに胸が苦しくなるのか。


「……まあ、安心しろよ。テメェは──」

 ヘルフィが言葉をかける。

「何があっても俺様が守るから」


 妹だからな。と、そう続くと思ったけれど。

 その会話はそれきりで終わってしまった。



 規則正しく並ぶ書架。同じ通路の奥側で、ヘルフィがしゃがみ込んで本を選んでいる。

 テイワズは通路の手前に立って本を眺めていた。

(まあ、古い本よね)

 となると、と視線を上に上げる。書架の上に並ぶ本は久しく読まれていないのだろう、埃が乗っていた。

 テイワズが背伸びをして手を伸ばそうとしたのに、ヘルフィが気がついた。

 立ち上がったヘルフィが視界の端に入って、それよりも先に手元に影が降った。


「はい、どうぞ」


 柔らかい口調と共に、渡される本。顔を上げて受け取ろうとした。

「ありがとうございま──」

「ありがとうございます」

 テイワズが礼を言い切るより早く、ヘルフィがテイワズの肩を抱いて男性の前に躍り出た。

 ヘルフィに驚きつつ、顔を上げる。本を差し出した人物にテイワズは見覚えがあった。


「先日の……」

「あれから大丈夫でしたか?」


 どういうことだ、とヘルフィが視線に含んでテイワズに落とした。その視線に気付きながら、目の前の人物に軽く頭を垂れる。


「お陰様で、無事に帰ることができました」

「それはよかった」


 テイワズとヘルフィの前で微笑んだのは、紫の目をした赤髪の青年だった。今日も品の良い服を着ている。ヘルフィも一瞬でそれに気付き彼なりに丁寧に話したのだろう、とテイワズは気付いていた。


「お兄様、こちらの方は以前襲われそうになった私を助けてくださった方で……」

 それを聞いた途端、ヘルフィの表情が変わった。

「おお?」

 声をあげて、赤髪の青年が驚いた。


「我が家の妹をお守りくださったこと、深く感謝申し上げます。このご厚情はどんな言葉にも代えがたく思います」


 ヘルフィが片膝をついて、赤髪の青年にすらすらと述べた。

(お兄様!?)

 その大人として、また恩人への対応としては最上級の真摯さにテイワズは驚く。

(こんな顔あるんだ)


「そんなそんな仰々しい。よしてくれよ。えーっと、お兄さんなんだ?」


 前半はヘルフィに、後半はテイワズに言ったようだ。テイワズは頷き、ヘルフィは立ち上がった。

「オスカリウス侯爵家……私は長男ヘルフィと申します」

「私はテイワズ・オスカリウスと申します」

 名乗り頭を下げた兄に倣い、テイワズも恭しく挨拶をする。


「オスカリウス……。ああ、名乗られたら名乗り返さなきゃいけないなあ」

 赤髪の青年はひとりごとのように呟いて唸った。


「こうすればわかりやすいかな?」

 そう言うと髪をかきあげた。

 目を見開いたのはヘルフィだった。


「私はレイン・ムスペル」


 社交界デビューも不完全燃焼に終わってしまったテイワズは顔を見てもわからなかったが、名を聞けばわからないはずがなかった。


 目の前の人物が何者かわかったヘルフィとテイワズの目の前で、髪をかきあげた赤髪の青年は続けた。


「この国の第一王子だよ」



「おい。テメェを助けた相手が王子だなんて聞いてねぇぞ」

「知らなかったですから」


 結局それからは本を見る余裕もなくなり、テイワズはヘルフィに肩を抱かれ早々に馬車に戻った。

 貴族として務めを行うヘルフィは王子の顔を知っていたが、テイワズは未婚のついぞ少女だった歳の女性だ。今までも外ではサロンや手習などしか行っていなかったので王家や他貴族の顔には疎い。

 社交界デビュー《デビュタント》が成功していればこれから知っていくはずだったのだ。


 別れ際、王子はテイワズにこう言った。


 ──物好き仲間として今度ゆっくり話そうよ。……妹のことも謝りたいしね。


「なぁにが謝りたいだクソっ! 謝って済む問題じゃねぇだろ」

 ヘルフィは馬車の窓の外を見ながら先ほどの出来事を思い出して悪態をつく。


「なんであんな格好で普通に図書館さまよってやがんだ、貸切にすりゃいーだろ貸切に」

「まあそれは確かに……」

 よくもまああんな普通にいたものだ。

 王子と聞いて思い返せばあの品の良さも頷ける。

「無理に付き合うこたぁないからな」


 そう言われれば改めて胸の傷を思い出す。

 かの王子の瞳の色は──あの妹と同じ紫色の瞳だった。

 ダグ《元婚約者》を攫って行った、女。この国の姫。

 彼女の兄だとわかってしまって普通に話すことができるか自分でも疑問だった。

 だからこそヘルフィはテイワズの肩を抱いて無理矢理にでも図書館から出たのだろう。


(そうは言っても)

 テイワズはわかっている。

(お兄様がそう言ってくれても……立場上、もしも招待を受けたら断れない)

 階級社会で王家に楯突くことは社会的な死を意味する。

 元婚約者の家柄、ブランドス家もかつては王家と繋がりがある名高い家柄だった。何をしたのか道を違え、だんだんと落ちぶれていったようだが。その名を聞けば知る者は多い、名の知れた名家だ。

 だからこそテイワズは受け入れた。

 しかし公の場で恥をかいてしまってはもうよほどいい縁談はこないだろう。いくら侯爵家の子女とはいえケチがついてしまったのだ。

 それこそテイワズが今後結婚する相手は物好きというものだ。

 王子の社交辞令も実現すれば、それはきっと謝罪だろう。

(仕事でも斡旋してくれれば助かるけど……)

 女ができる仕事は限られている。その上おおよそ仕事ができるのは魔術要素ありの者ばかりだ。

 今となっては魔術要素があることがわかったが、それを公にできない──謎ばかりの今、明かすことはできない。


 馬車の車輪が石畳を進む重い音が響く。

「……おい」

 沈黙を割ったのはヘルフィの声だった。

「この前ロタと行った店ってこの辺か?」

 思わずかけられた質問に、テイワズは窓の外を見た。馬車は店がいくつも並ぶ大通りの近くを走っている。

 見覚えがある通りだ。確かこの辺りだったような気がする。


「確か……そうだった気がします」

「降りるぞ」

「え!?」

 驚くテイワズをよそに、ヘルフィは御者に声を掛け馬車を止めさせた。


「行くぞ!」

 そう言うと馬車から降りてテイワズの手を引いて走り出した。

「お兄様!?」

「俺様の言うことに文句あんのか?」

 そう言って振り向いた口が笑って、犬歯が覗いた。

「俺様について来い──何より甘い思いさせてやるよ」


 太陽の下で銀髪が煌めいた。まるで真昼の月だ。

(眩しい)

 テイワズは目を細めた。


 結局ロタと行った店ではなく、その近くにあった店に入った。

「お兄様?」

「おう。ここの甘いのすげぇ美味いぞ」

 おら食え、と無理矢理突っ込まれたデザートは、テイワズには胸焼けがしそうなほど甘かった。

 それでも、その店の紅茶はテイワズ好みのシナモンがきいた紅茶だった。



 次の日はフォルティが学校を休み護衛につく役目だった。

 夕方。もう間もなく夕食ということでチャイムが客の来訪を告げた。


「僕が行ってきますね」

 団欒の中フォルティが立ち上がった。


「よろしくー」

「お願いします」

「おう」

 兄各々が返事をして、フォルティを見送る。


 テーブルの上の紅茶がすっかり冷めた頃だった。

(……なんか、長い?)

 兄たちの顔を見れば皆同じことを思ったようだった。


「自分が見てきますね」

 そう言って立ち上がったロタを、ルフトクスとヘルフィ、テイワズは見送る。


 しばらくして、忙しない足音が聞こえてきた。

「ど、どういうことですか……!?」

 バタバタと走ってきてテイワズに視線を投げたのはフォルティだった。

「え?」

「ティーに」

 フォルティの赤い目が、首を傾げたテイワズを映す。


「王城でのお茶会の招待状が……きています……!」

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