第4話 買い物

 ご飯を食べ終わった後、まだ食べている師匠を横目に、来栖は先に切符を買うために駅へと来ていた。


(えーと、えーと)

 

 駅の改札近くにある窓口は多種多様な用途に分かれており、何処の窓口で切符を買えば良いのか所見ではかなり分かりにくい。加えて目的地である矢沢が観光名所ということもあり、隣町である栗部からも多くの人が向かうのか朝だというのに駅の近くには人が多くいた。

 予想以上の人の多さに来栖は焦りに駆られながら指で指しながら一つずつ確認を行っていき、それらしき窓口まで行く。


「あの、すみません。矢沢までの切符を買いたいんですけど」

 

 目を開けているのか開けていないのかよく分からないようなおっとりとした受付のおばちゃんに来栖が汗を拭いながら問いかける。来栖の切羽詰まったような慌ただしい雰囲気とは真逆に、受付の職員はおっとりとした喋り口で答える。


「矢沢までの切符ね。何時のだい?」

「一番早いのは何時ぐらいですか?」

「それだと……ちょうど今から20分後の奴だね。まだ残っているよ、それにするかい?」

「はい。じゃあお願いします」


 一番早い時間の切符を取る。もし師匠がそれに間に合わないならば知らない。置いていく。呑気にまだ飯を食べている師匠のことを思いながら答える。

 

「一枚でいいかい?」

「いや……二枚でお願いします」

「はいよ……それじゃあ、料金をお願いね」

「はい――!」


 職員のゆっくりとした動きとは対照的に来栖はきびきびと動いて料金を支払う。


「はい。ありがとうね。じゃあこれ、切符ね。無くさないように」

「はい。分かりました。ありがとうござます」


 来栖が職員から切符を受け取って一度お辞儀をしてからその場から離れた。そして駅の隅の、影になっているところで二枚の切符を握りながら安堵の息を吐いた。


「はぁ……よかったぁ」

 

 矢沢についてから宿を取れるかはまだ分かっていないが、それでもまず第一関門を突破した。もし切符が取れなかったら、もし午後の列車になってしまったら、それだと宿は取れない、などと焦っている時は意味の分からない、ネガティブな方面に妄想過多な想像をしてしまう。

 だがこうして終わってみると案外なんともない。不安になるだけ無駄なことだった。急ぎ過ぎて悪かったというわけはないが、もう少し余裕を持ってもよかったのではないかと、なぜか思い返してしまう。

 よくあることだ。ほぼすべての未来への想像は思っていたよりも悪くはならない。ただ、それが分かっていても毎回、こうして時間に追われて焦りを感じると面倒な妄想に陥って無駄な不安を感じてしまうことはよくある。


「まあ、一件落着ってことでいいかな」


 だがもうそんなことは忘れて前向きに考える時間だ、と来栖が頭を上げる。少し疲れて暑いため、周りに人がいないことを確認してからフードを取る。額を流れる汗を軽く拭きながら、森の方から流れる風に身を流す。

 肩まで伸びた髪がゆっくりとたなびいて、来栖の顔がいつも以上に顕わになる。風に吹かれる姿、汗を拭う姿、どの場面一つとっても絵になる。まさに美少女といったところだ。

 そしてだからこそ、フードを取るのは誰の目にも触れない場所である必要がある。世界が悪意で満ちているだなんて微塵も思っていないが、悪意は確実に存在する。身近にあるいは遠くに、もしかしたら自分の中にもあるかもしれない。

 そういったものの目に晒さないために来栖は顔を隠す必要があった。いや、厳密には違う。顔だけでなく体全体すべてを隠す必要があった。来栖自身のためにも、周りの人のためにも。


 少しだけ時間が経って、そろそろ風に吹かれるのも寒くなってきた頃。師匠が到着するのを待とうと駅の改札近くまで来栖が移動しようとした、その時、後ろから声が聞こえた。


「あ、すみませーん」


 後ろからの声に来栖は反射的に振り向く。見えたのは飛んでくる大きめの帽子と、それを追いかける女性の姿だ。帽子がたまたま近くに飛んできていたということもあって、来栖は反射的に帽子をつかみ取る。


「あ、ありがとうございまーす」


 まるで貴婦人。おっとりとした雰囲気にワンピースを着たその女性は走りながら帽子を取った来栖に感謝を述べる。そして来栖の元まで来ると膝に手をついて、切らした息を整えながらもう一度感謝を述べた。


「帽子を、取っていただいて……ありがとう、ございます………」


 息を整えてからでも良いのに、と思いながら来栖は女性の息が整うまで待つ。そして女性の息が整ったのを見計らって来栖が喋ろうとすると、同時に女性も顔をあげて来栖の顔を見るなり呟いた。


「あら、綺麗……」


 突然のカミングアウトに来栖は言葉を詰まらせる。今の感情を端的に述べるとするのならば困惑と歓喜だ。来栖自体、綺麗だとか美しいだとか可愛いだとかの言葉は耳が腐るほど聞いていて飽きに飽きている。だが目の前にいるどこか高潔な雰囲気を漂わせた女性に不意に言われると困惑してしまう。まるで予想だにしていなかったところから突然、アッパーを食らった時のような感覚に近い。そして単純に、おっとりと雰囲気、大人な女性、美しい、そんな要素を兼ね備えた来栖とはまた違った美人に褒められたという感激もある。

 相反する二つの感情に責め立てられ来栖は戸惑いを隠せなかった。

 本来ならば、ここで「あなたも綺麗ですね」みたいなことを言うのが正しいのだろうが、上手く言い表す言葉が見つからないし、それに素直にそう言うのは少し悔しい。来栖は自分の顔の良さを疎ましく思っていながらも誇っていないわけではない。自信がある。だから自分とは真逆の美しさを持つ女性に対して素直に感謝を述べるというのも、来栖の年齢には恥ずかしいことであったし、厳しいことでもあった。


「ありがとう、ございます……?」


 なんで褒め返してやらないんだ、と心の中で自分を攻めながらも口では別のことを言ってしまう。そしてまだ戸惑いを隠しきれていない来栖に女性は続けて口を開く。


「ごめんなさいね、いきなり。その、とても可愛らしいお顔をしていたから。私は遠坂とおさか蓮華れんげと言います。それと、帽子ありがとうございます」

「あ、はい。ぜんぜん」


 来栖は混乱の渦中で帽子を渡す。


「あなたはどうしてここに?」

「あ、えっと、矢沢に列車で行こうと思って」

「あら、観光に行くの?」

「そんなところです」

「ふむふむ。矢沢と言ったらやっぱり温泉よね、どこの旅館に泊まる予定なの?」

「いや、それがまだ決めて無くて」

「あら、大丈夫? 今って三連休だからかなり混んでるんじゃない?」

「あ、だから今日朝早くに行って予約を取ろうと思って」

「でも、まだこの時間だとフロントが空いてないんじゃないかしら」


 遠坂の一言で来栖が固まる。確かに、この時間帯はフロントが閉まっていて予約はできない。つまり来栖が早めの列車に乗った意味は無いし、宿泊場所も取れない。少し前に切符を取った時はすべてが丸く収まって上手く言ったと高をくくっていたが、こんなにも初歩的な場所に致命的な落とし穴があるとは思ってもいなかった。


(いやでも、一つぐらいは予約が取れる場所があるはず)


 だが来栖は不屈の精神で空元気と無駄な頑張りを見せる。そんな来栖に遠坂は助け舟を出した。


「もし困っているようなら、私の知り合いが経営している旅館に泊まらせてもらえるよう連絡しましょうか?」

「え、え、いいんですか?」

「ええ。構いませんよ。帽子を取ってくれた、それだけであなたに何かする理由としては十分すぎます。人は助け合いですからね」


 そう言ってほほ笑む遠坂の姿を見て来栖は神様でも見ているかのように心の中で拝んだ。生まれて初めて、ここまでの善意に触れたかもしれない。


「今連絡いたしますね?」

「よろしくお願いします……」

 

 あまりの優しさに申し訳なさを覚えた来栖が引き気味で答える。一方の遠坂はワンピースのどこに仕舞っていたのか、魔道通信機を取り出した。


「あなたのお名前を教えていただいてもよろしいですか?」


 相手が名乗ったというのに自分は名前を言っていなかったと後悔しながら来栖は答える。


「あ、すみません。来栖翡翠です」

「はい、来栖翡翠さんですね。今日は一人で?」

「いや二人です。あ、厚かましいかもしれませんが、できれば二室でお願いできますか? 倍の値段を払いますので」

「二室? お連れの方は男性ですか?」

「あ、はい。そうなんです、ちょっと先生というか、なんというか」


 来栖が答えると遠坂は目を輝かせて口を両手で覆う。


「あら、先生ですって。これはまた青春ですね」

「あ、いや全然! 絶対に思い違いしてますって!」

「ふふ。そうですかそうですか」


 絶対に来栖の話を聞いていない反応で遠坂は「ふふふ」と微笑みながら魔道通信機に何かを打ち込んでいく。一方で遠坂の誤解を絶対に解いておきたい来栖はもう一度訂正を試みようとするが―――横から声が聞こえたため急いでフードを被った。

 女性の声ならばここまで急いで動かなかった。しかし聞こえて来た声が男性の声であっため来栖は急いでフードを被った。そして横から聞こえてきた声の正体に目を向ける。

 すらっとした長身と柔和な笑顔の眼鏡をかけた男性だった。


「あら東二とうじさん」


 来栖が誰かと思って見ていると遠坂が答えをくれた。遠坂は東二と呼んだ男性――関平かんへい東二とうじに小さく手を振って近づく。来栖は遅れてその後についていった。


「東二さん、なぜここに?」

「たまたま姿が見えたからね、君こそなぜここに?」

 

 遠坂と関平が軽く会話を交わす。


「私は彼女の……ってすみません、彼は関平東二。私の友人です」


 来栖を無視して会話をしていたことを恥じながら遠坂が関平の紹介をする。その時、来栖はフードで遮られた視界の中から関平の顔が本当に僅かにだけだが変わったのを感じた。

 笑顔を緩めたのか、あるいは強めたのか。来栖にはその細かい機微までは感じ取れなかったが、どこかが分かったような気がした。あくまでも気がしたというだけだ。疑い深くなっているのだろう。


「私は来栖翡翠です」


 来栖が僅かに頭を下げる。すると遠坂が関平に来栖と知り合った経緯を説明する。


「この帽子が飛んでいったところを取って頂いて、それから話がはずんで少し話していました」

「そうかい」


 そう言うと、関平は膝を曲げて背を屈ませると来栖と目線を合わせて感謝を述べた。


「どうもありがとう。助かったよ」

「いや、ぜんぜん。こちらこそ助けていただいて」

 

 そして来栖が宿のことを話そうとしたところで、電撃のように思い出す。


(あれ、時間は、師匠は)


 かなり長話をしていた。師匠が来ているのならばもう着いているはずだ。

 来栖は急いで腕時計を確認して表情を変える。


「あの、すみません、もう列車の時間なので行かないと」


 時間を確認した来栖が急いで走り出そうとする。今ならばまだ間に合う。だが急がなければ間に合わない。来栖の事情を知っている遠坂は「まあ」と言いたげに口を開けて小さく手を振りながら来栖を見送る。


「あらそう。予約はこちらで取っておくので、安心してくださいね。宿の名前は『旭之湯』ですから、そこで私の名前を出してもらえれば伝わります」

「本当にそこまでしていただいてありがとうございます。でも列車が来ちゃうので、本当にありがとうございます」

「いえいえ、先生との……ふふふ、楽しんでください」


 走る来栖の背後から何やら聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。先生と……楽しん」と頭の中で単語が流れる。


(絶対に勘違いしてるってーーー!)

 

 来栖は遠坂の勘違いを指摘できないことを悔やみながら駅の改札へと走った。

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来栖翡翠の奇々怪々 豆坂田 @mamesakata

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